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2016年10月29日 (土)

第36回ユニオン学校(1)

 テーマは、「同質労働・同一賃金」
  既に現役を退いて20年近くになり、活動領域も「労働運動」から離れてきたこともあったが、「労働=生活」という普遍的な関係から、あるいは子どもなど家族をはじめ、後輩たちの労働実態・労働環境を知っておくことは、「社会問題」にかかわる回路の一つという点から関心だけは払ってきた。ユニオンと連帯する市民の会(CGSU)の運営委員の末席に連なり、アジア太平洋労働者連帯会議(APWSL)の情報発信を担っているのも、そんな背景があってのものである。
 今回のユニオン学校のテーマは「同質労働・同一賃金 日本における可能性と現実」であったが、経験的な感じでは「このテーマは難題」だと思った。テーマを大枠で表現すれば「賃金問題その社会性」に尽きるのであるが、その裾は広く、「春闘」に見られる「賃金の維持・向上-生活(出来る)賃金とは」、あるいは産業間、企業規模、正規と非正規、年齢・男女などの「格差」の問題、「賃金の算出方法・その根拠と公平性」、時間外労働(残業)など「労基法」との関連性、賃金の国際比較と外国人労働者の賃金問題・・・、その中の一部の「同質労働・同一賃金」についてであったのだ。
  呼び掛け文では。「同質労働・同一賃金とは、『同じ価値の仕事内容であれば、同じ賃金にしなさい』という考え方です。それは正社員と非正規、パートやアルバイトなどの雇用形態に関係なく、男女の性別や人種のちがいに関係なく、賃金を差別することを許さないという考え方です。今、経団連は『同一労働同一賃金の実現に向けて(2016年7月19日)』と題する報告書を公表しました。しかしそれは正社員と正規の格差をなくすことのみの内容になっているように思われます。非正規労働者の賃金を引き上げるものではないようです。
  今回のユニオン学校では「同質労働同一賃金」は日本で実現できるのか?日経連のめざす「同一労働同一賃金」とはどのようなものかについて学びたいと思います。」とあった。
まず第1の問題は、「同質」と「同一」の違いについてである。何をもって「同一」と規定するのか、「同質」とは何かにいては、職業、職種によってどこまで比較できるのか。
  例えば、「看護師」と「トラック運転手」という職業を並べた時、同じ年齢、同性だとして、そもそも比較検討ができるのかである。比較できないとすれば、「看護師」という職域・職種の領域でのみ、そして「トラック運転手」は、「ロジスティクス」全体の中では、物流業界での一職種に過ぎないから、他の職種と比較して公平性は担保できるだろうか。(この問題はこんな単純なものではないが)
  私の現役時代、1970年前後に、それまでの「年功序列型賃金体系」から、「成果主義-職群等級制度」という「新社員制度」の導入が図られ、数年に亘って、「労使」だけでなく、「労組執行部と一般組合員」との間で、議論が闘われた。特に、「学歴差別、男女差別の固定化」と「賃金の頭打ち」「競争原理の導入」が問題だったと思う。
  この新制度は、まず職群を「管理職群(係長・主任迄)」「事務技術職群(高卒以上の事務職と技術職)」「特務職群(守衛・病院職等)」「監督職群(現場の監督職・工師)」「技能職群(生産現場の労働者)」だったかな、に分け、職郡の中で「1級~5級(管理職は3級まで)」で格付けした。
  この頃はまだ、「年功序列型」が色濃く残っていて、労使の間で妥協が図られ「最短滞留年数と最長滞留年数」が導入された。つまりどの職群・等級にも「昇格(昇級)」するには「最短年数(3~4年)」をクリアーする必要があり、一方、どんなに「昇格(昇級)」が遅れても最大15年を経過すれば、自動的に「昇格(昇級)」できる(5級まで)という制度だった。そして同時に「成績査定+-1~2」も(公式に)導入された。
  もう一つは、「職務評価と成績査定」の正当化・公平化を図るものとして、膨大な「職務評価記述書」が定められ、各職場に設置された。けれども、細部に亘る職務評価の分析が記載されている一方、全社員の「職務評価」を作成することは、膨大な作業量が伴い、管理・監督職(課長、係長、監督職)には過大な負担となったと思われる。職務評価、つまり、「昇格(昇級)」が見送られ、あるいは、仕事の成績がマイナス評価されたとき、その理由・根拠の説明を求められた場合、それに答えねばならないからだ。従って当初、「職務評記述書」は非公開などと防波堤を張った管理職もいたことで、これの公開を巡って、私自身大いにやり合ったということもあった。もっともほとんどの労働者は、「職務評価記述書」の公開を求めることは、上司に反抗する、または、労使協調路線に反対する者(グループ)に組みする者と思われたくないので、「職務評価記述書」なるものを見た人はほとんどいなかった(と思われた)。また、読んで理解し、問題点を見つけ出すのは容易ではなかった。
  とすると、結局「職務評価」「人事考課」なるものは、考課者の恣意によることが多く、「元の木阿弥」というべき、決して、正当性、公平性、客観性は維持されず、「労働者の個別管理と分断、団結の破壊即ち組合の弱体化」につながると、私(たち)は反対したのだった。それに代わる「(社会的)賃金問題」を提起できないままに。 
(続く)

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