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2016年10月 2日 (日)

近藤昭一衆院議員の講演会

 アジアにこだわる、立憲主義にこだわる
 5月22日に出版された近藤昭一著「アジアにこだわる、立憲主義にこだわる」(八月書館)の出版「講演会」が開かれた。近藤さん自身は、立憲フォーラムの代表、原発ゼロの会の共同代表、リベラルの会代表世話人、東アジアの平和をつくる会代表、日中友好議員連盟幹事長という要職に在り、市民集会、デモでは“常連”であるから、その「リベラル」と「東アジアの平和・・・」の中身について、大いに興味をそそられたのであった。
 まず彼の出発点が、新党「さきがけ」の武村正義氏との出会いから始まるのであるが、その“若さ”故といえども、積極果敢な行動に瞠目する。
 私の時代感覚で言えば、新党「さきがけ」の1990年代は、未だ「保守・革新」「右派・左派」「左翼・新左翼」という区分けで「中道」という捉え方は、あまり持ち合わせていなかったような気がする。遡って1960年代初頭の社会党内の抗争で登場する江田三郎の「構造改革」は、①アメリカの平均した生活水準の高さ②ソ連の徹底した生活保障③イギリスの議会制民主主義④日本国憲法の平和主義は、今でこそ“なるほど”という感がしないでもないが、私はまだ渦中の「か」の字もない時代であり、1970年代は、70年安保、沖縄返還、三里塚闘争が席巻し、右翼的労戦統一、全民労協台頭で「階級闘争史観」の中にあった。
 さて近藤さんは、武村著「小さくともキラリと光る国・日本」に惹かれたという。私は見たことも触れたこともないが、ひょっとして私が、緑の党グリーンズジャパン・足立力也著「緑の思想」に接した時の感じと似ているかもしれない。違いは、出会った年齢と触発されて政治家の道に入っていった近藤さんと、私は未だ思想化されきっていない、という違いであろうか。
 講演約80分の後、40分ほどの質疑があり、憲法問題では「第24条」に触れられていないが、重要な条項ではないか、日米安保・自衛隊を認めているが、「軍隊を持たないコスタリカ」という国もある、どう思うか、他があった。
 私からは、①永田町では、「解散総選挙」が流されていると聞くが、どんな状況か。②先の参院選挙でこの愛知では、4つ目の議席を民進・伊藤たかえと、共産・須山初美が争った。その時、連合愛知の「安保法、原発」に対する姿勢を巡って、市民運動の中で、須山支持か、伊藤支持かで割れた。結果的には、中電労組の支援を受ける伊藤より、態度明確な須山に多くの市民グループが応援に回った。③そこで労働組合の問題が出てくる。この本で「アジアにこだわる」とあるが、国対国ばかりでなく、民衆、労働者の交流が書かれているのかどうか。日本では「春闘」があって、以前は「働く者の権利と賃上げ(生活改善)」があったが、最近は「賃上げ」だけが目につく。その「賃上げ」も、日本労働者だけのものである、アジアの労働者は、低賃金におかれている。アジアの民衆との連帯ということであれば、かつて電機労連・IMFJCの役員をしていた久野 治氏の「アジア春闘」が思い出される。そうした観点が必要ではないか。
 講演後、本著を購入してざっと見たが、やはり、近藤さん自身の歩んできた道とはやや離れていることもあろうが、経済の貿易、GDP、あるいは「人と人とを結びつける」は出てくるが、労働運動・労働者の国際連帯に関連した記述はなかったように思う。であれば、このあたりの「補強意見」は、もっと出していってもいいかな、そのようにも思った講演会であった。
 最後に、近藤昭一議員が、幣原喜重郎-石橋湛山-武村正義という系譜の中にいることを自覚するなら、それを現在的、近未来的に体系化、理論化する仕事が課されているのではないか。「近藤昭一支持」を明確にする私自身もその領域にあるという自覚を持ちたい。

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