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2016年10月31日 (月)

第36回ユニオン学校(2)

 到達点は、「賃金の社会化」ということか
 今回の講師は、杉山 直さん(三重短期大学准教授)であったが、大きく6つの切り口から講演された。
1)「賃金の支払い基準を分類してみると」で、①ヒト基準か仕事基準か。②属人基準とは?③職務基準賃金とは?2)は、同一労働同一賃金は日本型の雇用システムの大転換?3)日本的に修正して「同一労働同一賃金」を実現(日本経団連の提案)。4)そもそも「同一労働同一賃金とは」①混乱を持ち込む困った議論。②そもそも「同一労働同一賃金」とは何か。5)同一労働同一賃金は賃金思想の大転換。6)同一労働同一賃金から同一労働価値労働同一賃金へ。
 見ての通り、この項目を90分の話から理解して、問題点を認識して、あるべき「賃金」とはどんなものかを、内容を伴って導き出すことは容易ではないし、ある意味では結論はなく、時代の中で繰り返される「終わりなき課題」といえよう。
 ということで前回は、(40年も前のことが今また話題となっているから)「私的経験談」を書くにとどまったのであるが、その流れで言えば、労働者にとって「賃金問題」は、最も高い関心事であることから、経営(会社)側は、賃金問題をテコに労働者・労働組合を絡め取っていく「労務管理」の有力な手段として駆使される。従って、1970年を前後してこうした賃金問題が出てきたと同時に当時は、「品質管理運動(QC活動)」「改善提案制度の導入」「危険予知運動」さらに生産現場では「多能工化」も進んだ。
 さらに時代が進むと、「国際競争力の強化(グローバル化の対応)」を名目とした、「春闘の抑え込み」「外国人労働者の採用」「非正規労働者の増加」が進んでいって、その結果、「格差」問題だけでなく、「働き方」についても、労基法など労働法の改悪、骨抜きなどで「過労死」「ブラック企業・ブラックバイト」などの問題が社会化してきたという経緯がある。
 こうした昨今の問題を考えると、テーマの「賃金問題」で、経営側が「同一労働同一賃金」を打ち出した背景には、決して、非正規労働者をなくしていく方向だとか、正規、非正規、性別の格差をなくすとか、「デフレ脱却」を叫ぶ安倍総理に呼応して「実質賃金」を上げる方策とは、素直には受け止められない。
 そこらあたりの問題も、講演の中に散りばめられてはいたが、この賃金問題の杉山さんの答えの一つが「賃金の社会化」であったと思う。
 この「賃金の社会化」についての詳しい説明は省かれたが、北欧の制度を念頭に「賃金=実質的な生活資金」とし、例えば、教育費、医療・介護費、住宅費などは社会保障として原則無料ということらしい。労働者は食べていくことのできる賃金と健康を害さない労働時間と、長期休暇、育児休暇の利用、ワークシェアリングも入るかもしれない。
 これは、「資本主義でもない、社会主義でもない、高度社会福祉制度国家」というのであろうか。
 今回の話は、賃金問題にかかわる「これまでの経過」と「現段階」が主題であったが、経営側の狙いと連合などの労働側の対応、さらに現場からの声、労働法学者・弁護士の指摘など更なる検証、分析を進めるとともに、私たちが求める「賃金問題の在り方とは何か」の掘り下げを進めてほしいものだ。 

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2016年10月29日 (土)

第36回ユニオン学校(1)

 テーマは、「同質労働・同一賃金」
  既に現役を退いて20年近くになり、活動領域も「労働運動」から離れてきたこともあったが、「労働=生活」という普遍的な関係から、あるいは子どもなど家族をはじめ、後輩たちの労働実態・労働環境を知っておくことは、「社会問題」にかかわる回路の一つという点から関心だけは払ってきた。ユニオンと連帯する市民の会(CGSU)の運営委員の末席に連なり、アジア太平洋労働者連帯会議(APWSL)の情報発信を担っているのも、そんな背景があってのものである。
 今回のユニオン学校のテーマは「同質労働・同一賃金 日本における可能性と現実」であったが、経験的な感じでは「このテーマは難題」だと思った。テーマを大枠で表現すれば「賃金問題その社会性」に尽きるのであるが、その裾は広く、「春闘」に見られる「賃金の維持・向上-生活(出来る)賃金とは」、あるいは産業間、企業規模、正規と非正規、年齢・男女などの「格差」の問題、「賃金の算出方法・その根拠と公平性」、時間外労働(残業)など「労基法」との関連性、賃金の国際比較と外国人労働者の賃金問題・・・、その中の一部の「同質労働・同一賃金」についてであったのだ。
  呼び掛け文では。「同質労働・同一賃金とは、『同じ価値の仕事内容であれば、同じ賃金にしなさい』という考え方です。それは正社員と非正規、パートやアルバイトなどの雇用形態に関係なく、男女の性別や人種のちがいに関係なく、賃金を差別することを許さないという考え方です。今、経団連は『同一労働同一賃金の実現に向けて(2016年7月19日)』と題する報告書を公表しました。しかしそれは正社員と正規の格差をなくすことのみの内容になっているように思われます。非正規労働者の賃金を引き上げるものではないようです。
  今回のユニオン学校では「同質労働同一賃金」は日本で実現できるのか?日経連のめざす「同一労働同一賃金」とはどのようなものかについて学びたいと思います。」とあった。
まず第1の問題は、「同質」と「同一」の違いについてである。何をもって「同一」と規定するのか、「同質」とは何かにいては、職業、職種によってどこまで比較できるのか。
  例えば、「看護師」と「トラック運転手」という職業を並べた時、同じ年齢、同性だとして、そもそも比較検討ができるのかである。比較できないとすれば、「看護師」という職域・職種の領域でのみ、そして「トラック運転手」は、「ロジスティクス」全体の中では、物流業界での一職種に過ぎないから、他の職種と比較して公平性は担保できるだろうか。(この問題はこんな単純なものではないが)
  私の現役時代、1970年前後に、それまでの「年功序列型賃金体系」から、「成果主義-職群等級制度」という「新社員制度」の導入が図られ、数年に亘って、「労使」だけでなく、「労組執行部と一般組合員」との間で、議論が闘われた。特に、「学歴差別、男女差別の固定化」と「賃金の頭打ち」「競争原理の導入」が問題だったと思う。
  この新制度は、まず職群を「管理職群(係長・主任迄)」「事務技術職群(高卒以上の事務職と技術職)」「特務職群(守衛・病院職等)」「監督職群(現場の監督職・工師)」「技能職群(生産現場の労働者)」だったかな、に分け、職郡の中で「1級~5級(管理職は3級まで)」で格付けした。
  この頃はまだ、「年功序列型」が色濃く残っていて、労使の間で妥協が図られ「最短滞留年数と最長滞留年数」が導入された。つまりどの職群・等級にも「昇格(昇級)」するには「最短年数(3~4年)」をクリアーする必要があり、一方、どんなに「昇格(昇級)」が遅れても最大15年を経過すれば、自動的に「昇格(昇級)」できる(5級まで)という制度だった。そして同時に「成績査定+-1~2」も(公式に)導入された。
  もう一つは、「職務評価と成績査定」の正当化・公平化を図るものとして、膨大な「職務評価記述書」が定められ、各職場に設置された。けれども、細部に亘る職務評価の分析が記載されている一方、全社員の「職務評価」を作成することは、膨大な作業量が伴い、管理・監督職(課長、係長、監督職)には過大な負担となったと思われる。職務評価、つまり、「昇格(昇級)」が見送られ、あるいは、仕事の成績がマイナス評価されたとき、その理由・根拠の説明を求められた場合、それに答えねばならないからだ。従って当初、「職務評記述書」は非公開などと防波堤を張った管理職もいたことで、これの公開を巡って、私自身大いにやり合ったということもあった。もっともほとんどの労働者は、「職務評価記述書」の公開を求めることは、上司に反抗する、または、労使協調路線に反対する者(グループ)に組みする者と思われたくないので、「職務評価記述書」なるものを見た人はほとんどいなかった(と思われた)。また、読んで理解し、問題点を見つけ出すのは容易ではなかった。
  とすると、結局「職務評価」「人事考課」なるものは、考課者の恣意によることが多く、「元の木阿弥」というべき、決して、正当性、公平性、客観性は維持されず、「労働者の個別管理と分断、団結の破壊即ち組合の弱体化」につながると、私(たち)は反対したのだった。それに代わる「(社会的)賃金問題」を提起できないままに。 
(続く)

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2016年10月28日 (金)

CGSUの運営委員会

 活動家の過労死について
 ユニオンと連帯する市民の会(CGSU)の運営委員会に出席した。この会議は、私にとって定例的に参加する唯一のものである。
 この日、新しいメンバーが一人加わった。運動を共に担ったことはないが、お互い“顔見知り”であり、会議の前から近況などの会話が交わされた。その中で“忙しくて、忙しくて・・・”という彼は、実際“本業”以外にも幾つかの運動に関わっていて、MLによる情報からも、全国を飛び回っている様子が伺えた。それは、彼の意思であると同時に彼がそれだけ有能である証でもある。さらに言えば、そうした活動家は、圧倒的に足りていないというのが現実であるから、いきおい、何かがあればすぐに彼のもとに持ち込まれる可能性が高いともいえる。見渡せば、そうした人の何人かを想起できる。
 そうした“循環”は、結果として「活動家の過労死」を招くか、その「予備軍」とならざるを得ない。そして、年齢と共に体力が低下するにもかかわらず、周囲からの要請と、自らの意思がそれを超えていくので、どうしたってオーバーワークになる。しかもそれはある意味では「充足感」をもたらすから抜けられない・・・。
 “どうしたらいいだろう”と問われたから、“全体の活動をシフトダウンするしかない”“どんなふうにして?”“ちょっと重い病気、けがをした時がその機会である”と。親の「介護」という正当な理由もあるにはあるが、周囲より自分に言い聞かせる方が難しいだろう。女性の場合は、子育ての時、“ちょっと預かって”みたいなものがあったと聞くが、男性の活動家の間には、それに類した“相互扶助”が成り立っているという話は聞いたことがない。
 もう一つ、私は三大病の一つではあったが、60歳前に発症した。比較的軽度の後遺症であったので、日常生活には支障は生じなかった。その結果、日常生活の自己管理ができるようになったし、それを機会に、次々と役を降りて行った。それでも60代後半には、ちょっと気を緩めた食生活と、運動に復帰したところ合併症の一つを発症してしまったことから、現在のように、運営会議への参加は一つになった。その一方で「あいちキャラバン」のような、期間限定の運動には、ある程度集中できる体制となった。
 そして、「社会運動はエンドレスである。一人の人間が“太く短く”生きて、自己完結するのもよし、また、細くとも長く続けるという選択もよし」であるが、できることなら私は後者を選ぶ、とした。
 彼は“肝に銘じておくよ”といっていたが、何かのアクシデントに見舞われない限り、実行に移すことは容易でない。そこで“そのドアから出たら忘れてしまうよ”と声をかけた。彼は大いに苦笑していたが、多少でも印象残ればの、声掛けであった。
 明日は第36回のユニオン学校が開催される。

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2016年10月27日 (木)

フィリピンのドゥテルテ大統領

 その言動から課題を探る
  マスコミの報道から知るドゥテルテ氏の「大統領としての言動」が、どれほど真意なのか、ダバオ市長時代の辣腕そのままの延長にあって、国家の指導者としては、今後軌道修正が図られていくのかどうか、容易に想像できない。
  そういう前提で、国内の「麻薬撲滅戦争」では、警察官らによる麻薬密売人の殺害を黙認する「ダバオ流」の法秩序の無視、人権問題と、「新中国・親日本と嫌米(反米)」の国際関係・外交の問題を分けて少し考えてみたい。
 私は、ドゥテルテ大統領の「対米感情」に注目している。例えば、10月19日には「もう米国へは行かない。そこへ行けば侮辱されるだけだ。・・・」20日には、「軍事的にも経済的にも米国と離別する(米国追従外交からの離別)」26日に安倍首相と会談した際、「犬のように扱われている」などと米国に対する嫌悪感を伝えたことを明らかにしたといわれる。「われわれはまるで鎖につながれた犬で、何か問題があるたびに、遠くにパンを投げられる」などとも語ったという。さらに「2年以内に外国部隊は出て行ってほしい・・・」とも。
 一方こんな発言も。ドゥテルテ氏は、米大統領候補のトランプを嫌っており、「じつは、私が一番好きなのはサンダース候補だよ」「トランプは偏見の塊だが、私は違う」と述べ、また米国の中東政策にも注文を付け、「彼らはサダム・フセイン(元イラク大統領)を殺害したが、イラクは今どうなっているんだ」と述べたという。さらに「アメリカでは黒人が無抵抗の意志を示していても撃たれているじゃないか。そんな国から人権について教わることなどない」「フィリピンは属国じゃない。お前(オバマ大統領)は何様だ?」といいたい放題である。
  追記すれば、「米国の統治下にあったフィリピンでは英語が社会に浸透して国民の親米感情は強い。ただ、ドゥテルテ氏は大学時代にフィリピン共産党の指導者に師事した経験があり、反米的な言動の伏線になっているとの見方がある。」という報道もある。
 最初にも書いたように「真意」がどこにあるのか、外交として確たるものなのか(国会、内閣の意思と同一なのか)は定かではないが、日本の外交と重ねてみると、なんとなく“同感”するところが点在しているように思う。
 「フィリピンは属国じゃない」という「自立の意思(国家の尊厳)」は、いわば「当然のたてまえ」であって、自国の経済基盤を考えれば、容易く言えるものではないし、米国の援助がなければ中国から受ければいい、みたいな発想だとしたら結果として「フィリピンは属国じゃない」に回帰してしまう懸念はあろう。しかし「安倍外交」の徹底した「対米追従外交」を見ると、少なくとも“気概”だけは同意したくなる。
  また「新中国・親日本と嫌米(反米)」という外交姿勢には、「アメリカの世界戦略に組みするのか、アジアの一員という基盤に立つのか」という、日本にとっても問われる課題でもあろう。
 さらに、ドゥテルテ大統領のような一見「強靭な指導者」を求める風潮は、昨今の日本の“何かと行き止まり感”“なんとなく閉塞感”“見えない壁の前の自失・無力感”と共鳴して、「立憲・平和・デモクラシー」を希薄化させ兼ねない。大きな声で言えば、強気の発言をすれば、嘘でも、実現不可能でも断言すれば、それが期待する指導者・リーダーと錯覚させてしまう危険性は大ではなかろうか。
  もう一度、日本の政治、外交、指導者(リーダー)と“風潮”を検証してみたいものだ。

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2016年10月25日 (火)

「社会史」的遺物には違いないが

 様々なポスター類を廃棄する
 不要なものの廃棄の基準は、「2年以上、手にしなかった、タンス、箱から出さなかった」「手にして4秒間のうちに“欲しい、残したい”と思わなかったもの」といわれる。まあそうとも言えるが、「明けてみて、開いてみて」決めるものも少なくない。また、今後の活動につながるジャンルの資料と、縁が切れると予感するものとでは、点検時間が違ってくる。
 今回は、「ポスター」であった。大きく分ける「選挙ポスターとその関連ポスター」「著名人の絵、写真の1枚カレンダー」「運動関連ポスター」ということになる。
 選挙用のポスターは当然、その選挙にかかわったことを示す。地方議会選挙から、首長選挙、国政選挙まで、本人が持っていなかったなら送ってあげようかなとは思ったが、1枚だけを残して廃棄とした。著名人の筆頭は、丸木位里、俊さんの「原爆の図」のカレンダーだった。「三里塚闘争に連帯する会」製作でもありこれは残したかった。大げさに言えば“泣く泣く、捨てることに”したのだった。
 運動関係では、様々な全国集会のものもあったが、労働運動の全労協の「権利春闘」が多かった。毎年定期的に作られたからだ。他に日韓連帯、反原発、水俣病関係のものもあった。いずれも「わが足跡」をビジュアルに示すものであったが、結局“自分が死んだら、単なる紙屑”であろうと予感して、ほぼ全量を廃棄した。昨日の午後3時ころのゴミ収集車に放り込まれ、焼却されたことだろう。
 これらは個人の所有物ではあったが、それそのものは「社会史」的遺物に違いない。ただ、体制側のものではない、資金豊富な団体のものではない、研究対象のものでもないなどから、“遺産”として残ることはないだろう。また、“お宝”でもないから、家族のもとで残ることもなく、時間差はあっても、いずれ消えていくことになる。

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2016年10月24日 (月)

わが“印刷”の小史

 身辺整理を進める中で
 長い間活動して来て、もっぱら事務局を担う立場にあった私は、報告書や活動紙誌の作成に苦労もし、あれこれ工夫もした。それは同時に、「年賀状」の印刷の歴史でもあった。
 以前にも書いた。手書き➡版画➡(一時期、業者の印刷)➡ガリ版➡ファクシミリ➡プリントゴッコ➡コピー➡3色カラーコピー➡ワープロ・パソコン。
 昨日から今日にかけて、「身辺整理」の中で、版木、ガリ版印刷器セット、プリントゴッコの機器・パーツを処分した。その中で「ガリ版印刷器」は、B4、B5、はがきの3種類(サイズ)を保持していた。
 それらが、民具・農機具のような日常的な生活用具、生産道具のような扱いのものだったら、市民運動、労働運動、学生運動、住民運動等の「社会運動博物館」などがあれば、その一角に黒インクにまみれた、箱に収まった「印刷器セットにガリ版と鉄筆、蝋原紙」が並べられたであろう。
 葉書印刷器を使った最後の印刷は、1986年の年賀状であった、原紙の寅のデザイン画がはっきりと残っていた。この時はすでにガリ版ではなく、仲間のファクシミリを借りていて、印刷だけをガリ版印刷器を使うという変則的なものだった。それも3年後にはプリントゴッコに代わっていた。
 そしてもう一つ。年賀状は、相手先によってデザインを変えるから数種類作ることが常態化していて、1980年代から、デザインブックがその都度3冊ほど、多い時は5~6冊買い求めていた。それらも2017年用の「戌」のものを残して全部束ねて廃棄することとした。
 まとめて廃棄すると、なんだかもったいないような気がするし、孫たちの参考になるかもしれないなどと考えないでもいないが、所詮は“消耗品”だった。廃品回収の資源ごみに出すことで遅まきながら役目は終えるはずだ。
 もったいないといえば、B4の用紙。いまやBサイズはほとんど使わない。封筒も同じでB5対応の長形4号は使われないので、これもごっそり残っている。用紙の方は、A4に裁断して使えるが、封筒の用途は限られる。何かの幹事でも任されたなら、連絡用に極力使うことにしよう。
 かくして、幾らかは“スリム”になって行くのだろうが、生きている限り、日々購入し自ら生みだし、受贈するものもあるから、“完全な状態”にはなり得ない。「断・捨・離」に尽きるといえるだろう。

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2016年10月22日 (土)

5%Offに乗せられるが・・・

  デフレ脱却は容易ではないぞ
 私は、「半主夫」であり且つ「年金生活者」であり且つ「非資産家」であるから、家計というか、出費には比較的慎重ではある。従って、折り込み広告には一通り目を通すが、塾、通販、不動産関係、ホームセンターなどはほとんどパス、つまりスーパーマーケットの食料品が主である。
 経験してわかることだが生鮮食品は、値段を比較して同じようなものを見比べてどちらが安いかどうかは一概に言えない。「鮮度」こそが「差」といえばいえる。また、どのスーパーにも、ある“傾向”があるような気がするので、このスーパーの野菜は、値段は安いが鮮度がやや落ちる。魚ならこのスーパーだな、お肉は、2回を1回にしてもちょっと高めのものを買った方がいい。その方が気持ちは落ち着く、とするとあのスーパーだな・・・。
 私の場合、スーパーでの買い物はほとんどがカード払い。多くのスーパーでは客の囲い込みのためにカードを発行し、特定の曜日にはカードで支払う買い物が5%の割引となることが多い。私もそれを利用する。店は違うが同じ系列なので共用できる。例えば毎週金曜日こちら、18日、19日はあちら、1日だけ限定のプレミアカードは共通。そんな風にして使うと、毎月6~7回5%引きで買い物ができることになる。やはり、そうした特定の日は、客足は延びるようでレジでの待つ時間が延びる。
 それが習慣化すると、日持ちする物の買い物は特売日に集中するのは当然で、そこで売る側としては、5%割引の引き換えに不要不急なものまで“ついで買い、衝動買い”に期待するわけだ。確かにそれの効用はあるだろう。
 そうした毎日の“小さな計算の積み重ね”は、いいもので、より安いものを探し求めることを習慣づける。ついには、衣類、家電にまで及び、外食でさえ“クーポン券”を持ち歩くということになる。
 物価上昇2%のデフレ脱却、インフレ政策をめざす安倍政権と日銀は、こういう実態を知ってか知らないでか、「マイナス金利」を含む「量的緩和」すれば、内需が増えると思っているらしい。その結果、大量仕入れ、物流の改革(ロジステイックス)のできる大手の一部は潤っても、中小企業や個人商店は軒並みアップアップかダウンであろう。
 経済のことは知らないことが多いが、「主夫感覚」からすると、賃金が少々上がることよりも、「将来に憂いがない」という安心感が財布のひもを緩める最大の要因であろうと思う。年金の安定はもちろん、医療費のアップ、増税だけでなく、原発処理費用の負担を含む公共料金の値上げ、「新自由化」とか「TPP」とか、胡散臭いものが物価に影響するのではないか、孫や子供の教育費の問題は、かなり重要な意味を持っている。
 昨日は、近くのクリニックでインフルエンザの予防注射を受けた。1500円だった。昨年は1000円だった。50%のアップで、確かにここではインフレ状態だったが、一般的な消費は、そうはいかないぞ!安倍首相、黒田総裁どの。

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2016年10月20日 (木)

何を一番に考えないといけないか

 つらつら考えました
 “病に臥す”というほどのものではないが、体調不調を感じて、横になり、見るでもないテレビに目をやり、日が暮れるのをぼんやり見て、パソコン、読書から離れ、家事も譲って過ごすこと数日。
 それでも昨日は、「10・19」集会があり、新潟県知事選挙の朗報、沖縄・高江での山城議長他の逮捕事件あり、国会ではTPPの審議入りなど、集会としては、話題に事欠かないので是非にでも、と思っていた。だが出かける段になって玄関先に立った瞬間足がすくみ、ふらついた。まあこれくらいはすぐ慣れるだろうと思ったが、次に軽いめまいを起こした。これも外の空気になれればたいしたことはないと思ったが、思わぬ小雨に見舞われた。一度は傘を取り出して再び玄関先に立ったが、今度は“ぞくっ”と来た。この時点で集会への参加を断念したのだった。
 予定外の出来事となったが、ま、そういうことなら、ゆっくり過ごそうとパソコンを開いて、あれこれ“徘徊”していると、ふと目に止まったものがあった。それを見ていくうちに、何か(事業とか行政など)を起こそうとするとき「何を一番に考えないといけないか」が4つあるという記事から、私(たち)が何か運動を起こそうとするときに大事にしなければいけないこととは何か、を考え始めた。
                                            ◇
 動機、善なるや
 その記事によれば、一つに、動機が善なるかどうか。「動機、善なるや」京セラの稲盛さんが言っているという。
 あゝ、なるほど。ということは何か運動(活動を始めるとき)を起こす時には「目的が明確で、正義性・社会性があること」ということか。とはいえ、動機が「善」なるかどうかの自己判断は難しい、というより、独りよがり(独善)に陥りかねない要素を含む。不正、不公平かつ不信感を持たれない政策、運動というのはある程度「自覚的」に進めることができるが、“世のため、人のため”だと思ってなしたことが、自覚しない根っこにある予断と偏見に基づく、あるいはたとえそれが「善」であっても力不足で、反対勢力あるいは悪意のある者から逆利用され、あるいは“集中砲火”を受けて窮地に陥ることがないとは言えない。逆に言えば、高い見識、知見、そして先見性を持っていること、さらに人心掌握と知略も欠かせない、つまり「善意」だけではなし得ないということもあろうかと思うのである。
  してみれば、これは凡庸な者にとってハードルが高い。となれば、その目標、心構えに挑戦し続けるという「姿勢」こそが第1歩であろうか。
  時代性
  二つ目は「時代にあっているかどうか」だという。
 これも運動(活動)に照らして言えば、「事案の過去・現在・未来を俯瞰して見る試み」が欠かせないということか。
 「時代にあっているかどうか」は、現状の分析から「ニーズに合っているかどうか」と「時代錯誤」がないかの検証が欠かせない。これらは、「チエック&フィードバック」の試みと、日ごろからの「感性」「直感」の錬磨も欠かせない要素といえようか。
 グローカル
  三つ目は「グローカル」ということだという。つまり、グローバルは、地球規模、大規模なこと。ローカルは、地域とか市町村、集落。これを合わせて、ローカルに足をつけて、グローバルに物事を考えよう、これが「グローカル」という造語・・・。
 この辺りは、最近の運動感覚では欠かせない視点であって、「地球的視野で考え、地域で活動する」と同義語であろう。私(たち)がよく使うフレーズである。ただ、とかくグループ活動、地域活動そして「生活感覚」からは「グローバル」という新たな価値観、戦略(謀略)の検証は見落としがちだ。TPPの本質的問題・課題を追っていけば、もう少しわかりやすいかもしれない。
 スピード
  四つ目は「スピード」だという。
  これは最近の「スピード感をもって進める」といった風な“はやりコトバ”の一つではなかろうか。「万全を期す」と共に安倍や閣僚の答弁によく出てくる言葉だ。
  これは、実態を見ればよくわかることだが、単純なようで判断・実行には難しいところがある。「決まったことは即実行」「拙速はいけない」のはその通りで、その通りに進めば何の問題もない。
  これまでの実態から言えば、「反対論(勢力)」を説得ないしは多数派形成が欠かせないこともあって、“根回し”“議会工作”が常套手段であった。その結果着手は遅れ、時代にそぐわない、さらに“骨抜き”なものになりかねなかった。
 ということであれば、事案そのものに前述の「動機が善なるかどうか」「時代にあっているかどうか」「グローカルなものかどうか」という内容と形式を備えたものが、まず用意されているかどうかであろう。そしてそこに「リーダーシップ」が発揮されるかがかかってくるのではないだろうか。つまり「卓越したリーダー」が欠かせないということだろう。

 こうした運動の場であれ、国政、地方行政の場であれ、4つの条件を整える、あるいは整った成功例を見つけだすのは容易ではないが、私(たち)には、“心得”として、肝に銘じておくべきであろう・・・。
 と、あれこれ考えて、思い描いているうちに10月19日は過ぎ去っていったのだった。

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2016年10月19日 (水)

衆院・野党共闘へ再び動きが

市民シンポジウム開催へ
 呼びかけによると、11月4日に、「衆院選での野党統一候補を求める愛知市民シンポジウム」を開催し、「衆議院選挙での野党統一候補を求める愛知市民シンポジウムを行うことにしました。野党に統一候補を擁立するように要請していくわけですが、愛知では15選挙区があり、いずれの定員1名の小選挙区です。したがって、県連レベルでの要請と同時に、15選挙区毎にも要請が必要です。」とある。
 指摘にあるように参院選挙と衆院選挙とでは、選挙の様相ががらりと変わる。いうまでもなく、衆院選は小選挙区と比例代表の二本立てであり、「野党共闘」の成立には、参院選よりも高いものがある。
  端的に言えば、共産党がこれまで全国の小選挙区で、多くの候補者を擁立してきた背景は、小選挙区での選挙運動をもってブロックの比例候補を当選に押し上げるためであった。仮に、共産党として小選挙区で全面的に「野党共闘」に参加していくとすれば、極一部を除いて自候補を下ろすことになりかねない。そして、そのことによる比例区での得票の目減りがあるのかどうかを当然計算することになる。比例区の候補者には、党幹部もいることから、安易に目減りする戦術には乗れないであろう。
 してみると、共産党(社民党も含まれるが)から「野党共闘」の協力を得るためには、小選挙区で、有力な野党候補を統一候補とすることと同時に、比例についても「野党共同推薦候補」を決め、そこで「共産党」候補を優遇するという“見返り”(あるいはそれに相当する)という「高等戦術」が考えられるであろうか。ところが、衆議院の比例選挙では、政党名を書くのであって、「候補者名」は書けない。そうすると小選挙区では「野党統一候補を!」といえても、比例区では「共産党(社民党)を!」といえるかどうかである。やっぱり「比例区も野党へ!」ということに落ち着くのではないか。これで共産党はおさまるであろうか。
 その成り行きは読めないが、そういう問題があることを認識しての議論であろうと思う。単に野党に対して「野党統一候補へ連携を、共闘を」だけでは、「政党の論理」は乗り超えられない気がする。先の参院選挙における「政治を考える市民の会」の経験がそれを示した。
 次に、民進党の側から考えるとどうなるのか。こちらは共産党よりややシンプルかもしれない。今は当時の勢いはないが、かつては愛知15小選挙区を独占したことがあった。前回選挙で持ち直し傾向にある。そして、既に15選挙区での候補者擁立を終えている。「どの選挙区においても過去の選挙では、わが党の候補の得票が上位にある。野党統一候補であるなら、わが党の候補者で一本化を」というに違いない。
  そこで、仮に百歩譲って「民進党候補でもいいから与党をゼロにしよう」とするとしても、そこには「政策協定」というハードルがある。民進党以外の野党にしてみれば、他党の候補を応援するのに「政策協定」なしではあり得ない、という「政党の論理」を堅持するに違いないからだ。党を離脱して「無所属」という方法もないではないが、この時期に至っては、もはや“姑息”感はぬぐえない。従って、このたりの問題を「市民力」はどう裁くかが問われるし、注目している。
 先の参院選挙で共産党の須山候補は、予想に反して票が伸びなかった。民進党は2議席確保したが、得票が増えているわけではない。また愛知の特徴の一つに「連合愛知」が隠然たる影響力を保持しているのではないか、さらに公明党の一定の勢力を考えざるを得ない。
 以上の情勢を概観して、「愛知市民シンポ」が、その先に想定する「市民力」の結集と「野党共闘成立」の構想と戦略をどう打ち立てるのか、年明け早々の解散総選挙はちょっと考えにくいとは思うが、一応、それを想定するなら、もはや「戦術会議」の設定は「一刻を争う」状況ではなかろうか。
 11月4日の呼びかけは、その意味では、ぎりぎりの設定ではあるが、呼びかけ人の行動に敬意を表したい。

 

 私の場合は、既に明らかにしてきたように、「あいちキャラバン・参院選挙」で一つの区切りをつけ、ピリオッドを打った。この先は、こうした情勢を読みながら思考を重ね「立憲・平和、リベラル政治」をライフワークにしつつ、行動は「愛知3区・近藤昭一の当選に寄与する」こととしているので、居住地の「緑区」で“いまなすべきこと”に徹していく。

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2016年10月18日 (火)

ちょっと体調不調です

 でも政治はエンドレスで休みなし
 先週末、金曜日からちょっと気分が悪くなって体調は下降線。食欲は普段通りだが、“歯痛”が気になった。それでもほぼ1日中部屋に閉じこもり、「身辺整理」に励んだ。原因は多分これではないかと思いを巡らした。
 夜になって歯痛が増してきた。なんだか口中全部が痛む感じだった。歯茎を押さえたが、痛みはそれほどでもない。一応丁寧に歯磨きをして、塩水を含んでゆすいだ。その夜は一睡もできないまま、翌日の土曜日に歯科医院に飛び込んだ。診断は「虫歯と治療歯痕の欠損」ということで軽度の虫歯はすぐに治療がなされた。5分足らず。欠損の歯は来週ということになって、それで終わりを告げられた。そこで、奥歯の上下辺りがひどく痛くて、一晩眠れなかったことを告げると、もう一度、口の中を覗き込んで、“歯茎は腫れていないなあ、歯ぎしりはしますか?”“いえ、特に”“かみ合わせを調整しましょう”ということで終わってしまった。
 歯茎に異常はない。ひどく痛むほどの虫歯も見当たらない、ということになれば、この痛みの原因は何だろうか。私は、顔面の“神経痛”を疑った。年齢的なものもあるに違いないと。一晩経ってひどくなるようだったら、病院を変えねばならない。
 日曜、月曜と痛みは徐々に引いていったが、睡眠不足のせいか頭が重い症状に気持ちが沈んだ。二日間横になったままじっと時を過ごした。こういう時は、あれこれ想像をめぐらし、たいていの場合は「7分3分」でマイナス思考となる。
 ということは、春先から走り続けてきて、季節の変わり目になって、疲労気味の体が季節の変化についていけなくなったということか。年末に近づけば、多忙になることは必定、どうすりゃあいいのか・・・。
 昨夜は、眠りに入るのに1時間半ほどかかったが、久しぶりにぐっすり7時間眠ることができ午後に、散歩に出ることにした。気温はやや高めではあるが、青空のもと風もなく、いい散歩日和であった。新海池公園を1周したころには、うっすらと汗をかいて、体調も回復基調にあるなと感じた。
 帰宅して、パソコンを開けば、11月4日の衆院選に向けた「市民シンポ」の開催が届いていた。すぐに「対応」の考察に入って、現時点での見解と私に位置などを“関係者”にメールした。「政治はエンドレス、休むことがない」という現実を、まだ癒えきれぬ体と頭で受け止めねばならなかった。

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2016年10月15日 (土)

愛知全労協・愛知反戦の会関連資料

 続第3次身辺整理で廃棄へ
 1999年の知事選挙の資料に整理・廃棄がひとまず終わったところで、次は、労働運動関係の資料に着手した。この領域は、現在進行形の部分もあり、継続性と幾らか思惑もあって、その点で仕分けが必要となった。まず、愛知全労協の関係では、基本的に機関紙の一部と年次大会の資料だけを残した。この地における「はざまの労働運動」という視点からは、貴重の資料ではあるが、設立当初のメンバーは抜けた後の運動の情報が途絶えたこともあって、その価値は薄れたといえなくもない。とはいえ、ひとまず一部を保存して終了。
 次に、1980年代のアメリカの「核巡航ミサイル“トマホーク”」の極東配備に反対する全国運動に参加し、その愛知における受け皿「愛知反戦の会」の資料は、愛知全労協と時期が重なることもあって、同じ段ボールから出てきたのだった。当時の愛知の運動目標は、刈谷市の「米軍・依佐美送信所」の撤去運動と「基地・軍需工場巡り」といったようなものだった。「依佐美送信所」は、1994年に日本側に変換され撤去されたが、その後「推薦産業遺産」に認定され、250メートルあった鉄塔の一部が、25メートルほどになって記念に残された。記念館もリニューアルされたと聞く。そうした「その後」には、一度も行っていないのは少々心残り、と思いつつ、大半を廃棄することとした。 なお自衛隊の潜水艦への長波は九州「えびの送信所」が担っているという。
 名古屋労組連関連の資料の一部も出てきたが、大会資料の一部を残して廃棄とした。わが手になる「C&Lリンクス愛知」の残部が2箱残っていたが、版下と2部だけ残して廃棄とした。それでも、まだまだ続きそうだ。

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2016年10月14日 (金)

ボブ・ディランのノーベル平和賞

 一時代を共にした世代の今は
 ボブ・ディランが、ノーベル平和賞を受賞することになって、「ボブ・ディラン世代」というべき人々には、共感とも、そんなに昔でもないのに“郷愁”を感じた人もいたことだろう。
 「ボブ・ディラン世代」とはいつか。実は、私は知らないといった方がいい正直なところ。むしろ「世代」などないといった方が正解かもしれない。だからノーベル賞だと。
 だから、ある時代を切り取って言えば、1970年前後、学生運動、反戦労働運動華やかなりし頃。あるいは労組青婦部活動ではフォークソング全盛期というか、それまでの労働歌、青年歌、学生歌より多くを口ずさむようになった頃が大雑把な私の認識。
 そして、その記憶にあるのが「学生街の喫茶店」(作詞 山上路夫/作曲 すぎやまこういち/唄 ガロ )である。私にとってはこれが唯一かもしれない。
  学生街の喫茶店
君とよくこの店に 来たものさ
訳もなくお茶を飲み 話したよ
学生でにぎやかな この店の
片隅で聞いていた ボブ・ディラン
 あの時の歌は 聞こえない
 人の姿も変わったよ
時は流れた
あの頃は愛だとは 知らないで
サヨナラも言わないで 別れたよ
君と

君とよくこの店に 来たものさ
訳もなくお茶を飲み 話したよ
窓の外 街路樹が美しい
ドアを開け 君が来る気がするよ
 あの時は道に 枯葉が
 音もたてずに 舞っていた
時は流れた
 あの頃は愛だとは 知らないで
 サヨナラも言わないで 別れたよ
君と

 そして歳月は流れて、わが同世代の多くは、「ボブ・ディラン」を郷愁の中に収めてしまっているのではないだろうか。レコード盤とカセットテープを旧い友として。そんな昔の仲間の顔をふと思い起こさせたボブ・ディランの受賞のニュースであった。

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2016年10月12日 (水)

パソコンのバックアップ

 あわや故障か!と慌てた
 パソコンがウィルス感染し、あるいは故障することの“恐怖”は消えることがない。昨日の朝、パソコンの電源が切れないで、画面が真っ暗なまま固定してしまった。
 かつては、“フレーズ”することを真っ先に恐れていた。作業中のデーターが失われ、その回復は困難というより最大級に“自己嫌悪”に陥るのだった。それ以来しばらくは一段落ごとに「保存」を繰り返してきたのだが、「7」「10」ではほとんどフレーズは起きなくなった。警戒心は緩みっぱなしだった。
 今回は、作業終了後のシャットダウン後に固まってしまったので、データーの消失はなかったが、起動させたいため「XP」時代の手立て「Ctrl+Alt+Delete」を試みたが駄目だった。そして焦った挙句、危険を承知で「電源」を抜いて「強制終了」を試みたが、それでもパソコンの電源のランプは消えなかった。
 これまで一度もなかったが、いよいよ修理に出すことになるかと、がっかりして作業を放棄して「身辺整理」に精を出した。整理しながら頭からパソコンのことが離れず、あれこれ思いめぐらしているうちに「マニュアル」を見てみることを思いついた。こんな基本的なことに気が付かないなんて、「パソコン依存症」の一症状ではないかと苦笑してしまった。最初は、指示通りいろいろ試みたが成功しなかった。そして、やっぱりというか「強制終了」というところにたどり着いて、ここでようやく電源が切れた。5秒後(実際20秒後だったが)に再度電源を入れたらついに「回復」に成功したのだった。
 それですかさず、全データーを項目別に6枚のCDに保存する作業に着手した。断続的に行って、昨夜遅くに作業を終了した。とりあえず、10月11日までのデーターは保存されたから、今後は、作業終了ごとに保存作業を強いられることになった。いつ故障するかわからないからだ。
 それにしても、電源そのものを遮断する“禁じ手”を使ったのだが、それでもパソコンの電源が切れなかったのは、そのことによるパソコンのダメージを防止する処置、バッテリーが働いているのではないか、と推測したがどうだろうか。私にとっては「XP」に較べ扱いづらい「10」であるが、それなりに進化しているなと思ったのだった。
 

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2016年10月11日 (火)

愛知万博・知事選挙関連資料

  3度目の身辺整理で廃棄へ
 半世紀に亘って「堆積」した私の背荷物は、引っ越しの都度、幾らか減らしてはきたが、減らす量より、増える量が上回った。その大半が、本、雑誌、ペーパー資料だから、それは活動量と比例しているともいえるので、一概に“物欲”に溺れていたとは言えない。ただ好奇心だけ、衝動買いがないとは言えず、また、ある程度定期的な“減量整理”を怠ってきたことは否めない。
  段ボールに眠っていた資料のうち今日は、愛知万博の関係の第1弾は終えていたが、関連した1999年の知事選挙の資料が出てきた。この資料をまとめれば、市民と共産党が組んだこの選挙の大半を明らかにできそうだが、その労力に見合う価値があると思えない。そして候補者の影山 健さんは、6月に亡くなられたし、市民の側の事務長の牧野 剛さんも5月に亡くなられた。当時の共産党県委員会の副委員長であり、選対を取り仕切った祖父江さんも数年前に亡くなられたと聞いた。
 風化-たかが知事選挙かもしれないが、本当に風のように過ぎ去ろうとしている。気に留める人もいない。記録も大して残らない。それは「敗者」だからだろうか。それもあるだろうが、私たちの側に、記録し、残し、検証し、継承する「系譜」あるいは細くとも「回路」らしきものがないということだろう。わずかな人の記憶の中だけに、数百分の1程度が現存したとしても、それもいつか消え去っていく。(共産党の愛知県史があるとしたら、どんな風に記述されているのだろう)
 1枚のレポートが残されていた。「ACT№93」(1999年3月8日付)という新聞だと思うが、「日本共産党の『無党派との共闘』路線を考える」として、一つは、兵庫・尼崎市長選を小寺山康雄さんが「芦屋市長選をめぐる共産党との会談顛末記」を書いていた。もう一つが私の愛知県知事選挙の教訓「『愛知方式』で36%の得票」であった。
 この二つのレポートの結論は、愛知では「海上(かいしょ)の森の万博をやめ、あったかい県政をつくる会」という確認団体を立ち上げ、双方の推薦団体に加え、48の「勝手連」が活動したこともあって、概ね成功した。一方尼崎では、共産党の「党利党略」がむき出しとなって、結果的には、現職、共産、市民の三つ巴選挙となって挫折したのだった。
 ちなみに、影山票は全体で36%であったが、名古屋市では42,1%、豊橋市では42、5%、万博会場となった瀬戸市では、37,8%で、逆に豊田市では約29、6%という結果を残した。
 というような諸資料も、今となっては整理対象となって木曜日には、名古屋市の焼却炉で灰となる。

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2016年10月 8日 (土)

PCの報告書を仕上げる

 次世代への引継ぎの問題を問われ
 ピースサイクル(PC)の全国会議が、11月に予定されている。その報告書の提出が各ネットに要請されていて、10月9日が締め切りとなっている。例年だと10月15日ころなのだが、早めの提出を求めているのは、期限を超えるネットが多いこともあろうが、全国事務局の「多忙」が推測される。連日「沖縄・高江、辺野古」の情報がMLで流れてくるが、「転送」といえども、東京にあっては、関連した集会やデモも毎週のようにあり、その上、仕事を持っているからその大変さが解るというものだ。
 さて、設問の中に「次世代への引継ぎ問題:若者が参加している状況があれば、参考のため具体的に紹介してください」というのがあって、どう答えればいいか迷った挙句、次のような個人的な意見を添えて送った。
  ・・・“平和でありたい、戦争は嫌だ”という思いは、世代を超えて広く存在している。それを「平和運動」として表現する、あるいは「意見」として文書で表現することについて「世代間」に違いがあるのではないか。ひょっとして若い人たちには、“集団に加わりたくない(めんどうだ)”“書くのは苦手、特に長文は書けない(スマホ、ツイッター程度なら)”という傾向はないだろうか。
  スマホを片手に、気軽にイベントに参加することはあっても、運営会議や議論の場には、若い人は出て来ない気がする。労働運動を経験している人は一概に言えないが、市民運動の若い人にはその傾向が強い気がするが偏見だろうか。
  単なる「サイクリング」を楽しむ若い人も、ひところに比べれば、随分減ってきているような気がする。マイカーでドライブを楽しむ若い層も減ってきているというのが最近の傾向。(若年層の貧困問題もあるかもしれないが)
 そこで、
・いまさらに“ママチャリで平和リレー”は、遠い昔のことになってしまったような気がする。
・“お茶会”“お話会”“映画会”というような、気軽に参加できるイベントとピースサイクルが結びつく方策はどうだろうか。(実例:愛知県日進市の市民グループの取り組み)
・地方議員と連携して、「リレー方式」ばかりでなく、地域内と近辺の戦跡、平和像・碑巡り、といったような企画から再スタートするのも一考かもしれない。
・“リレーだから、ここまで続いてきた”“リレーだから否応なく受け入れてきた、やめるにやめられない”は、率直な意見でなかろうか。
  この後退局面が、“高齢化”と共に、一部を除いて“じり貧傾向”にあるのではないか。一方でピースサイクル運動のこれまでの実績や一定の認知度、期待感は少なからずある。そうした正反両面を見ていくなら、「再生」「新生」の端緒を見つけ出せるかもしれない。
・「沖縄ピース」「六ヶ所ピース」(台湾ピースも?)という「特化」されたものは、それなりに充実したものになっていると記述した。これは何かのヒントにならないか。「リレーと特化」の兼ね合いは難しいものがあるが。

 私自身はすでに「引退」を宣言していて、提言すべきことはするとしても、どうも“気合”が入らない。それでも“これだけは”というところで、今年もメッセージ15通、報告書作りなど“デスクワーク”中心に参加してきた。ついに自転車の乗ることがなくなっているというが現状なのである。この運動は「良質」なところが多く、私も30年間率先して参加してきたが、“ぼつぼつ終わりかな”は、必然的に近づいているのである。

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2016年10月 6日 (木)

マイノリティand少数派

 ちょっと考えてみました
  私は、「マイノリティ」という言葉からのイメージは、単に「少数派」というだけでなく「社会的少数派」であり、さらにそれは、社会的な偏見や差別の下におかれている人たち、グループ、団体と認識してきた。
  逆に「少数派」という日本語的な意味からは、「社会的な偏見や差別」ばかりを受けているイメージより、むしろ「少数なれども正統派、意見、主張を持った自主・自立した存在」と、自ら言い聞かせてきた。これは、私の過去を振り返るとき、ほぼ常に「少数派」だったことの「証」みたいなもの、そして価値観であり、折々の「選択肢」であったような気がする。言い換えると意識するとしないとにかかわらず、「反権力・反権威」も含まれるが、感覚的には「意味不明な多数の中に埋没ないしは流される」ことへの抗いであっただろうと思うのである。
  しかし・・・その「少数派」の中のまた「少数派」もないわけではない。様々な活動をしてきた経験からすると、ここがもっとも「難題・厄介」な局面で、思想的、倫理的、時には人格的に「真偽が問われ且つその先不明」なことが多いので考え、悩まされる。
  個人的な立場からすると、「無党派」は、「少数派」であることが多い。周りには「党派またはそのシンパ」が多く、いつでも「路線論争」を回避しつつ、「教条主義」的意見と主張に対峙しなければならない。もっと言えば、私の中では「反自民・非共産」が常在していて、その場の“人と空気をヨム”ことから始まるといっていい。それを他人事のように言えば“悲劇”というほかない。いわば「予断と偏見」が潜在しているからだ。しかもそれが「予断と偏見」ばかりでなく実態として登場してくるから「厄介」なのである。
  しかし、少数派である無党派が、多数派になることがないわけではない。無党派・無所属の人がいて、同調する意見、的確な状況認識を述べるとき、無党派といえども多数派となって議事は進行する。そうすると、いわば「攻守」が入れ替わり、組織的背景を持たない「無党派」は、「アイデアと具体性」を生み出すことが求められ、その上で「多様性」に気配りしていくことになる。
  こうした経過は、いささか「自画自賛」になるが、いろんな局面で対応できる能力、浅くともより広い見識、判断材料を身に着けることになる・・・と思っている。
 一方で「弱点」といえば、組織的継承、持続性がなく、「一代限り」の場合が多いのではないか。それは「少数派の悲哀」からなのか「多様性の尊重」から“押しつけ”しないということなのか。両方もあろうが。

  この一文を書くに至った動機は、民進党は国会では「少数派」、野党では「多数派」であり、来る選挙での「野党共闘」ではどうも腰が据わらない醜態を見るからである。もう一つは、民進党内の「リベラル派」は「少数派」であり、党内にあって「多数派」をめざすのか、「民進党」という井戸の中でもがき続けるのか“大海” に出る“心構え”を持っているのかが関心事であったこと。そして地域の運動でのわが身の置き方に思うところがあってのこと。

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2016年10月 4日 (火)

男の気持ち・生き方(136)

 「朝日ジャーナル」から「週刊金曜日」へ
 既に、創刊以来購読してきた「週刊金曜日」の購読を中止することは書いてきた。次号か、次々号で購読が終わる。そして今日、第1火曜日は「リサイクルの日」であり、今朝、1週間前から準備をしてきた「週刊金曜日」の一部を残して全量を玄関前に積み上げた。私にとっては「週刊金曜日」ならぬ「終刊火曜日」となった。
 思えば、一時「週刊ポスト」の創刊号から購読したが、すぐにありきたりの週刊誌になった気がしてやめてしまったこともあったが、「週刊誌」購読は、創刊1959年の「朝日ジャーナル」を、1967年ころから購読し始めたのが私の起源であったように思う。そして1992年に「朝日ジャーナル」は終刊となり、1993年から「週刊金曜日」に引き継いだのだった。
 「朝日ジャーナル」にしろ「週刊金曜日」にしろ、「経営母体」が違うので、一概に同一視はできないが「市民の立場・目線から主張するジャーナリズム、そして権力を監視し物申せるジャーナリズム」というジャンルでは括ることができるのではないか。そういう冊子を身近に置いて来たことそれ自体が、私の一部を構成してきたといえなくもないが、実態としては、熟読したことはほとんどなく、その時の課題の“拾い読み”程度と、その時代の雰囲気に遅れまいとするナルシズムみたいなものがあったように思う。まあそれでも、何かと迷妄し、彷徨し、暗夜の中にいた時の道しるべに寄与したことであろう。
 そうしたことを考えると、今になって「週刊金曜日」と決別するということは「終活」の一部であるとともに、少し気取って言えば、この歳になってようやく「自問し、自答しようとする」自立の端緒ではなかろうか。
 “人間、生涯学習する動物である”といった人がいたかどうか知らないが、確かに「学習」は日常的にある。知らず知らずに“危険を予知する”のも学習の効果であろう。例えば、雨降りの日、アスファルトの歩道でさえ、へこみがあって“水たまり”がありはしないかと注意を払いながら歩くのも、一度は思わず、水たまりに踏み入れてしまったことがあったからであろう。
 だが、学習そのものは「個的」のもので、学習したものが「効果」を表すには、その学習効果を言動に移すことによって現れるのではないか。「学習-熟考-状況-言動」という流れを創り出すことがあってはじめて、「学習」そのものは、とりあえず完結するのではないだろうか。
 この歳になっても「学習」は欠かせないし、「教えられる」ことも多いはず。その一方で、私自身の「学習-熟考-状況-言動」の中に、伝えるものがあれば、それを優先する時期はいまではないのか、とも思うのである。

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2016年10月 2日 (日)

近藤昭一衆院議員の講演会

 アジアにこだわる、立憲主義にこだわる
 5月22日に出版された近藤昭一著「アジアにこだわる、立憲主義にこだわる」(八月書館)の出版「講演会」が開かれた。近藤さん自身は、立憲フォーラムの代表、原発ゼロの会の共同代表、リベラルの会代表世話人、東アジアの平和をつくる会代表、日中友好議員連盟幹事長という要職に在り、市民集会、デモでは“常連”であるから、その「リベラル」と「東アジアの平和・・・」の中身について、大いに興味をそそられたのであった。
 まず彼の出発点が、新党「さきがけ」の武村正義氏との出会いから始まるのであるが、その“若さ”故といえども、積極果敢な行動に瞠目する。
 私の時代感覚で言えば、新党「さきがけ」の1990年代は、未だ「保守・革新」「右派・左派」「左翼・新左翼」という区分けで「中道」という捉え方は、あまり持ち合わせていなかったような気がする。遡って1960年代初頭の社会党内の抗争で登場する江田三郎の「構造改革」は、①アメリカの平均した生活水準の高さ②ソ連の徹底した生活保障③イギリスの議会制民主主義④日本国憲法の平和主義は、今でこそ“なるほど”という感がしないでもないが、私はまだ渦中の「か」の字もない時代であり、1970年代は、70年安保、沖縄返還、三里塚闘争が席巻し、右翼的労戦統一、全民労協台頭で「階級闘争史観」の中にあった。
 さて近藤さんは、武村著「小さくともキラリと光る国・日本」に惹かれたという。私は見たことも触れたこともないが、ひょっとして私が、緑の党グリーンズジャパン・足立力也著「緑の思想」に接した時の感じと似ているかもしれない。違いは、出会った年齢と触発されて政治家の道に入っていった近藤さんと、私は未だ思想化されきっていない、という違いであろうか。
 講演約80分の後、40分ほどの質疑があり、憲法問題では「第24条」に触れられていないが、重要な条項ではないか、日米安保・自衛隊を認めているが、「軍隊を持たないコスタリカ」という国もある、どう思うか、他があった。
 私からは、①永田町では、「解散総選挙」が流されていると聞くが、どんな状況か。②先の参院選挙でこの愛知では、4つ目の議席を民進・伊藤たかえと、共産・須山初美が争った。その時、連合愛知の「安保法、原発」に対する姿勢を巡って、市民運動の中で、須山支持か、伊藤支持かで割れた。結果的には、中電労組の支援を受ける伊藤より、態度明確な須山に多くの市民グループが応援に回った。③そこで労働組合の問題が出てくる。この本で「アジアにこだわる」とあるが、国対国ばかりでなく、民衆、労働者の交流が書かれているのかどうか。日本では「春闘」があって、以前は「働く者の権利と賃上げ(生活改善)」があったが、最近は「賃上げ」だけが目につく。その「賃上げ」も、日本労働者だけのものである、アジアの労働者は、低賃金におかれている。アジアの民衆との連帯ということであれば、かつて電機労連・IMFJCの役員をしていた久野 治氏の「アジア春闘」が思い出される。そうした観点が必要ではないか。
 講演後、本著を購入してざっと見たが、やはり、近藤さん自身の歩んできた道とはやや離れていることもあろうが、経済の貿易、GDP、あるいは「人と人とを結びつける」は出てくるが、労働運動・労働者の国際連帯に関連した記述はなかったように思う。であれば、このあたりの「補強意見」は、もっと出していってもいいかな、そのようにも思った講演会であった。
 最後に、近藤昭一議員が、幣原喜重郎-石橋湛山-武村正義という系譜の中にいることを自覚するなら、それを現在的、近未来的に体系化、理論化する仕事が課されているのではないか。「近藤昭一支持」を明確にする私自身もその領域にあるという自覚を持ちたい。

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2016年10月 1日 (土)

次なる“いくさ場”を考える

 敵は改憲勢力と「時間」か
 10月に入った。2016年も“残すところ3か月-91日”か・・・と、思ってしまうところに、なにやら焦りみいたいな、“何をそう急ぐのか”と揶揄されそうな、いや、そうではなく私の中の“灯(いもしび)”はまだ消えていないな、を確かめたような・・・。
 10月1日付で、マイブログ「郷蔵21」-9月後半号(2016年)を発信した。そこで以下のコメントをつけた。
<私も一員の地域の仲間、APWSL、PCのみなさんへ>
 参院選挙が終わって、「あいちキャラバン実行委員会」と「政治を考える市民の会」それぞれが、一定の活動、役割を果たしたとして「解散」した。それぞれ「解散」に当たって、運動そのものは霧消するわけではないから「解散」するのはどうか、一部には、何らかの形で残すべきという意見もあった。至極当然な意見であろう。
 それを「主導(委員)」する側から考えると、課題の継続性は当然のこととしてあるが、政党・政治団体の組織と違って市民運動には「目標」があって、そこには一定の「期間」が内包される。「市民の会」の目標は「参院選挙まで」、「キャラバン」は、参院選告示前、総括を終えてまでとした。そしてそれぞれは、「次につなげる」という“余韻”を残したのである。
 運動の課題という観点からすれば、二つの運動体の「解散」は、「中間総括」というように捉え返せばいいのではないだろうか。
 情勢は常に流動的であり、私たちの側にも「新しい酒は新しい革袋に盛れ」という観点があってもいい。
                    ◇
 そこで私流に考えると、より広範で実体のあるグループ、個人を網羅するネットワーク以上の「組織」が早急に立ち上がることが必要ではないか、と思うのである。それはたぶん、経験を積んだ人だれもがそう思うのではなかろうか。ところがそれは容易なことではない、時間もかかる。
 3年後の参院選ならば、「政治を考える市民の会」「あいちキャラバン」の経験が活かされることもあろうが、年明け早々の解散総選挙を打って出られたら、どう対応すればいいのか。
 その中期的展望と迫りくる早期決戦の戦略双方を準備していかねばならない、という苦しい立場だが、とにかく、どれほどのものになるかは抜きにして「着手」すべきは今である。ただ、時間との競争には辛いものがある。

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