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2016年10月28日 (金)

CGSUの運営委員会

 活動家の過労死について
 ユニオンと連帯する市民の会(CGSU)の運営委員会に出席した。この会議は、私にとって定例的に参加する唯一のものである。
 この日、新しいメンバーが一人加わった。運動を共に担ったことはないが、お互い“顔見知り”であり、会議の前から近況などの会話が交わされた。その中で“忙しくて、忙しくて・・・”という彼は、実際“本業”以外にも幾つかの運動に関わっていて、MLによる情報からも、全国を飛び回っている様子が伺えた。それは、彼の意思であると同時に彼がそれだけ有能である証でもある。さらに言えば、そうした活動家は、圧倒的に足りていないというのが現実であるから、いきおい、何かがあればすぐに彼のもとに持ち込まれる可能性が高いともいえる。見渡せば、そうした人の何人かを想起できる。
 そうした“循環”は、結果として「活動家の過労死」を招くか、その「予備軍」とならざるを得ない。そして、年齢と共に体力が低下するにもかかわらず、周囲からの要請と、自らの意思がそれを超えていくので、どうしたってオーバーワークになる。しかもそれはある意味では「充足感」をもたらすから抜けられない・・・。
 “どうしたらいいだろう”と問われたから、“全体の活動をシフトダウンするしかない”“どんなふうにして?”“ちょっと重い病気、けがをした時がその機会である”と。親の「介護」という正当な理由もあるにはあるが、周囲より自分に言い聞かせる方が難しいだろう。女性の場合は、子育ての時、“ちょっと預かって”みたいなものがあったと聞くが、男性の活動家の間には、それに類した“相互扶助”が成り立っているという話は聞いたことがない。
 もう一つ、私は三大病の一つではあったが、60歳前に発症した。比較的軽度の後遺症であったので、日常生活には支障は生じなかった。その結果、日常生活の自己管理ができるようになったし、それを機会に、次々と役を降りて行った。それでも60代後半には、ちょっと気を緩めた食生活と、運動に復帰したところ合併症の一つを発症してしまったことから、現在のように、運営会議への参加は一つになった。その一方で「あいちキャラバン」のような、期間限定の運動には、ある程度集中できる体制となった。
 そして、「社会運動はエンドレスである。一人の人間が“太く短く”生きて、自己完結するのもよし、また、細くとも長く続けるという選択もよし」であるが、できることなら私は後者を選ぶ、とした。
 彼は“肝に銘じておくよ”といっていたが、何かのアクシデントに見舞われない限り、実行に移すことは容易でない。そこで“そのドアから出たら忘れてしまうよ”と声をかけた。彼は大いに苦笑していたが、多少でも印象残ればの、声掛けであった。
 明日は第36回のユニオン学校が開催される。

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