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2016年8月31日 (水)

8月終わる

 わが“宿題”も残ったが
 孫3人たちにとって「夏休み」が今日で終わり。先日“宿題は終わったの?”と聞いてみたら、“自由研究”がまだ未完成とのことだった。今は「自由研究」というらしいが、私の時代は夏休みの日誌と「工作」だったと思う。この「工作」が苦手だったなあ。今でも「創造力」に欠けることを自覚することが多いが、あの当時は本当に泣かされた。
 さて8月を振り返ると、前半は、ピースサイクル関連のメッセージ執筆に追われた。その間に、劇場での映画鑑賞が2本。テレビシアターも数本。“お盆”明けに小旅行。帰名してすぐにミニ詩集第10号「惜夏」に取り掛かり、それをもって岐阜へ。
 9月の頭に定期検診があるが、それに向けて何かと“自粛”するのであるが、その意識が強すぎると必ずリバウンドしてしまう。この8月の1か月に、岐阜を含めて3回の“酒席”は最近ではなかったことである。検査前なのに。
 月末は、「あいちキャラバン」の報告集の編集と執筆作業に悩まされて現在に至っている。その影響は入稿する9月10日前後まで続くが、その後の9月は、結構予定が入ってきている。
 と、いろいろあったが、体調が良好であったことが何よりの幸いだ。けれども“やり残し、繰り延べ、気が進まない宿題”も幾つか残ったのも事実。その挽回は私にとって“苦行”に近いものだが、ま、難行苦行はどの世界でもつきもの。“楽しみ”を対極において励むしかない。そのためには体調管理が大前提。こちらも仕切り直しだ。

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男の気持ち・生き方(134)

 私の貧困観“我が家は貧乏”だったが・・・
 毎日新聞の「くらし下流化ニッポンの処方箋」の記事で、8月18日放送のNHKニュースで取り上げられた「『1000円ランチ』女子高生をたたく日本人の貧困観」を読んで考えた。
  女子高校生は、母子家庭の経済事情で専門学校進学をあきらめたことを明かし、アパートの部屋に冷房がないこと、パソコンの授業のために母にキーボードだけを買ってもらって練習したことなど、番組は母と2人暮らしの女子生徒の暮らしぶりも伝えた。その映像にイラスト用の高価なペンが映ったことから、女子生徒のものとされるツイッターが特定され、1000円の昼食を食べていたこと、好きな映画を見に行っていたことが、ネットやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)攻撃された。
  それに対して、女子高生へのバッシングに抗議し、8月27日には、若者を中心に約500人のデモが東京都新宿区で取り組まれたことも付加された。
  このような「“1000円ランチ”女子高生をたたく日本人の貧困観」について藤田孝典 氏(NPO法人ほっとプラス代表理事)は、「女子生徒をたたく人たちは、『彼女は本当の貧困ではない。飢餓寸前になるまで助けるべきではない』と主張しているように見えます。ある国会議員もその論調に乗ったツイートをしました。ここに、貧困問題を考える上で重要なポイントがあります。つまり、『貧困とはどのような状態を指すのか』『貧困であるかどうかを決めるのはいったい誰か、そしてその基準は?』という問題です。」と指摘した。
 では改めて「貧困」とは?「多くの人は、貧困とはものを食べられず、服も買えず、住むところにも困っているという状態をイメージするでしょう。 このように、肉体・生命維持で精いっぱいの極限状況を『絶対的貧困』と呼びます。発展途上国で見られるタイプの貧困で、国連は、低所得、栄養不良、健康不良、教育の欠如など、とうてい人間らしく生きられない状態と定義しています。」「1960年代になって、英国の社会学者ピーター・タウンゼントが『相対的剥奪』(Relative Deprivation)という概念を提唱しました。『最低限のものを食べられて、着る服があれば貧しくないのか、人間的な生活と言えるのか』と問題提起をしたのです。これが『相対的貧困』という概念です」「タウンゼントはいくつかの『剥奪指標』を示しました。ちゃんと食事をしているか、外食をしているか、友人関係を維持しているか、習い事や教育にお金をかけているかといった指標です。」(以上藤田氏)

 以上引用ばかりだが、確かに「貧困観」は人さまざまだ。私には「貧困」より「貧乏」という方がフィットする方なのだが、専門学校どころか全日制の高校も家庭の経済事情で行けなかった。でもそういう「時代」でもあったと自覚している。貧乏だったから、中学の3年間は新聞配達をし、15歳で就職し、わずかだが現金収入を得て、少しずつ家計に入れた。けれども、そうした家庭環境、生活環境にものすごく“嫌悪感、絶望感”を持った記憶は薄い。それを意識し始めたのは、多分組合活動、社会運動にかかわるようになってからだろう。その意味では、体感的な貧困観(絶対的貧困)ではなく、意識的な貧困観つまり「相対的貧困」観の色合いが強いのかもしれない。
 それにしても、「ちゃんと食事をしているか、外食をしているか、友人関係を維持しているか、習い事や教育にお金をかけているか」という指摘は示唆に富む。「バランスとカロリーと飲酒に気をつけて食べている。」「外食は控えめ。やむを得ず外食をするときは、『定食』を選ぶ」「友人は大事にしているが、価値観の違いの大きい時に悩む」「社会運動が、習い事や教育に相当すると思っている」が私の近況。
 そして“老域”に入った今、年金が唯一の経済基盤であり、健康が貧困阻止の切り札だと思っている。その二つのどちらかが欠ければたちまち「貧困」に直面するだろうし、同時に二つを喪えば、「絶対的貧困」に陥る可能性は小さくない。その時は、子供、孫の援助を受けるほかなく、そのためには、今何をなしておくべきか、というのが昨今の憂鬱ではある。

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2016年8月30日 (火)

第2回編集会議

あいちキャラバンの報告集づくり
 9月19日の「安保法成立の日」に発行を目指す報告集の第2回編集会議が開かれた。8月29日を締め切りとした原稿募集も、現時点では3点が待機中であるが、目途はつきそうなので、これからは仮のレイアウトに進み、全ぺージの割り付け状況の点検に入る。そこで過不足を補正して、最終的な編集を若くて経験豊かな人に委ねられ、9月9日~10日ころ発注となる予定だ。
 寄せられた原稿のうち数点について議論の対象になったが、執筆者との折衝をそれぞれ分担して改善していくことなった。編集する側と執筆する側との見解の相違は出てくる可能性があり、その時、本人の意向を重視するか、編集方針を堅持するかのせめぎ合いもあろうが、商業的な発刊物ではないので、結果として最初に示された原稿募集要項に沿って結論が出されることになろう。
 ボリュームが膨らんだ時、資料編のページの一部を本文に繰り入れたらどうかという提案は否決され、基本的構成に従うことになった。編集当初の、全体の構成を「文字ばっかりは避けて、写真、カットを取り入れ、読みやすいものにする」という曖昧なイメージは議論に弱い。仮編集を終えた段階で再検討はあろうが。
 ともかく、発行の日程も固定されたから、ここ4~5日の編集作業は、ピッチを上げなくてはならない。

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2016年8月29日 (月)

六ヶ所ピースin青森

2016PCを締めくくり、政治の秋へ
 26日に八戸を発ったチームと函館を発ったチーム、関東から直接六ヶ所村に入ったグループ、そして地元の人たちが、27日の午後、六ヶ所村役場前で合流して、この日から今日29日までの3日間を「六ヶ所村ピースサイクル」として取り組み、2016年のピースサイクルが締めくくられる。
 私としては、一昨年の参加がよみがえるのであるが、伴走車に乗って帯同するだけなら、未知の地の旅として楽しい面が多いが、いざ自転車に乗れと言われたら尻込みしてしまう。起伏が多く、距離が長い。ママチャリで市街地を走るのとは様相が全く異なるのである。ということで今年も、過日六ヶ所村村長、青森県知事、日本原燃社長そして、ピースサイクルの仲間にメッセージ・申し入れ書を送った。
 要請文書については、基本的には昨年と大きな変化はない。以下は、六ヶ所村村長宛ての、軸心部分。
1.2011年3月11日の東電・福島原発の事故それは、核燃料サイクルと事業の破たんを意味します。核燃料サイクルに頼る村政を改めてください。
2.再処理工場の操業延期は、それ自体人間の手に負えない、危険極まりないことの証明。再処理工場の閉鎖を求めるのも村政の一つです。
3.行政の根幹は、住民の安全と安心の確保にあることはゆるぎない共通点です。被害発生の根源となり得る核燃サイクル工場の閉鎖、撤去は喫緊の課題ではないでしょうか。
4、以上の観点からの村長声明をお出しになり、議会に働きかけ、決議がなされるようご尽力ください。
 青森県知事には、以下が加わる。
・東通原発の再稼働を認めないで廃炉に。大間原発の稼働中止の意思をお示し下さい。
・青森県として、核燃料サイクル事業をやめることを政府に提言して下さい。
― 安全な食料の供給拠点、自然の美しい観光拠点などに立脚する、行政を進めて下さい ―
 日本原燃社長あては、観点が違って、以下のようなもの。
1、世界的に見ても、「核燃料サイクル」は破綻していると考えます。速やかに核燃料サイクルの要(かなめ)、再処理工場を閉鎖し、事業から撤退してください。            
2、2011年3月11日の福島第1原発の大事故は人災の一面を強くもっております。国の原子力政策の失敗は明らかです。東電の事故処理が終息していない上に、使用済み核燃料の処理、廃炉となった原発から出る大量の核廃棄物の処理、処分等々、何一つ見通しがない現実に目を向けてください。
3、高速増殖炉「もんじゅ」は運転停止中、全国の原発も多くは稼働を停止していて「電気は足りている」現状は、「原子力の時代の終焉」の前兆です。この事実を受け止めてください。(九州電力川内1、2原発、関西電力高浜3、4号機、四国電力伊方3号機(愛媛県)は再稼働、中止を迫られることもあり)
4、国としての、核燃料サイクル事業から全面撤退の事態に備え、あるいは核廃棄物の処理問題を先行して取り組むための、その準備作業に着手、加速させてください。

 最後に、8月19日に出発したピースサイクリストへは、
  ・・・先の参院選挙をしっかり総括して、「改憲勢力」安倍・与党などの「周辺事態条項」の審議開始、「憲法改正」 の発議、「国民投票」の地ならしに対して一層の警戒と「対抗措置」を準備しなければなりません。このことは「全ての核の廃絶」「立憲・平和」「辺野古新基地阻止」などを運動目的とする「ピースサイクル」にとって不可避の課題といえましょう。
 次に、それぞれの地域での活動の一部がメーリングリストで紹介され、また11月の全国会議で紹介されると思いますが、それらが全国的な「アベ政治を許さない」運動だけでなく「立憲・平和、リベラル」運動の展開、「民主主義・デモクラシー」の成熟、即ち「民度」を高めていく運動にまで昇華させたいと思うことしきりです。
  愛知では参院選の前、私は全県下を回る「あいちキャラバン」を提案し、とりわけ18歳からの新有権者に向けた「選挙に行こう」運動と、「安保法」に賛成した議員を落とそうという、いわゆる「落選運動」を進め、何とか愛知選挙区4議席中、野党で3議席を獲得することをめざしました。結果は与野党「2:2」のイーブンでしたが、この運動を通して、「地域に点在していた様々な市民運動」「尾張、名古屋、知多、西三河、東三河などの地域」「20代から70代までの世代」これら「三つの結び目」を作る端緒となったものと思っています。
                                     ◇
 愛知のピースサイクルは、7月26日豊橋で、静岡・浜松の仲間からリレーを受け、陸自豊川駐屯地で申し入れをして岡崎まで走りました。翌27日は、豊田市で申し入れをし、みよし市は訪問をパスしましたが広島、長崎両市長あてのメッセージのみを受け取り、日進市では、市と市民グループによる歓迎会と昼食会、夕刻には名古屋に入り、中部電力本店で約50分にわたって申し入れを行いました。
  28日は、午前中に名古屋市、愛知県それぞれに申し入れをして、11時半ころからに空自小牧基地での申し入れを行ってから、岐阜ピースサイクルの仲間にリレーをしました。
 31年目のピースサイクル運動・愛知では、岡崎、豊田、日進、名古屋それぞれの地区の自立した取り組みが進み、本走においては事故、熱中症もなく無事終えることが出来ました。

 (略)ピースサイクル一行の頑張りと無事を祈りつつ、愛知で何ができる、私のできることは何か、の次なるステージの構想を練りたいと思っています。
  現地の運動団体へは、一行のみなさまからよろしくお伝えください。  

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2016年8月27日 (土)

男の気持ち・生き方(133)

  ミニ詩集第10号「惜夏」
 去る24日の“岐阜の夜”に合わせて仕上げたミニ詩集第10号「惜夏」の配布版の印刷を行った、100部。
 前号は、2月1日の「春よ来い!」であるから、春と夏を通り越して「惜夏」となった。もっとも、6月の作品展の「私の出展作品集」(臨時号)を出しているから年に4号を出すペースから外れているわけではない。
 作品としては、惜夏/都会の病棟/身辺整理/湖上の憂い/幻想・老いの一人旅/核・幻覚の夜/暗転二〇一六の7篇で、2ページに亘る作品1点が含まれる。2段としたものも1篇。そして随筆は、ブログから「“晩年”は、人さまざま」を入れた。最終ページに「あいちキャラバンに参加して」について触れておいた。
 仮に、様々な運動と詩を一体のものとして、それを思想的立場、分身とするなら、もっと「時代の空気を読む」ことが欠かせないだろうと思う。政治や社会の動き、事故や事件をスケッチするのではなく、この時代に人々は、そして私は何に流され、翻弄され、それでいて“なぜ生きるのか”“何を求め、何を託そうとするのか”という“ただならぬ空気”を感じ、それを読み、文字にしていくことが“その道”であろうと思う。
  ところが私のそれは、“わが身、わが道のつぶやき”に過ぎないことと、多分に遊び心が多くを占めているから、「時代の空気を読む」というアプローチは希薄になりがちだ。それは映画鑑賞でもいえることで、「映画は面白ければいい」という安直性の上に立っているので、芸術性とか社会性に迫る気概は薄い。
 この、何事もあまり“深堀りしない”という感覚から抜け出さないと、いつまでも平板なままで“つぶやき”に終わってしまう。そのような意識は持っているから、もう一段ステップアップしようという意識がはないわけではない。とはいえやはりそれはそれだけの力があってこそである。
 そんなこんなで、2013年4月の第1号から今日まで10号を数える。質を問われなければ、これも“わが力”の一つかもしれないと、製本するたびに思うのである。

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2016年8月25日 (木)

CGSUの運営委員会

 労働問題、現場の今
 「ユニオンと連帯する市民の会」の8月例会の議題は、活動誌「結」の前号の検証と次号の発行計画。次回・第34回ユニオン学校(8月28日)の企画と第35回の日程。その他として「ゆるやか懇談会」、休止中の「ユニオン共同行動」の再建策、などであった。
 議題からそれて、軍・産・学が接近しつつある中、最近の大学の問題や、憲法の中の労働法に関する様々な要件を再認識(学習)すべきだ。昨年11月の「上司に逆らう社員をうつ病にして追放する方法」「万一自殺したとしても、うつ病と原因の因果関係を否定する証拠を作っておくこと」など、“とんでも”発言をした社労士の裁判なども話題となった。
 昨今では安保、自衛隊などや国政選挙における一票の格差問題が、憲法を語る中心課題になっているが、世界に類のない日本の労働法、それを保証している憲法を今一度検証すべきではないか、という提案は傾聴に値するが、これを中央レベルにまで引き上げて、国会を動かし、現場に還元させるには、ナショナルセンターの姿勢、方針あってこそだ。
 ブラック企業、ブラックバイト、名前だけ管理職、店長などの問題は現在進行形であるし、「残業代を払わない」といわれる「ホワイトカラーエグゼンプンション」の検討、金銭解雇容認の動き等々、労働法の改悪、骨抜きがある一方、男女同一(質)労働同一賃金、クォータ制は未達であり、最低賃金も「1000円」には遠く及ばない。こうした問題に苦闘する現場の姿が、努力がどれほど労組上層部・ナショナルセンターに届いているかは疑わしい。あるいは、届いている、認識している、その上で「企業に不利になることは俎上にあげない」暗黙の労使協調があるのかもしれない、そんな疑念が先に来るのである。
 企業の壁、秘密性、絶対性は、「憲法」をもってどこまで食い破ることが出来るのか、それは「学習活動」に、全国規模の労働運動の爆発なくしては難しい、という中で「ユニオン」は、苦闘しているのが現状だ。

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2016年8月24日 (水)

語り合った‘岐阜の夜’PARTⅡ

 それぞれの著作をもとに
 歳は幾つも離れていないが、酒席を共にしたお二人とも先輩であり、“仲間”でもあり、1年半ぶりに近況を語り合った。
 前回は昨年の2月にお会いした。笠松町在住で、町おこし、郷土文化史発掘に精力的に取り組む一方、フリージャーナリストとして発信し続ける高橋恒美さんは、そのころ「緊急アピール『‘安倍反攻’を許すまじ』」をメールで公開していて、私も賛同した時だった。もう一人の津田正夫さんは岐阜市在住で、故近藤 彰著「どーもの休日-元NHK記者と家族の<末期がん闘病記>」(風媒社)の編集をされ刊行された頃であった。もっとも本職は「メディア論」の研究者であり、フットワークのいいオルガナイザーといっていいかもしれない。かくいう私は、ミニ詩集の最新号、第6号「視線」を持ち寄り、「APWSL愛知」の季刊誌「ACTION REPORT」の編集、ユニオンと連帯する市民の会に関わり続けていること、という程度のものであったが。
 今回の場は、高橋さんが、7月にブックレット「川並衆」奮戦す~「岐阜進出450年」信長を支えた木曽川の武将たち~全30ページ。非営利法人「笠松を語り継ぐ会」を刊行(8月21日の朝日新聞・岐阜版に紹介記事)したことと、津田さんは大著、ドキュメント「みなさまのNHK」~公共放送の原点から~(現代書館)を著したことがきっかけであった。(9月28日、「筋トレゼミ」シリーズIII 第3回ジャーナリズムって何だっけ?~市民とメディアのこれからを考える~の講師に招かれている)
 井戸を掘るような調査と検証そして探求し続けるという“深掘り”のない私は、相変わらず“広く浅く”あれこれ顔を出しています、としか言いようがないのである。そしてこの日は、またしてもミニ詩集第10号「惜夏(せきか)」を仕上げて持ちこんだのであった。
 津田さんの著書について8月16日のメールで紹介したが、そこではこんな風に書いた。
  (前略)津田さんがこのほど、ドキュメント「みなさまのNHK」~公共放送の原点から~を著した。私も読み始めたが、長めの前書きを読んで、後段の年譜を見て、そこで止まってしまった。おおよその内容はそれでつかめたと思ったからだ。しかしそれはとんでもない浅慮であった。2度目にページをめくり始めてからは、どこで栞を挟むかで戸惑ったくらいだ。“おもしろい”から引き込まれていくのではあるが、NHKのディレクターとして「時代にほんろうされ変質する<公共放送>を内側から見つめる」(帯)それは、調査、検証、探求の重層の上に立ち、なおかつ問題点、危機意識を畳みかけていくので、“寝転んで読んでいては、ついていけない、付箋をつけなくっちゃ”と感じてしまうのである。(後略)
 今は地域コミュニティとしてのFM放送局「FMわっち」の電波を借りて「てにておラジオ」という手作りの放送局を立ち上げて、忙しい毎日だという。
 高橋さんは、今も「笠松を語り継ぐ会」を拠点として独自の視点から歴史、文化を掘り起こし積み上げているが、これから笠松町だけでなく周辺の羽島郡にまで広げていくといい、その先に岐阜県全体を視野に入れているものと思われた。そして、安保法やメディアなどの政治課題、社会問題にもフリージャーナリストとして発信し続けていくに違いない。大いに刺激を受け続けたいものだ。
 地元のお酒もおいしかったし話題もおいしかった。そしてこの席には高橋さんのお連れ合いさんも同席された。「書道家」と紹介されてちょっと驚かされた。

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2016年8月21日 (日)

緑の党東海・グリーンカフェ

 主体的な運動を模索
 小旅行から帰って最初の行動は、緑の党東海の「グリーンカフェー」雑談・フリートーキングであった。
 最初に各人から近況報告。原発関係の最新状況と「浜岡原発の廃炉決断を(堀田雅男・元中電法務室副部長)」と「台湾総統関連」記事の切り抜きを示した人。リニア新幹線の動き・公判予定などの報告をした人。学習の必要性を説く人。共産党と緑の党の類似性、垣根を取っ払って広く結集などを話した人。参院選で須山事務所での経験を語った人・・・7人。
 私は、「広く浅くがモットーで、専門性を持たない」ということを切り口にして、まず、あいちキャラバンの経緯、経過と、参院選挙について、特に当選した伊藤孝江と落選した須山初美の得票分析を一言。緑の党東海は相変わらず「政党の体をなしていない」などとチクリ。そして、学習の必要性を説いたことについては、むしろ私は、自らの経験、実例など次世代に伝えることに軸足を置いている。過去を見直し学習することは否定しないけれども、それはこれからの時代を担う層が積極的であってほしいと思う。個人的には限定的なものとし、継承、結び、支えが世代としての位置だろうと思っていると話した。
 共同代表からは、「3か年計画」として、①三宅洋平を次の参院選で立候補を促す。②今回の選挙で試みられた「オリーブの木(統一名簿)」を大きくしたい。③三宅洋平に、緑の党に入党してもらい、彼の支持層を含めて、党勢の拡大を図りたい。というものであった。
この提起を受けた私の感想は、①まず、次の衆院選挙が先にあるべきだ。②とにかく国政で1議席を確保して、そこを橋頭堡にする戦略もないとは言えないが、かつての中村敦夫の例からすると、組織的な発展にどれほど寄与できるか不明な点がある。③著名人に頼ることの賛否は出てこよう。
 三宅洋平が先の参院選・東京選挙区で直前に立候補して257,000票余をとったことは、票数と共に若い層が結集していたことに「希望の芽」は確かにある。立候補宣言のVTRも見たが、政策も一応筋が通っているとみた。
 芸能界など異世界から政治の世界に入って、きちんとした政治家になった例はあるから、否定的になることはない。だが本人の資質が第1義としてあるが、やはり「アドバイザー」「取り巻き」の如何によるのではないだろうか。
 最後に私は、参院選挙前に「いのち♡女性ネット」の運動に賛同もし自身も提起したが、野党共闘いう大枠で考えるだけでなく、「女性議員の目線、感性、政治力」に期待する意味でも、例えば愛知から選出の「山尾志桜里+伊藤孝江+本村伸子」の3議員を中心に、地方女性議員も加えつつ、ネットワークを作っていくのも、無党派層・選挙棄権者を掘り起こす一つの手ではなかろうかと思うのである。
 いずれにしても、今日の集まりを契機として、足立力也氏の招請の具体化に向けて話し合われるなど、緑の党東海の今後の方針が模索されることになった。(にしても、集まりが少ないし、高齢者が半分)

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2016年8月20日 (土)

私の夏休み(3)

 新副都心めぐり
 ピースサイクルの全国会議など、上京する折りにあちこち見て回り、主だったところは巡り歩いたとは思ってはいるが、船下り、クルージングなどと羽田空港、臨海副都心など、「海」側が残っているなと感じていた。
 いろいろ検索した結果、宿泊地から近い新橋から、都心とお台場・臨海副都心とを結ぶ新交通「ゆりかもめ」に乗ることにした。全線高架のモノレールなので、展望が開けるだろうと思ったが、沿線の内側はビル群が続くばかりで、外側は所々で視界が開ける程度。
 実はこの日の朝は、ホテルを10時前には出発予定だったがかなり強い雨だった。新橋までは歩いて7~8分とはいえ、このままではびしょ濡れになるだろうと、しばらく待機した。2~3分先の所に地下鉄銀座線の駅もあるにはあったのだが、それでもこの雨脚ではと二の足を踏んで、小降りになるのを待った。
 30分ほどして出発。汐留、竹芝、日の出、芝浦ふ頭とゆっくりと進む。まるで遊園地の電車に乗っているがごとくである。レインボーブリッジを渡ってお台場海浜公園へと進む。ここは、いつだったか夜の観光バスでお台場へは来ているが、今日は上から見下ろすだけ。観光バスも見え人も結構出ていた。
 10番目の駅「青海(あおみ)」を過ぎ、国際展示場正門という駅に着くと、目の前に四角形の奇妙な建物が現れた。「東京ビッグサイト」と読めた。イベント会場か展示会場として使われるのであろうか。どんな催事であろう入館することは生涯なかろうと思ったのだった。
 有明、有明テニスの森と続く。私には縁のないことではあるが「有明」と聞けば「田園コロシアム」が連想された。
 次に、市場前、新豊洲と聞けば、今大問題となっている築地市場の移転問題がある。上から見てもかなり広く見えた。今年の11月半ばころに移転が完了するとのことだが、そのままスムーズに進むのか、小池新都知事が何か策を示すのか。私の見た感じでは、ここまで工事が進んでいると中止、撤退は難しそうで、暮れの繁忙期を控え、そのまま新年を迎え、2~3か月の冷却期間をおいて、話し合いを続けるなどして、最終的には、移転容認ということになるのではないか。
 さて予定では、地下鉄で月島に出て乗り換え、築地市場で鮪丼でも食べるか、大江戸線で大門へ、そこから歩いて浜松町へ、東京モノレールに乗って羽田空港へ向かうかのどちらかであったが、あっさり拒否された。それならばと、有楽町線で有楽町に出て上野へ、そこで噂の「アメ横」がどんなものか見て回るのはどうかと提案、それで決着。
 一人旅なら、上野の美術館、博物館の一つや二つは見て回ったであろうが、ま、今日のところとはガイドに徹しておこうと。衣料品関係は外国人向けか若者向けが多いようで興味は少なめ。バッグ類はデザイン的にちょっとという感じ。1080円の腕時計もあったが、どんな性能なのであろうか。やはり、果物、魚類は安いが、持って帰れないので見るだけ。東京で一人暮らしすることがあったなら、ここに買い出しに来たかもしれないと夢想した。
 1日つづらしたこともあって、予定が大幅に変わってしまったが、この年齢では、当初計画そのものには、少々きついものがあったようで、あれこれ省いて正解だったかもしれない。
 夏休み終わって、明日から日常に戻るが、3食まともに摂っての3日間だったから、ウエイトコントロールの苦行も待ち受けている。

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2016年8月19日 (金)

私の夏休み(2)

 再び柴又・帝釈天へ
 葛飾柴又へは、2014年の11月に初めて行ったのだが、渥美清が亡くなって20年ということもあり、さぞ賑やかであろうと思って連れ合いを案内した。
 平日の暑い午後ということもあってか、思ったほどの人出ではなかったが、黄帽の小学生の一団も来ていた。引率の教師は、「帝釈天」はともかく、映画「男はつらいよ」の舞台になったことについて、どんな説明をするのだろうかとふと思ったが、“とらさんの映画をみた人”と手を上げさせた程度であろうか。まさか“先生、ふうてんってどういう意味ですか?”と聞かれはしないだろうが、聞かれたらどう説明するのだろうか。
 「寅さん記念館」「山田洋次ミュージアム」へも回ったが、少しへばっているようなので早々に引き上げ、帝釈天表参道に戻って、かき氷と草団子で一息入れて引き上げた。
 そういえば、渥美清が亡くなって“ええ、もう20年も経つの!”と少々驚いたものだが、8月は広島、長崎の原爆の日から71年は言うまでもないが、日航ジャンボ機に墜落事故から31年である。それは1985年の8月12日のことであるが、この8月12日といえば、1978年に日中平和友好条約が締結された日でもあるのだが・・・。
 そうそう19日の今日といえば、「六ヶ所ピースサイクル」が、茨城県東海村を出発した日でもあったのだった。(後記)

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2016年8月18日 (木)

私の夏休み(1)

 大磯に宿をとる
 当初17日から3日間、私の夏休みが始まる予定であったが、初日の東京がまともに台風11号の直撃を受ける予想となって、急きょ1日遅らせて、今日から始まった。
 この日のためにいくつかの課題を済ませておいたので、後顧の憂いなしとは言えないが、若者風に言えば、「とりま」10時過ぎの新幹線に乗って新横浜で降りた。それから横浜-中華街-山下公園(港の見える丘)は定番であろうが、「とりあえず」そのコースをたどり、みなとみらい線の「日本大通駅」から横浜駅に戻り、今日の宿大磯に向かった。
 大磯といえば吉田茂が思い浮かぶが、それが目的ではなく、伊豆の温泉地の宿が取れずたまたま空いていたにすぎず、翌日の江の島か鎌倉方面の拠点にするつもりであった。出発の直前、横浜の同級生から電話がかかって来て、大磯で宿が取れたという話をしたら、“だったら、澤田美喜記念館に行ってみたら”と勧められた。澤田美喜?すぐには思い出せなかった。聞いた覚えがあるかなあ程度で、話を聞くうちに泊まるだけではつまらないので行くことにした。
  澤田美喜の功績は少なくとも二つあるとされる。一つは、「戦後の混乱の中でアメリカ占領軍兵士との間に生まれた混血児の救済と養育のためにエリザベスサンダースホームを設立したこと」、もう一つは「熱心なクリスチャンであった澤田美喜は 隠れ切支丹の遺物の収集家でもありました。殉教者の子孫が大切に守ってきた品々に強い信仰の息吹を感じるとして、持ち主の名はもちろん、作者、明確な時代も判らぬままに、取り上げられ、打ち棄てられた隠れキリシタンたちの遺物を九州のみならず、本州のあらゆる場所を巡り歩き、収集」(引用)し、今に残したことであろうか。
 世界を旅した時に収集したであろう300は下らない十字架のコレクション、大小の石像、木像のマリヤ像、今年の5月から初め公開展示された「隠れ切支丹」が所持していたとする「日本刀の鍔」30点余、その鍔は、巧みに「十」が彫り込まれたものだった。また館員の説明、実演で見せていただいたのが、「切支丹の魔鏡」というもので、表は鏡で、裏側は銅製の花鳥風月の彫り物で、見ただけでは普通の「銅鏡」なのだが、光(太陽)を鏡に当てると、その反射光が「マリヤ像の影絵」として映るのである。見せていただいたのは、さる著名な作家の手になるレプリカだったが、その技法は教えていただけなかった。
  こうした遺物のあれこれからは、踏み絵、磔(はりつけ)などの弾圧にも関わらず恐れず、隠れてでも信仰を捨てなかったその厚さ、深さは世界に類を見ないとさえ言われるとか。
夕刻、食事前の4時半ころ、海岸に出てみたら、そこは「アオバト」の飛来地で有名なのだそうだ。「アオバト?」知らなかった。体長は33センチくらいのハト、全体が緑色の羽色をしていると宿の人に聞いたが、岩礁までの距離が遠いことと日が暮れかかっていたので、30数羽が旋回するようにしては岩場に降りては飛び立つのが見えたものの、海水を飲む姿までは見ることが出来なかった。“海水を飲む?”調べてみたら、アオバトの主食である果実にナトリウムがほとんど含まれていないので、その補給と水分をとるためらしい。
  時間があれば、島崎藤村の墓地のある地福寺にも行きたかったが、それはあきらめて、夕食の膳に向かった。(後記)

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2016年8月16日 (火)

男の気持ち・生き方(132)

 “晩年”は、人さまざま
 ちょっと前、8月11日のウェブ・週刊朝日の記事「九重親方夫人が協会葬拒否か」「夫人が協会葬を拒否? 千代の富士引退後の『光と影』」を読んで、いろいろ思い起こされることが多かった。
 九重親方とは、元横綱千代の富士のことであるが、その大相撲史に燦然と輝く足跡に対して、相撲協会の中では晩年は不遇をかこっていたと伝えられる。“ウルフ”の名の通り、国民的スポーツといわれる大相撲の元締めの相撲協会という保守的な組織の中にあっても“一匹狼”だったということのようだ。だがそれならそれで、山岳の頂に立って雄叫びを最後に、森の奥深くで静かに横たわるのも、(相撲協会葬などなくても)ウルフにふさわしい終焉ではなかろうかという思いもするのである。
 ヒーロー、ヒロインだからこその最後は、あれこれ語られるのである。戦国の三英傑といわれた信長、秀吉、家康それぞれの最後もまたそれぞれであったように、人間すべてが、それぞれの終焉を迎えるし、「晩年」の在り方も一様ではない。
 翻ってわが身はどうだろうか、と突きつけられた。
 「生涯一活動家」と意気込んできたが、そこには、「安息を求めることを自戒とする」という意味と「地位、栄誉、称号を求めない」という意味もあったが、反面「能力のなさを言い換える自虐性」がなかったとは言えない。また“所詮、自分のできることは知れている。背伸びして望外のことを求めれば、足元をすくわれる”ということも一方にあって、いまだ迷妄、彷徨、模索の中にいると思うのだ。
 私は「余生」という言葉を使わないようにしているし、「老いた人」「老域に入った」あるいは「年金生活者」などと言い換えることもある。そして今が「晩年」であることも暗に承知しているつもりである。
 ところが、人間一人が幾ら加齢し、老いてしまおうと、社会は発達か後退かはわからないが、どんどん変貌していく。それに合わせて生きていかねばならないのが「活動家」なのだから、「生涯一活動家」とは、いうほど容易いものではないと気づかされる。
 「あいちキャラバン」を率先して参加したのは、これを「一活動家として、最後のお努めにしたい」という思いが強かったからである。これまでの自らの足取りを考えれば、諸運動に「生涯」関わることに変わりはないが、「雄叫びもなければ、牽引力もないところに位置するだろう」との思いを強くしている。
 そしてまた考えるのである。諸運動に「生涯」関わることに変わりはない、というには、そのエネルギーの源泉をどこに求めるのかである。自噴するものは枯渇しつつある。外的刺激か、好奇心の持続か、“井戸掘り”を見つけることか、と。その答えは見つかっていないが。

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2016年8月15日 (月)

8月15日を考える

 新しい日本の“出直しの日”かなと
 まず8月15日を「何の日?」と呼ぶかで私は立ち止まる。一般的には「終戦の日」といわれるが、“ああ、戦争は終わった、終わった”で済ませていいのか、という問いかけを何度も受けてきた過去がある。戦争は2度としないと意識を持ち続けるためにも「敗戦の日」とすべき説に同意してこれまで使うことが多かった。だが、なんとなく座り心地が悪い。
 第1に、日本がポッツダム宣言を受諾した日は8月14日、15日は「玉音放送」があったに過ぎない。外国では東京湾の米戦艦ミズーリ号で行われた日本の降伏調印式の1945年9月2日が「その日」とされている。従って、日本にとって敗戦の日、連合国にとって勝利の日は、9月2日ないしはその近辺ということになろう。
 第2に、私には戦争体験がないから「敗戦」の実感がない。実感が伴わないものは時間の経過とともに意識は薄れていくものだ。だとすれば、子どもや孫たちは、私よりもっと希薄になるに違いない。
 次に戦争を「勝った、負けた」というレベルでとらえていいとは言えない。仮に戦争に勝っていたら「勝利の日」として国民の祝日になっていただろうか。それでは明治以降の戦争の歴史を踏襲することになりかねない。事実アメリカでは、9月2日をVJデー(対日戦勝記念日)としているが、その後のアメリカ史は、「戦争の歴史」ではないか。
 それでは、「お盆」として、祖先の霊を祀るあれこれに専念して、「戦争のことは、それはそれで・・・」とやり過ごしてしまえばいいのか。それもありかもしれないが、それでは戦争で亡くなった人は浮かばれないだろう。
 やはりこの日は、黙とうと非戦の思いを心に刻み、新しい日本の「出直しの日」としてこんにちまでの歩みを思い返し、「平和日本」を見定める。そして現在のありようを問い、未来に何を残し、何を託すかのチェックポイントの日ではなかろうか。
 私の中でそういった動機付けとなっている一例が「ピースサイクル運動」である。6月の「沖縄ピースサイクル」から8月6日の広島、9日の長崎、15日を超えて、19日からの「六ヶ所ピースサイクル」がそれだ。
 それにしても「9月2日」は、まったく記憶されなくていいのだろうか。

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2016年8月14日 (日)

2016年の夏

  あれよあれよで時は過ぎる 
 昨夜は、有松の「夏祭り」に、誘われて出かけた。
 イオンの屋上の駐車場を利用して、盆踊りの櫓が立ち、近くには「有松・町普請の会」の手になる「露店」が並び、冷えた飲み物やおつまみ、お菓子類の販売、そして昔ながらの水の入ったゴム風船、輪投げなど、親子連れ、子どもたちで賑わっていた。
 もう一方では、業者の露店とステージが設置されて、招かれたミュージシャン、「名古屋・ど・まつり」に参加されるであろう、その衣装をまとったグループたちが盛り上げていた。
 イスとテーブルは満席に近く、盆踊りが始まるころには「夏祭り」が高潮していった。
 こんな場に出たのは何年ぶりだろうか。それほど楽しむ気にもなれなかったが、薄れがちの地域コミュニティーをこうして支え、生き返らせようとする主催者の意気は感じ取ることはできた。
 さて、17日から小旅行があるので、その前に、どうしても片付けておきたい仕事が残っており、今日その挑戦をして、一つは片付けることが出来た。19日からの「六ヶ所ピースサイクル」への、青森県知事、六ヶ所村村長、日本原燃社長、参加の仲間たちへの4通の要請・メッセージであった。
 残りは明日、明後日の両日に仕上げる予定であるが、そうこうしているうちに今年の夏も終ってしまうのかもしれない。

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8月15日を前にして

  翁長知事宛てのメッセージを送る
 ピースサイクルでは本来、6月23日の「沖縄慰霊の日」に向けてメッセージを送るのであるが、愛知の自治体に、広島と長崎にメッセージをお出しくださいと要請すると同時に翁長知事にも、という形になるので、8月になってしまうのである。もっとも、広島、長崎に比べ沖縄は向き合いにくいのか、今年も1自治体だけであった。そこで、ピースサイクル愛知と、一名古屋市民として私のメッセージを過日に送り届けた。
     メッセージ
  私は名古屋市民で、ピースサイクル愛知に参加する一人です。
  1944年生まれですので、戦争体験はありませんが、幼児期のひもじさ、貧しさは体験し、それらが「労働運動」「反戦平和運動」にかかわった動機かもしれないと思い返しております。
  先の大戦終結から71年、沖縄返還から44年と3か月、今なお基地問題を抱える沖縄に心寄せ、米軍基地の全面返還を求めるメッセージをお送ります。

  琉球人の祖となった神話があるという
  ‘美ら海’に囲まれた今帰仁の古宇利島
  時折り吹き抜ける海風は
  島の誇り 島人の息吹であろうか      
                                    <詩 『美ら海・古宇利島』の一部>
        
  艦砲射撃 上陸用舟艇 重装備の海兵隊
  この海岸にも怒涛のように米軍が押し寄せたのであろうか
  草むらから 腹を空かせた日本兵が
  銃口を向けていたのであろうか       
                                           <詩 『美ら海・風』の一部>

  摩文仁丘 美ら海 静寂
  風そよぎ 平和の礎はそこに
  しっかりと読み取れる名前 
  だが思いが至らぬ 
  その名の人の最後の時を       
                                          
<詩 『平和の礎』の一部>

 以上は、昨年沖縄を訪れた時に感じて詠んだ詩の一部です。
  1999年成立の「盗聴法(通信傍受法)」、そして安倍政権では「特定秘密保護法」さらに一連の「安保法」を成立させました。「周辺事態条項」「憲法改正」論議に至っては、平和憲法の精神、条項を踏みにじり「戦争への道」へ現実化させるものであり、とても看過できるものではありません。
  そして「忘れません!ヒロシマ・ナガサキを、フクシマを、そしてオキナワを」を胸に刻み、辺野古新基地建設、高江オスプレイパッド工事再開を認めません。
私のできること、それは“この国の行方”に思いを致し、さらなる闘い、運動を続けていくことです。(後略)

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2016年8月12日 (金)

ACTION REPORT №88

                   ACTION REPORT 88

                  7月のできごと<2016年8月12日発行>
                          Incidents in July
    ― この地域の労働運動を、APWSL愛知がレポートします ―
           APWSL Aichi reports labor movements in this area.
                        from APWSL・Aichi Group

                             参院選挙の結果
  参院選の結果は、いわゆる「改憲勢力」が3分の2を占め、「改憲の発議」が可能になったとされる。そして「憲法改正の国民投票」という道筋も姿を見せ始めたといえないこともないが、それまでに「立憲・平和、安保法廃止」で一致する勢力は、やることがあるのではないか。
 まず、この2~3年を視野に入れて、最長でも2018年12月の衆議院選挙まで「改憲発議-国民投票」をさせないで持ちこたえる運動の持続が欠かせないだろう。野党が、今回の選挙並みの得票であれば、衆院選で3分の2は崩せると確信するからだ。
 次に、自民党の「日本国憲法改正草案」を分析し、学習し、戦略的に攻勢をかける必要がある。戦略的というのは、選挙権を得た18歳以上の若者たちへの働きかけである。彼らこそが「安保法、周辺事態条項の具体的展開(自衛隊の海外派兵・交戦)」の直接的動員対象者だからである。
 そして「野党共闘」の要は、政党間の政策協定もさることながら、在野の勢力が、共同行動、選挙における統一候補擁立、統一戦線の構築に向けたキャスティングボートを握れるかどうかにかかっている。
  市民運動、労働運動においても、日常的な政治活動と「世代交代」を進めていく方策が求められている。
  以下は地域での活動の項目だけを記載します
 7月
(11)31日、沖縄集会とデモがありました
(10)30日、リニア・市民ネットの街宣が取り組まれました
(9)30日、第33回ユニオン学校が開催されました
(8)26日、ピースサイクルの愛知の取り組み
(7)24日、伊勢崎賢治氏の講演会がありました
(6)23日、熊本地震は、「原発安全規制」の何を問題にしたか
(5)14日、あいちキャラバンが解散しました
(4)13日、40年原発廃炉訴訟・第1回口頭弁論がありました
(3)10日、参院選の投開票日
(2)08日、CGSU活動誌「結」第6号が発行されました。
(1)07日、リベラル政治懇話会・ミニ講演会がありました
    リベラル政治懇話会・ミニ講演会
  7日、参院選の直前、横路孝弘衆院議員を迎えて、ミニ講演会が開かれました。テーマは、「いま憲法の危機を語る」で、自民党の「日本国憲法改正草案(現行憲法対照)」をもとに、安倍・自民党が言う「改正」の必要性を論破するには、「改正案の対案」を出すことではなく、どんな事案も現憲法の下で「このように対処できる、解決できる」という論理と実践策を提示することだろう、と話されました。この種の学習の機会は増やしたいものです。

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2016年8月10日 (水)

映画「太陽の蓋」を観る

 フクイチを風化させてはならない
  この映画を観に行った場所は、名演小劇場で、今年1月の「厨房男子」以来。
  映画「太陽の蓋」は、東日本大震災とそれによる福島第一原子力発電所事故が発生した2011年3月11日からの5日間を題材にしたドキュメンタリードラマである。
  官邸と原子力安全委員会(当時)と東電の本社と現場、マスコミの取材現場のデスクと記者、原発周辺の住民・避難民の様子それらが、情報が錯綜し、あるいは隠され、先が見えないまま同時進行していく。
 3月11日のその日から、津波に襲われた福島原発では、全電源喪失、水素爆発、メルトダウンへと、チェルノブイリに匹敵する、あるいはそれ以上かもしれない最悪の事態が迫り、進んでいたのである。だがその経過、実態の把握をしていたのは限られた者しかいない、いやそれとても全てを把握しているとは言い難い。「原発の安全神話」は、政府も東電でさえ浸り切っていたからであろう。注水の失敗、電源車確保の失敗、ベント開放の失敗・・・。
 さまざまな情報が錯綜する中、菅直人首相(三田村邦彦)らの官邸内での様子と原発事故を追う新聞記者・鍋島(北村有起哉)は、情報収集に奔走するが、どうも全体像がつかめずに焦る。すべての手蔓を頼り「現状・現場」に迫ろうとするが時間は過ぎるばかり。
  そうした緊迫に満ちた映像は事実に近いものであろうが、それゆえに、4号機のメルトダウンは避けられたものの結局何も解決していない現実に戻されて私たちは、“いったい何がどうなっているのか、何すりゃいいのか”と立ちすくんでしまったのではないだろうか。
 あれから5年と5か月。わが内なる“風化”を押しとどめるに十分な映画であった。同時に、解明されていないというか、事実がまだまだ隠されているのではないかという疑念は残り、さらに汚染の実態、収束作業の実態など「二部作も三部作」もありかな、そう思わせた映画であった。
 なお、この作品は、プロデューサーでもある橘民義(たちばなたみよし)と大塚馨(おおつかかおる)の出会いから生まれたとされ、「この原発事故は、日本が壊滅するほどの危機であった、あまりにも事実とかけ離れて伝わっている、何事もなかったように忘れ去られてしまう、この国が間違った方向に走っている現実を伝えたい」としてつくられ、「元県会議員で菅直人の盟友でもある橘は、『巨大な嘘』によってスケープゴートにされた菅直人や民主党政権を思い、客観的な『事実』を伝えることをこの作品の命題としました。」と述べていることに注目した。

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2016年8月 9日 (火)

‘8・9長崎被曝の日’へのメッセージ

 全ての“核”の廃絶を、安保法は憲法違反
 広島に続いて、8・9長崎原爆忌に向けたメッセージを長崎市長宛に過日送った。以下は一部省略のメッセージだ。
 ・・・私たちは、「忘れません!戦争の悲惨さとその罪を。そして広島、長崎の原爆投下とその被爆を。さらに住民を巻き込んだ地上戦の沖縄を」 
これらを胸に刻み、「非戦と平和」を背負って全国の仲間と共に「ピースサイクル」を続けています。(中略)
                  ◇
 昨年の「長崎平和宣言」を読み返しますと、「原子爆弾は戦争の中で生まれました。そして、戦争の中で使われました。」という見出しがきらりと光りました。といいますのも、5月に広島を訪問したオバマ米大統領の演説の一部「71年前、晴天の朝、空から死が降ってきて世界が変わりました」が、「加害者と被害者」の思い、立ち位置、そして、核兵器の「非人道性」「絶対悪」の認識についてあまりに違いすぎると想起されたからです。いったいどこまで本気で核兵器の廃絶をめざしているのでしょうか。
 しかし、そうはいっても嘆いてばかりはいられません。加盟都市が6,700を超えたといわれる世界の「平和首長会議」は、長崎、広島両市長の強い主導力に依るところが大きいのです。また、核軍縮についての核不拡散条約(NPT)の進展は、被爆国日本がリーダーシップをとるべきものと考えます。
 そうした現状を考えるとき、本年3月に施行された一連の「安保法」に加え、「周辺事態条項」「憲法改正」論議は、核兵器の使用の前提にもなりかねない、平和憲法の精神、条項を踏みにじる「戦争への道」を現実化させるものであり、とても気がかりで看過できるものではありません。
 そしてまた「平和宣言2015」が求めた「オバマ大統領、そして核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、世界中の皆さん、70年前、原子雲の下で何があったのか、長崎や広島を訪れて確かめてください。被爆者が、単なる被害者としてではなく、“人類の一員”として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。」を、今年も来年もそしてその先もずっと、世界から核兵器がなくなるまで、私たち一人一人が声を上げ、行動を起こしていかねばならないと思います。
                  ◇
 私たちの「全ての核の廃絶」要求は、「核兵器」はもちろんですが、「原子力(核)発電」も含まれます。
 あの2011年3月11日の、東日本大震災、東京電力・福島第1原子力発電所の事故(震災・人災)から5年と4か月余が経とうとしていますが未だ収束(終息)の見通しは立っていません。いまさらに原発事故の深刻さに驚愕してしまいます。そしてそれは、長崎、広島の原爆・被曝が重なってしまうのです。
 世界から「核の脅威」から解き放たれるためには、核兵器に使われるプルトニウムを生み出す原発をなくすことが欠かせません。その意味からも原発を含めた「全ての核」の廃絶こそ、「核のない平和な世界」に繋がっていくものと確信しております。どうぞ、「原発ゼロ」にも力をお貸しください。(後略)
             2016年8月3日
           ピースサイクル愛知

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なんとまあ忙しい、この夏だろう

  “とりあえず人生”と苦笑
 “まあ、なんと忙しい、この夏だろう”とつぶやいてしまった今朝だった。
 社会的なことは朝刊を見れば一目瞭然。天皇の「生前退位」を巡る発言記事がど~んと占め、民進党の代表選の記事は霞んでいる。所狭しとリオ五輪関連が満載、イチローのメジャー3000本安打記事も忙しい。高校野球は東海勢の勝利で賑わい、長崎原爆の日の記事、沖縄米軍基地一部の県内移設記事は、見落としかねないほど小さく・・・。
 パソコンを開けば、沖縄・高江ヘリ(オスプレイ)パッドの現場記事が日録として伝えられており、一方田上長崎市長あてのメッセージは11時2分に合わせてアップしたが、私自身に関する放っておけないメールもあり苦慮する。
 お盆休みを避けた小旅行計画も、とりあえず宿泊など、予約関係は済ませたが、スケジュールの全体が未達。岐阜の友人と久しぶりに会う日取りは決まったが、何か準備するものはなかったかな、と思いを巡らしていると、火曜日は資源ごみの日と気付き、収集時間が早いので急いで着替えて運び出した。
 さてっと、今日のスケジュールは?あれとこれと・・・、厄介なことばかり残っているなあ、いや、残して来たからこの結果なのだが。「暑中お見舞い」はとりあえずメールでは送ったが、はがきは出し損ねた。「残暑お見舞い」の手立てはできるが、昨年はそれで失敗した。日が経てば経つほど川のように、幾筋かの支流から本流に流れ込むようにして仕事が増えていったのだった。
 自前の冊子づくりの構想がどんどん後退していく。“これでいいのか?”自問しつつ、とりあえず優先順位を決めて仕上げなくっちゃ、と思った瞬間、わが人生は“とりあえず人生だったのか”と苦笑してしまった。

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2016年8月 7日 (日)

男の気持ち・生き方(131)

 人間の価値って何だろう
 7月21日に「今だけ、カネだけ、自分だけ」という現在の世相の一部の表現について触れた。それに抗うとすれば、その真逆を行けばいいとも書いた。
 では「人間の価値を収入、学歴、生産性、若さ、外見などで決める風潮が最近顕著になってきた」(新・心のサプリ:海原純子-毎日新聞)という指摘についてはどう考えるか。
かつて、1980年代末に、結婚相手の条件に「三高」という「高学歴・高収入・高身長」というもっぱら女性の側からこの条件を求めたという「社会現象」があったと記憶する。そうすると、上記の要件にはこの「三高」に加えて、「生産性、若さ」が加わることになる。
 この指摘は「結婚の条件」という観点ではなく、むしろ「人間の優劣、社会的貢献度、健常性」という社会的、経済的観点から言っていると思われる。もっと言えば、経済界からの、国家主義者からの「生産性・効率性第一主義」から来ているのではないか、とすら疑念が浮かぶ。となれば、「三高」以外の「生産性、若さ」とは、「健康で若くて、障害を持たない労働力(兵士)」と置き換えられそうだがどうだろうか。
 ここでいきなり「アベ政治」を持ち出すのは唐突に過ぎるかもしれないが、国家主義の傾向が強く、“アベノミクス”という経済最優先主義の安倍首相の政策を考えると「人間の価値を収入、学歴、生産性、若さ、外見」でみているのは彼らではないか。“当たらずといえども遠からず”という気がしてならない。
 そしてそれらはまた、「二分化、二極化社会」という不毛な対立社会を醸成していないか気になるところである。
                  ◇
 改めて「人間の価値を収入、学歴、生産性、若さ、外見などで決める風潮が最近顕著になってきた」ことを引き寄せてその対極にあるものは何かと考えてみると、一つは、一言では言い表せないが「文化」かなあと思うし、かなり曖昧だが「情・こころ・絆」かなあと思うし、「話し合う、知り合う、認め合う」ことでもあるような気がする。
 “気がする”という確信のなさは、気が付かない、忘れてしまっているということもあろうが、私の原体験の中でそれらが具体化したとか、自認したという記憶が薄いからだと思う。
 “生活できる程度の経済基盤を家族でつくり、それぞれの個性、特性を生かし伸ばしていけば、必ずしも大学を出なければならないこともない。家族や回りに障がい者がいても、一所懸命生きていることを感じ合うことで価値観を共有できるのではないか。能力に幾らか差があってもそれは自然の成り行き、相互に補完し合う向き合い方で、働くことの喜びを分かち合うことが大切だ。老いも若きも選ぶものではない。すべて人の一生ではあるまいか。心の豊かさと希望を持ち続ける気持ちがあれば、外見は気にならないのではないか。多くを望まず、だが広く世界を見ていく姿勢はいつまでも持ちたい、そうありたいものだ”は、きれいごとの並べすぎだろうか。

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浅田次郎「獅子吼」を読む

短編小説を書くのは「真夏の夢」
 浅田次郎の短編集は「月のしずく」「姫椿」「月島慕情」「沙高樓奇譚」などがあり、いずれも読んだが「草原からの使者」は、タイトルに見覚えがあるが、書棚にないから読んでいないのかもしれない。それで今回、月刊誌の別冊文芸春秋やオール読物掲載の短編種をまとめた「獅子吼」が出されさっそく読み切った。
 冒頭の「獅子吼」を読んだ後、百獣の王・ライオンがテーマだったから、そのまま動物の目線から人間世界、愚かな戦争などを擬人風に語っていくかと思えば、それはそれで完結したものだった。おさめられた短編は、「帰り道」「九泉閣へようこそ」「うきよご」「流離人(さすりびと)」「ブルー・ブルー・スカイ」は、それぞれが置かれた厳しい状況の中で、何とか切り開いていくような、突き放すようでどっこい「人の情」「男っ気」で締めくくられる、浅田文学が収められていた。
 浅田文学の特徴を私は「投網方式」と名付けているが、いくつかの切り口を並べながら、最後は投網を投げ、絞り込んで引き上げるように結末に導き、網の中の魚がなんであったか読者の想像に任せる、という風な趣なのである。
 浅田の小説を読んだ後、長編小説は、なんでこんな小説が書けるのだろうと遠い存在になるが、短編小説なら、ひょっとして私にも書けるかもしれない、と思わせるところが凄い。
 もし私に、ある結末にどんでん返しのような、あるいは“そういうことだったのか”といったオチが見つかったなら、短編小説に挑戦してみようとは思うのだが、生涯、そういう機会はないだろうけれど「真夏の夢」はいつまでも見させてほしいものだとは思う。

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2016年8月 6日 (土)

8・6広島原爆忌に寄せて

  個人メッセージを送った
 松井市長あてに、「ピースサイクル愛知」とは別に、8月2日付で個人としてメッセージを送った。
                ◇
 71年前の8月6日、その朝の空と私が見た今朝の空にどんな違いがあったというのでしょう。今朝の名古屋の空は、雲がかかっていましたが、晴れ間の多い夏空。“暑くなりそうだな”
 第1火曜日、この日私は資源ごみを出して病院へ行く支度を始めました。午前8時頃でした。
 そしてその15分後、私は朝食の“そーめん”を茹でるために、ガスコンロに点火しました。そう、その時の71年前、広島上空600メートルのところで、核爆弾が爆裂しました。
                ◇
  1986年から始まった、自転車で走り継ぎ、平和メッセージを広島に届ける運動「ピースサイクル」は、たちまち全国に広がり、その3年後にこの愛知にも伝わって、私も“ピースサイクリスト”の一人になりました。
 2016年7月26日の午後、私たち愛知と静岡の仲間は、陸上自衛隊豊川駐屯地のゲート  前にいました。
 2016年7月27日の夕刻、私たちは、中部電力の本店の一室にいました。
 2016年7月28日の正午、私たちは、航空自衛隊小牧基地のゲート前にいました。
 豊田市、日進市、名古屋市、愛知県の庁舎を訪ね、平和行政などを申し入れました。
                ◇
 1999年成立の「盗聴法(通信傍受法)」、そして安倍政権では「特定秘密保護法」さらに一連の「安保法」を成立させました。「周辺事態条項」「憲法改正」論議に至っては、平和憲法の精神、条項を踏みにじる「戦争への道」が現実化するものであり、それは核兵器の使用の前提にもなりかねません。とても看過できるものではなく、闘い、運動を続けていきます。
 私たちは、世界の全ての核の廃絶を求めてピースサイクルを続けていきます。そして、加盟都市が6,700を超えた平和首長会議の会長として、貴職のますますのご精励を期待いたしております。

 黙想しつつ、今一度広島へ行かねば、と今年もまた念じた“その日の朝”であった。

補記:8月6日午前8時15分、私はラジオから、広島平和記念式典の実況中継を聞いていた。録画でなく、テレビでもなく、直接ラジオから耳にしたのは何年?いや何十年ぶりか。やはり聞いていると耳に集中し、光景を想像するから、よりリアリティの感じがした。黙とうも黙想の中にあった。

 

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2016年8月 5日 (金)

映画「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」を観る

 やや期待外れ・・・
 映画が好きなのに、劇場で映画を見るのは久しぶり。
 広島、長崎への平和メッセージも書き終えることができたので一息。映画鑑賞の機会をうかがっていたので、今がチャンスとばかりにイオンシネマに出かけて行った。一息入れるつもりなので、“面白ければいい”という従来のスタンスで、「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」を選んだ。
 いわばエイリアンも登場するSF映画であるが、“あり得ない、架空にして面白い、それでいてハッピーエンドに近い・・・”筋書なので、足を投げ出して観る感覚であった。
 評価としては、“期待外れ”だった。特に前半の30分ほどはしばしばうとうとしてしまった。どうやら、前作「インデペンデンス・デイ」を観ていないからか、ある程度流れ知っていないからか、展開についていけなかったようだ。あるいはひょっとして、リズムで言えば、ラップについていけない世代のせいかもしれない。
 それに、アメリカ全土を覆うほどの大きさを誇るエイリアンの宇宙船が出現するのだが、いくら何でもあり得ない話でもさらにあり得ないと思えてしまう。それは、エイリアンが重力を自在に操る圧倒的な科学力で、ニューヨーク、ロンドン、パリといった都市を次々と襲撃するというCGならではの画面を設定するためだけに設定されたのではないか、と考えてしまったところに、最初に“足を投げ出してみる感覚”が失われたといえようか。
 後半に入って、いよいよ圧倒的な軍事力を持つエイリアンに“地球防衛軍”が決死の突入作戦を敢行するのだが、その司令部、混成部隊をして“人種や宗教を超えて、地球は一つになった”という一言が、さらっと画面を流れた。それが隠された意図なのか、付け足しなのかはわからないが、私には、この鑑賞記を書く気にさせた一言だったのである。
 Xデーであるアメリカ合衆国独立記念日が迫るという設定と大統領は女性であるところなどは、いかにもアメリカ映画だ。またエイリアンが地球のマントルをエネルギー源にするため、地球の核に向けて掘削していくその時間設定がタイムリミットと設定され、緊張感をあおるであるが、あまり効果的ではなかった。
 なお「リサージェンス(Resurgence)」には、再起、復活を表す英語とのことだった。

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2016年8月 3日 (水)

ヒロシマ、ナガサキが近づく

 この時期、メッセージ作成に追われる
 間もなく、「8・6広島」「8・9長崎」の「原爆忌」がやってくる。
 ピースサイクル愛知は、7月28日に岐阜につないだが、岐阜からは各務原経由岐阜、29日に岐阜から米原まで無事につないだこと、米原(彦根)から滋賀の仲間につないで、大津まで最大18人が参加したこと、大津から大阪まで、神奈川のHさんが一人旅で大阪につないだことなどが、メールで入ってきた。
 8月3日の今日は、岡山県日生(ひなせ)町(現備前市)を出発して、福山市に入ったはずだ。そして4日夕刻に呉に到達して翌5日から6日にかけて、一連の「ヒロシマ行動」へと移っていく予定だ。
 それに合わせて、全国から松井一実広島市長あてのメッセージが寄せられる。愛知からは、みよし市長、日進市長からメッセージが送られた。豊田市、名古屋市、愛知県は、要請を断ってきている。
 ピースサイクル愛知としてもメッセージを送ったが、私も名古屋市民の一人として書き上げて同封した。これから長崎市長あてのメッセージ、8・15沖縄県知事あて(本来は6月23日に向けてだが)、さらに、8月19日から始まる「青森・六ヶ所ピースサイクル」では、青森県知事、六ヶ所村村長、日本原燃社長あてのメッセージ・要請文を送ることになる。今しばらく、パソコンから離れられない。
 メッセージを書いていると、昨年の平和宣言であるとか、市長の所信表明などを読み込むことになるので、改めて問題意識がよみがえる効果は大きい。とはいえ、年々この作業もきつくなってきている。そのうちに「電文」程度の(しかし心を込めて)短文になるかもしれない。それでも続いていればまだましといえるだろう。それにしても、広島、長崎へはもう一度行かなければ、という思いが強いのであるが、遅くとも5月あたりから「心」の準備をしないと、夏の暑さに負けて、気持ちが萎えてしまうような気がするのである。今年もまた“来年こそは”である。

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2016年8月 2日 (火)

ブログ・7月後半号を発信

 ブログは、思考空間の一つ
 私のブログ「名古屋発-私の日録“郷蔵21”」を特定の人に発信することに多少の逡巡があるが、政治情勢、地域の課題に関連する内容について、議論の場も少ないことから、ウェブ上で意見を述べていくことに意味があるという、そんな思いから発信しているのである。
  今回は7月下旬16日~31日までの、私的な部分を外したもののタイトルだけを掲載した。本文は、ブログを開いてくださいと。
  コメントをつけた-参院選に続く都知事選をどのように見ていたか、「雑感」に書き込みがあった。論理だって行けば「鳥越支持」になるが、地元の選挙ではないので、「直感」をそのまま書いた。推敲の端緒は“なんかおかしい”とか“これ、おもしろそう”という直感に導かれることが少なくない。結果として、直感通りになる場合と、真逆になることもないとは言えない。そこが「推敲」の領域といえる。
 参院選で改憲勢力が3分の2を占めたことで、「すわ!国民投票か」と思われた人も多いかと思うが、私は現政権の下での「国民投票」になったら勝ち目がないと考え、次の衆院選挙で勝負できるとみている。つまり最長で2年で4か月余の期間に、国民投票に持ち込ませない方策と、衆院選で3分の1以上の議席確保をめざす運動が「立憲平和・安保法凍結」の成否のカギだと思う。
 間もなく民進党の代表選挙が行われるが、サポーターの私にも選挙権がある(といっても再登録はまだしていないが)けれども、候補者の抱負を聞く機会を持ったことがない。かといって、民進党のホームページを開くこともない。結局、ブログに書き連ねていくことで、自分の考え、方向を定めていくという「思考空間」の一つであって、そのブログの役割は大きいと感じている。

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