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2015年10月 6日 (火)

反安保法制の議論の序

 参院選・衆院選そして政権交代・・・
 安保関連法制が(一応)成立した後、台風・洪水、火山などの自然災害、ラグビーのW杯での日本チームの健闘・プロ野球の終盤・フィギュアスケートなどスポーツ界の話題、某女優の「胆管癌」での早世、加えて今年のノーベル医学生理学賞での大村智(さとし)北里大特別栄誉教授の受賞の話題まで飛び込んできて、安保法制もTPPも辺野古も原発再稼働も、影が薄くなりつつあるのかな(例によってマスコミ報道の報道姿勢に問題)という気がしないでもない。
 ‘人の心は移りやすいもの’とか‘人のうわさも75日’とかいうけれども、この夏の反安保法制の熱気は、秋気、冬の冷気に幾らかは冷えることはあっても、消え去ることはない。むしろ、この秋の‘種まき’や‘仕込み’が、来春に再び芽を出し、力強く成長することもありうる、いやそうすべき時期が今であろうと思う。
 その‘種まき’や‘仕込み’とは何か。その第1は、やはり日本共産党・志位委員長の「安保法廃止の一点で合意する国民連合政府」の提案であったろう。我が意を得たり、と思った人もいれば、ちょっと先走り、と警戒心を抱いた人もいたことだろう。志位委員長も「2016年参院選、次期衆院選そして国民連合政府構想」といっているから、名称はともかく「国民連合政府」が俎上にあがるまでには、それ相応の時間がかかるし、一致すべき政策課題の違いを克服することは容易でないことは自明だ。
 「2016年参院選」における野党共闘は、この夏の反安保法制の運動の成果を見える形にするものだ。それは「アベ政治」にブレーキをかけ、憲法改正の発議を出させないことに尽きる。同時に与野党の政党とその支持母体が「集団的自衛権と憲法問題」を本質的にどう考えているのか、また、世論(国民の意向)をどのように受け止め、政策に反映させているかを見極める機会ともなろう。
 いわゆる「落選運動」は、ややネガティブな面があるので、コインでいえば「裏」であろう。従ってコインの「表」には、政策に通じ、行動力があって、ぶれない‘本物’の候補を当選させる運動が欠かせない。人物評価を後にして「議席」だけカウントすることはその後の展開に支障をきたす、ことも心得ておきたいものだ。
 さて、第2(幕)として参院選後、総選挙後の、中期的展望としての政権交代を「日本の進路」として改めて考えたい。本格的な論考はこの時点ではとても及ばないが、とっかかりとして言えることは、敗戦後の日本の政治は、日米安保体制を基軸としつつ、平和憲法のもと「議会制民主主議」が統治の「柱」だったとして、いまもその成熟過程にあって、いつしか、主権在民の「民主主義」が完成していくものと、なんとなく想定して来たと言えまいか。 
 しかし、それを望む、望まないにかかわらず、アベ政治は、この骨格を壊してしまった。つまり、時の政権の「閣議決定」で、憲法を凌駕してしまうという、戦後政治の枠組みを壊してしまったのだから、政権交代で元の枠組みに戻す方向を辿るのか、この際、政権交代即ち「復元」ではなく、自民党的体質「天皇制、軍国主義(軍拡と皇民化教育)、経済・財界優先、日米同盟強化」を、根本的に変えていく新たな政治体制の構築をめざす、そうした議論に踏み込むかどうかだ。現実的には、そうした提言が各界、各層から出ているようで、私も散見するのであるが、それらを全国規模(国民的)で議論し、運動化し、体系的に練り上げるかどうかだと思う。しかもそれは、政党は既に政党のビジョンを持っているから、「市民の側」から、もっと言えば国会の外での「提言・争論」に意味があろうと思う。
 これまでが「政党政治」であって、それが破たんしたとは言わないが、ほころびが顕著になってきた、ということであれば、何としても「市民の論理」が欠かせない、欲しい、そう思うである。

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