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2015年6月21日 (日)

ピースサイクル沖縄&慰霊の旅(2)辺野古

 辺野古、Cシュワブ、読谷
 朝食後の7時10分、宿舎を出発し、国道58号線から県道329号線に入って7時40分ころであろうか、米軍キャンプ・シュワブ前に到着した。辺野古新基地建設反対運動の最前線と言える場所だ。既に座り込みの人、ゲート前で抗議のマイク握る人がなど行動を起こしていたが、日曜日ということで、業者の出入りもなく(それでも不意を突かれて業者の車4台が入って行ったという)、今日の行動は‘有志’のよるものらしかった。8時少し前に、全員で抗議のシュプレヒコールをあげて、ひとまず朝の行動を終えた。
 8時になると、基地内から最初にアメリカの国歌が流れ、続いて君が代、最後に軍関連のものと思われる曲が流れた。ここも日米軍事同盟の最前線の一つでもあることを実感したのだった。そして日が昇るにつれ、参加者は増えていき、座り込みのテントの中もにぎやかになってきた。その後10時過ぎに「海保がやってくる」という情報が流れ、私も第2ゲート前まで行ったが、どうやらこちらに来る様子はないとのことで緊張がほぐれた。テントに戻って座り込みに入り、暫くしてテント前で交流集会と言える各参加者からのアピールが始まった。司会は誰だっただろう、具志堅県議だったかな?
 最初にピースサイクルが紹介され、私と神奈川の佐藤さんのアピールに続いて池田さんが、自衛隊・日出生台演習場(大分)と豊前火力反対運動の時のものと聞く歌を披露して拍手を浴びた。
 他に練馬市職労(35歳以下の10人が参加とか)の某書記長、「信州沖縄塾」の伊波さん、那覇からバスで駆け付けたという人、今日は18人だったそうだが、その中には函館から来た人もいたという。また写真集団「日本リアリズム写真集団・新宿支部」というメンバーからもアピールがあった。女子学生もいて、この日は、参加者数は多くはなかったが全国から、さまざまな階層から参加があり、これは沖縄だけの問題ではない、という意識が共有できていることにちょっと感動した。(少しだけ三里塚闘争を思い起こした)
 そうして3時間余り座り込みを続け、ホカ弁で昼食を取った後、海上での抗議行動の拠点となっている辺野古漁港横にあるテント村に行った。そこからは埋め立て予定地の辺野古岬と沖にある長島、平島が遠望できた。来沖した大江健三郎さんは海上視察をしたと聞いたが、ここから乗船したのであろうか。
 それにしても年の瀬も押し迫った2013年12月27日、当時の仲井真知事が、国が申請した名護市辺野古の埋め立て申請を承認してしまったことは、かえすがえすも残念であり、罪深いといわねばならない。彼は「オール沖縄」の外にいるという自覚を持っているのだろうか。
 ここでも、ピースサイクル全国ネットとしてのカンパと一緒に愛知からのカンパを寄せた。
 読谷村役場の9条の碑
 12時30分ころ辺野古を発って、自転車隊と共に58号線道の駅・宜野座を経由して、「憲法9条の碑」が建っているという、読谷村役場に立ち寄った。確かにあった。本土にも「平和都市宣言」を掲げる市町村は少なくないが、庁舎敷地内にある「憲法9条の碑」は見たことがない。ここでも、恩納琢磨名護市議の言葉と同じように、「沖縄の心」を読むことが出来たのだった。
 夕方5時頃、知花昌一さんの民宿「何我舎(ヌーガヤー)」に到着した。庭先でバーベキューが始まる前、ベランダに上がってみると海を隔ててはるか向こうに那覇の白い建物群が遠望された。そして手前には、明日の朝案内される予定の「シムクガマ」があるであろう雑木林が望まれた。
 少しずつ、沖縄の空気に染まっていくような気持ちになりながら、二日の目の夜は更けていった。

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