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2014年8月25日 (月)

青森県、六ヶ所村、日本原燃へ

 六ヶ所村のこと
 この日の朝も食事後に散歩。記念写真、お世話になった牛小舎の方へのお礼もそこそこに、せかされて出発したものの、8時20分ころには六ケ所村役場に到着して、9時から申し入れまでウロウロ。役場のロビーで六ヶ所村のイラストの地図を入手。野辺地からここに至るルートとか、核燃関連の諸施設など何とか位置関係が判ってきた。そういえば地図にあった、「六ヶ所原燃PRセンター」さらに「スパハウスろっかぽっか」というスーパー銭湯へも行ったが、書き忘れた。また村の北部の泊漁港は、「1月から5月にかけてサクラマス、ホッケ、夏場はスルメイカ、ヒタメ、秋は鮭、冬場はヤリイカ、また磯では、ウニ、アワビ、昆布、ノリなどが捕れ、海の幸の宝庫です」とあり、美しい高原や沼と共に、村自慢するのであるが、それならなんで「核燃処理、サイクル」なのだろうと思ってしまう。そのほか様々な施設「ハコモノ」を見るたびに、日本の豊かさをこの下北半島が支え、村の豊かさを「核」が支え、結局、すべての豊かさ、富を奪っているのは何だろうと考えてしまった。

 20回目の要請行動!
 そうこう考えあぐねているうちに、午前9時から六ヶ所村戸田 衛村長宛の申し入れと若干の質疑が始まった。
 このあと10時20分から日本原燃・工藤健二社長宛て、青森市に移動して午後2時30分から三村伸吾知事への申し入れと続くのだが、それらの基軸となるものは、「核燃料サイクル事業」「核廃棄物の処理、貯蔵」に関することとその安全対策、どんな発生原因であれ、重大(過酷)事故の発生時における、それぞれの事故対応の仕方、職員、従業員と住民をどのように避難させるか、ということだと思う。
 それぞれの回答は、一言で言ってしまえば、いわば「国策事業」故にそれに従う、という姿勢が色濃く出ているものと言えよう。また、国の政策について、あるいは福井地裁の判決をどう思うかなどについては、押しなべて「回答を差し控える」「その立場にない」というものであった。恐らくこの19年間、ピースサイクル、地元の運動体の申し入れについて、表現に多少の違いはあっても、同じトーンの繰り返しではなかったろうか。

 住民の避難について
 また30キロ圏内の自治体、さらに原燃事態の住民避難計画は、一言でいえば、机上の空論、形ばかりの訓練、というほかない。例えば輸送手段はバスだけといっていい。いったいどれだけのバスと運転手が集められるのか、主要道は1本だけ(下北縦貫道を建設中とか)、マイカーで渋滞は必定、受け入れ先の一つ青森市にそれだけの収容の能力があるのか。
 風向き、風力によって青森市だってどうなることか。まあ、現実的にはお手上げ、ということははっきりしているから、手の打ちようがなく、国の方針に従って、形ばかりの避難計画と小規模の訓練でお茶を濁す、それが実態だと思う。

 国策に対抗するには
 国策について言えば、同じようなケースで沖縄の基地問題があるが、こちらは日本国憲法も下に置かんばかりの外国(アメリカ)をも相手にしなければならない。それでも沖縄の人々は、普天間基地の辺野古移転・新設をめぐって、日米両政府の強硬策に強く抗い、押し返そうとしている。
 函館市長の勇断で、下北半島から海峡で隔てられてはいるが、大間原発凍結訴訟と新たな展開が出てきた。時間的に余裕があるとは言えないが、野坂さんの「・・・100年から200年この地に住み続けてきた住民に、1万年、10万年単位の核物質と付き合うことの‘現実感’をどう伝えるか」を共有して、全国の目を下北半島に向けさせることで、道が拓けるのではないだろうか。その先駆的な活動をこのピースサイクルは担っている、そしてその先導をなしてきた人たちの努力を、ここにきていくらかは共有できたと思う。

 改めて反核燃!
 青森県知事への申し入れのあと、無所属の古村(こむら)一雄県議の控室を訪ねた。詳しい紹介はなかったが、検索すれば古村議員は青森市選出で2期目、原子力・エネルギー対策特別委員会委員でもあるという。市民派で反核燃に理解があるから迎え入れてくれたのだろう。
 その場で、初日の学習会ができなかったということで、「核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団」山田清彦さんが、改めて「再処理工場の動向と反核燃の取り組み」というお話を、資料を基に報告された。
 渡された資料と、資料集「六ヶ所再処理工場 忍び寄る放射能の恐怖=暴かれた22μ㏜の虚構=」、さらにDVDに収められた「再処理工場の概要」「余裕震度処分委員会・余裕震度処分研究報告書」「原子力安全基盤機構報告」等々を基に学習すれば、私の口を通して愛知で運動を広められるかもしれないが、さて‘できるかな?’である。
 核燃に関する諸資料の大半を庁舎内の郵便局から自宅に郵送して青森駅に向かった。明日の陸前高田市の被災地の見聞のため、今夜は一関で泊まることにしていた。
 ‘さらば下北よ、青森よ、六ヶ所よ、また来る日まで’か・・・。

 

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