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2013年12月12日 (木)

長崎連帯長船労組の解散

 一つの時代の終わりを実感する
 封書が1通届いた。手にしてみれば1枚の文書とわかる軽さ、そして差出名を見て胸騒ぎがした。“大先輩で師と仰いできたNさんにもしや・・・”
  幸いそれは外れたが、趣旨は「全国一般長崎連帯支部三菱長船労組」の「組合解散の挨拶」文だった。
  それによれば、三菱重工長崎造船所に在籍する現役組合員が皆無となったので、解散を決議したとあった。たとえ少数組合であっても、在籍する組合員がいれば、団体交渉はもちろん、会社構内での創意と工夫を凝らした組合活動が展開できる。そしてそれがまた長船労組の持ち味だった。
  長船労組は、1970年9月に第1組合(全造船)と決別して、「第3組合」を結成し、「本工・下請け労働者との連帯」更に「市民運動との連携」を求めて、企業の壁を超えた地域労働運動、さらに全国の自立少数派組合、組織内活動家を鼓舞して、闘う労働組合、体制と向き合う労働運動をけん引した。
 1986年には、自主・自立の組合から「全国一般長崎連帯支部」に加入して、闘いの領域を広げていった。定年を迎えた組合員は、地域で一労働者、一市民として闘いの伝統を継承していると聞く。長船労組は解散しても、「長崎連帯支部」の一員として活動を続けていくことだろう。
 1970年代の「少数派労働運動」と「その後」を語るのは容易ではないが、その流れの中にあったと自覚する私は、この地域にあって1980年代~1990年代半ばにかけて「名古屋労組連」運動として体現した。そして2006年の「全トヨタ労働組合(ATU)」の結成をみて、そこに連綿と続く「少数派労働運動」の系譜を感じ、ATUのサポートに踏み切ったのだった。
 昨今の、規制緩和の名のもとで進められる労働法制の改悪は、連合も全労連も全労協も「ゼネスト」をもって対抗するに値する労働者、労働組合の危機的状況ではないかと思うのだが、現実は、グローバルな市場原理に支配され、労働諸条件は、団体交渉、争議(ストライキ)をもって勝ち取るものではなくなってしまっている。企業間、国際間の競争に勝ち抜くことが至上命題になって、労働者の権利、くらし、健康までもが“二次的”に扱われるようになったと言えないか。
 それを思うとき、少数派労働運動が跋扈した1970年代の潮流が、あたかも暗渠に消えていくがごとくである。まだまだ私の知らざる戦闘的少数組合が、どこかで奮闘しているのであろうけれども、私の中では「長崎連帯長船労組の解散」は、一つの時代の終わりを実感させるのである。

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