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2013年7月31日 (水)

1枚のビラに宿るもの

 ピースサイクル2013余話
 ピースサイクル2013の愛知は終わって、29日は米原まで、30日は大津まで岐阜の仲間が引き継いだが、雨に降られながらも、無事関西にリレーできたであろうか。
 さて、愛知の報告の概略は既にアップしたが、若干付記して起きたことがあった。それは28日朝の、金山駅南での街宣についてである。ここではマイク街宣とチラシ配りを行ったと書いたが、そのチラシの内容の概要をメモしておくと、1面には、21日投開票の参院選の、22日朝刊の新聞各社のトップ記事を背景とした「これが日本の進路ですか?」の大見出し。中断下には、男が背中に山ほどのものを背負って今にも押し潰されそうな大きなイラスト。その荷とは、「国の借金1000兆円」「核物質満載のザック」「TPP」「消費税」そして紐で繋がれたオスプレィ、青息吐息の男は、それでも“平和憲法守れ!”を叫ぶことを忘れない。
 そのイラストには「日本人(ルビは、わたしたち)は、重く、危うき荷を負うて 遠く、険しき坂道を行くが如し」とある。また、福島原発の水素爆発の写真と、“原発事故は終息していません。原因も未解明です。それなのに、再稼働してもいいのですか?”
 さらに、「選挙の結果は『民意』です。しかし、政権に白紙委任したわけではありません。アベノミクスが行き詰まった時、人心も国土も荒廃していた!では済まされません。
 子や孫たちに引き渡す未来のために、『日本の進路』を現代の私たちが、しっかり舵取りしなければなりません。
 言うべきことはいう、やるべきことはやる。私たちはそうありたいと街頭に出て行きます。〈 ピースサイクル 〉」のコメントが書き込まれた。
 もう一面は、ピースサイクル全国事務局発行のリーフレットから引用した「まもろう!平和憲法! なくそう!原発・核兵器」の見出しと背景画の入ったものを中心に、「ピースサイクルへのご招待」そして、「広島、長崎へ、平和の自転車リレー」「7月26日、浜松から愛知県入り、一緒に走ろう」があって、以下のようなピースサイクル紹介文が掲載された。
 「ピースサイクルです。
 私たちは、全国を自転車でリレーしながら、8月6日の広島、9日の長崎の原爆記念日に向けて、平和メッセージを届ける運動を続ける『ピースサイクル』です。1986年から始まり今年は28年目になります。
 私たちの今年の運動スローガンは、“平和のためにできること”として『まもろう!平和憲法』『なくそう!原発・核兵器』です。また、核汚染に苦しんでおられる地域に思いを致し、『東京電力福島原発の事故による被曝・汚染地域の子供たちの命を守ろう!』を強く打ち出し、全国の仲間と取り組んでおります。
 私たちの自転車リレーは、北は北海道から南は九州まで、それぞれの思いをこめてリレーしながら、8月5日広島、8日長崎着をめざします。また、沖縄については6月20日~23日にかけて取り組まれました。さらに核燃サイクル基地青森県六ケ所村へは、8月24日~26日を予定しています。
 この東海地区での、静岡県から愛知県入りは、7月26日の正午頃豊橋に到着しました。その後、陸上自衛隊豊川駐屯地への申し入れをした後、岡崎に向かい、27日は豊田市、みよし市、日進市を経て名古屋へ入りました。そして今日28日は、この金山駅をスタートして、航空自衛隊小牧基地に向かい、そこで岐阜にリレーします。ご支援、ご声援ください。」
 このチラシを受け取った30歳絡みの男性、その人はネクタイにスーツ、黒いビジネスケース鞄をもっていて、普通ならとてもビラを受け取ってもらえないような、その種の業界の人に見えた。しかし、ビラを手渡した後、受け取ってくれたこともあって、ふと後ろを振り返ると、歩く速度をゆるめながら、表、裏を繰り返しながら、ビラを見入っていた。
 ビラのどこの何に、どんな文字がその人の目に留まったのか、ひょっとして“何者か?”とだけの関心だったかもしれない。それでも私にはその一瞬の光景が、100枚手渡した中のたった一枚だけであったとしても、砂漠の中で落とした一滴の涙のごとく、あっという間に消えてしまうものであっても、胸のうちに残るのであった。

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