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2013年3月23日 (土)

OBの活動家の居場所

自動車産別交流の日に思う
 今日から明日にかけて1970年代から続いている「自動車産別交流」が豊田市で開かれる。一昨年まではほとんど欠かさず参加してきたが、昨年、そして今年も参加を見合わせた。
 この集りの意義とは別に、自動車産業の現場から離れて15年にもなる私に、はもはや報告すべきものも、受け入れて反映させる場所もないのが現実なのである。
 では、全トヨタ労働組合(ATU)をサポートする市民の会の活動、アジア太平洋労働者連帯会議(APWSL)愛知の活動も、その一角にあるのではないか、という気もして、それをもって臨んだこともあったが、“現場に立っていない実践なき労働運動”が、私の中に許容されていないので、どうしても尻込みしてしまうのである。
 先に「塩路一郎について」の原稿依頼を受けて苦しんだのも、ここにその原因があったのである。
 では定年になって「OB、OG」になったらすべてゼロか?といえば、必ずしもそうではない。その経験なり、自動車現場からは無理だとしても「地域の現場」からアプローチすることは可能である。いや、そうした重層的な取り組みは結構有効ではないか、とも思って、退職後も参加し続けてきたのだが、“浮いた”感じは否めなかった。それが積み重なって“もういいかな”と一人合点してしまうのである。
 自動車に限らず、定年で退職後も活動を続けている人は決して少なくない。それは、活動そのものは継続しているのであり、本人の「定年」とは関係ないからだ。たまたま会社の規定で職場を去らなければならないだけだから、意志さえあれば、地域であるいはOBとして活動の場はあるといえばあるのである。
 ただここで、家族の希望も含めた本人の意思が第1であるが、もう一つは、“受け皿”があるかどうかも、継続の可否の要素であろうと思う。このことは、私の少ない経験からして、既存の労働団体などに関わる機会を持つ以外には、自ら切り開いていかねばならない。地域ユニオンを結成する、あるいはそこに参加していくというのも一つである。
 逆に定年を機に退いて行く人もいないわけではない。仮に、現役だから続けられた、退くに退けなかった、という心理的なものがあったとすると、「定年」はその縛りをほどいてしまうことになり、抑えていたある種の解放感から、あるいは永年囲っていた趣味の世界への傾斜が高じてしまうこともあろう。
 これらは個人個人の問題ではあるが、だからといってすべて「個人の問題、個人の選択」に帰してしまっていいとも思えない。市民運動センター、労働者センター、NPO、NGOなどの活動の機会、領域を用意することも、世の変革の戦力を蓄えるとしたら、重要なことだと思うのだが・・・。

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