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2012年8月19日 (日)

男の気持ち、生き方(52)

 飛騨へ家族小旅行、そして想うこと
 “盆と正月は家族旅行”で、主導は息子一家。何かと口を出したくなる私ではあるが、近年はつき従うだけで、その分、“楽しんでやろう”という気分は半減してしまうのはやむを得ないところ。
 今回の、高山、飛騨大鍾乳洞、新穂高、下呂、板取川洞戸のやなのコースのうち、洞戸のやな以外は、2度目、3度目でもあり、温泉だけが楽しみかなと思っていた。
 結果的にはそんな旅行ではあったが、ケーブルカーから見た穂高の山、山裾の緑、300Km以上走った車の中から、飛騨川沿いの緑深い山々、飛騨川、板取川の渓流、そんな自然の風景を見ながら、日本は森林と水の国、世界でも緑と川が稀なほど多い国土といわれるが、なるほどと思いながら、また一方で、集中豪雨で洪水と山崩れ、がけ崩れの記憶も新しければ、こんな所にも人は住んでいるんだなあ、という思いにかられた。
 高山の町を歩いているとき、高山郵便局の前を通った。ここには高校の同級生が勤務していたな。また洞戸に向かう途中、道路標識の、前方が「上之保」とあり、今は関市となったが、それまでは武儀郡上之保村であり、やはり高校の同級生の出身地だと思い出して、こんな所から名古屋に出てきて働きながら夜間高校に通っていたのだなあと、半世紀も前のことを思い出していた。
 そんなとりとめのないことを思うたびに、もう一度車を買って、あちこち出掛けてみたい誘惑にかられる。少々交通が不便なところでも、カーナビがなくても、住所録と地図をもって出れば、きっと訪ねることができる、そう思うと幾らかわくわく感が出てくるのであるが、すぐに現実に連れ戻される。車は2度と持たない、もっと他にしたいこと、やるべきことがある、預貯金にそれほどの余裕はない、体力的にどうか・・・。
 「巡礼の旅」といい、どうかすると“後ろから引っ張られることが多い”昨今だ。あまりいい傾向とはいえないと自戒しないわけではないが、気がつくと、前のめりの姿勢より、そんな振り返る姿勢、思いが多いのである。
 それは加齢ということもあるであろうが、新しいことへの挑戦が少なくなっていることの反映であろうと思う。そのチャレンジには体力、知力と持続力いうエネルギーが必要だ。好奇心がもっと必要だ。それらの源泉が枯渇し始めているのであろうか。いや、汲み上げれば汲み上げるほど湧水は盛んになる。汲み上げることこそが縮小しているのだ。
 早寝早起き、よく眠って生活のリズムをつくることが肝要かも知れないが、今日も就寝2時、明朝は8時の目覚め、9時起床となりそうだ。

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