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2012年7月29日 (日)

ピースサイクル2012(2-2)

中電から関電東海支社へ
 
(27日の続編)
 日進市役所を出て天白川の堤防道路に出たところで、豊田のKさんがそこから帰宅するために離脱。2人だけではさびしいので、見送りを兼ねて付き合ってくれたのである。
 さて、変速装置の壊れた自転車と、シティサイクルのTさんの二人旅が始まった。すれ違う相手もいない堤防道路を並んで走ることもあった。日差しは強いが、コンクリートの照り返しもあまりなく、川風も少しはあって、快適なサイクリングである。街宣車は、別ルートで市街地を走っていることだろう。
 日進市から名古屋市天白区に入ると、暫く桜並木の下を走る。木陰を走るのでこの時ばかりは、一段と速度を落として楽しみながら走った。
 やがて河川敷に入ると、舗装道路から離れるので走りづらくなってきた。川辺に近いから暑さも和らぐかと思えば実際は逆で、木陰が全くないうえに、“わだち”かと思わせるような細い道筋に神経を使うから、結構つらい。従って休憩地点は、橋の下ということになる。あれはどの橋の下であったろうか、対岸の川べりで、7~8人の若者がバーベキューでもしていたのであろうか、楽しそうに騒いでいた。水の流れに手が届きそうなところだから、涼しいとはいえないまでも、汗だくから逃れられるであろう。まあ、それより“青春を楽しむ”そのことが全てであろう。
 天白区の平子橋に至って、堤防道路を離れいよいよ市街地走行となる。新瑞橋で街宣車と合流し、小休止と打ち合わせをし、そこから空港線堀田付近に出てほぼ一直線で鶴舞交差点に出る。この間は、アップダウンはないし、歩道に自転車道が敷設されているうえ、この暑さで人通りも少ないので、わりとスイスイと走れる。また信号待ちが適度の休息を与えてくれる。
 鶴舞から中電本店までは人通り、自転車乗りがぐんと増え、そちらに神経を使うが、なんといっても二人だけだから、後ろを振り返ることもない。
 午後4時20分。正確に中電本店前に到着し、担当者への連絡を守衛に依頼、やがて、街宣車の二人を加えた4人で申し入れの場に臨んだ。
中部電力本店
  中部電力本店の広報課の担当者2名が応対に出て、試走時の打ち合わせ通り、部屋に通された後、私の方から水野社長あての申し入れの文書を読み上げて手渡した。
  文書の概要は、東電福島原発の震人災から1年4か月余りが経ち、事故の処理は、「収束宣言」が出されたにもかかわらず、未だ核物質の放出、漏れが続き、「終息」への道は遥かに遠く、予想を超える険しいものであることが、明らかになって来たこと。
 そこで、当時の菅総理による浜岡原発全機停止要請に対して、貴社は英断をもって全基停止に応じたことを評価、そうであるならばいっそうの事、貴社は電気事業者として、この日本のみならず、世界の先駆けとなる、原子力発電からの撤退を決断し、その証となる「浜岡原子力発電所」の閉鎖の声明を出されてはいかが、という前置きで、
1、電気事業者として、原子力に依存する現行体制から、当面は、火力発電を併用しつつ、新技術の開発、再生可能エネルギーへの転換を進め、電力の安定供給にご努力ください。
 そうした中長期的電力供給を見据えたうえで、浜岡原子力発電所の閉鎖を明らかにして下さい。
2、冷温停止中にある核燃料、使用済み核燃料の安全管理を徹底し、いかなる状況の下でも、放射性物質の放出、流失、浸潤などがない処置を確実なものにして下さい。
 また、放射性の濃淡に関係なく、全ての核廃棄物は、厳重管理のもと、貴社の敷地内に保管してください。
3、去る6月27日の、貴社第88期定時株主総会で、一部の株主から出された第4号から第10号までの議案を再検討してください。
  特に、上記1、2、に加えて、原子力発電の存廃に関して、地元住民の参加のもとでの検討を。また、積極的な地震、津波対策等、そして情報公開。更には、「原発に依存しない」世論を背景として、企業理念についてもご検討ください。
  といった内容を申し入れた。この後質疑を行ったが、参加者からは、去る7月15日、名古屋での1000人集会、翌16日の、東京で17万人集会が開かれ、「脱原発」の世論が今なお持続し、いっそう高まっていること、しかも、参加した人たちの多くは、若者であり、子どもを抱えた若いお母さんたちと報じられ、このことは、「脱原発」を望む声、行動が一過性のものでないとも言え、「ノーモアフクシマ」は、この日本列島から原子力発電所がなくなるまで続くものと思われる。その世論を背景とした、中電の原発からの撤退を求める発言が続いた。
  関西電力東海支社前
  午後5時10分、中電への申し入れを終え、この日の予定は全て終わった。
  自転車で一緒に走ったTさんと話し合い、毎週金曜日に取り組まれている「関電前行動」に参加することにした。二人とも初めての参加であった。5時半頃の現地に着いたが、それでも既に100人ほどが集まっていた。
  私の自転車の前には、「ピースサイクル2012」の看板が取り付けられていたが、それには、「非戦・平和 脱原発!」「広島、長崎に平和メッセージを届けよう!」に加えて、「原発再稼働反対!」「オスプレイ来るな!」も書き込んであったせいか、大きなカメラを持った人が写真を撮っていった。多分プロのカメラマンであろう。
  さて、6時になってスタッフの一人が、シュプレヒコール(という言葉を使って)を始めた。「再稼働反対」「原発いらない」「命を守れ、子どもを守れ」といったフレーズの繰り返し。いわゆる演説というかアピールの発言はなかった。それを見ているとつい、1970年代の「安保粉砕、闘争勝利」のフレーズを思い出してしまったが、その場の光景は、70年当時の、ジーパンにヘルメットという姿や、様々な旗、のぼり、大きな横断幕といったものはなく、風呂敷を少し大きくした程度の幕と手作りのA4からA3ほどのプラカードといっていいのか、とにかく、自分の気持ち、訴えたいことをストレートに掲げて手に持つ女性の姿が印象的だった。
  陽が落ち始め、自転車の状態も考え、6時30分過ぎにその場を後にした。
  そうそう、シュプレヒコールが始まる前、60がらみと思われるスキンヘッドのオジサンが大型のハンドマイクで、「原発を再稼働せよ」「原発なしでやっていけるか」といったようなことを訴えていた。格好は、地味なTシャツで、「右翼」とは思えなかったが、アピールは流暢であったことから、それなりの組織人であろうと推測された。最近、あちこちに出没する「ザイ・・・・」というメンバーかもしれない、とはTさんの見立てであった。
  帰路は約1時間30分、自宅前の坂道はさすがに上りきれなくて、自転車を降りた。明日は、とてもこの自転車では走れないので、実走はあきらめることにした。

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