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2011年6月 2日 (木)

水曜フォーラム・6月例会(2)

 報告者、参加者の提起・意見
 報告者の結論は「第三の社会(?)はない。いずれも現状の経済、政治、希望(理念)、生活などは、現実から出発していくよりほかに道はない。」とした。
 もう一人からは、「巷間、物事がいき詰ったとき、“第三の道は”といって使われる。・・・大概は、既成の修正か亜流に落ち着く場合が多い。」「第三の社会(道)を求めるには、現状に対しての不平や不満が前提である。一体現状にどんな不平不満があるか、まずそこを解明する必要がある」とした。また「第三の道(社会)を求めるのはオポチュニスト」とも言いきっていた。ただ「オポチュニスト=ご都合主義者、日和見主義者」としてお使いなら、この議論はかみ合いそうにもないと思った。ちなみに、このお二人は70代半ばのお人である。
 もう一人80代後半の労組役員だった人は、「かつては二者択一だった。資本か労働か、保守か革新か、というように。そうした価値概念は間違っていた、だから第三の考え方はある、必要だと思う」と述べた。もう少し至近な例で話が聞きたかったが、「労使は歩み寄らねばならない」「中道路線もある」ということかな、と私は勝手に受け止めた。
 この論点のそもそもは、かつて東西冷戦時代の「社会主義か資本主義か」の対立と論争があって、ソビエト連邦の解体、ベルリンの壁の崩壊などで、社会主義の優位性が薄らいだ、そして民主化、市場経済、自由貿易といった形で資本主義が世界を席巻していくかに見えたが、資本主義社会もまた格差、過当競争、人間疎外、環境破壊などのほころびを見せるようになった。
 そうした中で日本は、米国追従の資本主義体制できたが、一方で、皆健康保険、皆年金など、社会保障の充実、富の格差は大きくないなどとして「社会主義を取り入れた資本主義」といわれることもある。それを「修正資本主義」または「修正社会主義」というかどうかは別にしても、「新自由主義」に対抗する「主義」は、「社会主義(共産主義)」ではないとすれば、他にはもうあり得ないというのだろうか。
 もう少し考えてみると、「第三の道」は、必ずしも空想的なユートピアを求めるものではなく、グローバルに広がる人口問題・食糧問題、貧困と格差の問題、民族と宗教の対立の問題、エネルギー問題、環境問題などなど、現実の課題から出発しているのであるから、よりよい社会を必然的に求めていくものともいえる。だからその道は、ひょっとしたら人類がこれまで選択してこなかった道であるかもしれないのだ。
 ない!といってしまえばそれまでだが、「東電・福島原発の震人災」が現実のものとなって、人類は核と共存できないことが徐々にわかり始めた現在、暫くは“怖々(こわごわ)”でも、核(核兵器、原発)と共存しつつ、化石燃料(火力)、核(原発)、自然破壊(水力)に依存しない、太陽光発電、風力発電、地熱発電など再生可能エネルギーの時代へ進むかもしれない。それは「第三の道」といえないだろうか。それを政策化すれば「第三の社会」の一つの形であろう。
 また日本国憲法を検証することで「国の形」を構想してみようとして私は、「新たな条項の検討課題」として、とりあえず二つを挙げた。
A、すべての核の放棄
 全ての核の放棄の世界的牽引国となる/非核3原則の法制化と厳守/原子力発電の廃止と、核廃棄物の永久管理の義務
B、地球環境の保全義務
 人類生存への地球環境保全の、国としての義務化と地球的な貢献を果たす。また、再生可能エネルギー開発を最優先課題にして、世界に提供する。
 これらも「第3の道(社会)」ではなかろうか。 
(続く)

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コメント

地球環境にやさしい暮らし、街づくりに摂っても関心を持っています

投稿: れんちゃん | 2011年6月 2日 (木) 10時15分

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