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2011年5月18日 (水)

雑談の櫂第22号

  発行まであと一息だが・・・
 前号の第21号が2月15日発行であるから、3か月間出していないことになる。これまでにない空白期間である。遅くとも連休後の10日には、が15日になり、それも崩れて20日が待ったなしとなってきた。「定期発行」ではないことが易々と先送りしてしまうのである。そして「東日本大震災と福島原発震人災」が、意識外のところで重くのしかかっているのだと思う。
 そうはいっても、やるべきことはやらねばと、今日は3ページ分を仕上げた。そのうちの一部を書きとめておくと、「この地に生きるということ」というタイトルで、 
   “緑区・鳴海”の愛着度
  東日本大震災と東電・福島第1原発の震人災で、多くの人たちが住みなれた土地から避難生活を強いられました。
  地震と津波で家や田畑を失くした人たちは、時間はかかるでしょうけれども“いつかは帰れる”という希望を見出すことができますが、福島原発事故で避難している人たちにも同じような希望の光は輝いているのでしょうか。
  むごい話ですが、チェルノブイリ原発事故の二十五年を見続けている、私の知る原発に詳しい人に話を聞けば、悲しそうに頭をゆっくり横に振るばかりでした。
  震災ばかりでなく、日本ばかりでなく、戦争、争乱、紛争地域で「難民」となって土地を追われた人々の歴史、事例は数知れません。こればかりは“その身になってみなければわからぬ”と思いつつ、現地取材の報告会、写真展などに足を運んできましたが、こんどばかりは我が身のように実感しました。やり場の気持ちが高ぶると、苦し紛れに“これも歳のせいかな”と思ったりしますがそれは違うと思います。自分でも意味不明なのですが「自分の歩んできた人生(みち)の延長にあればこそ」という気がするのです。
  ところで私自身、住み続けたこの土地・郷土「緑区・鳴海」をどれほど“愛着”を感じて来たであろうかと自らに問うてみるのですが、この十年余りを除けば「希薄」といわざるを得ません。
  一九九七年七月に三菱自動車を退職し、そのまま「愛知万博」の開催に反対する運動に加わって、その署名集めで地域を回り、多くの「受任者」という人と出会いました。これが「緑区・鳴海」に目を向けるきっかけとなった気がします。
  その時から発行し始めたミニコミ誌「緑ネット」は、ある時期から「郷土史」的な要素を取り込み始め、緑区の歴史、風景などを書き連ねるようになりました。「緑ネット」終刊後は、この「雑談の櫂(二〇〇七年十月創刊)」に引き継いできたのです。
  二〇〇六年に「自分史―扇川をわたって曲の手へ」をまとめた時、私もようやく「郷土の人」になれたかなと自覚したものです。二〇一〇年秋の「桶狭間の合戦の古戦場めぐり」のガイドを買って出たのも、その延長にあることは言うまでもありません・・・。
  土地への愛着は、農家の人とは比べようもなく、私は福島原発のような事故に遭遇したら、きっと転居してしまうのではないかと思っていますが、それは今だから言えることで、加齢とともに小さくなっていくに違いありません。
  土地への愛着についての考察は、復興計画で加味しなければならない大切なこだと思う。

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