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2010年11月 7日 (日)

ピースサイクル全国会議(2)

  25年間の総括的な視点  
 6日の会議の場所は、水道橋から歩いて5分くらいのところにある、反原発運動の拠点「たんぽぽ舎」であった。よく知られたところであるが初めて足を踏み入れた。
  国各地域からの報告が一通り終えてから、まず25年の総括から入った。
  ・・・過去25年を振り返るとき、高揚期の10年、沈滞期の10年、新たな方向をめざし始めた5年、ということができ、このような3区分を通じてピースサイクル運動の経過、成果と課題を見つめながら、総括的な視点を整理しておきたいとして、以下の視点が示された。                           
①原水協や原水禁など大組織に依存した反核・平和運動から、労働者や市民一人ひとりが主体となって進めた草の根の反核・平和運動だったと思います。これまでの運動と違った運動スタイルを提起し、ピースサイクル運動の存在感を示してきたと思います。
②全国的な課題を共有し、その実践を国会ピースサイクル等で示してきましたが、ピースサイクル運動の基本は、各地域ネットの主体性と地域の課題に関わり、草の根のネットワークをつくりだすことでした。この課題の挑戦が弱くなっていると思われます。
③自治体に対して、平和行政推進のために市民参加を求め、平和行政を推進させてきました。また、原発・基地への申し入れ行動等も継続し、反原発、反基地運動等との連携も進めてくることができました。
④ピースサイクル運動がめざしてきた平和・環境・人権への取り組みの中で、環境や人権問題への継続した取り組みが不十分だったと思います。今夏の猛暑に見られる気候変動・地球温暖化問題への関わり、多くの人権問題への関わりなど、平和運動と連携した視点を継続していきたいと思います。
⑤大阪~広島~長崎~全国へいっきに拡大しましたが、長年にわたって維持・継続できず、全国運動の後退を招いてきています。この原因は、労働現場の激変と若い世代へのリレーが不十分なため、参加者が減少してきたことだと思います。どうすれば世代を超えた参加者の拡大ができるかが問われています。
⑥アジアピースサイクルの実践は、ピースサイクル運動の宝となっています。かつて日本軍が侵略し、2千万人にも及ぶ犠牲者を出したアジア地域への「慰霊と謝罪の旅」でもありました。訪問した各地で、戦争責任と戦後補償問題が突きつけられました。国会ピースサイクルでの外務省交渉や戦後補償問題に関わる市民団体との連携も追求されてきました。ピースサイクルの仲間も関わった広島での中国人強制連行に対する西松建設への謝罪と補償の取り組み等では、大きな成果をあげています。

 25年の運動の成果は、必ずしも目に見えたものではないが、「非戦・平和、核の廃絶」という人間の生存、社会の存続に関わる課題の端緒についてこられたことは、成果の大小に関わりはないであろうと思う。
 仕事など日々の暮らし、家族、個の生きがい。私の毎日は、それらの繰り返しで過ぎていくことが多いが、何か一つ社会とつながりを持ち、続けていくことの一つとしてピースサイクルの運動は、もうしばらく私に中に宿っていくことだろう。議論はさらに続いた。 
(追い書き。続く)

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