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2010年10月 9日 (土)

水曜フォーラム10月例会・4

 参加者の意見から
 
昨夜はテレビもインターネットもつながず、なぜか本を読みながら寝てしまった。ということで、今朝の新聞でノーベル平和賞に、獄中にある中国の民主活動家で作家の劉暁波氏に決まったと知った。かねてより、この事態を重視していた中国政府は、放送を遮断するなど“情報統制”を露骨に行ったと報じられた。中国論の最中の出来事としてメモしておきたい。
 まずNさんの論点の立て方は、「アジアにおける日本、中国、朝鮮をめぐって」というタイトルをつけた。これは一つの見方として、歴史的な「儒教モデル=朱子学」をベースとした中国、朝鮮と、明治の近代化では、「儒教モデル」を拒否した日本の違いを示したものであった。
 Nさんの下敷きは、宮嶋博史氏の論文「日本史認識のパラダイム転換のために-韓国併合100年にあたって-」(『思想』2010、第1号、岩波)からのようであるが、その中の「現在の日本が大きな歴史的転換点立っている・・・転換の内容は、日本がふたたび東アジアの周辺的な地位に戻りつつあることである」という指摘に私は、ある“合点”を感じたのであった。特に「周辺的な地位」について。これについてはまだ形をなしていないが、「世界の中の日本の、あるべき未来の姿、道」というテーマに符合するものを感じたのであった。
 それはともかく、明治期の指導者の「脱亜入欧」政策、特に福沢諭吉の執筆とされる(異論もあるが)「脱亜論」は、端的いえば、中国、朝鮮の理解、分析がなされていないものだ。つまり、日本が、幕末から明治にかけて、列強の侵略から守るために、欧米に比べはるかに遅れていた国家体制を、欧米に学び、欧米の諸制度を参考にした「戸籍法、廃藩置県、田畑勝手作許可、宗門人別帳廃止、土地永代売買解禁、職業・移住の自由」などを取り入れ、高めていったという過程がある。その時代、明治政府の高官は、中国も朝鮮も同じように近代化以前の、日本と同じような社会(制度)だと認識していた、または無知であったというのである。
 実際は、中国も朝鮮も端的にいえば既に「集権的官僚制国家体制」が存立していたのである。それゆえ、「西洋化=近代化」を受け入れなかった、必要なかったということになる、と。これは、前出のTさんのいう「黄河文明発祥地」という中国が自負するところと符合する。ということでいえば、「西洋化=近代化」のコースをたどった日本と異なり、中国、朝鮮は「自己文明の再生」という、中国で現在も続いている方向に連なる・・・。
 Nさんの話は、ここまでの分析であるから、現代中国、現代韓国・朝鮮から未来を予測するという、国家体制、グローバルな視点については踏み込んでいないが、逆に「アメリカ従属」「アメリカかぶれ」に過ぎる現在の日本を照射し、主体的な日本の進路、アジアの中の日本、の考察を促しているかに見える。
 次に紹介するHさんの話は、「主体的な」が核武装までいってしまう論理を展開、これは日本の保守派を代表する意見に似ているなと思った。 
(続く)

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