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2010年5月31日 (月)

28日の“政変”その日

 国会議事堂の一室にいた
 3日間の東京滞在を終えて昨夜帰宅した。
 28日は6時50分発の「のぞみ」に飛び乗って、9時20分には防衛省前にいた。首都圏以外では、長崎、大分、広島、大阪、新潟、長野を含めた30人余りであったろうか。申し入れ書を読み上げ、手渡してから都庁に移動、第二庁舎10階で日の丸・君が代処分の抗議。午後は東京電力本社に出向き、「柏崎刈羽原発」「プルサーマル」に関連する原発問題について説明を求め、脱原発・自然エネルギーに転換するよう求めた。
 この日、鳩山首相の「普天間基地辺野古移転」と、福島大臣の閣議決定の署名拒否、そして罷免という“政変”があったのであるが、その“政変”の幕が上がる前私は、前述のようなピースサイクルの「国会ピースサイクル」一行の中にいた。そして今日の最終行動のため、東京電力から国会に向かった。
 夕方4時半ころピースサイクル一行は、岡山の仲間も加わり約40人に増え、衆議院議員面会所へ行って、一連の申し入れをすることになって待機していた。だが鳩山首相が「普天間基地移設問題」で記者会見が開かれるという情報も入っていて、どうなるかわからないまま時間が過ぎた。また首相あての申し入れと署名・メッセージの手渡しは、昨年までの対応が総理府であったのに対し、今年は政権交代で民主党自身が対応することになっていた。しかし、あわただしい状況となっていたとみえ、時間設定ができないまま待機。ようやく5時少し前、国会内の民主党議員控室で岡崎トミ子、山根隆治両参院議員が対応するという形で始まった。
 お二人とも秘書と頻繁に連絡を取りながらの対応で、何となく緊迫感が漂っていた。後でわかったことであるが、普天間基地の辺野古移転で、鳩山首相と社民党・福島党首との間の一連の会談があって、記者会見は遅れに遅れて9時ころとなったのである。
一連の行動を終えたピースサイクル一行は、国会周辺では緊急の集会が組まれていたので、それぞれの自主参加を決めた。
集会の一つは、午後6時30分から、辺野古への基地建設を許さない実行委員会主催で、「鳩山首相による沖縄差別=普天間基地の辺野古移設を許すな!!」が、国会記者会館前で開かれるとのことだった。
 もう一つは午後6時から、フォーラム平和・人権・環境と、沖縄・一坪反戦地主会・関東ブロックの共催で企画された「許すな!普天間問題の日米合意 とめるぞ!辺野古新基地建設5・28緊急集会」で、全電通労働会館・ホールで開催されるとのことであった。
 申し入れと署名用紙・メッセージを手渡したピースサイクル一行は、それぞれの会場に向かう者などに分散したが、私は、APWSL関東の運営委員会に参加するため、地下鉄・永田町駅から九段下・千代田区役所に向かったのだった。 

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コメント

国民を欺く行為を平気でやってのける。前政権と同じ轍を踏んでしまった。いや、踏むべくして踏んだのであろう。全く馬鹿馬鹿しいかぎりだ。

 そして、福島瑞穂という人間の値打ちが試されるときがきた。「志を貫く」この当たり前の行為ができるかできないかで人間の値打ちが決まる。社民は連立政権から離脱。社民の前途が明るくなるのではないかと期待する。

投稿: Nomura | 2010年6月 1日 (火) 12時41分

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