« 水曜フォーラム4月例会・1 | トップページ | 水曜フォーラム4月例会・3 »

2010年4月 8日 (木)

水曜フォーラム4月例会・2

 広島・長崎への原爆投下は虐殺か・2
 論点は、
1)日本人は、そして私たちは、アメリカの広島・長崎への原爆投下を「虐殺」と考えたことがあるか。虐殺として非難しないのか、できないのか。
2)なぜ原爆は投下されたのか、投下されねばならなかったのか。その真相は?
3)虐殺の定義:(大虐殺)アウシュビッツ、南京、ソンミ村、ルワンダ・・・。(空襲)ドレスデン、東京・・・。(粛清)スターリン、ポルポト、文革・・・。
4)オバマ大統領のもと、新たな核軍縮の方向
5)広島・長崎への原爆投下の事実、実体を風化させない教育を重視。
 といったところであろうか。
 原爆投下を「史上最大の残虐行為だ」という人もいたが、参加者の多くは、「虐殺」という認識については、「あまり深く考えて来なかった」「原水爆禁止運動に参加してきたが、虐殺ととらえ、アメリカを非難するという風には捉えていなかった」が主だったと思う。どうしてそうだったのか、というところに論点の中心があった。
 報告者は、日本が強くいえない理由、背景として、「朝鮮、中国で、随分ひどいことをやってきたことを考えれば、大きなことは言えない」「特に真珠湾攻撃に象徴される、戦争を仕掛けた側であること」を挙げた。そして、広島・長崎への原爆投下は「虐殺」だと思うが、それだけを言うと「日本の核保有論」や「虐殺報復論-ナショナリズム」に組みしかねない、というしばりがあるようだった
 他に、日本人特有の宗教観もしくは、戦後の復興、発展、豊かさとアメリカとの関係の中で解消(忘却)傾向になっていったのではないか、というのもうなずける意見であった。もっとも、アメリカの原爆投下の責任を問わなかったことが、ベトナムをはじめ様々な戦争へアメリカを向かわせたのではないか、という反省がいるのではないか、という意見もあって「歴史的検証と未来への懸け橋」は、被爆国日本にとっては、忘れてはならない、ある意味では、義務かもしれない。
 また、「なぜ原爆は投下されたのか、投下されねばならなかったのか」その真相はどうなのか、というのももう一つの論点の柱であった。これは私も挙げたことであるが、「ソ連の参戦、戦後の主導権争い」「早期終戦-アメリカ兵の犠牲回避」と共に、「マンハッタン計画の完遂-アメリカの内情」という意見が付加された。
 これを日本国内での動向からすれば、ポッツダム宣言を早期に受諾しなかったこと-国体護持にこだわって、戦争を長引かせた結果、というところに落ち着きそうであった。
 しかし、いずれの意見、論議も3時間では片付く問題ではないので、「継続もあるなあ」という意見もあったように、結論的なものは各自持ち帰りとなった。 
(続く) 

|

« 水曜フォーラム4月例会・1 | トップページ | 水曜フォーラム4月例会・3 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 水曜フォーラム4月例会・2:

« 水曜フォーラム4月例会・1 | トップページ | 水曜フォーラム4月例会・3 »