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2010年4月 9日 (金)

水曜フォーラム4月例会・3

 広島・長崎への原爆投下は虐殺か・3
 私のレジュメは、以下の通りであるが、ほとんど文献を当たらないという書き方なので、報告者のような深みはない。思い浮かべたものに肉付けしていくやり方である。
 さて、この問いかけに直截に答えれば、虐殺以外何物でもない。それ以上の議論があるとすれば・・・。
 議論を求めている理由を推し測れば、「虐殺か否か」というよりむしろ、「原爆の使用は、是か非か」ではないかと、私なりに受け止めた。原爆が「非人道的兵器(虐殺兵器)」であることは、広島、長崎の惨状を見れば明らかである。それはまた、目の当たりにすればアメリカ国民とて同じであろう。
 しかし一方で、「原爆投下容認論」もある。それは端的にいえば、「ソ連の南下に対処-早期終戦」という面もあるが、戦争の継続による、より大きな人的、物質的損失の拡大が阻止できたからというものだ。そこには、「非人道的兵器」である原爆の使用による「虐殺」の是非論はない。論理に次元の違いがあるといえようか。それだから、この議論が存在するともいえるが、何となくそぐわない点も思わないではない。そこで、
●戦争そのものの是非論から入るべき
 戦争の是非?「非」に決まっているじゃないか、という人は多数いるだろう。しかし「正義の戦争」「自衛と生存のための戦争」「平和のための戦争」をいう人もいないわけではない。ただ単純にそのどちらが多数か否かで、戦争をするかしないかが決まるわけでもない(軍事的独裁、クーデターという手段もある)。「いかなる理由、いかなる状況下でも戦争は絶対しない」側と「戦争するにはそれなりの理由がある」と考える側の綱引きである。政権(世論)の争奪戦ともいえる。同時に、まず自国の平和があってこそ、であるが、その「一国平和主義」は脆いことも事実ではないか。「平和の世界制覇」は、民主主義と同じ、その進化の永続性の中にあるのかもしれない。
●戦争を始める動機を考える
1)正義の戦争はあるか
①イラク戦争の動機-危険を予知し、危険を事前に排除することは必要だ。⇒先制攻撃を容認することになる。
②被侵略国支援の戦争-イラクのクエート侵略(第2次湾岸戦争)の例-大国の世界の警察官意識か。国連の位置、役割、力のほどが問われる。「世界連邦」を主張する人たちがいる。
2)自衛と生存のための戦争はあり得るか
 「自衛」の戦争はあり得るが、自衛できない、あるいは大量の犠牲を出す場合もある。「生存」のための戦争は論理的にはあり得ない。自らの生存のために、他者の「生存」を否定する論理は「侵略」以外にない。
①列強間の戦争とは別に、植民地時代の原住民との戦争は「侵略戦争」で、且つ一方的であった。
②内戦-傀儡政権との間での戦争は「代理戦争」であり、大国の侵略意図または、覇権主義による戦争である。
③領土、領海をめぐる戦争-近年、経済水域を含む資源争奪が増加、軍拡を促し、解決を難しくしている。
3)平和のための戦争は言語矛盾
平和のための戦争には「言語矛盾」があるが、「平和を脅かす勢力(ならず者国家-米の表現)の一掃は、平和のためである」という主張もある。あるいは、武力の均衡それ自体が「平和」である、として軍拡が止まらないケースもある。(戦争前夜、緊張関係の持続、一触即発の危険性)
①平和の脅威、それは国、勢力だけではない。戦争で利益を得る、例えば、軍需産業、資源・エネルギー産業、武器商人などがそれであろう。平和のための戦争は、そうした背後にあるものとの闘いと捉えるべきだ。
②戦争準備を考えるより先に、核の廃棄、軍縮、兵器売買の禁止、世界的な食糧の分配、安定供給、環境破壊・劣化との戦い、砂漠・寒冷地の耕作地化など、人口問題・食糧問題の世界規模での取り組み力を注ぐべき。
③江戸期300年の「鎖国」-自立の可能性と「一国平和主義」の危険性。環境問題、人口・食糧問題がある。
●「虐殺」について考える
 まず「虐殺」ついて、戦争に関していう場合は単に「虐殺」ではなく「大量虐殺」と表現、また少し意味の違う「ジェノサイド」がある。そして、人間が人間を殺す上で、「むごたらしい殺し方と殺した数」さらに、「一般市民、非戦闘員」を巻き込んだ攻撃が加わって「虐殺」と定義されるらしいが、それによれば、広島、長崎は、全てが当てはまり、「虐殺」である。
ただ「虐殺」から論を起こして、核兵廃絶、原爆の投下責任論を迫ってみても、大きな意味がないのではないかと思う。戦争の早期終結論と対峙するだけではないか。「核の絶対悪」を主張したい。  
【参考】原爆の映画⇒「黒い雨」「原爆の子」「はだしのゲン」「火垂るの墓」など / 核戦争映画⇒古くは「渚にて」、他に「猿の惑星」「未知への飛行」「ザ・デイ・アフター」など。
 尚、追加議論で私は、「教育」の問題一点に絞り発言した。特に、公教育での歴史教育もさることながら、詳細は省くが「企業内教育」の弊害を指摘した。また、反戦平和、すべての核の廃絶を求める「ピースサイクル運動」の紹介もしたかったが、割愛せざるをえなかった。
補記:4月8日付の毎日新聞の6面・国際欄では、「カチンの森」70年-ロシアとポーランド、という記事を載せていた。実は今回のテーマが俎上に上がったのは、報告者が、ポーランドの将兵約2万2000人を、ソ連の秘密警察が銃殺したという、カチンの森大虐殺を扱った「カチンの森」という映画を見たことがきっかけであった。 完


 

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