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2009年6月28日 (日)

雑談の櫂仕上がる

  苦労もできてしまえば
 限定50部という「雑談の櫂・第12号・梅雨号」が苦労の末仕上がって、印刷も終えた。当初の発行計画が6月1日、繰り延べて6月14であったが、月末になってしまった。
 内容は、ほぼパターンが決まっている。表紙の季節の花は、「紫陽花」を取り上げた。四苦八句・川柳は、「茶蘭ポラン」の<梅雨知らず>と題する8句。巻頭詩は「梅雨籠(つゆごもり)」で、くらしの周辺は<本・絵本・漫画本>を取り上げた。
  作詩のころ、こころは「キッチン」で、四季の記は5本。映画観賞記録は、「新・日本沈没」を取り上げた。
  第7回四季雑談の会「夏席」では、「遺伝子組み換え食品」の話を河田昌東さんにして戴くので、その案内。ピースサイクルの案内も半ページ載せた。
  体調がすぐれないということは、あれこれ考えたくないというのが大半を占めるのであるが、時にはふっとアイデアみたいなものが浮かぶことがあって、それを書きとめることが、後で楽にさせる。
  巻頭詩の1行がどうして埋まらぬまま2日過ぎたが、横になって折り込み広告を見ているうちにひらめいた、ということもあるのである。
 今回も苦労して“しんどい”思いをしたが、これは今回に限ったことではなく毎度のことで、頭も体も絶好調で、スラスラと進んだことなど一度もなかった。そういうものだろうと思う。
 さて、次は・・・・まだまだあるなあ。

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2009年6月27日 (土)

日韓交流名古屋集会

  あの民主労総も批判の俎上に上がる
 笹島日雇労働組合が主催した日韓交流集会は、韓国・イーランド一般労組委員長のキム・ギョンウク(金倞煜)さんを招いて、名駅近くのコミセンで開かれた。
 彼の経歴は、今まで来日した労組関係者とは異質であった。陸軍士官学校を卒業して、陸軍将校として任官、28歳で退役して、フランス系の流通会社であるカルフール社に入社、課長職となり、非正規雇用労働者の首を切る立場になった。
  2003年に、いろいろ思うところがあったのであろう、労働組合に加入して、労組委員長になる。そのころから非正規雇用労働者の組織化に奔走し、イーランドグループが韓国カルフール社を買収したあと、2007年にイーランドグループが、非正規雇用労働者を大量解雇。対する労働組合は、カルフールから名前を変えたホームエバー社の店舗を占拠して籠城。会社側が雇った暴力団、国家権力(警察)の暴圧を受けながら、また多くの逮捕者を出しながら512日間の闘争を闘い抜き、2008年にサムソンテスコがホームエバーを買収後ホームプラスとまたまた名称変更したあと、労使の団体協約が締結され、ストライキ闘争が終結した、その中心的活動をなしたのが、キムさんであった。現在38歳。
  韓国全体の政治的構造や労働運動の系列と現在の実態など、状況把握が難しく、その中で、このイーランド闘争がどんな位置にあるのかよくわからなかった。確かに昨今の民主労総には、非正規雇用労働者と一緒に戦う方針をもたない点など、批判されるべき点はあるにしろ、その民主労総に加入していながら民主労総を批判している一面やイ・ミョンバク現大統領と先に自殺さしたといわれるノムヒョン前大統領を一緒に串刺しにして批判する立場は、もう少し説明がいるだろうし、聞く側に予備知識が必要だった。
  日本的にいえば、韓国労総が日本の連合だとすると、全労連か全労協に加盟していながら(両組織は「派遣切り」に取り組んでいることを断わっておく)、「派遣切り」を闘わないこれらを批判しつつ、自主、自立の闘争を闘いとったユニオン、とでもいえばいいのだろうか。4月の日韓集会と比べ、やや左翼色を強めた闘いの報告かなと思った。
  もっとも民主労総は、2007年8月にニューコア・イーランド労組の闘いに16億ウォン(約1億3千万円)の闘争資金を拠出しているというから、内部に2潮流があるかもしれない。そんな報告もあったような気がする。
  韓国民主労総について私は、韓国民主化闘争以前、非合法組織として弾圧を受けながら、ついに公然化を勝ち取り、韓国労総を圧倒するように組織拡大をしてきたという認識があり、その後の混乱状況も、情報が乏しいのでどれほどのものかは計りかねていた。

  幹部の腐敗やセクハラも漏れ聞き、正規雇用労働者だけの組合に純化して、非正規雇用労働者の組織化に腰が引けている、という話もあったから、内部ではかなりのせめぎ合いがあるのだろう。そんな中でのキムさんの話を聞く機会であった。

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2009年6月26日 (金)

橋下と東国原両知事の言動

  この国の将来を託せるか
 解散総選挙というこの時期に、この二人が露出気味に賑わしている。ワイドショーの出演とは違うレベルなのに、なぜか私には、ダブって見えてしまう。
 マスコミ慣れして、その最大利用価値を駆使しきっている当の本人たちは、まじめに論じているのだろうが、自民党の古賀選対委員長がこれまた本気なのだというものだから、これはテレビを意識した演出ではなかろうか、ちょっと軽薄過ぎないかと思ってしまうのである。
 地方分権、道州制、官僚政治などについては、「改革派知事」として、北川正恭元三重県知事あたりから始まって、浅野史郎(宮城)、橋本大二郎(高知)、片山喜博(鳥取)増田寛也(岩手)、梶原拓(岐阜)の名前が浮かぶが、これらの人物群と並べ比べても、その実力に見劣りを感じてしまう。もっとも改革派知事といわれたこれらの知事には、もう現役はいない。その後も存在感は保持しているようであるが、早々に身を退いてしまって「結集して行動」というところまで踏み込めなかったことが、「結局何だったのか」となってしまった。
 橋下と東国原両知事の言動が、どんな形で結実するかは予測し難いが、いまや「タレント首長」の時代を有権者がつくってしまったから、何の根拠や展望がなくても、何の縛りもない、自由奔放な言動がもてはやされることがないとはいえない。それでもって、この国の将来を託せるものなのか、あるいは散々利用された揚句、老練な政党・政治家にからめとられていく結末となるのか。あまりいい想像をしないのは、私の感覚の古さ、鈍さか、はたまた、それは危険な時代の到来の兆候かもしれないのだが。さてどうなる事やら。

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2009年6月25日 (木)

198円のCD

 クラシック音楽が多いが
 あるスーパーマーケットの特売場で、DVD、CD、カセットテープなどが安売りされていた。この種のものは、ホームセンターでも常設販売されているから、それ用に製作されているのか、倒産などを含め在庫処理として出たものなのか、はたまた日本著作権協会のシールが貼ってはあるが、「海賊版」であろうか。とにかく安い。
 それにしても、定価2000円が、特価315円となり、私が手にしたのは198円であった。「名曲アルバム」のシリーズものの不人気な半端ものかもしれないが、「ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団」(英)とあって、モーツアルト、ビゼー、メンデルゾーン、チャイコフスキー、ドヴォルザークなど12曲が入っている。
 私がこのようなものを買う理由はただ一つ、パソコンの前にいるときのBGMにするためだけであり、かえって聞いたことのない音曲の方がいいのである。それに、どこかに198円なら、キズものでもなんでもあきらめられる、という下心が働いているのは確かだろう。
 海外での「海賊版」が問題視されるが、それで利益を得て、著作権料も税金も免れている業者は許されないだろうが、貧しくて正価ではとても手に入れられない若者たちが、海賊版と分かっていて手を出し、それで楽しみ、仲間同士で回して、擦り切れるまで聞いている情景を思い浮かべると、なんだか、それは許されるような気がしてくる。
 では、私が手にした198円CDはどうなのか。少なくとも違法ではなさそうだから、それより、そんな単価で売られ、どれほどの利益が出て、製作、販売に携わった労働者にいくら支払われただろうか、そっちの方が気になったが、すぐに忘れてしまうことだろう。

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2009年6月24日 (水)

トヨタ自動車の株主総会・2

 どうすればいい、トヨタ自動車の近未来
 フィリピントヨタを支援する愛知の会が、ターミナルと本社前で配布したチラシは、見開きの右側に「どうすればいい、トヨタ自動車の近未来(当会が考察し、予想してみるに)」として、
■企業倫理遵守、指導力の発揮で、トヨタは、(矢印が上向き)
<社会的責任の自覚、豊田章男新社長への期待>
■堅実経営、成長戦略の見直しで、トヨタは、(矢印が平行)
<北米重視見直し、BRICs・アジアシフト>
■エコカーは○だ、他車種は▽で、トヨタは、(矢印が平行)
<HV・EVの開発・採算化、車種の絞り込み>
■労働争議解決・下請企業対策で、トヨタは、(矢印が上向き)
<争議解決・対等の労使関係、下請けに利益還元>
 率直にいえばトヨタ自動車は、不良債権を抱えているとはいえ、財務体質は概ね健全とあり、生産性・技術力・販売力・労働力など総合的な体力で、世界でのリードを維持できるでしょう。
 課題といえば、生産、販売、収益に見合う“企業の顔”であると思われます。それは商品のブランド力と表裏一体をなす企業の「真価・信用・親愛」の度合いで、数値には表れないものです。
 ここ10年来のトヨタの経営陣は、豊田佐吉-喜一郎らの「起業の精神」ともいうべき、「豊田綱領」をベースとする「トヨタの基本理念※」を忘れたごとく、「収益」だけにひた走ってきたように思われます。また、“乾いたタオルを絞る”といわれるコストカットで、“下請けいじめ”は社会に広く知られるところとなりました。生産調整のための「派遣切り」をいち早く打ち出したトヨタ九州の行為は、「儲け頭のトヨタがなぜ?」と、信用を下げる要因となりました。
 今日の株主総会と、豊田章男新社長を迎えたこの時期を、「更なる、トヨタの栄誉ある未来」に向けた一歩になる機会ととらえ、踏み出せるかどうかが問われているのではないでしょうか。
  ※トヨタの基本理念(1992年1月策定。2、以下は省略)
   1、内外の法およびその精神を遵守し、オープンでフェアな企業活動を通じて、国際社会から信 頼される企業市民をめざす

 私たちは、フィリピントヨタ労組(TMPCWA)を支援する運動を通じて、海外に50か所以上の生産拠点を持つ「多国籍企業トヨタ自動車」を、改めて感じました。海外での労働者、労働組合との向き合い方を、国内と使い分ける「二重基準(ダブルスタンダード)」が、国際的に通用しないという現実です。フィリピントヨタ社の争議で、ILO(国際労働機関)、IMF(国際金属労連)が、フィリピントヨタ労組支援に動いていることがその証(あかし)です。
 株主のみなさん、私たちは、トヨタ本社主導のもと、フィリピントヨタ社の争議の早期解決を求めています。そのような経営方針、労働組合対応を求める発言をしてみてはいかがでしょうか。


 このような「労働争議・訴訟関係」を中心にした株主への訴えは、同時に新しい経営陣に対する要求でもあるが、これまでと同様な「現地のことは現地で」と言い逃れるのであろうか。
 トヨタの経営哲学といわれる「現地現物」は、こと労働争議では例外扱いなのであろうか。

 

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2009年6月23日 (火)

トヨタ自動車の株主総会・1

 どうしてこうなったトヨタ自動車
 トヨタ自動車の第105回定時株主総会が、今日の午前10時から、トヨタ本社ビルの隣の豊田ホールで開催された。新聞各社、NHKとAP通信の記者も取材に来ていた。
 株主の参加はどのくらいかは計りかねたが、車で来場の人、近くまで車で送ってもらった人、歩いてやってきた人もいた。またターミナル3か所でのシャトルバスが、8時半過ぎから、次から次へと本社の玄関前に入ってきた。
 フィリピントヨタ労組を支援する愛知の会が、ターミナルと本社前で配布したチラシは、A3サイズの二つ折りで、見開きの左側に「どうしてこうなったトヨタ自動車(当会が分析し、考察してみるに)」として、
■世界同時不況の荒波で、トヨタは、 
                    (矢印が下向き。以下同じ)
■世界成長戦略の誤算で、トヨタは、
■国内市場の冷え込みで、トヨタは、
■労働争議・組合対策で、トヨタは、
 そして次のように解説した。
 グローバルな世界経済では、一企業で状況を変えることはできません。しかし、経済誌などによれば、“リーマンショック”に端を発する今回の世界的不況に対して、あまりに大きいトヨタの経営悪化の経過については、渡辺社長主導の歯止めなき成長路線、北米偏重の“読み違えた経営戦略”のためと、ホンダのそれと並べ較べられることが多いようです。
 まっとうな企業努力、経営戦略をもってすれば、ユーザー・市場の信頼を得て、落ち込み幅も少なかったかもしれません。株主のみなさんはどう思われますか?
 私たちは立場上、別の視点から、トヨタを見てきました。それは「多国籍企業トヨタ自動車」という、もう一つの姿です。北米での工場におけるUAW(全米自動車労組)の組織化を阻止してきたことは以前から知られていますが、2001年、フィリピントヨタで233名の解雇などの争議が発生し今なお続いていること。2006 年1月の、インドトヨタで3人の解雇撤回を要求し労働組合1550人のストライキがあったこと。今年の4月、フランストヨタで操業短縮による休業補償をめぐってストライキが発生し、トヨタ側がほぼ全面的に敗北したことなどの事例に注目しているのです。
 国内においては以下の事例が発生しており、トヨタ側の対応を注視しています。
1)2006年01月、連合トヨタ労組を批判して、全トヨタ労働組合(ATU)結成された。
 ⇒2008年01月、ATUに共感する市民グループが、「ATUサポート市民の会」を結成。
2)2007年11月、堤工場の内野健一さんの「過労死認定訴訟」で認定の判決。後に確定。
3)2008年10月、トヨタ・デンソー相手の「うつ病損賠裁判」で、デンソー社員が勝訴。
4)2009年02月、ジェイテクトで解雇問題が発生し、ATUが団体交渉を要求。
5)トヨタの関連会社・中央発條で「派遣労働者」を不当解雇、愛知製鋼で「偽装請負」が発覚。
 私たちは、「フィリピントヨタ労組を支援する愛知の会」を結成して、支援活動をしています。
 ということであったが、株の配当だけしか関心がない株主ばかりとはいえないだろうから、何らかの反応を期待したものだが、現実はどうであろうか。

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2009年6月22日 (月)

どうするトヨタ自動車

 明日は株主総会があるが
  今日の東京総行動の中で、フィリピントヨタ労組を支援する会(関東)は、トヨタ自動車東京本社周辺で配布したチラシで、以下のような訴えをした。
  去る6月11日、フィリピントヨタ労組(TMPCWA)のエド委員長は、国際労働機関・ILOの基準適用に関する専門家委員会で、IMF(国際金属労連・世界100か国、200組織、2千5百万人の組合員)の代表団の一員としてスピーチを行い、トヨタ自動車がフィリピンで行っている不当な組合つぶしと、違法な解雇を世界中の参加者に明らかにしました・・・。
  エド委員長のスピーチは省略するが、スピーチの最後は、以下のように締めくくられたといわれる。
 「・・・それゆえ、私は、ILOが使節団を派遣して状況を調査し、わが組合TMPCWAを完全承認するとともに2001年以来の違法解雇者の完全補償付きで復職させること、および結社の自由を完全に尊重することを、フィリピン政府に対して強制する決定(単なる勧告にとどまらない)を発することを、本委員会が提案すべきであるという訴えをここに提起するものであります。」
 チラシは以下のように続ける。
  ・・・ILO基準適用に関する委員会はこのフィリピンの労働組合の認証問題と労働組合指導者の政治的暗殺の問題の調査団の派遣を勧告しました。フィリピン使用者側は抵抗しましたが、フィリピン政府は調査団を受け入れることを認めました。
 さらに、トヨタ自動車は世界27か国で生産を行い、世界170か国で販売を行うグローバルな世界企業であり、フィリピントヨタ自動車の社長も日本人が派遣され、経営を行っています。トヨタ自動車はTMPCWAや日本の支援団体の私たちの交渉申入れに対し、「現地のことは現地で」と言い逃れを行い、8年間交渉に応じていません。
 その間に、トヨタ自動車のフィリピンやフランスでの組合つぶしは世界中の人々に知られるようになり、企業イメージの低下につながり、ヨーロッパの社会的責任投資団体からは投資不適格企業との評価を受けています。
 23日に行われるトヨタ自動車株主総会でトヨタ自動車は、豊田章男氏を新社長とした新しい経営陣を選ぶ予定です。新経営陣はTMPCWAや私たちと真摯に交渉を行い、問題の解決を図る責任があるのです。
 と結んでいる。この東京総行動と連動して愛知では、明日の株主総会において、株主に対するアピール行動を予定しているが、初めての取り組みでもあり、どうなることか。

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2009年6月21日 (日)

1週間、棒に振る

 アクシデントはつきものか
 体調を崩して1週間が過ぎ、医者の診立ても経過観察ということだから、生活を通常に戻そうと思った。だが、取り立てて痛いの、痒いのというわけではないが、“えいっ!”と、声を出すぐらいに気合を入れないと、次の行動に移れない。外出先で、階段の上り下り、会場までの10分程度を歩くことは、普段では負担を感じないが、1週間ばかり、家に籠ったりするともう、ここに年齢的“老い”が出るのであろうか。
 とするとこの先、病気、怪我だといって、ラクチン、ラクチンと横になっていたら、それっきり起きられない可能性がある。治療を受けた翌朝から「リハビリ」を始めないと、「明日から、明日から」では、「寝たきり」の魔の手に落ちることになりそうだ。
 頭の中はそうでもなかったが、1週間、棒に振った。そしてツケがすぐに回ってきた。今日の午前中に送らねばならない原稿を、“泣きっ面に蜂”で、フリーズで大半の原稿を失うなどして、四苦八苦して仕上げた。
 午後の会議に1時間遅れで参加して、6時に帰宅したら、汗びっしょりで、知らず知らずのうちの、大きく息をしていた。
 とにかく、当面の作業はクリアーしたから、今夜はゆっくりしたいと思った。ぬる湯で、長めの湯につかろうと思う。明日の朝の、心地よい目覚めを期待しよう。

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2009年6月20日 (土)

奮闘する社民党・坂予定候補

  Xデ-は、8月2日?
坂さま。
 お元気に活動できているようでなによりです。あなたにとって「人生、今が旬」と思って、思いっきりやってみることが悔いを残さないことだと思います。
 立候補を決意したことで、その半分は成し遂げられたかと思いますが、それは外形であって、内実は自ら求め続けねばなりません。
 日々の経験の中で得られるものは多くあるとの感想ですが、それは候補者だけが得られる貴重なものですから、感想という浮遊したものを、なにがしかに結晶化させることが、あなたの仕事です。その仕事を頭の中でしっかり続けられれば、選挙が終わった後、当選の可否にかかわらず、次のステップの為の「宝石」を得たことになると思います。
 日々の(選挙)活動で得られるものそれは、多分(私にもよくわからないので)、人々が何を求めているのか、それに自分はどう応えるかの繰り返し、そのものだろうと思います。
 例えば、「消費税アップに反対」は、人々が求めている表現ではありますが、くらしに対する「増税感」を強く感じている反映で、その「くらし」とは、「家族が健康で、不自由しない程度で暮らせればいい」から、「ちょっと贅沢出来れば、なおよし」「こんな暮らしと社会が続いてくれれば言うことなし」と様々でしょうが、それをリーダー(議員・首長)は、政策としてどう表現するのか、それを見つけることだと思います。
 明日の街宣をどうしようとか、そんなことが先行していることでしょうが、それだけに流されないことを期待するばかりです。

 と、激励ともお節介とも判然としないメールを送ってしまったが、もちろん「激励」である。
 先月24日に、応援の街宣行動に参加したのを最後に、その後は、MLによる活動報告を見るだけであったが、解散総選挙も近いように考えたので、久しぶりにメールを送ったのである。
 「・・・選挙については、私は『7月21日公示、8月2日投票』という予想を立てました。 それに従えば、本選挙まであと1か月、次の定例会議では、
1)これまでの街宣の結果を総括して、むこう1か月間の事前運動の企画(見直し)
2)選挙運動期間、12日間の活動計画の立案。(あれば、見直し)
3)招請したい人(応援弁士)の確保。
4)その他、政見放送の準備はできましたか?早めの準備が後で楽になります。
  ポスターの貼付は、掲示板貼りはないので楽でしょうが、500枚は有効に使いたいね。
  葉書も、早めの回収、重複の排除、応援関係者など、不要な人の抜き取りが大事。かなりありますよ。」
 とまたまた、“口出し”してしまった。ま、採否は選対で決めるでしょうから、気にはしないが。
 

 

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2009年6月19日 (金)

沖縄ピースサイクルへのメッセージ・5

  仲井眞沖縄県知事へ
  今日から「沖縄ピースサイクル」が始まる。日程上一行は、午後2時に県庁訪問を先行させて、知事に対して要請行動を行い、夕方からの「結団式」をもってスタートの予定と聞く。
  愛知からは以下のメッセージを送ったが、やはり、代表一人でも送り込みたかったのが正直なところ。
        愛知ネットからの要請
 私たちはピースサイクル愛知ネットワークです。
つい先日、米軍普天間飛行場代替施設建設事業に関する環境影響評価(アセスメント)の準備書について審査する県環境影響評価審査会(津嘉山正光会長)が開かれるなど、相変わらず沖縄を取り巻く様々な課題に、日夜取り組んでおられる貴職に、心から“ご苦労さま”と申し上げたいと思います。

 この愛知とは、遠く海で隔てられておりますが、それは海とでつながっていることでもあります。沖縄の人たちとの連帯に思いを馳せ、この地域での運動、闘いを灯し続けることの大切さを確認しつつ、私たちからの要請を致したいと思います。
   再編実施のための日米のロードマップ関連
1)最終ロードマップ(行程表)の日米合意から3年になり、米軍普天間飛行場代替施設建設事業に関する環境影響評価も進んでいるようですが、困難ではありましょうが、普天間飛行場代替施設は、国外に求める努力をしてください。
2)この間、防衛施設庁も認めているといわれる事業者が、環境アセスメント法に基づかない事前調査の実施を進めていると現地・辺野古の住民・支援者から聞いております。知事としてこれを止めさせることはできるのではないでしょうか。
3)泡瀬干潟と浅海は琉球諸島の世界自然遺産の中核になりうる貴重な自然と聞き及んでいます。
それによれば、海草の種数(12種)、貝類の種数(340種以上)で日本一の生物多様性のある干潟とのことです。その浅海域には、サンゴの群落があるとも聞き及びます。どうか、今以上の自然破壊を認めないでください。愛知県では「藤前干潟」守り抜きました。
4)沖縄本島北部、名護市東海岸、辺野古、大浦湾一帯は、国際的保護動物である『ジュゴン』が棲むとても美しい海と聞いております。そこに米軍普天間基地の代替基地が建設されようとしているわけで、私たちも心配でなりません。
 以上のような状況はほんの一部でしょうが、日米安全保障の枠組みの中とはいえ、現地沖縄の声あって、はじめて米軍基地撤去への道が拓かれると思います。
 知事主導のもと、上記要請にご努力いただきたく、お願い申しあげます。
  ピースサイクル運動へのご理解とご協力を
  私たちの運動につきましては、この20年間にわたる運動の中でご理解を戴いているものと思います。今年もまた一行27名が、6月19日から伊江島を含む沖縄本島各地を訪問し、私たちの気持ちを伝えます。
 県庁訪問の折りには、親しくご交誼戴けますよう、重ねてお願い申し上げます。
       ピースサイクル愛知ネットワーク

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2009年6月18日 (木)

閑話・3

 桜桃忌
 明日は太宰治の「桜桃忌」。そして今は「ダザイのブーム」とか。
 私は太宰の名前とそれらしき像をわずかに浮かべる程度でよく知らない。小説も「走れメロス」を教科書から、それも多分全文ではないと思うが、読んだ程度である。それになぜか私の中では、堀辰雄、竹久夢二、太宰治、立原道造が一つのラインになっていて、小説、絵、詩というジャンルの違いを超えて、魅力的のように感じながら、私は何かを感じてそれらをやや敬遠してきた。
 浅読みの思い込みだけで、その対極を求めたからであろうか。それとも、同じような位置にいると感じて、かえってそれらから逃れようとしたのであろうか。
 もし後者だとして、ブームの中にいる若者たちも同じ?ということであれば、そこからはあまり“活力”を感じないので、これは「弱毒性の社会病」ではないかと、勝手に考えたりするのだった。

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沖縄ピースサイクルへのメッセージ・4

  愛知から、伊波宜野湾市長へ
  前略、中略。
  宜野湾市におかれましては、米軍駐留が継続する中、市民の安全、危険要因の排除が行政としての優先課題かと思います。
  現地からの報道によりますと「住宅地上空で深夜まで行われる米軍機の飛行訓練や度重なる外来機の飛来」「3月の普天間飛行場での燃料漏れ」「4月にキャンプ瑞慶覧で廃棄物にからスベストを検出」などとあり、市民にとっての危険性が日常的であることを伺わせます。
 これらについて伊波市長は「米軍、日本政府の事故対応には誠意が感じられない」として批判し、さらに、普天間飛行場の危険性除去について「最優先に海兵航空部隊を1日も早く国外に移転させ、沖縄の基地負担軽減を実現するよう、今後とも日米両政府に強く求める」と述べ、問題解決に向けた決意を新たにした、とあります。
 戦争がなければ、軍隊もいらない、軍隊がなければ兵器も基地もいらない、税金も使われない、と、平和であればこの社会においては、いいことずくめではあります。しかし単純なようでそれがいかに困難ことかは誰も知るところであります。それでも、ビラ1枚、10人のデモ行進、100名の署名であっても、「武力で平和は作れない」を合言葉に、私たちは「反戦平和」を求め続けねばなりません。(後略)
              ピースサイクル愛知ネット

 この地「愛知」から見れば沖縄は、「沖縄」でしか見えてこないが、このようにメッセージを書いていくと、在日米軍基地があることによる、それぞれの市町村の個別の問題があって、その上に沖縄県全体としての問題が屋上屋を重ねているのが見えてくる。さらに日米安保条約、日米地位協定が覆いかぶさる。
 それにしても沖縄は遠い、と思わざるを得ない。しかし、参加者27人の中にいない自分を考えると、それは距離が遠いということよりも、馳せる気持ちの度合いではないかと思ったりする。東京から5人も行っているのだから。
 そしてまた、今の生活環境の中で「5泊6日」の行動が許されるかどうか、それを振り切っていく「強さ」が試される思いである。
 この企画の中心のNさんが、東京の会議などで小学生と思われる子どもさんの手を引いてやってくる姿を見るにつけ、その背後にある家庭の事情は、私なりに理解することができる。多少なりとも、そのような過去がないわけではないから。そう思うことが自らの慰めである。

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2009年6月17日 (水)

閑話・2

 大野のり子の本『記憶に出会う・・・』
 2007年8月 8日 のブログで、「大野のり子写真展 中国山西省・黄土高原の村から」を書いて、彼女の仕事を紹介したが、その後も彼女は、中国滞在を続けていて、「日本軍の侵略」についての聞き取りを続けているという。
 その大野のり子がこの5月、「中間報告」の形で『記憶に出会う-中国黄土高原紅棗がみのる村から』を、未来社から出版した。
 出版社・未来社のウェブサイトから、本書紹介の文章を引用する。
  「かつて日本軍が行なった"三光作戦(燼滅掃討作戦)"により甚大な被害をもたらされた村々に、4年前から移住し、200人以上の老人の記憶を聞き取り、その笑顔を写真に収め続ける日本人がいる。
 60数年ぶりに初めてやってきた日本人を『ほんとうに遠いところをよく来てくれた』と穏やかに迎えた盲目の老人。『私はこれまで日本人はとても残虐な人たちだと思っていたけれど、昨日あなたと話してから、日本人が好きになった』と貝殻の首飾りを差し出す少女。
 気がよくて、ときにおせっかいが花開く村人たちと自然条件の厳しい土地でともに暮らしながら、刻々と変わりゆく中国を体感する生活がここにある。」
 また、大野はあとがきで「この本は・・・『老人たちの記憶』の部分は最小限にとどめ、むしろ私が、どのように村にとけこみ、どのように彼らと向き合い、村人たちがそれにどう応えてくれたかということを中心にまとめました。聞き取った記憶の詳細は、いずれあらためて1冊にまとめたいと思っています。」と書いているから、彼女の旅はまだまだ続きそうだ。
 世界の流れは速まっているが、それ超える速さで中国が変わっているように思われる。その中国では、変化していく部分と取り残される部分とのかい離が、都会と農村の格差の広がりのようにして顕著になりつつあることを考えると、「老人たちの記憶」は、中国の若い世代にも聞き継がれなければならないものでもあるのだろう。

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沖縄ピースサイクルへのメッセージ・3

  ヘリ基地反対協議会のみなさまへ
 前略
  中央政界におきましては、「政権交代」の可能性もあり、それによって沖縄・米軍基地の取り扱いに変更もありうるかもしれませんが、米軍の世界戦略・再編は強固とも思われ、何ら楽観するものはないと思っております。
 それゆえ、現地での闘いがますます重要になっており、沖縄と全国を結ぶ有機的な共同の闘いが求められております。それにも拘わらず私たちは、他の課題に追いまくられ、右往左往するばかりです。(中略)
  さて、東村高江地区でのヘリパッド建設に反対するみなさまの強固にして長きにわたる闘いに敬意を表したいと思います。
昨年のメッセージでは、航空機の墜落や不時着などの事故の可能性、飛行に当たって飛行ルート沿いや基地での整備・試運転での騒音の心配、それらについてきちんと説明がなされているかどうか。
  また、環境への影響は基地周辺の住環境、騒音だけではなく、基地予定地近くに生息する、ヤンバルクイナの現状とその影響。これらは、「軍事的」観点からは一考だにされない傾向が強く、米軍再編という中で、沖縄全体が米軍の極東地域の前線基地として強化、永久化ばかりが重視されることに怒りを覚えます。
  オバマ政権、日本の政権交代と相まって、世論に反基地、米軍撤退が強く出てくる状況を生み出すことが重要ではないかと考えます。
 私たちはこの愛知で、最近漏れてくる「防衛のためには、敵基地攻撃も辞さない」という発言を軽視することなく、「戦争のできる国づくり」の動きに警戒と、それを封ずる運動を高めていく必要を感じております。そうした運動を通して、沖縄の現状を説明していくのも、一つの方法と考えております。
 このたびの、ピースサイクル一行との交流を通して、基地建設反対運動が更に全国へ広がっていくことを切に希望しています。
                  ピースサイクル愛知ネット

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2009年6月16日 (火)

閑話・1

終の棲家に
 どんなところに住みたいか、どこを終(つい)の棲家にするか、と自問してみるに、その希望がかなえられるかどうかの問題はあるけれども、それは年代ごとに変わってきたように思う。
 生家を出て、公団住宅に移り住んだのが、20代半ばであったと思うが、それは自立への一歩であって「住宅問題」ではなかった。「持ち家」にはこだわっていなかったが、友人に煽られる形で探し始めた。30代半ばで中古住宅にローンを組んだ。小高いところにあって閑静な場所だったが、雑な家の造りにシロアリ、ネズミやムカデの侵入に悩まされた。子どもの希望で犬を飼っていたのはそこにいた10数年の間だけで、今の家に来て間もなくして死んでからは、飼うことを禁じた。私は、犬、猫、小鳥、金魚など、生き物を飼うことが好きでなかったのだ。
 ここから名鉄鳴海駅に出るのも、地下鉄野並駅に出るのもバスで10分ほど。歩いても30分くらい。池のある公園へは歩いて2~3分。大きな病院はないが、一般的な診療科目の病院、クリニックが点在しており、郵便局、ス-パーマーケットもあるから、生活するにはいい場所であろうと思っている。 あればいいなあと思うものには、歩いていけるような和食のお店、(魚のおいしい)居酒屋、カクテルの出るバー、そして本屋。図書館は少し離れている。いつも何かを開催している文化ホール、映画館。これらがそろっているところはまずなかろうから、通う習慣を身につけたいと思うのである。
 ここを出て、都会から離れた畑のある家はどうかとか、鍵一つ、合理的な間取りのマンションはどうかとか、考えないでもないが、結局ここが終の棲家になるだろう。
 愛読書君は残れよボクは逝く

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沖縄ピースサイクルへのメッセージ・2

  「じゅごんの里」のみなさまへ
  「・・・さて、当地名護市東海岸には、国際的保護動物で、日本ではもうこの地にしかいないともいわれる『ジュゴン』が棲んでいるとお聞きしております。それだけ美しい海なのだと思います。
  そんなところへ、米軍普天間基地の代替基地建設が強硬に進められようとしているとのことで、陸上の工事で土砂が海に流れ込み珊瑚が死滅してしまうというのに、巨大な軍事基地が建設されれば、ジュゴンの棲めない海になってしまうことは容易に想像できます。
  名古屋の弁護士、籠橋隆明さんは、『自然にも権利がある』とおっしゃっておられます。・・・地球上の各地で進行している自然破壊の実態を見るとき、自然が自然のままであることの重要性を肌で感じることはないだろうか。・・・私たちはそこに住んでいた野生生物に思いを馳せる。メダカまでもが絶滅を心配されている今日、深刻な自然破壊を前に私たちは自然にも生きる権利があればと願うこともまれではない。それはすぐれて人と自然との関係の中で生まれた、優れて人間的な感性である。『自然の権利』という考えにそって挑戦している・・・

  「じゅごんの里」のみなさま、
  この愛知とは、遠く海で隔てられておりますが、それは海とでつながっていることでもあります。そしてその海こそが、私たち生きる者のすべての「母」でもあります。それぞれの地域の森、川、海が愛おしい気持ちはみな共通なものでしょう。ならば、その土地、地域での運動、闘いを灯し続けることの大切さを確認し、沖縄の海に、じゅごんにその心を馳せたいと思っております。
  今後ともご交誼のほどを願い、愛知からのメッセージといたします。
             ピースサイクル愛知ネットワーク

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2009年6月15日 (月)

沖縄ピースサイクルへのメッセージ・1

 伊江島「わびあいの里」のみなさんへ
 来る19日から「沖縄ピースサイクル」が始まる。一行は、24日に伊江島に渡り「わびあいの里」を訪れるとのことで、全国から27名の参加とある。愛知からは参加者なし。
 ああ、行きたいなあ、豊田のUさんも行ってもいいといっていたのに、いま一つわが背を押すものがなかったのは、この体が予感していたのであろうか。
 それで、訪問団の団長・広島のNさんから訪問先へのメッセージを要請されていたのを忘れていて、ようやくPCに復帰した途端思い出した。今日15日が締め切りである。もう全部は間に合わない。2つでも半分でもとメッセージを書き始めた。まずは沖縄県伊江島の「わびあいの里」のみなさん宛てである。
 「・・・さて私たちは、沖縄本島のことにつきましては、現在でも、高江のヘリパッド、海上基地建設を阻止するため連日命がけで座り込みする人たちがいる辺野古のことなどについては、知ることはありましたが、伊江島のこと、とりわけ『わびあいの里』のことについては、全く無知のままでした。お恥ずかしい限りです。
 1944年に日本陸軍伊江飛行場の滑走路ほぼ完成するに至って、この飛行場があったために、1945年4月16日、米軍の伊江島上陸、激戦となったこと。その時、島民の3分の1(約1500人)が犠牲になられたこと、1945年5月、伊江村の村民のみなさんが慶良間諸島へ強制移住させられたこと、1947年3月、米軍滑走路三本完成し、島の63%が軍用地となってしまったこと、1953年7月、最初の土地接収通告がって、1967年5月  『全沖縄土地を守る会』が結成され、その会長に、阿波根昌鴻さんがお就きになられたこと、『ヌチドゥタカラの家』には、反戦平和資料館として様々な反戦に関するものが展示されていること、『わびあいの里』とは、運営している財団法人の名称で、『やすらぎの家』とは交流施設であることなどを、初めて知るに至りました。(中略)
 伊江島『わびあいの里』のみなさん、
 この愛知とは、遠く海で隔てられておりますが、それは海とでつながっていることでもあります。それぞれにはそれぞれの地域の歴史と事情があるにしても、『反戦・平和』『非支配と、住民古来の土地』『子々孫々まで、くらし、文化の伝承』は共通なものとして認識し合い、共有することができると信じております。そして、その土地、地域での運動、闘いを灯し続けることの大切さを確認したいと思っております。
 今後ともご交誼のほどを願い、愛知からのメッセージといたします。」
     ピースサイクル愛知ネットワーク

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2009年6月14日 (日)

夫はなぜ、死んだのか

  内野健一さんの「過労死認定裁判」のドキュメンタリー
  トヨタ自動車・堤工場で働いていた、内野健一さん(30歳)の「過労死認定裁判」を追った大阪毎日放送(MBS)制作のドキュメント「夫はなぜ死んだのか~過労死認定の厚い壁~」が14日、NHK・BS2で放送された。
 この番組は、ガイドによれば、ドキュメンタリー番組の最高傑作が大集合/コンクールのグランプリ受賞番組を民放・NHKの垣根を越えてまるごと放送/民放連賞・地方の時代映像祭・ATP賞 という作品群で、具体的には、▽平成20年日本民間放送連盟賞テレビ報道番組最優秀賞「光と影~光市母子殺害事件弁護団の300日~」(東海テレビ)▽平成20年日本民間放送連盟賞テレビ教養番組最優秀賞「映像08 家族の再生~ある児童養護施設の試み~」▽“地方の時代”映像祭2008グランプリ「映像07 夫はなぜ、死んだのか~過労死認定の厚い壁~」(毎日放送)▽ATP賞テレビグランプリ2008「ETV特集 アンジェイ・ワイダ」
 番組のゲストには、井筒 和幸、室井 佑月、石井 彰、森 達也、吉澤ひとみ の各氏であった。
 この日の放送に先立ち原告であった内野博子さんから、最近のくらしの一部の紹介とともに、以下の案内が、各方面に発信されていた。
  「実は、1年半前に毎日放送で作成、放送されたドキュメント番組が、NHKBS2で放送されます。本来ならばTBS系列ですのでCBCが放送すべきですが、スポンサーの関係か、未だ放送に踏み切っていません。
  しかし、多くの賞をとった作品を集めて、この度NHKが『ザ・ベストテレビ』の中で放送する事になりました。内野の件を扱った『夫はなぜ死んだのか』の部分の放送時間は15時12分~16時13分です。」
 私は、30分のダイジェスト版しか見ていないので、この日を楽しみにしていたのだったが、時計をもたずに散歩に出てしまい、3時24分から見ることになった。
 「トヨタという大企業を相手に、6年間子供を育てながら女性一人での頑張りに驚かされる」「普段知ることのない、企業の内側を初めて知った」「時間外とされてきた“自主活動”を、労働時間と認めさせたことは大きい」というような、ゲストのコメントにもあったように、内野博子さんの頑張りなくては、この裁判も、トヨタの「変化」もなかったわけだ。
  もちろん、博子さんの頑張りには、夫・家族への愛情、それが「夫はなぜ死んだのか」という疑問、不信を高め、その見極めなしには、この先生きていく支柱を得られないという気持ちもあったに違いない。また、出勤、帰宅の時間の記録を残していたこと、「正社員にならないか」というトヨタの誘いに乗らなかったことも、この結果につながっている。同時に、この労災認定を求めて、労基署交渉、厚労省交渉、認定訴訟を支えた支援の人たちの存在も記録されねばならない。
  その後については、この欄でもその都度伝えてはいるが、トヨタの「変化」は極めて部分的で、本質部分「労働者の働き方(働かせ方)」については、何ら変化がないようである。また、内野さんが相談に行った連合・トヨタ労働組合の「個人的問題は扱わない」という態度が改まったかどうか。さらには、「企業の内側」にいて、過労死・過労自殺など労災・職業病の現場の第一線に立ち、それを阻止し、あるいは現認して再発防止に努めるべき「労働組合」の役割を果たしているかどうか。
 またしても私は、「労働者、労働組合が主役となる社会」という古くて新しい課題を思わずにはいられないが、「現、近未来の労働者像」「改めて問う、労働組合の存在意義と役割」その重ね上にある「第三の社会(制度)論」を追求(追究)せねばと思うのである。

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2009年6月13日 (土)

第3回「トヨタ」連続労働講座

 ATUサポート市民の会のライフワークに
  今回の講座の正式名称は、「愛知製鋼は派遣労働者久保さんを直接雇用せよ!」であった。
  この講座の目的は、「・・・原告の久保さんと同僚の槻本の対談を通じて事件の本質を明らかにし、愛知製鋼の不法を改めさせるたたかいの支援を広げる。各地で派遣先企業の不法行為によって直接雇用されるべき派遣労働者が解雇の憂き目に遭うケースが続発している。
  加えて言うならば、愛知製鋼は鋼板など鉄鋼製品をトヨタに納入している要ともいうべき納入者である。トヨタ生産方式を隈なく適用し業績をあげてきたがその根底に非正規労働者の多用と非人間的な酷使がある。この点も明らかにしたい。」と、呼びかけ文にある。
  私は体調が戻らず、引き受けていた準備品を会場に届けて引き返して、内容を知ることはできなかったが、簡単な報告をメールで受け取ったところから推測すると、まず主催者挨拶として、猿田 正機中京大教授(本会共同代表)があって、当事者の久保さんの話があった後、前回登場した、同じ愛知製鋼の派遣労働者槻本さんとの対談形式で、久保さんの労働実態と愛知労働局への提訴後の愛知製鋼からの報復措置を中心に45分ほどあったという。質疑、討論、自由発言、ATUサポート市民の会の活動紹介、司会からの簡単なまとめがあって4時過ぎに終了、そのあと懇親会に移ったという。 
  講座のサブタイトルには「トヨタの下流域を行く」とあって、その第3弾であったが、「派遣労働者の実態調査」と合わせて、この領域は、「ATUをサポートする市民の会」のライフワークになりつつある。
(追い書き)

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2009年6月12日 (金)

天井を見ている時

 明日の労働講座が気になるが
 横になって天井を見ていると、この体調の行方も気になるが、手持ちの仕事も気になる。
 13日の午後、金山の労働会館で第3回「トヨタ」連続労働講座が開かれる。「愛知製鋼は正規に雇用せよ」という、派遣社員のKさんの闘いが主題である。私は記録係という役目だが、報告記事を書くことになりそうだから、欠席はまずいが、体調次第である。
 他にも「雑談の櫂」の原稿が止まったままであり、あまりゆっくり養生はしておれないが、かといって原稿がスムースに進むわけではない。期日を延ばすことにしよう。不定期刊だから。
 もう一つ16日締切りのものがあるが、これは何とか間に合うだろう。
 新聞も読んでいないなあ、この際じっくり読んで、政治の行方を読むことにしよう。

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2009年6月11日 (木)

体調を崩す

 どこか無理があるかな
 明け方に腹痛があり、病院へ。
 特別な病名ではないが、一通りエコー、CT検査を受け、ひとまず帰宅。
 病気なんて個人差があるから、無理をしてもしなくても、体調を崩すことはあろうが、歳を重ねれば、同じ分量の仕事をしていては、どこかに負担がかかることもあろう。横になっていることが多いから、少し考えてみよう。 
(追い書き)

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2009年6月10日 (水)

敵基地攻撃能力保有提言

 国防VS世界平和
 新聞報道によれば、「自民党の国防関係合同会議は9日、政府が年末に改定する『防衛計画の大綱』に向けた提言をまとめた。北朝鮮を念頭に『敵ミサイル基地攻撃能力』の保有を打ち出した。その手段として、巡航ミサイルとともに弾道型長射程固体(燃料)ロケット(弾道ミサイル)を加えた。平成15年度予算から続く防衛費削減から増額へ転ずるよう方針転換も求めた。さらに米国をねらう弾道ミサイル迎撃など4類型について、集団的自衛権の行使を認めるよう憲法解釈の変更を促した。」(産経新聞)
 世間では、その日のくらし、仕事に気が行き、事件、事故、著名人の話題等で関心を持っていかれている間に、このようなことが着々と進められていることに、改めて気付かされる。
 私は、自衛隊の装備が、陸・海・空で更新されるごとに、あるいは何か新しい兵器が購入されるという情報を知るたびに、「専守防衛」から「敵基地攻撃能力」を高めているのではないかと感じていた。それは、小牧基地の「空中給油機KC-767」配備で、より確信した。
 だが不明な点、解釈の未整理は実に多くある。たとえば「専守防衛」であるが、「戦後の日本の基本的な防衛戦略。自衛のための最低限の軍備により、相手の攻撃を受けてから初めて軍事力を行使し、先制攻撃や自国領土外軍事活動は行わないのが原則である。(はてな キーワード)」という解説で理解しているが、ここでも「自衛のため」が拡大解釈され、「やられる前にやってしまえ」という論理で、後段部分を消去する論理が出てくる。
 「最低限の軍備」といっても、何を持って最低限というのか、相手より劣る兵器では防衛できないから、この場合は「相手国に負けない兵器が最低限」という解釈をする者が出てくることになる。とすれば、限りなく軍備は拡大していく。ロシア、中国、共和国(北朝鮮)を仮想敵国としたら、それを上回る軍備などはあり得ない。つまりここには、「国防のための世界戦略」などの発想はなく、「共和国(北朝鮮)」を仮想敵国として、防衛予算の獲得(軍需産業の維持、発展と援助)と、小規模戦闘の“火遊び”の誘惑にかられている軍人と政治家の存在が伺われるのである。
 さらに「攻撃の対象を原案にあったミサイル発射基地だけでなく敵爆撃機やミサイル運搬車両を含む『車両等』とし、手段は航空機、巡航ミサイル、弾道ミサイルを想定している。」こうなると、あれもこれもで、「航空母艦」「原子力潜水艦」「ステルス戦闘機」「核搭載型トマホーク」「スパイ衛星」「戦術用小型核爆弾」が出てこないとも限らない。もっともその時は、それらの兵器の名称も、例えば「航空母艦」が「航空機中継支援艦」などと呼ばれるかもしれない。
 また提言には、こんな一文もあるという。「一方、提言は『防衛力におけるマンパワーは国家の防衛意思の表明そのもの』と人員増を要請。」とか。まさか、あの共和国(北朝鮮)の分列行進の映像にあおられてのことではないだろうが、「マンパワーは国家の防衛意思の表明」という発想はどこから来て、具体的に何を言っているのであろうかと気になる。まさか「国民の特殊教育訓練の義務化=兵役義務」とか「地域防衛の組織的運用=予備軍の常設化=州兵の設置」を想定してのことではないだろうな。
 市民グループに間には「無防備都市宣言」を推進しようという運動がある。詳細は省くが、これをもって、前述の軍人や政治家、右翼的人士を説得するのは大変だ。いや、市民の間でさえ、「無防備」という一言に拒否反応を示す人も多かろうと思う。
 「世界平和」という大局観と狭義の「国防意識」の攻防は、具体的な「国防論」に対して、論理的無防備では、「世界平和」は押しまくられそうだ。「無防備都市宣言」と「世界平和への行動要綱」「世界のピースネットワーク」「世界平和基金」などが組み合わせられないと、凌駕できないだろう。

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2009年6月 9日 (火)

運動の立ち位置

 自覚する、しないの違いは大きい
 今日の「ATUサポート市民の会」の事務局会議は、事務局長提案で始まって2回目である。これは、会の運営について、定例の運営委員会と、事務局長が差配する事務担当の3人で回すだけでは、運動の日常性に欠ける点があり、また問題意識を共有していくステップがどうしても必要であろうこと、さらには、状況把握のフィードバックをすることによる、検証と補強を試みるところに意味があるのではないか。
 形式的には、労働運動、組合活動では一般的な機関運営である。執行委員会とその主導のもと、専門委員会、特別委員会を設置して課題を詰めていくことになるが、時には「三役会」を開いて、課題の大筋の、中間的な整理の場を持つことがある。それはまた、その運動体の立ち位置、即ち自らの運動の主導性を考えるとき、それが全体状況の中で、どんな価値ある運動なのか、時宜にマッチした運動なのかを自覚または再認識する機会でもあろう。
 「サポート市民の会」の運動が、単にATUと連帯し、ATUを支援し、ATUと共同の闘いを進めるというだけでなく、「トヨタと向き合う」その立ち位置にこそ意味があると自覚されねばならない、なぜか。それはトヨタ自動車が、世界26ヶ国、51の生産拠点を持つ巨大な多国籍企業であり、その影響力が、地域経済だけにとどまらず、現地の政府、財界はいうに及ばず、労働、雇用、環境問題にも幅広く、奥深く影響を及ぼしているからである。その影響力がいい方向であれば、歓迎もされようが、アメリカでのUAWとの確執、フィリピンでの労働争議、フランスでのストライキなど、近年トヨタにまつわる事件が発生し、注目され、「ダブルスタンダード」の在り方が鋭く問われるようになってきているからでもある。
 そのようなグローバルな問題を視野に入れ、自覚して運動を作り上げようとする「トヨタと向き合う」立ち位置は、改めて重要なポジションであると認識し、意見を交換した今日の会議であった。

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2009年6月 8日 (月)

古希の男性

 そして、群れから離れた小鮒
  印刷を終えて20頁のセット作業をしていたら、今年古希という男性に話しかけられた。
  「これ(ピースサイクル)って何?お金がかかるんでしょう、社会党とか共産党とかも一緒で?」とまあ、ありきたりの問いかけに、一通り説明すると今度は、河村市長の話に移ってきた。偶然かもしれないが、読んでいる新聞が毎日新聞らしく、「‘09 名古屋の変」の記事にそった、自分の思いを語り始めた。
 緑区23万弱の人口であっても、なにがしかの講座、同好会の会合に、学習センターに来る人の絶対数は少ない。その少ない中で、こんな作業をしていても、チラッと覗いていく人はまれで、まして、話しかける人は、ここで10年近く利用していても数えるほどしかいない。多分それは、自分の関心事は別のところにある、だからここに通っている、ということか、あるいは「変に関わりたくない」という思いが先に来るからではないだだろうか。
 私の中にも、本来ならば、自分の書いた問題を少しでも知ってもらって、賛同者を得たいはずなのに、心理的には逆で、人前で作業はしたくないなあ、という気持ちが先にある。特に覗かれることはいやで、今日のように話しかけてもらった方が随分気が楽なことは確かだ。
 その男性の話が終えたところで、私の手作業も完了して、帰り支度にかかった。一足先に自転車でお帰りのようであったが、旧東海堂筋の「曲の手(かねのて)」に出ると、前方100メートルほど先をゆっくりと行く、先ほどの男性の後ろ姿をとらえた。扇川にかかる中島橋をわたって、緩やかに右にカーブしているところで、視界から消えた。
 私が古希を迎えるころ、何をしているだろうか。相変わらずミニコミの編集をし、会合に出たりしているだろうか。仮にそうだとしてもその割合は、今の4分の1以下にしておきたいと思う。やりたいことが頭の中の引き出しにかなり入っているからだ。整然と並べられて。
 橋の近くの浅瀬に小鮒らしき魚が百匹ほど、渦を巻くように群れ泳いでいた。その群れからす~っと一匹が離れて上流に向かいかけているのが見えた。もう少し水かさが多ければ、大きな鯉もいたであろうから、ちょっと危なっかしいが、そういう小鮒のような存在の小鮒も、人間社会には少なからずいるにはいる。

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2009年6月 7日 (日)

リンクス愛知・Ⅱ第52号

  衆議院選とピースサイクル
 ピースサイクルの運動の自転車リレーは、7月26日から浜松⇒豊橋で、愛知コースが始まる。随分先のようであるが、訪問地の受け入れ側からすると、自治体の、対応する人の配置と部屋の用意、秋葉広島市長などへのメッセージが必要で、それは最低でも1か月前に連絡をしておく必要がある。
  また、昼食などを用意して歓迎してくれる市民グループにとっても、会場とお手伝いの人の確保、参加者募集や「折鶴」の呼びかけなど、「いざ、今年もピースサイクル」のメッセージが必要なのだ。
  ということで要請文とは別に、添付資料の一つとして、この「リンクス」を活用するため、急いでいたのである。
  また衆院選は、当落線上にある候補者や新人にとっては、残された時間が多いようで、実はあまりないであろうから、なにがしかの応援メッセージ、助言などは早めに出したい気持ちが動いていた。
  そんなわけで、ようやく版下が完成したので、明日印刷に入る。あとがきでは、●衆院選挙、ピースサイクルが当面の課題、名古屋市政を追う「名古屋市井(市政」記」は、河村市長の動きが定まらないので書き辛い●20頁に私の運動周辺を紹介したが、「四季雑談の会」「老兵たちのフォーラム」は、運動体ではないので、ここには出てこない。しかし、それに関連した集会、講演会、フォーラムには参加することがある●各運動体への問い合わせは表記まで。カンパ、会費などは、時々同封の、振り込み用紙をお使いください。(と)

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2009年6月 6日 (土)

行ってみたかった講演会

 堤未果さんの講演会
 メールで講演会の案内が届いた。その案内には「”週刊金曜日”編集長の北村肇さんが『近年で最も◎の本は、堤未果さんの“貧困大国アメリカ”だ』と言っていました。その堤さんの講演会のおしらせです」と。
 私もこの岩波新書の本は読んでいたが、講演会の案内文を引用しておくと、「 G.W.ブッシュ政権下のアメリカ社会ではイラク戦争の資金つくりの ために社会保障政策を縮小し、貧困層に転落した人々が社会の底辺 から抜け出せないというシステムを作り出したといわれています。『CHANGE』を掲げるオバマ大統領は、アメリカ合衆国を変えていくのでしょ うか。オバマ政権下のアメリカの現状、未来、今後の日米関係を語ります。」
 この本を読んだことで、アメリカの現在を知ることができたし、アメリカの、イラク戦争の「台所事情」を、驚愕をもって知ることになったのであった。そしてこの講演会に惹かれたのは、「オバマ政権下のアメリカの現状、未来、今後の日米関係を語ります」というところで、これは聞き逃せられないな、と思っていたのだった。
 昨夜から慎重に今月の日程を考えていた。19日からの「沖縄ピースサイクル」は難しいと判断して、既にあきらめていた。坂喜代子後援会の選挙協力も日程に入れずにいた。「空き日があれば」という優先順位だからである。 
 そこで当面「C&Lリンクス」と「雑談の櫂」の発行をいつにするかで悩んでいた。6月1日発行予定が大幅に遅れているからである。6月10日と期限を定めた時、講演会会場の守山まで足を延ばす時間を見出すことができなかった。
 今日の仕事の進捗を見て、残念ながら、講演会行き断念は正解だった。『ちょっと窮屈だな』が頭をかすめた。

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2009年6月 5日 (金)

老兵たちのフォーラム6月例会・3

 アメリカ同時多発テロ「9・11の動機」(3)
 私のレジュメは、未完で不完全で、ほんの一部でしかない。そして論拠があるわけではないので、大方は、勝手な推測であり、質問・疑問という形をとっている。
1、アメリカは、なぜ攻撃されたか、を軸にして考える。
1)日米開戦「真珠湾攻撃」とアメリカ「同時多発テロ」の同質性を考える。
・米国首脳は、全部でなくても、「攻撃の前兆」を事前に把握していたことは、間違いなさそうだ。
・アメリカは、冷戦時代の終焉、新興国の台頭、世界経済の流動化(地球資源の争奪化)などから、アメリカを基軸とした新たな、世界秩序を模索していたのではないか。戦争を仕掛け、勝利することで地平が拓かれると。
・では自国の犠牲を払ってまで、攻撃を黙認し、戦争を始めたのはなぜか。「戦争の大義・正当性・国民の鼓舞」のためか。それだけではなさそうだ。
2)イスラム急進派と反米・反ユダヤについて考える。
・アルカイーダ・オサマ・ビンラディンをイスラム急進派として位置づけ、反米・反ユダヤ闘争として「9・11」が実行されたとするなら、私たちは「イスラム教」そのものと「イスラム原理主義」の実体をよく知ることから始める必要があるようだ。「急進派」との同一視を避けるために。
・反シオニズムは、シオニズムを背後で支えるキリスト教徒の国々すべてが対象で、アメリカのみならず、イギリス、フランス、スペインなどでも「テロ」が発生している。
・一方歴史的には、欧米各国のアラブ・アジア・アフリカへの侵略・植民地の歴史もあるのではないか。
3)アメリカ「帝国主義」の世界支配について考える。
・アメリカを「帝国主義国」と呼ぶのは、特定の左翼集団という見方もあるが、言葉の「帝国」がよくないだけではないのか。例えば、これも古い言い方であるが、「世界の宗主国たらんとする国」あるいは、「世界の警察官を自覚する国」最近では、「覇権主義のアメリカ」「一国主義のアメリカ」といわれることもある。
 西洋文明を悪しきものと考えるとき、現在的に考えれば、アメリカがその頂点にあり、それゆえアメリカが狙われたと考えられないか。
・アメリカは、世界経済の中心であり続けることに腐心してきた。世界から物資をかき集め、金融資本を集中させ、自国からは武器、農産物、電子部品・製品などを輸出して、自国の繁栄を維持してきた。
・してみると、貧しい中にあるイスラムの若者の目からは、アメリカはどのように映っていたのであろうか。
4)アメリカの国内統治について考える。
・ブッシュ大統領とアメリカ兵器産業の結びつきについては、ことあるごとに指摘されてきた。アメリカの歴代大統領の、産業界との結びつきは、その政権の政策を大きく左右させるようだが、事実はどうであろうか。
・世界に紛争、テロは絶えない。対社会主義国へのけん制など、アメリカ軍の海外派兵は、百万単位であろうか。とすると兵員の補充と訓練は欠かせない。武器と兵の実戦の場は、事欠くことはないが、徴兵は課題である。失業対策という一石二鳥とも言えるその場が必要であるという国内事情。1)の答えの一つにならないか。
5)国連の機能と実態について考える
 ・第2次世界大戦の経験に基づく、その後の世界秩序の中枢を期待され、一定の役割を果たした国連ではあるが、世界規模の戦争は抑止できても、常任理事国の「国内問題」とする紛争や、宗教や民族問題で起こる紛争、貧困問題が続く中での地域紛争に手を焼いている。国連の機能や力量に限界があるのではないか。「9・11」も、そんな中で起きたようにも思われる。
 ・(考え中)

2、攻撃したアルカイーダの側から考える。未完)
1)支配、抑圧の「帝国主義者」の中心アメリカの、その中枢をたたく。
2)欧州の英、仏、スペインなどではなく、なぜアメリカなのか
3)聖職者の指導、教唆より「急進主義」「聖戦」が優先している。
4)実はアメリカはスキだらけの国だった。
                         未完。

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2009年6月 4日 (木)

老兵たちのフォーラム6月例会・2

  アメリカ同時多発テロ「9・11の動機」(2)
  それでは、「アルカイダ-ISI・CIA-9・11」という流れがどんな根拠としてあるのか、Nさんの話によると、
Ⅵ、パキスタン側から9・11を見ると という項目から入って、1)パキスタン軍統合情報局が、タリバンを援助、している根拠は、2009年3月27日付「インターナショナル・ヘラルドトリビューン」紙によれば、米国政府高官の話として「・・・パ政府は、タリバンへの援助を止める約束にもかかわらず、ISIが直接援助し続けている」と報じた。しかもISIの中の秘密組織「SWing」が担当しているとのこと。
 次に、2)パキスタン軍統合情報局(ISI)とCIAの関係、について、「1979年のソ連軍のアフガニスタン侵攻に対するムジャヒリンの抵抗にCIAは多額の資金援助を与えたが、それは常にISIを通して行われた。ウサマ・ビンラディンも自分がワシントンに代わって果たしている役目を自覚していなかったといわれる。ところで、2001年9月4日、即ち、9・11事件の1週間前、ISIの局長ムハマド・アーマド将軍が米国に到着し、合衆国政府高官と打ち合わせをしたことが判明している。また、ハイジャックの主犯とされるムハマド・アタに、アーマド将軍の依頼によって莫大な資金が電信送金されている(FBIも認めている)」
 この「やらせ-謀略説」を思わせる論拠に対する疑問も数々あり、それへの反論もまた用意されているようだ。だが、事件全体から見た真相にはまだ距離がありそうだ。
 次に、Ⅶ、アメリカ側から9・11を見ると、「新しい真珠湾攻撃」という、事件の中核を示すような表現がなされている。「ブッシュ大統領は、9月11日に就寝する前に、日記に“今日は21世紀の真珠湾が起こった”と書いた。(CBSニュース)」これは、単なる類似性だけを言っているだけかもしれないが、その後もラムズフェルド国防長官がこれを多用していたともいう。また、「オーストラリアのジャーナリスト、ジョン・ピルジャーは、ブッシュ政権の上層部になる人々が、2000年に発表した、彼らが望む(世界の)変化は、『新しい真珠湾攻撃』でも起きない限りであろう、という予測(文献あり)を引用して次のように書いた。」「9月11日の攻撃は、その新しい真珠湾を提供した」と。
 ちなみに、戦略文書「アメリカ国防の再建」には、次のように書かれているという。「『米軍再編と軍事費増大の』プロセスは、新しい真珠湾のような破局的で触媒的な出来事でもない限りは、ゆっくりしたものになるだろう」と。
 それは、例示するには「真珠湾」を引用するのが分かりやすいからで、何らかの想定を前提にしているわけではないと私は思う。国家的謀略となれば、そのようなヘマはしないだろう、そう思う。しかし、9・11と結びつかないとしても、アメリカが新たな「世界秩序」を求め、その中心に自身が居座る方策を検討していたであろうことは想像できる。
 果たして、9・11事件の動機、事件の背景には何があったのか、その真相は、日本軍の「真珠湾奇襲攻撃」の真相が50年たって明らかになったように、また「ケネディ大統領暗殺事件」が、いまだ解明されていないように、この9・11も50年、100年たたないと判明しないのではないか、これが、参加者が合点したものの唯一であった。次回は、私のレジュメを紹介する。 
(続く)

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2009年6月 3日 (水)

老兵たちのフォーラム6月例会・1

  アメリカ同時多発テロ「9・11の動機」
 このテーマは、2001年9月11日に発生した、いわゆるアメリカでの「同時多発テロ」について、1、なぜ、アメリカは攻撃されたのか。2、攻撃した理由は何か、という背景・視点から考えてみようというものである。ただ資料は膨大にあっても、その情報の真偽は定かでないので、私のレジュメの場合、質問項目程度の域を出ることができなかった。
  「誰が実行犯で、背後で操ったのは誰か」「ツインビル(WTC)とそれ以外の航空機の謎」「ビル崩壊の謎」「アメリカ政府は事前に知っていてやらせたのか」という疑惑など、多くは報告者の話に期待した。
 報告者のNさんは、全体の4分の3を同時多発テロの背景、とりわけ歴史的流れから、Ⅰ、イスラムの歴史的・文化的・社会的背景から入って、1)中東に生まれた神教<ユダヤ教><キリスト教><イスラム教>から掘り起こした。そして2)いわゆるイスラム原理主義、についての理解を求めた。「ジハード(聖戦)理論」にも触れた。3)イスラムとその世界、というところでは、十字軍の遠征の性格・行為、オスマントルコの支配、第2次大戦後のイスラエルの建国など。
 Ⅱ、ソ連・アフガン戦争とアルカイダの創設、というところでは、ここが全体から見ると大きなポイントのようで、9・11事件の背景を語る原点のようであった。つまりソ連軍の侵攻が、世界のイスラム戦士を「聖戦」に駆り立てたというのだ。これを契機にイスラム戦士は、中東・アフリカ・チェチェン・新疆ウイグル・ボスニア・インドネシアなどで新たな闘いに参加し、その帰結が9・11であったかもしれない、という説である。
  更にNさんの話は、CIAとISI(パキスタン軍統合情報局)の結びつきとその役割について語り、そうした中で「ウサマ・ビンラディン」の登場、アルカイダ誕生、タリバンについてもその背景を語った。こうして「9・11」の役者がそろってくるのである。
  なお、ここで注釈として説明されたのが、1994年12月、「アルジェで“武装イスラム集団”による、エール・フランス機にハイジャックと、エッフェル塔攻撃計画」が明らかにされていたことで、アメリカのCIA、首脳はこの事実を知らないわけはなく、当然、アルカイダの動きとして、2001年の「9・11」が想定され、警戒されたはずだ、ということで事件の「自作自演」「やらせ」などの謀略説が出てくるというわけである。
  これだけでは到底真実には到達できないが、謀略説は脇に置くとしても、アルカイダ-ISI・CIA-9・11という、一つの道筋ができたようだ。
  こうしてみると、Ⅲ、アフガニスタン、という国の民族的、地理的、政治的位置の理解が必要になってくる。また、パキスタンとの関係や、多数派の「パシュトゥーン族」の生い立ちを見ないと、「タリバン」も見えてこないというのである。(深入りすると混乱しそうであるが)
  もう一つ視点を変えて、Ⅳ、パレスチナ問題-イスラエルの建国-反シオニズム、Ⅴ、サウジアラビア-中東の石油資源-アメリカの石油資本、から見ていくと、「狙われたアメリカ」が見えてきそうである。Ⅴ、サウジアラビアの項は省略。
  大雑把にいえば、ここまで「9・11」の前史にあたる。この後、Ⅵ、パキスタン側から9・11を見ると。Ⅶ、アメリカ側から9・11を見ると、という展開で事件そのものに迫っていくのである。     
(続く)

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2009年6月 2日 (火)

下町風俗資料館

 私にも残る、あのころ、そのころ
 5月30日、東京都美術館を後にしてから、上野・不忍の池(蓮池)のほとりに、さして大きくはないが、台東区立の「下町風俗資料館」というのがあって、小一時間ほど覗いてみた。
 江戸時代の流れから、主として大正時代をはさんだ明治と昭和の戦前までという内容で、下町の家並み、それは長屋といっていい路地を挟んだ地域と、家の中の生活空間を再現していた。
 「ときは大正時代。・・・狭い路地に囲まれた裏店(うらだな)の長屋では、薄壁一枚に仕切られた隣同士、井戸も共同で使いました。ここの住人は『駄菓子屋』を営む母娘と『銅壷(どうこ)屋』の職人一家。中は小さな一間ですが、さまざまな調度品や生活道具があります。これらはすべて実際に使われていたものです。
 商家・長屋には、・・・ちゃぶ台や長火鉢の前に座り、ゆったりと時を刻む柱時計の音に耳をかたむければ、四季折々の下町の風情と暮らしを体感できるはずです。」(同館の資料から)
 2階のコーナーでは、台東区を中心とした下町地域にゆかりの資料、生活道具や玩具、さらに季節やそれに応じた年中行事に関連するものなど、さまざまな資料が展示されていた。
 人びとの生活は、時代とともに大きく変化してきたとはいうものの、下町のそれは、行政や産業、輸入文化ほどの変化はなく、ゆったりとした時間が流れていたのではないだろうか。それらを大きく変えたというなら、それは、戦争であり、震災であったろう。
 展示されていた資料は、それほど遠くない昔の下町とそこに暮らす人びとのようすを、そのまま今に伝えるものであったが、わが人生の記憶の中に未だ消え去ることなく残影としてある、いくつかが目にされた。
 子どものころのものといえば、駄菓子、おもちゃの竹トンボ、けん玉、駒。展示にはなかったが、しょうや(メンコ)、カチン玉(B玉)、お手玉、おはじきなど。家の中では中央にちゃぶ台、ちゃぶ台には蝿帳(はいちょう)があり、急須と湯呑茶碗。壁には、ボーンボーンと柱時計、箒とはたきがかかっていた。桐ダンスはどこの家でも、とはいえなかったが、箪笥の一つや二つはあった。茶箪笥もセットのようにあったなあ。箪笥の上には、ラヂオと書いたような旧型のラジオ、富山の薬箱。長火鉢は一般的であったろうか、むしろ、丸い陶製の火鉢でなかったろうか。火箸とかなえは常備品。部屋は4畳半が標準だったろうか。
 外に出て見れば、板塀、手押しポンプの井戸(ガチャポンともいうらしい)、行水にも使ったタライと洗濯板。近くに防火用のバケツとか桶が。木製のゴミ箱、便所の汲み取り口、木製の物干し、場所によっては、壁に「仁丹」の看板や「みてござる」の張り紙など。
 下町の銭湯の展示は、おなじみの番台、番台の中には、小銭入れの箱が見える。「おつりのいらぬように」という張り紙もある。女湯、男湯をわける仕切り。それには、幼子が行き来するくぐり戸が付いている。湯殿の入口の戸はスリガラス、入口に「女」は赤字で、「男」は黒字で書いてある。湯殿の風景は写真展示であった。衣服入れの竹籠、商店で使うような体重計。その着替え場の壁には、鏡、映画館のポスターや、近くの商店のポスターもどきも貼ってある。「髪洗い、洗濯禁止」の張り紙も。そういえば、女性の洗髪は別料金が必要だったが、今の公衆浴場(銭湯)では、どうだろうか。
 この後、不忍池周辺を散策して、重文・旧岩崎邸庭園に向かった。

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2009年6月 1日 (月)

竹内淳さんへの追悼詩

 早世を悼んで
 
去る5月29日、 ピースサイクル2009全国ネット事務局長であった竹内さんの、「竹内淳さんを送る会」の席で配られた追悼誌には、一文を要請された私の拙い「追悼詩」が、冊子の中ほどに掲載されていた。竹内淳さん、享年50歳。

 陸奥にかかるに虹の一粒になって

陸奥(みちのく)の山と川と海と
青い空の美しさに惹かれただけではない
豊饒の地に生きる人々と
六ヶ所村の危うさだけでここまできたのではない

1945年の 広島の 長崎の
この世のものすべてを焼き尽くした閃光とキノコ雲
そのおぞましき末裔は全国の全世界の
原発という名の奥座敷に棲み続けている

富士の山の頂をも臨む関東平野の空は
西の広島 長崎と北の青森とつながり
淳さんの声と思いは
全国のピースサイクリストとつながった

その日 淳さんの銀輪が跳ねあげた雪解け水が
キラリと輝いて空に舞い
遥か陸奥までもかかる虹の一粒となった
それは淳さんの魂が召されたように

淳さんは 人生(みち)を求めて陸奥に馳せていた

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