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2009年5月31日 (日)

TMPCWA支援・総会

活発な議論ができてよかった
 フィリピントヨタ労組の闘いが始まって9年目、支援の運動が始まって8年目、支援する愛知の会ができて6回目の総会となったこの日、豊田市で、30人ほどのメンバーが集まって総会を開いた。
 進行を仰せつかったので、型通りの進行ではなく、中身のある議論の場としたいため、幾つかの点を心がけた。
 その一つは、予定されていた「連帯挨拶」はそのままだが、そこに追加指名をして、参加者全員の発言と闘いの報告を出してもらった。そうすることで、結果的には、私たち周辺の運動の一端の報告、状況を知ることができた。その中には、「派遣切り」の経過や、6・27日韓交流の集会の案内もあり、ATUからのトヨタの最新状況も聞けた。ATUサポート市民の会からは、発言と共に新作のリーフレットも配られた。APWSLの機関誌「LINKS」も配布され、その中には、社民党・坂喜代子予定候補の紹介記事と共に、名刺版リーフレットも挟み込まれた。
 二つ目に、1年間の活動の提案での議論は、「記念講演」として招いた全造船関東地協・早川事務局長の話が、本議題そのものであると思われたため、並列する形で進めた。その結果、フィリピントヨタの争議が内包する基本的な問題点に議論が集まり、やや難しい議論ではあったが、いつにない意見交換と、問題の本質を明らかにできたように思われた。
 その一つは、従来からも議論されてきた「多国籍企業」の、内外での対応が違うダブルスタンダード(二重基準)の問題であり、とりわけ、国境を超えた労働法制の研究が、研究者、判例の少ないことから進んでいないことが指摘された。
 それは、TMPCWAが全造船関東地協に加盟して、トヨタに団体交渉を求め、これを拒否したトヨタを相手に、提訴した問題は、現在、最高裁にかかっているが、既に1年4カ月を経過した現在、いまだ何らの結論が下されていない、「異常事態」に私たちは注目している。最高裁もまた、判例なき多国籍企業の労働争議について適用法律を模索しているのではないかと。
 そしてこのことから、フィリピントヨタの問題が、この領域での最先端に位置することを意味するのだと。さらに、ILO、「国連人権委員会」、IMFの国際機関の中で少しずつ浸透、認知されつつあることも報告された。折りしも昨日、TMPCWAエド委員長が、ILOのロビー活動のため、ジュネーヴに出発したこと、日本からは来週はじめに支援が出発するという報告が併せて報告された。
 もう一つは、「トヨタの影響力」についてである。地元の豊田市はもちろん、愛知県、そして、国、財界、労働界、マスコミ、広告業界などに至る、広範囲に影響力を発揮していることはよく知られているところであるが、国際的にみても、その影響力はいかんなく発揮されているようである。
 社長を派遣しているフィリピントヨタ社は当然だとしても、同社の対応から状況を見るならば、フィリピン政府、司法が、何らかのトヨタの影響力によって動いているというのが、フィリピントヨタ労組(TMPCWA)と、支援する側の認識である。
 また、北米におけるUAW(全米自動車労組)が、トヨタの工場労働者を組織しきれていないのをどう分析するか。
 三つ目は、この4月、フランストヨタで、生産調整をめぐる賃金カットに怒った労働者が「ヤマネコスト」のような形で少数の労働者が立ち上がり、それらが拡大して、門前ピケットへと発展、ついに会社側が折れ、操業停止の(賃金)補償とストライキ日の給料支払いに応じる「労働者・組合側」の勝利として終わった。
 このときのトヨタの対応は、「業を煮やした会社は実質的な最高責任者である野中副社長が従業員を集め『私の発言はトヨタ経営陣の見解である』と前置きして、
☆諸君に通告する。経営権を侵害し、われわれの労働者を混乱させる類の行動は絶対に受け入れられるものではない。
☆ストを続ける者達よ、諸君には支払うことはない。われわれはいつまでも我慢しない。
☆労働なくして給料なし、これがトヨタグループにとっての原則である。もしこのことが諸君の気に入らないのであれば、諸君は働かなくても給料を支払ってくれる会社にいって働く自由がある。
☆最終的にこのストで得をするのはCGTだけである。」(「れいめい・第7号」から)
 と、フランスでは考えられないといわれる強弁をし、これが会社側の敗因とすらいわれた。
 このトヨタ本社の、「フィリピントヨタの問題は、現地の問題であり、現地に任せている」という対応に見られる、トヨタの、仏比の対応の違いに私たちは注目している。ヨーロッパとアジアの違い、即ち「人種差別」のにおいが漂うではないか。
 最後に、これまでの労働運動、地域活動では、ともすれば、連合系、全労連系、全労協・自立系というように系列の壁を乗り越えられない、運動の分断があった。最近では、「派遣切り」で、その壁が取り払われつつあるが、このフィリピントヨタ労組支援の問題は、これまでみてきたように、個別的、系列的に対応する枠を超える問題性を持っており、「共同」の闘い、運動が求められている、という認識を得たのではないか。
 以上のような経過で総会を終えた。

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2009年5月30日 (土)

東京・上野界隈を散策

 今回も東京見物に足を延ばす
 昨夜の「~竹内淳さんを送る会~平和のペダルをこぎ続けて 竹内さんとこれからも共に」には70人余りが参加していた。
 遺族となったお連れ合いのHさんは、夜に会が設定されていたにもかかわらず、朝から「国会ピース」の1日行動に参加し、一行と行動を共にしたのだった。それは初めての参加ではなかったが、きっと淳(きよし)さんの行動の軌跡を、今一度追うことによって、悲しみをこれからの生き方に変えていく、その一つとして偲んだのではないだろうか。
 竹内さんが旧全逓労組と袂を分かち、郵政ユニオンの結成に参画したのは、他の少数組合、ユニオン、活動家グループの仲間たちと同じように、大樹の陰に隠れることなく、正すべきところは自らの姿勢として正していく、といういい易くなし難い道を選んだからであろう。そういう共感が会場に漂っていたように思う。また、私も知る多彩な顔ぶれから見ても、彼は、今ある様々な問題に通底するものを感じとって、可能な限りを尽くしていろんな現場に参加していたその証であった。
 ともすれば、「どこにも顔を出す」と揶揄する(大人気ない)向きもあるが、事実はそんな皮相なことでではないことも、また、参加者の共通するところではなかったろうか。
 さて、きょうも朝から雨模様であったが、傘をさすほどでもなく、上野に向かった。昨年行けなかった東京国立博物館に行ってみようと思ったのだった。この期間は「阿修羅展」をやっていて、JRの改札を出たら、もう多くの人が列をなして入場券を求めていた。よくよく見ると、入館自体が、1時間待ちとなっていて、今年もあきらめた。つまり、この博物館は、常設展示館というよりも、常に何かを企画する「特別展」が多いのではないか、そんな風に思ったのだがどうだろうか。
 それで、知人から聞いていた東京都美術館の「日本の美術館名品展」に行ってみた。
 全国にどれほどの数の美術館があるかは知らない。また、任意なのか主催者側の要請なのかは知らないが、そこからよりすぐったものには違いない作品が展示されていた。
 私にはこの画家、この作品が好きだ、というものはないが、全国に散らばっているそれらを、東京で観ることができる機会は、その道の人にとってうれしいに違いない。たとえば、ルノアールの作品2点がそれぞれ山形美術館と群馬近代美術館から寄せられていた。モネの2点も、茨城と埼玉の県近代美術館からの出展であった。ピカソの3点は、愛知県美術館、徳島県立近代美術館、富山県立近代美術館という具合であった。
 西洋絵画、彫刻ばかりでなく、日本の近・現代洋画、日本画、版画、彫刻のコーナーもあって、点数は少ないが、著名な作家の作品をみることができた。横山大観や黒田清輝、東郷青児、梅原龍三郎、宗像志功などの作品は美術誌か教科書あるいは切手あたりでも接したものだが、実際に見る機会はそれほど多くはない。片岡球子などは、絵葉書となっていて購入した覚えがあるが、しまったままになっていた。
 高村光太郎の彫刻「手」(呉市立美術館)はあまり有名だが、ここで実物を見ることができたのは、単純だがこういう機会は嬉しいものである。
 この後、不忍池のほとりにある「下町風俗資料館」を覗いて、旧岩崎邸庭園に向かった。

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2009年5月29日 (金)

国会ピースサイクル

  各省庁・東電などを回る
 ピースサイクル運動は、今年はなかったが、年初に「フィリピンピースサイクル」が取り組まれることもある。一方国内では、国会開会中に取り組まれる、各省庁と東京電力への申し入れと署名提出を中心とした「国会ピース-スプリングピース」を皮切りに、6月の「沖縄ピースサイクル」、その後の広島、長崎に向けた「本走」が全国で取り組まれる。 
  そしてそのあとの8月中、下旬に、青森県「六ヶ所村ピースサイクル」を取り組み、全国ネットとしての活動を締めくくる。そして、11月に総括会議へと移るのである。
  今日の行動「国会ピース」は、JR総武線(中央線)市ヶ谷駅改札口9時集合で、大分から参加したメンバーは飛行機を使って、9時30分過ぎに、防衛省前で合流した。私は名古屋6時50分発の「のぞみ」に乗った。
  雨の中、市ヶ谷駅近くの公園で出発式が行われ、自転車には5人が乗り、搬送の車1台、歩いての参加が15人ほど。今日1日の行動スケジュールと申し入れのポイントが提起された。
 まず防衛省前への申し入れ行動は、予定通り9時30分から行われ、省前で読み上げて申し入れ書を手渡した。主たる内容は「米軍再編問題と辺野古での新基地建設撤回を!ソマリアに自衛隊を派遣するな」であった。
 次に東京都庁の東京都教育委員会への申し入れに向かい、雨の中を防衛省から走ってきた、自転車隊を出迎え、都庁1号棟25階の会議室に入った。対応したのは、教育情報課の課長と係長。この席の設定に尽力された福士都議(無所属・市民派)は、都議選前ということで多忙を極め同席できなかった。内容は、「君が代」「日の丸」の処分撤回を!を中心に、処分を受けた養護学校教諭の渡辺さんも参加して、現場の実態を赤裸々に訴えた、というものであった。
 都庁で昼食後、外務省への申し入れが中止となったので、30分ほどの時間を使って、都庁の展望台に上がった。展望台があること自体が不思議な感じもしたが、首都東京は、外国人向けの顔でもあるからなのであろう。せっかく上がったのだが雨空では、展望はかなわなかった。
 午後の行動は、自転車隊を中心に東京電力への申し入れに向かうグループと、歩いて内閣府に向かうグループそれぞれ15人程度に分かれた。私は、内閣府でのピースメセージ・署名提出の方に参加をした。署名数は1106筆、メッセージは116通であった。決して多いとはいえないが、気持ちだけはこもったものであったと信じたい。
  この日は、紹介議員として、民主党の岡崎とみ子議員も同席された。質疑の時間があったので、私は、愛知の状況、特に小牧基地の問題に触れ、装備がどんどん拡大している現状と「攻撃は最大の防御」といった意見があることに危機感を覚える。また、基地への申し入れの際、炎天下、風の中でもゲートの外での対応であり、市民の間にバリケードを作るやり方の問題があるなどと意見を述べた。
  他に、外務所への申し入れを予定した軍隊「慰安婦」問題への謝罪と補償を!といったことも文書と共に申し入れた。     
  予定されていた行動を終え、近くの記者会館で反省会と東京電力への申し入れ「柏崎刈羽原発を廃炉に!」などの報告があった。この日は、総勢約30人の参加であった。
 午後5時、散会となり、多くは、午後6時30分からの、ピースサイクル2009全国事務局の事務局長であった、竹内氏の追悼集会会場の横浜に向かった。竹内淳氏(神奈川県共闘議長)、享年50歳という若さであった。

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2009年5月28日 (木)

非正規雇用労働者の実像を探る

ATUサポート市民の会例会
 昨夜の「ATUサポート市民の会」では、パソコンの変調による衝撃が残っていて、何となく集中できない感じがしていた。
  それでも、相変わらず課題は多く、見逃すわけにはいかなかった。6月13日の第3回トヨタ連続労働講座/11月末の、現代労働負担研究集会の名古屋開催に参加、サポートする件/トヨタ関連企業を対象とした、非正規雇用労働者調査の進め方について/フィリピントヨタ労組支援運動の現状と今後/7月の、APWSL日本委員会・年次総会/5月28日、定例の名駅前宣伝行動/ホームページ開設の件/JTEKT・田中、デンソー・川野裁判の経過と支援/8月25日前後に発行予定の「れいめい8号」について/トヨタ自動車定時株主総会・宣伝活動、などについて議論をした。
  この中で、「トヨタ関連企業を対象とした、非正規雇用労働者」の実態調査は、某大学研究室の研究者を中心に取り組まれるが、30項目の設問を用意し、個別に面談する方法と、ユニオンで掌握しているデーターによる協力を求めるという二通りで調査するとのこと。
 調査対象は、今回は、外国人は外すことにして、現役労働者と1年以内の退職者に限るとした。50~100程度の調査票が回収できれば、分析しうるサンプル量とのことであった。「不安定雇用」「低賃金、重労働」というイメージしかない現実の中で、未知の「非正規雇用労働者」の実像が浮かび上がるかどうか興味深い。
 ホームページの開設については、6月中には立ち上がると思われるが、それに伴って、会が所有する、譲り受けたウィンドウズ2000の中古パソコンの動作が鈍いこともあって、買い替えの案が出された。インターネットとワード、エクセルを最小限のソフトとして、格安のパソコンをあたることになったが、外国製を含めていまどきの相場(価格)はどんなもんだろうか。

 

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2009年5月27日 (水)

パソコンの変調に恐怖

 データが消えた!
 宛名シールの整備作業中に突然、氏名だけが消えた。暫くして、住所が消えて数字とアルファベットだけが残った。他の保存文書を取り出してみると文字部分の多くは消えていた。あれも、これも・・・・呆然として、次に恐怖にかられた。右下のウィルスバスターのマークが消えている。ひょっとしてハッカーの侵入でデータを消されたか!そこでまず、全点数のウィルスチエックを1時間かけて試みたが、「異常なし」と出た。
 知人に電話したが、外出先にいて詳しくは聞けなかった。メーカーに問い合わせをするために取扱説明書、「Q&A」などをめくって電話してみたが、転送されてわけがわからなくなってしまった。
 思い返すと前兆があった。突然文字が打てなくなったのである。「あした」と打つと「・・・」としか出ないことが起きたのである。それからすぐに消えていったのである。さて困った。
 絶望的になって、力なく横になって、対策を考えた。検索では異常なしだが、ウィルスに感染しているとしたら、まずメールは打てないだろうなと。失われたデータのバックアップは一部でしかない。消えたデータの一部は、送信先から取り戻そう。バックアップはしてないが、プリントしたものはある。それで復活させよう・・・
 インターネットはどうだったかな、と調べてみたら異常なしだった。う~ん、ここは一度シャットダウンしてみるか、今日作成したほとんどは消えてしまうが、それだけで済めば「フリーズ」と同じ程度の損失で済むから・・・。
 やっぱり「フレーズ」と同じ現象であった。保存データは復活して元のままだった。とりあえず良かった。ほぼ4時間分の作業が消えてしまったが。
  で、原因はなんだろう。「フリーズ」なら、保存データに影響は出ないはずなのに。文字だけ消え、数字だけが残るのも変だ。どこに問い合わせればいい?
 午後5時半からの弁護士との打ち合わせに誘われていたがキャンセルした。6時半からの「サポート市民の会」の運営委員会には、ぎりぎりで間に合いそうだ。

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2009年5月26日 (火)

「共和国」の核実験

 ダメはダメなんですがね
 私も含めて、私の関係する運動の周辺では、朝鮮民主主義人民共和国の国名の略称を「北朝鮮」と言わず、「共和国」と呼称している。「共和国」出身者とその関係者が、そのように希望しているからである。私の場合、併用することがあるのだが。
 今回の「共和国」の核実験については、基本的には賛意しない。私の運動領域には、「すべての核の廃絶」を求めるピースサイクル運動というのがあるからである。このすべての核というのは「原子力発電+核兵器」という意味で、核兵器製造に欠かせないプルトニウムを作り出す原子力発電所を認めて「核兵器反対」はないだろう、という論理と心得ている。また核兵器には原子爆弾だけでなく、「劣化ウラン弾」も含まれ、その残虐性の延長からクラスター爆弾、白燐弾など「非人道的兵器」(人道的兵器があるとは思えないが)の反対へとつながる。
 一方原子力発電については、エネルギー問題や地球温暖化CO2の問題があって、「全否定」されにくい面があるが、私たちの発想の原点は、広島、長崎、第5福竜丸の被爆体験と同時に、1986年4月26日の、チェルノブイリ原発事故の恐怖、教訓である。仮にこの規模の事故が日本の浜岡か、北陸の原発で事故を起こしたら、沖縄、北海道の一部を除く、全土での被害は免れない、そう思うからである。
 さて、回り道をしたが、「共和国」の核実験について麻生総理は、安保理決議に明確に違反している、世界的制裁が必要、を強調してはいるが、それが「共和国」の胸に響き、「悔い改める」という見通しを持ってのことだろうか、と思う。空拳を振り回しているように映る。日本の首相であれば当然の発言であっても、あの「北朝鮮」を相手に有効かどうか、冷めた見方もできる。また、キムジョンイル率いる「独裁政権」が倒れれば脅威はなくなると考え、政権の弱体化を狙った経済制裁の強化というやり方を取っているようだが、「共和国国民」を苦しめていることは確かでも、政権崩壊の兆しはない。その現実には目をそらしているように見えるが。
 日本は、核拡散防止、核の全面廃絶を外交の柱の一つに据えているが、インド、パキスタンの核実験、イスラエルの核疑惑、アメリカの臨界前地下核実験などなど、「北朝鮮」と同じように対応しているだろうか、という政策のブレが見て取れる。アメリカ追随外交という足元を「共和国」に読まれているのである。
 オバマ大統領は、「六か国協議」という枠組みの中で「北朝鮮問題」の解決を図ろうとしているが、「共和国」は、中国、ロシアを含めた解決の道は、国境を接している現実からも、未来外交を考えた時、避けたいのではないだろうか。アメリカとの2国間協議で問題解決を図れば、日本、韓国は追随するであろうし、中国、ロシアに借りもできないうえに、アメリカとの間に一線を画させることができる、そう見ているのではないだろうか。
 しかし、それでもこの「核実験」は賭けであったろう。オバマ大統領は、話し合いの柔軟路線から、強硬路線に転化するとも伝えられている。中国、ロシアも、外交的にもまた国内事情からも「共和国」を擁護できないであろうから、非難し始めた。
 外交には裏表があり、素直には受け取れないから、「窮鼠、猫を噛む(軍の暴発)」ような追い込み方をしない裏があると信じたい。また、「共和国」内部で政変(軍が実権を掌握)が起きたとしても、核兵器、ミサイルを使った戦争への道はとらないだろう。一時的な戦力はあっても持続力はないことは、軍自身が知っているからだ。となれば、かつてあったような韓国との国境線・海岸線での銃火、日本海(東海)での、何らかの行動はあるかもしれない。
 まあ、そんなことがないことを望むが、もしそれがあれば、最も関心をもって迎えるのが、自衛隊の実戦力を試したい、自衛隊を海外に派兵したがっているグループであろう。「衛星打ち上げロケット」でさえ、あれほどの大掛かりな“臨戦態勢”を敷いたのだから。
 ダメのものはダメ!なんですがね、「賛意しない」という言い方も、「すべての核実験反対」というようなあいまいで遠回りするのも、この事件を悪用しようとする政治勢力の臭いを感じるからだ。とはいえ、八方うまくおさまるという解決法があるのかと問われれば、ない!わからない、である。沈黙がいいとも思えないし・・・。

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2009年5月25日 (月)

私もだまされた!

 接続料金が安くなるといわれ
 二週間ほど前、NTTからのお知らせ電話(と錯覚を起こさせる話法で)で、今使っているインターネットの接続料金が安くなると切り出された。今何をお使いですか?と聞かれ「OCNのBフレッツ」と答えた。そうすると、「このたび、料金がお安くなりますので、必要な手続きをしてください」という。そこで住所、名前、電話番号と電話の名義などを聞かれたが、「確認」だと思い込み、素直に答えた。「モデムの交換が必要ですので、その日程表などをお知らせします」といい、翌日にFAXが入った。ここまで来てもまだ「だまされていること」に気がつかなかった。
 4~5日して「NTT工事予定日のお知らせ」なる葉書が届いたところで、「おかしい」と気づいた。葉書には「ADSLモデムについて」とあり、誰がいつ「ADSL」に切り替えるといったのか、と自問した。そこで、改めてはがきとFAXをよくよく見てわかったことは、つまり「イー・モバイル」という会社名を一切言わず、こちらが「光」を使っているといっているのに「ADSLに切り替えると」をいわず、「料金が安くなる」とだけ言って、切り替えに誘いこんだ(誘いこまれた)のである。
 いきなりの「接続料金が安くなる」という言葉に、「それはありがたいですね」なんて言っちゃいました。ここでコロリだったわけだ。
 すぐにキャンセルの手続きをとった。FAXについていた「お客様サポートセンター」に電話して、「話が違うよ、ADSLが不便だから、光にしたのに、またADSLに戻すはずがないじゃないですか」といえば、「あ、そうなんですか」といい、「だからこの話は、キャンセルね」といえば「分かりました」といった。「この後の手続きは、何かあるの」と聞けば、「モデムが宅配便で届くから、そのまま送り返してくれれば、それでいい」というので、これでヤレヤレと思った。
 だが第二幕が待っていた。翌日だったか予定通り「モデム」が届いた。そのまま引き取ってもらったが、何となく不安がよぎり、その翌日、工事日程の書かれた葉書にあった「カスタマーセンター ADSL窓口」というところに「確認」の電話を入れたところ、「工事日程」がキャンセルされていないことが判明した。なぜキャンセルされていないのか問い返したところ、「キャンセルする場合は、この電話にかけるようにと、いわれなかったですか?」と逆に問われた。あ~あ、なんということだ・・・。
 ま、しかし、この電話で工事もすべてキャンセルされたいわれ、「料金引き落とし」の口座の変更もしていないわけだから、実質被害はなかったことになる。だが「うまい口車に乗せられた」ことは確かだった。それにしても、私の情報がNTTからなぜイー・モバイルに行ったのか。あるいは、短い電話のやり取りの中に、いつの間にか私自身が情報を口にしてしまって(自共させられた?)、それを基に誘いこまれたのであろうか。まさか、第3幕はないだろうな。教訓、教訓。

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2009年5月24日 (日)

2回目のナビに参加

  幾つか提案もしてみた
 二回目の今日の街宣コースは、日曜日であること、午後3時から、栄でシール貼りによる街頭アンケートが行われるということで、そこに合流して街宣を行うという条件があって、コース設定を新規に作ることになった。結果からいえば、途中でコース変更もしたのだった。
 朝9時過ぎから、金山駅南口で第一声をあげた。この日は尾頭橋の場外馬券売り場が開いていて、ほとんど男性ばかりであったが、列をなして人が歩いていた。それも狙い目だったかもしれないが、音声は聞こえたであろうから、そのまま続けた。
  鶴舞交差点経由で、昭和区役所のある御器所交差点で街宣。休日ではあるが、車の駐車位置の確認でもあった。東西南北の車の流れは結構多いと見た。
 八事交差点も交通量が多くて駐車位置が難しかったが、中京大学に至る歩道横がいいと判断された。名古屋大学前は日曜日で学生はいなった。八事も名大前も、同年代の学生弁士を採用すべきだろうと思った。
  学生も多い本山交差点は、交差点自体が広いので、ポジションは四つ角のうち一つかと思われた。本番では、先行車を出して、駐車場所確保が必要であろう。星ヶ丘・三越前は人出も多く、街宣には絶好の場所であるだけに、本番では場所の取り合いになること間違いなしだ。
  東山動物園前は、正面ゲート前に車を置くことができる。ほとんどが親子連れだから、ぬいぐるみを立たせる方法もいいかもしれない。ミッキーマウスなんかどうだろうか。子供が寄ってくれば、親も足を止めるからである。ただ夏場では、中に入る人はかなり暑いだろうな。
  今回は、栄は終着点であったが、栄の場合は何と言っても人をたくさん集めて賑やかにやらないと人目は引けないだろう。著名人を呼ぶのも一つだが、のぼりの林立、和太鼓など楽器を使って音を出す「ミニ野外コンサート」とセットにするとか、エコキャンペーンを模して「自転車パレード」の終着点にするとか・・・。
 そういえば、候補者の坂喜代子さんは、みなさんと同じピンクのTシャツを着ておられたが、私は賛成しかねた。日差しが強いからといっても、つばの大きい帽子も感心しない。候補者が誰だかわからないからだ。候補者も支援者も同じで差をつけてはいけない、なんてことはないとは思うが、内情は知らない。
 また、街宣車の両サイドのボデーに「社民党」の文字が入っていないことに気がついた。多くの場合、横付けするから、前後だけの「社民党」だけでは目立たない。通りがかりの人の視野に入るボデーを有効に使うことをお勧めした。斬新なデザインが出来ればいうことないが。
 これらは思いつきと、過去の経験からのもので多くの場合、採用されなかった気がする。それは多分、誰が担当するのか(自分はできそうもない)、人とお金が付いて回るということと同時に、その道の人ならともかく、そうでなければ「非日常的」なことで、どうしても尻込みすることになるからだ。また少人数で運動をしていると、あれもこれもということにもならないこともあるだろう。
 何とか、当落線上に浮上して、マスコミが注目するような運動でないと、伸び悩むことになる。「坂選対」は発展途上の中にある。

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2009年5月23日 (土)

生物多様性と遺伝子組み換え

 ヒジョーに難しかった講演
 「基礎から学ぶ市民の勉強会」と銘打った、「生物多様性と遺伝子組み換え」の講演会があって参加した。副題というか、この時期に開催される背景には、「COP10/MOP5」の動きに連動してのことであった。だから、配布資料には「COP10パートナーシップ事業」とも付記されていた。
 さて講演は3つのテーマで、一つは「地球上の命を守る『生物多様性条約』とは」で、日本自然保護協会の道家哲平氏が、パワーポイントを使って話をされた。映像の効果は高く、わからないなりについてはいけたが、二つ目の遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーンを続ける、ジャーナリストで市民バイオテクノジー情報室の天笠啓祐氏の話は、「カルタヘナ議定書と同国内法の問題点」「GM作物栽培の隔離距離は交雑防止にならない」「GM作物による生態系・生物多様性への影響」「除草剤耐性作物・耐性雑草の拡大」と続いて、言葉の意味から入らないと(それだけの予備知識がないと)全くついていけなかった。
 3番目の「くらしにしのびよる遺伝子組み換え生物」は、遺伝子組み換え情報室の河田昌東氏が講演されたが、彼の話は今年2月の講演会で聞いていることと、四季雑談の会「夏席Ⅱ」で1時間のお話を聞くことになっているので、実はこれが今日のお目当てであった。
 終わってみれば、河田氏の話も専門的な領域もあるから、難しく感じた。この内容そのままでは「夏席Ⅱ」には向かないので、私のほうで「ストーリー」を作ることになりそうだ。2~3分の立ち話であったが、その旨伝えて、快く承諾を戴いた。

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2009年5月22日 (金)

5月22日、こんな1日もある

 何やってんだろう・・・とも
 ATUサポート市民の会のニュース「れいめい」第7号の印刷が、朝10時から予定されていた。版下は完成されていた。“よし!”と思った瞬間、宛名シールの打ち出しを忘れていたことに気がついた。新規登録分がしてなかったので、眠い目をこすりながら急遽作業を終え、バスに飛び乗って、何とか間に合った。
 刷り上がったニュースを持って、事務局長に付いて、同じ建物内にある組合の部屋を回った。そこで「愛労連」という新聞を目にしたが、その1面はメーデー特集であった。県中央メーデーと安城地区労メーデーについては「れいめい」でも取り上げたが、他に「一宮」「尾東(瀬戸)」「尾中(春日井)」「尾北(江南)」「東三河(豊橋)」など計7か所、6000人が参加したとある。かつて鶴舞公園のグランドで行われた、「社共共闘」の「愛知県統一メーデー」がなくなってからどうのくらい経つのだろう。また、首都圏では取り組まれたが、愛知の「派遣村」に結集したユニオンなどは、独自メーデーを行わなかった。いろんな意味で難しかったのであろう。
 新聞の下段のコラムには、名古屋市長選挙に関したコメントが載っていた。「・・・報道関係者などは『政策は太田よしろうさんが1番』としていましたが・・・『市政を変えたい』という票が、自公対民主の2大政党論のなかで、太田氏の票までも河村氏にいってしまったとも言えます。・・・新自由主義、構造改革路線を押し進め、憲法を変えようとする市長は、市民の『変えたい』という願いにこたえることができません・・・」少ない字数の中では、ポイントを押さえるだけで、論理展開は難しかろうが、やや荒っぽい論調のように思えた。
 名駅近くのNPOステーションに移って、発送作業を終えて急いで帰宅し、着替えて夕方からの、中学同級生の集まりに参加した。最近の傾向は、名前の「トーク会」に反して、飲み会に終わることが多いので、用事も重なって3回に1回は欠席傾向の私であるが、1年近い間があったので参加したのだった。
 お互いの近況などを交わしながら、不意に「イトーヨーカドー前で聞いたような声、誰がしゃべっているかと思ったらオマエじゃないか」と声をかけられたりもしたが、やっぱり、新潟の酒「菊水」を飲んで帰ったのだった。いろいろあったが、オレって、何やってんだろう、思わないでもない。

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2009年5月21日 (木)

TMPCWAを支援する運動

 総会とはどういう場所であるか
 「支援する愛知の会」の総会が5月31日に行われるが、それの諸準備のための運営委員会が今日開かれた。
 言葉としては発言されないが、総会の場が、いわば形式的な、単に会則に基づいて「年1回の定期開催」として位置づけるのか、活動として何をすべきかの議論をする場とするかは、潜在的に別れるところである。
 私の経験でも、取り仕切る側にいると、どうしても「形式」や、首尾よく終わることに腐心したりして、内容については“深入り”しないで、「事後に、改めて相談しながら進めよう」と言う先送り気分に支配されやすい。
 議案書の冒頭に「はじめに」とあって、次に「TMPCWAを支援する運動は、関東地区での現地との緊密な連絡・支援体制、裁判闘争、ILO及びIMFさらに外務省関係への働きかけに依拠しています。その中で、トヨタ自動車の本社のあるこの愛知では、本社に対する直接的な運動を担う重要な位置を占めています。
 その意味ではこれまでの、本社への申し入れと工場と市民向けビラ配布を主とする『本社行動』から、関東の『支援する会』との連携を密にした、戦略の全体から打ち出す、もう一歩ステップアップした活動へ進まねばならない段階に来ているといえます。
 そうした議論を高める機会でもある、第6回総会では、会員からの率直で具体的な提起、意見が出てくることを期待したい。」とある。そうしたいと私も思う。
 しかし実際は「来賓のあいさつ」とか一通りの「報告事項」があって、時間を取られたりする。そこで今回は、政党からのあいさつは止めて、紹介だけにとどめることになった。代わりに派遣切り問題に取り組んでいる「名古屋ふれあいユニオン」の委員長を招聘することになったが、それが本来の姿であろう。よかった。
 また、トヨタ自動車の株主総会の日程がわかったので、株主に対する働きかけのための活動に取り組むことになって、追加的な議案の柱一つを立てることになった。初めての取り組みになる。株主の人たちは、車で来るのであろうか。とする駐車場はどこが指定されているのだろうか。電車なら、愛環鉄道の「三河豊田」駅だが、そこから、シャトルバスでも出すのだろうか。シャトルバスなら、名鉄の「豊田市」駅もあるだろう。どっちにしても、発着場が分かれば、バスを降りた時点でチラシを渡すことができるが、会社構内まで入ってしまってからの乗降だと難しくなる・・・。
 更に、TMPCWAが全造船関東地協・神奈川地域労組に加入して、トヨタ自動車に団体交渉を申し入れしたが、トヨタは団交を拒否。これは不当労働行為だと提訴して現在、最高裁まで行って、この1年余り判断が示されていない。どういうことか?という疑問とせっついてみたらどうか、という意見もあって、懸案事項になっている。
 考えれば考えるほど課題は尽きないから、やっぱり総会は、形式の面もあるから、早々に切り上げて、集中議論の場の設定が必要だと思った。司会を仰せつかったから、そのように誘導してみようかな。

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2009年5月20日 (水)

街宣車のナビを務める

 久しぶりに、マイクも少し・・・
 ATUサポート市民の会のニュース「れいめい」の編集作業を終えて、1日が空いたので、かねてから依頼されていた社民党・坂喜代子後援会の街宣カーの、緑区のコースガイドを務めた。
 平日で10時~17時という時間帯であるから、行き先はターミナルを外して、もっぱら、スーパーマーケット、ホームセンターが主であった。1日中出入りのある区役所へは、最後の5時近くだったので、人はまばらだった。やはりお昼をはさんだ1~2時間内がいいのかもしれなかった。また、午後3時過ぎまでひっきりなしで人が寄る、平針運転試験場(免許の更新)も狙いどころだったが、あとから気がついた。
 運転手も候補者も女性ということで、私もマイクを取って前座を務めることになった。ひょっとしてそんなこともあるかもしれないと、心の準備はしていたが、「社民党」に馴染んでいるわけではないし、その政策にほれ込んでいるわけではないので、やや、気遅れもした。また暫らくマイクを握る機会がなかったので、“調子が出る”までに2~3の場数が必要であった。
 候補者本人の話はさておくとして、私が話した内容の大筋は、「解散総選挙は近い、6月か遅くとも8月には行われる」「最大の焦点は、政権交代」「民主党中心の、野党連合の政権誕生がぜひとも必要だ」「民主中心の政権にやや不安があるという声を聞く。民主党の足らざるところ、至らざるところは、社民党でカバーすることができる」「社民党は、日本社会党の流れをくむ政党で、今は少数であるが、平和・安全保障の党、消費税に反対した党、働く者の立場に立った政策などを継承し、社民党になってからは、女性の目線、市民の目線で粒は小さいがきっちりと、国会での役割果たしてきた」「昭和区、天白区、緑区の第3区の選挙区選挙では、社民党は候補者立てず、民主党の近藤昭一議員を推す。しかし、比例選挙の東海ブロックでは、東海市在住の坂喜代子さんを立てる」「比例区選挙では候補者名を書かないで『社民党』というように、政党名を書きます」「地元の銀行で30年間パートとして働いてきた坂さんは、今だからこそ、国会の場で活躍が期待できる経験と見識を持った人です。」「女性の議員があまりに少な過ぎます。比例東海ブロックは21の議席がありますが、女性議員は自民党の二人だけで」「社民党は2000年の選挙で大島令子さんを当選させましたが、それ以来議席を得ていません」「政権交代の時代です。社民党の出番です。女性議員が活躍すべき時代です」「みなさん、投票に行きましょう」
 ま、流れはこんなようなものであったが、立て板に水、というわけにはいかないのは当然。内心は早く終わらないかなあ、が正直なところであった。

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2009年5月19日 (火)

ATUサポート市民の会

 ニュース・れいめいの編集を終える
 第7号の編集を終えた。主たる内容は、第3回「トヨタ」連続労働講座の案内/TMPCWAを支援する愛知の会第6回総会/日韓の労働者・市民をむすぶ名古屋集会の報告/フランストヨタの争議-争議解決!現地からのニュース&鎌田 慧さんのメッセージ-/APWSL愛知から「トヨタ関連ニュース」を発信/愛知派遣村の報告/今秋、現代労働負担研・名古屋集会開催へ/ATUの頁/事務局日誌/「トヨタ株主総会」情宣の案内。などとなっている。
 トヨタ中心の内容は維持され、執筆者が広がり、誌面が多少豊になったかな、そんな気もするが、まだまだこれからであろう。発行ペースも3か月に1回は空き過ぎる感がするが、現有の力量ではやむを得ない。送料の関係もあるが、中間に8ページのスモール版の発行を考えてもいいかもしれない。ただ、写真や文字のポイントを大きくする贅沢はできないかもしれない。あるいは、パソコンの性能の限界で、A3もしくはB4の編集はできないが、切り張りか拡大方法で縦型の新聞形式でもいいかもしれない。それでも編集発行には限界があるが・・・。
 ATUサポート市民の会の6月は、「第3回トヨタ連続労働講座」で、6月13日午後2時、労働会館(金山から徒歩10分)で開催。前回に続いて「愛知製鋼」(旧名:豊田製鋼)の、非正規雇用労働者の問題を取り上げる。

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2009年5月17日 (日)

鳩山を選んだか、あなたたちは

全力で政権奪取に向かえ
 民主党の代表に、鳩山由紀夫前幹事長が選ばれた。鳩山故に自民党はもとより、マスコミからもいろいろ言われ、内からも“ぼやき”か“ため息”が出るかもしれないが、鳩山に決まった以上、政権奪取にむけて突っ走るほかなかろう。
 鳩山か岡田か、どちらを選ぶかにあたって民主党議員一人一人が、いろんな条件、おかれた立場、自らの政治信条を動員して選択したと思いたい。自民党ほどの派閥の締め付けや、次期選挙の公認等で揺さぶりをかけ、あるいは掛けられて動揺したなどということはないと信ずる。
 戦国時代とは違うが、結局政権奪取といういくさ場に出る以上は、主君が天下を取ることで臣下は報われるわけだから、決死覚悟で活路を開くしかない。あいまいに揺れていると蹴散らされてしまうかもしれない。戦国武将の心得をここで説いて見てもさして意味はないであろうが、そのように重ねてみると状況が少しは見えてくる感じがするのである。
 さて、民主党の「国盗り物語」の第1章は終ったが、第2章は何であろうか。もちろん「与党連合」との雌雄を決する対決であろうが、社民党や国民新党を味方につける工作だけでなく、岡田陣営の動きに目を配らねばならないだろう。選挙前の舞台裏の「政界再編」という合従連衡の局面もありうるからだ。
 もっとも鳩山兄弟による「鳩山兄弟(けいてい)内閣」という、途方もないことがふと横切ったりもするが。
 小沢一郎の影響力、存在感が取りざたされているが、鳩山の考えは表向きと実際とに違いがあるのではないかと、私は探りを入れたい気になる。つまり、選挙だけの役割で、終ればお役御免ではないだろうか、というくらいに鳩山が性根を据えていれば、鳩山内閣は機能していくような気がするのである。
 選挙は、8月説が有力のようだが、私は、7月12日の都議会議員選挙同日
選挙説を捨ててない。

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2009年5月16日 (土)

鳩山と岡田-民主党代表選を考える

  足して2で割らない
 小沢代表の辞任を受けて、民主党の代表を、電光石火に決めるべし、街頭でアピールを展開すべし、早期に党首会談に臨むべしと書いたが、今日の午後の代表選挙は、電光石火といえないまでも“最短”であったろう。
 この代表選挙について、国会議員だけで決めることに異論を唱えた党員、議員もいたという。予備選という、より党員の意向が反映される方式がいいことは確かだが、この人たちの“正論”は、状況認識に欠ける点で支持できない。確かに、国会議員だけの投票で早期決着が、「小沢戦略」「鳩山有利」という一面がないわけではなかろう。だがそれはあくまで党内事情で、そのレベルの議論をするにはこれまでに十分な時間があったはずではないか。有権者からみれば、大した問題ではないのではないか。
 
状況は、代表即ち次期首相ということもありうるわけだから、ここに至って、お家の事情あれこれをいう状況ではなかろう。党員こぞって現下の政治状況を認識し、政権政党としての基本政策と、有権者の求める政策とを練り上げ、そうした姿を見せることによって、有権者から見てどうなのか、という視点が重要ではなかろうか。
 街頭や記者会見で鳩山、岡田両氏が政策論争を交えているがいいことだ。冷めた見方からすれば、どっちもどっととか、新鮮味がないといえなくもないが、党外の者であってもここは、民主党の代表はどちらがいいか、という視点から、次期首相は誰がいいか、という視点に変えてみること、そのように考えることが必要ではないだろうか。
 私は、どちらかといえば、菅直人を支持したい気持ちであるが、今回は論外であるからさておくとして、政策論だけで行けば、細部の検討はしていないけれども大枠では岡田の方に手を挙げたい。現実的でブレがないように思えるからだ。憲法改正ありとするも、はなから憲法前文、9条改正を言っているわけではないので、自民党とは一線を画していいだろう。また、将来的には消費税アップも視野に入れているようだが、年金、医療・介護などの政策が先にあって、その必要な財源をどこに求めるかの選択肢の一つに消費税アップがあるとしているから、一応傾聴すべき内容ではないかと思う。
 鳩山は、小沢の陰が付いて回ると印象付けたのは戦略的にマイナスだが、岡田の実務派的(財界寄り)に比べ、やや労働側にスタンスがある点で、旧社会党や民社党系に推されているのであろう。そのように細部に入り込むとどっちもどっちということになってしまう。「足して2で割る」ではなく、「足して、いらざるものを引く」というべきところであるが、現実は、そうはならないようである。
 総選挙の結果、自民、民主とも過半数は取れず、連立内閣となれば、その連立相手の政策がポイントになる。社民党、国民新党がその受け皿としてざわついているようでもあるが、そうなると何だか、複雑な様相になりそうで、私も悩みそうだ。

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2009年5月15日 (金)

老兵たちのフォーラム5月例会・3

 質疑討論から
 
参加者からは、提起に対するコメントだけではなく、いくつかの意見、提起などが出された。その発言メモを基に私が私流にアレンジしてまとめてみた。従って、以下の文章は発言内容の記録ではないことを断わっておく。
1、将来に対して希望を持つか持たないか
 とりわけ若い人が、将来に希望を持って努力していこうという層と、努力しないでも何とか生きていければいい、地位も名誉もいらない、という層に2極化しているのではないか。(ここに格差の成因をみる) 
 なぜこうなってしまったのか。考えられる一つは、職場・仕事の関係で人間関係が希薄になった、それはあまりに行き過ぎた「成果主義」にあるのではないか。もう一つは、労働関係法など「規制緩和」によって、労働が生活の糧ではあるが、同時に労働そのものへの畏敬はおろか、苦痛や生存そのものへの脅威と化したのではないか。
 少年期、青年期に描いた夢(目標)を持った人と、何かのきっかけで目標をなくし、あるいは夢を断たれて活力を低下させてしまった人たち、その分断された現実の根は深いといわねばならない。

2、格差のあるのが世の常
 生まれ育った時から、「金持ちの家の子は金持ち、貧乏人の家の子は貧乏人」それが当たり前だった。その格差をバネにして苦学もし、努力もした。
 現在の資本主義社会では、なんにしても「差」出るし、それを求めて競い合っている。その仕組みを変えること、教育の在り方も考えないと、総体として「格差社会」はなくならない。
 努力しても報われない、努力もしない人も同じ、そんな風潮の中でのセーフティネットは必要か、考えさせられる。

3、格差社会とは「封建制度」そのものだ
 企業というものは、(発言者の時代では)封建制度の残る社会であった。あたかもピラミッドの体を成し、人事昇格制度があった。経営の世襲制すらあった。
 こんなことではだめだと思って労働組合を動かした。「働くばっかではいかん、人生を楽しむことも大事だ、だから、最初は隔週だったが、週休2日制を産業界で最初に実現した」「春闘については、いろいろいわれるが、統一要求で業績の悪いところも賃金を引き上げるという面もあった」「働く者の、国別格差もなくさにゃいかん、そう提言している」
 とにかく、世襲制はだめだ。

4、日本には日本らしい制度、生き方がある
 人間、生まれながらにして能力差はある。それ自体は否定しようもない。それが「格差」として出てくるとき、この社会はどんな制度で「格差」の存在を規定しているか。
 日本の年金制度を見るとき、そこに「差」があるのは確かだが、上限があってその「差」は少ないのではないか。(むしろ問題なのは、保険期間未達の無年金者、国民年金だけの人の低額年金者)
 全員加入が原則の健康保険と国民年金制度が、日本のセイフティーネットであり、誇れる制度である。こんにち問題なのは、戦後の日本社会があまりに「アメリカナイズ」された、その在りようではないか。
 「分かち合う」「思いやり」は日本人が持っていたスピリットだった。とりわけ若い人たちには、そうしたものが希薄になった、失われたことは「格差社会」を考えるとき、大きいように思われる。
 率直にいえば、若い世代に、分かち合うこと、人への思いやりを「自覚せよ」といっても、それ自体がどういうことかわからないのではないか。そういう社会で生きてきた、育ってきたのではないだろうか。
 教育の問題というけれども、教育する教師を教育しなくちゃならない。こんにちの状況の中で、どのように問題意識を持たせるか、ということだろう。

5、提起に同感する部分
 「格差のない社会とは」で、①戦争、紛争のない「平和」な社会。②上下の圧縮と中間層の拡大及びセーフティーネット。③教育と職業訓練の機会。④教育費、医療費、高齢者・障害者の医療・介護、これらの無料化 。これに同感する。
 「社会民主主義」というくくり方をしたが、その具体的展開を期待したい。
 「格差のない社会とは、分かち合う社会である」は、その通りだと思う。それをさらに深めて「分かち合う」というイメージと社会的な制度・政策を練り上げることを期待する。 了

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2009年5月14日 (木)

老兵たちのフォーラム5月例会・2

3、現在の格差問題
 いろいろ言われる現在の「格差問題」をざっと拾い上げてみよう。
1)新自由主義経済(市場原理主義)の行き詰まり・破たん
 アメリカのサブプライムローンを発端とする経済危機は、なお進行中である。その経済的メカニズムはさておき、実体経済が金融経済に蹂躙された結果であり、それを許したのは、新自由主義経済(市場原理主義)である。その結果、経済のグローバリーゼーションの行き詰まり・破たんとなったといえるのではないか。
 この新自由主義経済は、市場原理主義の経済思想に基づく、小さな政府推進、均衡財政・福祉・および公共サービスの縮小、公営事業の民営化、経済の対外開放、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などをパッケージとした経済政策の体系といわれる。
 弱肉強食を当然視し、競争志向を最高のモラルとする市場原理主義経済かつ合理主義の経済人がこの社会を主導し、今日の結果をもたらした一面を見逃してはならない。「格差」を大きくした以上、市場経済に寄らない方法でその回復を図る義務がある。できないのなら退場すべきであろう。(自民党政権の退場、社会民主主義への政権交代)
2)中間層の崩壊
 現実的にみて、「貧富の差」は存在し続けるであろうことを前提に考えると、現在の「格差問題」は、一言でいえば「中間層の崩壊」といえるのではないか。つまり中間層の総体的低下に加え、上位の中位化、中位の下位下、下位の貧困化であり、極貧層の死活問題化への変化である。
 そしてそれらが、「年越し派遣村」という「可視化」によって、社会的に強く意識されたことが、こんにちの「格差問題」をより明確にした。
3)医療・介護・年金問題で不安が増幅された
 格差は貧富の差でもあるが、より一層格差を意識するのは、「病気に罹っても医者にかかれない」「介護サービスが低下して家族の負担と費用負担が増加」「年金水準が低下(増税)した。将来の受給に不安」というような状況によるところが大きいと思われる。ここには、失業と共に、操短等で所得が低下していることに加え、「預貯金の目減り」と「ローン」の負担が、心理的に圧迫している面もあろう。
4)社会的セーフティーネットの不備が露見
 一般に中間層は「老後」になっても、「健康保険」「年金」「貯蓄」の3本柱で生活の安定、維持が図られると考えてきた。また、憲法25条でいう「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」に基づいて「生活保護制度(法)」があることは知っているが、その世話にはなりたくないと考えるのも、この中間層の特徴ではないだろうか。
 ところで、派遣切り、雇い止め、リストラ解雇、傷病による解雇などによって「生活保護制度」に依拠せざるを得ない人たちが急増したが、自治体が受け入れを拒否(回避)するケースが続出している。国との共同分担ではあるが、財政負担に耐えられないからである。これらのケースについては、「派遣村」や「労働電話相談」の実例から明らかになっている。
 また、生活保護が受けられたとしても、先に紹介した31歳単身世帯の場合の「月額合計 137,400円」では、多くの場合、半分程度が住居費に割かれ、1日の食費を2000円程度にしても、手元に1万~2万円程度しか残らないという。これをもって「文化的な最低限度の生活」といえるかどうか。
 また、派遣会社、零細企業に多いとされる無保険者(健康保険、雇用保険など)を救済する制度はない。つまり社会的なセーフネットのほころびが明らかになってきたといえる。

4、「格差社会をなくす」処方箋はあるか
1)格差の実感
 結局「格差」というのは、どう実感するかというもので、「均一平等」がその対極ではない。また、実感というのは「幅」に規定されるのではないだろうか。例えば、人によっては住いが、一戸建て住宅とマンションとでは、格差を感じないかもしれないが、持家と借家では、若干の「差」を感じるかもしれない。
 公務員と民間のサラリーマンとでは、それほど格差があると思わないだろうが、大企業と零細企業への就業とでは「差」を感じるかもしれない。定職者と失業者の場合、失業者の側が「差」を感じるかもしれない。
 結局これらは、「収入の差=物質的な差」といえるのではないか。だが仮に「質素」を旨として生きるならば、この「差」は、「格差」とは言わないだろうし、思わないだろう。つまり実感しないということでもある。
2)格差のない社会とは
①戦争、紛争のない「平和」な社会
 ひとたび戦争となれば、弱者は捨て置かれ、犠牲を強いられ、外国人は排斥されることもある。増税によって中間層は崩壊し、権力者と権力に庇護される層とそうでない層の対立、格差が生じる。戦争、紛争のない「平和」な社会であってこそ、格差のない社会への道である。アメリカは度重なる戦争で、格差社会となった。
②上下の圧縮と中間層の拡大及びセーフティーネット
 貧富の差が3段階あるとして、「格差をなくす」方策の一つは、上下幅の圧縮且つ中間層の拡大をもってすれば、全体として格差社会の解消とまで言えなくても、「格差の少ない社会」といえるだろう。
 ということは、富裕層には形のない上限を設けること、即ち所得税、相続税、贈与税については上ほど高い累進課税とする。固定資産税は、一律課税から一定以下は無税にする方法が考えられる。
 中間層の拡大とは、もっぱら下位の層、貧困層のボトムアップである。
 富裕層と中間層上位から吸収した財源により、社会的セーフティーネットを確立させる。
③教育と職業訓練の機会
 貧富に関係なく、教育を受ける機会の保障、雇用機会の均等、老若男女に関係なく職業訓練を受ける機会の保障、これらは、社会にとって有効な科学技術の発展を促し、失業者をなくし、社会復帰を容易にするだろう。失業者ゼロが「格差のない社会」のベースである。
④教育費、医療費、高齢者・障害者の医療・介護、これらの無料化は、セーフティーネットの基盤でもある。
3)職業観・処遇の見直しを
 職業に貴賎はないというが、現実は、差別化さえ進んでいる。「3K職場」は外国人、第1次産業への就業
者の減少。製造業から通信・情報などのIT産業、放送・制作業界、観光・旅行会社への志向など。
 この先の地球の温暖化、気候変動など、環境問題や人口の増加問題、資源の枯渇などを考えると、日本一
国では解決できない問題と、国内問題として取り上げねばならない問題とがある。
 国内的には、農林水産業を再建して、食料自給率の問題から農業と水産業の再建は避けて通れない。木材資源の確保、洪水対策の上からも国内林業の自立支援は欠かせない。医療、福祉、介護事業従事者の増員は、緊急課題でもある。
 これらが及ばない現実と制度、政策的に渋滞しているのは、これまでの差別的な職業観と処遇に問題がある。同時に、財界寄りの経済政策重点の、政策的後進性にあると考えられる。ある意味では、もっと研究されるべきであろう「社会民主主義」の到来が待望される時代といえるかもしれない。

最後に
 格差社会をなくしていこうということは、実体としての富の分配のあり方を見直し、再分配による公平性・平等性を求めるということでもあるから、制度・政策面から考えることができる。本稿では、それを「社会民主主義」と規定してみたが、イコール社会民主党の政策というわけでもない。考察の余地は十分にあり、というところである。(第3の社会制度論)
 一方、精神的な面からいえば、物質的豊かさを求めての「上昇志向」を一概にNOとはいえないが、物事には際限があること、ほどほどにという抑制された修養(くらし)も必要な時代に入りつつあるといえるのではないだろうか。
 イスラムの「喜捨」ほどでもないにしろ、いろんな意味での「分かち合う」ことなしに地球の、そして人間の未来はないのではないか。
 格差のない社会とは、分かち合う社会である、にたどり着いたが、いかがであろうか。了。 
(続く)

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2009年5月13日 (水)

格差社会はなくせるか

 老兵たちのフォーラム5月例会・1
 フォーラムの5月例会は、「格差社会はなくせるか」で、問題提起の役を仰せつかったが、課題の大きさにこの1か月、気の重い日を過ごしたのだった。
 まずテーマは、格差社会の存在を認めてのことである。その格差をなくせるかどうかを問うているが、「なくせない、なくならない」という一応の推論はあるとしても、現状を見ながら、格差とは何か、何が格差を構成しているのか、なくす方法論はないのか、難題だが制度・政策面からも迫ってみたいと試みた。入口か、それから一歩か二歩踏み込んだ内容でしかならなかったかもしれない。
 はじめに、諸先輩を前に「こんなことは言うまでもない」と思いつつ私は、「格差社会の概史」から入った。助走のつもりであった。
1)人類誕生の起源からいえば、狩猟、農耕いずれの場合も、天候不順で食糧確保が困難となり、「貯蔵」するようになったと考えられる。<持てるもの、持たざる者の誕生、知恵も生まれる>
2)狩り場、耕作地に良否があると知り、その領域の確保をめざすようになったと考えられる。<所有、支配、独占の始まりか>
3)良い猟場、農地、漁場が争奪の対象となり、争いが生じるようになった。
4)争奪のエスカレートは、個人的、集団的「力関係」を生みだした。さらに、闘士、兵士という武士、兵隊を構成し、武器、兵器と組織性(軍隊組織)の発展を促した。
5)争奪は、集団的な争いとなり、その勝敗によって支配者、被支配者の関係ができるよいになった。<当然、支配される側は、支配する側より低い生活水準を強いられた>
6)少数の共同生活から集落ができ、村落となり、荘園などの支配地域が確定していくようなった。その支配を構成する組織に首領をトップに、上下関係ができていった。その上下関係は、物質的豊かさの差でもあった。
7)文明、文化の発達は、「大航海時代」の到来、「産業革命」をもって、人種、民族、宗教間の、世界的争奪、侵略の時代に入り、植民地からの収奪と奴隷化、また移民が行われた。また、鉱工業生産物の売り付け、市場経済が発達し、市場の争奪も始まった。<これらは富の差を巨大化した>
8)独立を求める植民地と列強の紛争、戦争がはじまり、世界大戦へと進んだ。一方産業革命を前後して、労働者階級の反乱、決起が盛んとなり、共産主義、社会主義が台頭して、革命闘争、革命運動も起き、「階級闘争」が意識された。<格差社会は階級社会と表現する時代ともいえた。>
9)第2次世界大戦後は、「核の時代」であり、「核保有国」が世界支配の中軸となった。一方経済復興を果たした日本やドイツなどが市場経済力を持って台頭した。
 戦争に明け暮れたアメリカは没落の途上にある一方、新自由主義のもと、グローバリゼーションの波が発生し、押し寄せた。世界経済大混乱の時代に入った。それは「格差」の拡大と言い換えることができる。
1、社会的格差-日本の場合
 憲法第14条では、「すべての国民は、法の下で平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的または社会的関係において、差別されない」とある。
 この「差別されない」という規定と、後述の第25条の規定は、実際に存在する「格差」と深い関連があると思うがあまり深入りしない。ただこれは考察上、原点または起点といえなくもない。現実がそれを教えている。
 それで一般的にいう「社会的格差」とは、「身分格差」という捉え方もあるが、ここでは「貧富の差」と規定してみると、それは「富裕層」「中間層」「貧困層」と大別される。それをさらに細分化すれば、(たいした根拠はないが)
1)富裕層・・・超富裕層(起業成功者)、特権的富裕層(遺産相続者)、高級官僚、経営トップ(一部)
2)中間層・・・上位(高級公務員、特別公務員、会社役員、農林水産事業者を含む個人事業者)、中位(年収600万円~1000万円程度の管理職、一般職、個人事業者)、下位(年収600万円~300万円の勤労者など)
3)貧困層・・・低所得者層(世帯で年収300万円以下)、貧困層(生活保護世帯の水準)、極貧層(生活保護世帯かそれ以下、ホームレス他)
【参考】生活保護費の例-東京都区部と地方郡部などの比較(表) 省略

2、私が在職中に体験した、企業内の「格差」について
 一概には言えないが、一般社会で起こる現象は、えてして企業内で先行して起こる。「格差」のいろいろは、私の職場ではこんな形で存在していた。
①身分格差・・・職員と工員、本工と臨時工
②学歴格差・・・大卒、高卒は職員、中卒(養成工)は工員そして臨時工(準社員)で、給与体系が別。⇒養成工制度廃止後の高卒は、技能職群(現場配属=旧工員)と事務技術職群(旧職員)に。
③職能格差・・・管理職は別として、事務職、技術職、技能職、特務職(守衛など)という職郡に等級をつけた。(職群等級格差と表現した)
④男女格差・・・身分、学歴に加え、昇進、昇格、昇給の扱いに男女差があるとされた。
※これら4つ「格差問題」は、社員制度の改定をもって、職群等級制度、職務記述書をもって固定化された。
※工員から職員への道・・・技術員教習制度⇒機会均等をうたう一方、格差の存在を認めた制度である。
※高卒職員採用に「指定校制度」があるとされた。
※臨時工⇒準社員と季節工(直接雇用)、社外工(派遣、請負)

 ここでは「格差」と表現しているが、実はこの「格」とは何か、という基本的な認識はあまり語られない。賃金の比較でいうときは「較差」という。私の手元にある1955年版「広辞苑」には「格差」という言葉出ていない。では現在でいう「格差」は、「差別」と同じであろうか。そういう面もあるが少し違う感じがする。そうすると「身分」の「差」であろうか、正規雇用と非正規雇用の違いのように。
 ということで次回は、現在の格差問題について考えてみたい。 
(続く)

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2009年5月12日 (火)

坂喜代子予定候補はフル回転

6月末解散総選挙がいいかも・・・
 坂候補のMLの情報によれば、坂喜代子後援会も立ち上がり、街宣用の機関紙「社会新報」の増刷、街宣車運用で街宣行動も軌道に乗りつつあると聞くから、どうやら、「臨戦態勢」はそれなりに出来たようだ。
 小沢代表辞任で、解散総選挙は極めて流動的であるが、私が見るところ、社民党の体力から「6月末解散総選挙・7月12日投票」が一番いいのではないかと思う。常識的に言って、7月12日が都議会議員選挙の投票日であるから、あり得ない日程かもしれないが、麻生首相は、そういうことに反発するところがあるから、全くあり得ない話ではないと、私は見ているのだが。
 ところで、後援会の発会式に寄せられたメッセージの中で一つだけ紹介しておきたい。辻元清美社民党衆議院議員のメッセージである。
 『この経済危機を受けて多くの若者が職と住を失いました。かつてない速度で貧困が広がる中、政府は未だに事態を直面することもなく、金持ち優遇のバラマキを続けています。この間、政財界が一緒になって、雇用・教育・医療など私たちの生活のいたるところに分断と競争を持ち込みました。私たちが「年越し派遣村」などで目の当たりにした光景が、雇用政策の過ちによる政治災害であることは明らかです。私は政治に関わる者として申し訳なく、恥ずかしい気持ちでいっぱいです。
 「市場の原理最優先」から「セーフティネット整備の市場」へ。「競争と自己責任」から「共生と助け合い」へ。そして「小さな政府」から「効率のよい政府」へ。ピンチをチャンスに変えて、日本のビジョンを描き直す主役は皆さんです。その手段が半年以内に行われる総選挙。不安と不信の連鎖を断ち切り、互いのつながりを取り戻す連帯の政治へと質を変え、社会の設計図を書き換えなければ、日本の建て直しは手遅れになってしまします。
 政治は弱い人、貧しい人のためにある。でも現実に政治を牛耳ってきたのは強い人たち。今度の選挙を、50年続いてきたこの「本当のねじれ」を一緒に解消し、本来の政治を自分たちの手に取り戻すチャンスにしようではありませんか。今度の選挙の争点は、まるごとの「日本の将来」なのです。
 ずっと働く者の味方として、現場から国際会議の舞台まで全力で走り続けてきた坂さん。いまこそ国会はあなたの力が必要です。一緒に格差のない社会へと変えていきましょう。』
 坂さんがこの選挙に出る動機となったこと、国会でやってみたいことなどが織り込まれた辻元氏のメッセージであるが、これは「C&Lリンクス愛知・第51号」にも転載させてもらった。
 そこで私も一文を書き添えた。
  もっと女性議員を!これが国政改革の第一歩です
 『私は、地方議会の議員でも、国政の議員でも、もっと女性議員が増えて活躍することが、改革の第一歩だと考えています。
 くどくど言うつもりはありませんが、まず、一番大切な政治の根幹である「平和」について、女性の揺るぎない反戦思想に期待したいのです。男性の思想は、最初から「敵が攻めてきたらどうする」から始まります。戦争や紛争にならないで「仲良くやる方法はないの」という「平和主義」が、腰抜けか意気地なし、と考えてしまう傾向が強いのです。
 次に、日々の暮らしの前面にいるのが女性です。経済や社会の仕組みがわからなくても、日々のくらしから、現在の政治の状況を感覚的に受け止めているのではないかと思う。とすると、景気や物価、税金のことだけでなく、若者が職に就けない、就かないこと、長く会社に勤めた人の失業(解雇)や病気などに対する見方は、「負け組」とか「落伍者」という受け止め方にはならないと思うのです。
 坂さんと私の出会いは、2008年1月の、ATUサポート市民の会の結成時が最初であり、今では、APWSL(アジア太平洋労働者連帯会議)愛知の、代表と事務局長という関係ですが、久しぶりにバイタリティー溢れる女性と出会ったという印象を持っています。現在の社民党からの立候補は大変ですよ、と伝えましたが、今は、可能性はゼロではない、そう思って応援しています。』

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2009年5月11日 (月)

民主党小沢代表の辞任

 電光石火のポスト小沢が肝心
 テレビ、ラジオに接する機会がなかったので、「小沢辞任」のニュースを知ったのは、午後10時過ぎのネットからだった。時間をさかのぼって経過を追ったが、肝心の「ポスト小沢」は霞んでいた。ネットでは、「遅きに失した」とか「献金問題」に絡んだ、どちらかといえば民主党たたきの記事が多いように感じたが、だからといって、「政権交代」の流れが大きく変わるとは思えない。
 党内では、岡田克也元代表、鳩山幹事長を軸に代表人事が動くようであるが、ここは「電光石火」の人事が肝要である。「小沢辞任」は既定の事実であったのだから、この期に及んでもたつくようでは、何のための「小沢おろし」の鳴動だったのか、ということになる。
 手続きはあろうが、一刻も早く代表、幹事長など新役員人事を決め、麻生首相に頭を下げて「党首討論」の早期開催を申し入れるべきである。もちろん国会では補正予算の審議などがあるから、それらに対応しつつ街頭に出て新代表のお披露目、麻生首相が何を言おうが、解散しようがしまいが、総選挙への旗揚げをぶち上げるくらいの勢いをつけねばならない。つまり「小沢辞任」の最大効果を狙わないと、最大の減点効果に堕してしまうことを恐れるべきであるといいたいのである。さてどうなるか。
 

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2009年5月10日 (日)

労働者は体が資本

 時代を超えて今もある
 不定期刊の「C&Lリンクス愛知」の第51号が仕上がった。前号に引き続いて、河村新市長誕生の「名古屋市長選挙」と社民党・比例東海の坂喜代子候補に関する「衆議院選挙」を考える2題。
 「リンクス」のあとがきでは、「・・・衆院選は現在進行形であるが、この二つの選挙戦では、関心を持ちつつ、現場には立たなかった。少数でも組織化を図り、一点に集中して行動するという、従来の運動パターンは退化しつつある。ただ、誌上だけでいいのか、という思いは絶えずあるし、気力が減退しているわけではないとはいえる。坂喜代子後援会の街宣車のナビくらいはできそうだ。」と書いたように、運動にかかわる全体としての姿勢は、一歩も二歩も引いていることは確かである。
 さて「リンクス」表紙のコラム「ひとこと」では、「体が資本」というテーマで書いてみた。
 ・・・年配の人なら、現役時代に「体が資本」という言葉を日常的に使っていたと思う。敗戦後の職のない時代、あっても低賃金、長時間労働で、病気や怪我をしても何の保障もない時代だから、傷病でたちまち失業してしまう。だから「賃金(利潤)」を得るのは「体(資本)」しかないということであったのだろう。
 私が現役の若かりし頃、1960年ころを前後して、沢山の「臨時工」が採用されて配属されていた。「本工」になるまで2年、3年は珍しくない時代であった。そうした人たちの身分は不安定で、能力もさることながら、健康状態も厳しくチェックされていただろうから、数少ない有給休暇もほとんどとらないように思われた。
 後年、その人たちが「本工」になってからも、定時間内賃金(基本賃金)は低かったので残業に依拠せざるをえなかった。また、体を悪くして傷病休暇扱いになると、基本賃金の8割~6割に減じるので、どうしても無理して出勤することになる。
 ある定期健康診断の時Gさんは、尿検査の紙コップに水を入れて薄めて提出した。糖尿病(視力低下)の発覚を恐れてだった。
 会社の健康管理や休業補償はよくなり、「表現」が変わっても、「労働者は体が資本」という状況は今も変わらないだろう。
 
 そう、過労死、過労自殺、鬱(うつ)などがまん延している昨今では、ドロップアウトする勇気をもつことも選択肢にあることを自覚すべきだと思うが、当人を説得するのは至難の業である。お連れ合いの助言、助力が欠かせないであろう。「健康あってのお仕事、幸せな今と未来だから」と。

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2009年5月 9日 (土)

新緑の新海池公園

 散策するも頭の中では
 一仕事を終えて午後3時、来週の「熊野古道・伊勢路ハイキング」の打ち合わせのため、近くの友人宅を訪ねたが留守。その足で新海池公園へ行く。沢山の親子連れが来ていた。グランドでは少年野球の練習、バスケットボールのリング前では中学生が7~8人でボールの取り合い、芝生のある木陰では、ビニールシートを敷いた家族連れ、5~6歳の男の子にキャッチボールの相手をしている男性、子供の後ろには母親であろう女性が控えている。池では数人が釣竿を立てていた。
 すっかり葉桜になった桜の木に赤い実が付きはじめていた。食べられるほど大きくも熟しもしないが、新緑に赤はよく映える。
 少しばかり伏せっていたこともあり、この新緑がまぶしい。いい季節だと思う。スケッチブックを持っていれば、簡単なスケッチと詩の一つも浮かびそうな気がしてくるが、そのように構えたときほど何も出てこないものだ。
 仕掛けた仕事が中途で止まっているが、行き詰まっているから、パソコンの前に座っていても少しも進まない。何かのきっかけがほしい。明日中に仕上げないと困ることになる。気を楽にして、ぶらぶら歩いている割には、肩に力が入っているような気がしないでもない。ベンチに腰をおろしても、すぐに腰が浮く。
 そういえば、今月に入ってから10日目だが、食欲はあっても、一滴の酒も飲んでいない。“誘い”がなければ断酒はできそうな気がするが、何かと人のせいにするところが断酒できない所以であろう。
 

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2009年5月 8日 (金)

週刊少年マンガ雑誌50年

 そういう道を通ってはきたが・・・
 郵便局では、「週刊少年漫画50周年」の記念(特殊)切手が売られている。そのⅠは3月17日の発売で、その一つが「週刊少年サンデー」で、表紙を飾ったのだろう「おそ松くん」「まことちゃん」「カムイ外伝」「パーマン」「うる星やつら」「サイボーグ009」「タッチ」などが切手化されている。
 もう一つが「週刊少年マガジン」で、「8マン」「タイガーマスク」「巨人の星」「ゲゲゲの鬼太郎」「愛と誠」「天才バカボン」「釣りキチ三平」「あしたのジョー」などが切手化された。
 このあたりの一部なら、漫画家の名前も一人二人はあげられるが、5月22日発売予定の、そのⅡでは「週刊少年サンデー」「週刊少年マガジン」どちらの漫画の代表作も知らないものばかりに違いない。テレビで見る「名探偵コナン」くらいか。
 なぜ今年かといえば、1959年4月17日が、「サンデー」と「マガジン」の創刊の年で50周年。
 ところで、両誌の創刊当初に繰り広げられた熱い闘いを描いたドラマ「ザ・ライバル『少年サンデー・少年マガジン物語』」が5月5日の午後10時から、NHKで放映されたのをたまたま見た。当時の新入社員役で、両誌のライバルとなる伊藤淳史、成宮寛貴がやがて編集長になっていく過程でもある。
 漫画がその時代の文化として受け入れられていく変遷でもあり、アニメ化されたものが世界的に評価される今日ではあるが、私の感覚では、漫画やインベーダーゲーム(古い!)のようなものが単独で読まれ、遊ばれるだけでは、それは遊びでしかないのではないか。
 1970年代、少年マガジンと朝日ジャーナルをもって歩くのがちょっとしたファッションだった時もあったようだが、私は、この組み合わせにエッセンスがあったと信ずる世代ではある。

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2009年5月 7日 (木)

カードによる決済

 いいのか、よくないのか…
 近くのスーパーマーケットで買い物をすることが多いので、勧められるままに、系列会社専用のカードを作った。それを始めて行使したのが今日だった。
 年金受け取りの金融機関と同じ口座から引き落としになるが、入ってくる入口は1か所であっても、何がどこから引き落とされるのかという出口はこれで3つになった。1つに集中すればいいような気もするが、行きがかり上とも言える形で分散させている。以前からの取引があった銀行、その後近くに新たな金融機関ができて、近くの便利さから口座を作ったケース、郵便振替口座の関係で「ゆうちょ銀行」を使用しているというケースもある。
 勧められるままにカードを作ったとはいえ、実はカード決済に慣れておきたいという気持ちも多少はあった。大した理由ではないが、スーパーのレジで、お年寄りが銭勘定にしばしば時間をかけているのを見かけ、これではレジ係も後続の客もいらつくことになるかもしれない。その点カードなら、と思ったこと。また、特定の日の買い物なら5%の割引になることは知っていたので、それを期待する気持ちもあった。何だか、そういった行為がやけにケチくさいと思っていたのだが、まあ、こだわりが薄くなったということか。
 カードといい、なにがしかの契約書類の解読、手続き、パソコンやデジカメの多様な使いこなし、ビデオの収録の扱いとか、それらが徐々にめんどうくさくなってきていることは確かである。今のところ、ちゃんと説明を受け、取り説を読めば何とかこなせることでも、あと数年もしたら、手にする前から投げ出して、自分の手で処理することが出来なくなるかもしれず、やはり、「自分でやってみること」に慣れておくことが何事につけ大切なことかな、そんな気持ちでもあったのだった、今日のカード決済の第1歩は。
 
今夜のTMPCWAを支援する愛知の会の会議は、体調が回復せず欠席となった。

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2009年5月 6日 (水)

新型インフルエンザ

 もし魚類に発生したら・・・真昼の悪夢・・・
 “閉じこもり”をいいことに、ニュース番組を観ていると、冒頭はやはり「新型(豚)インフルエンザ」関連ニュースである。外からのウィルス侵入を防ぐ「水際作戦」と「疑わしき者の追跡調査」そして隔離しての検査である。また、予防薬「タミフル」の貯蔵状況や、新ワクチンの開発・製造の状況も伝えられている。
 つい先日、豊橋での「うずら(鳥)インフルエンザ」の感染で大騒ぎであったが、これで、BSEの牛、鳥インフルエンザ、豚インフルエンザと家畜の3つに問題が生じたことになる。
 そしていっそう心配なのは、仮に「魚類」に何らかの細菌、カビ類で食用に赤信号が付いたらどうなるのだろうかという点である。刺し身が食べられなくなることくらいだったら我慢はできようが、漁師に感染したり、魚市場の仲買業者、小売店、料理店での調理師、店員など、直接魚を扱う人に感染する例が出たら、絶望的にならざるを得ない。殺菌された缶詰以外は食べられなくなる?
 どうしてこんなことが起こりうるのか、かなり有力なのは、地球上の開発による、眠れる細菌を目覚めさせた結果であり、抗生物質も効かない細菌類の登場、あるいは、遺伝子組み換え、放射能による影響、そうしたものの進化、変化、そしてまた進化、変化・・・。
 魚類で心配なのは、海洋汚染であり、とりわけ放射能汚染である。日本の、一つの原子力発電所で「チェルノブイリ」のような事故が発生したら、日本近海の、沿岸漁業は壊滅的な打撃を受けるに違いない。
 あり得ない話ではないので、そうならないことを祈るばかりであるが、「すべての核の廃絶」「遺伝子組み換え、放射線照射食物の禁止」など、今やれることでも、逆に進行中であることに、関係者のため息が聞こえてきそう。
 「パンデミック」は、1種類の細菌だけでやってくるとは限らない。新たなものが波状的に来たらマスクだけでは防ぎきれない。
 寝てばかりいると、ろくでもないことばかり考えるものらしい。

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2009年5月 5日 (火)

体調不良が続く

 子供の日を思う
 月が変わってから体調不良が続いている。風邪の症状であるが熱はない。2日のハイキングで悪化させたかもしれない。鼻水が和らいだと思ったら、くしゃみが続き、それも収まりかけたら今度は咳きこむようになった。
 時おり冷水を飲んで咽喉を潤し、ほぼ1日中横になっていた。その間、いくつかの課題(原稿)を思い描いたが「格差社会はなくなるか」の草稿がちっともまとまらない。期限は12日まで。こうして何度も何度も繰り返して考えているうちに、何とかなるものだが、その予感さえしない。
 今日は「子供の日」であるが、それにまつわる何か思い出でもあるのかと、たっぷりある時間の中で思い返してみたが、何も浮かんでこなかった。こどもの日それ自体を楽しみにしていた年齢はせいぜい小学生の時まで。そのころの家庭環境からみて、何か買ってもらったとか、ご馳走でも食べたとか、ひょっとしてそれもあったかもしれないが、恐らく、“普通の日”として通り過ぎたのではなかろうか。 
 子供とおもちゃは切っても切り離せないが、仮に「わが、子供時代のおもちゃ」について一文を書けと言われたら、多分、何を書いていいのやら困り果ててしまうに違いない。ブリキでできた車とか電車を買ってもらったことはないだろうから、思い起こすことはないし、絵本の思い出もない。ハーモニカや木琴などの楽器類にも思い出すことはない。ただ、時期はいつだったかは忘れたが、アルミ製だったかベビースクーターというのがあって、ガラガラとやかましい音を立てて走り回っていたら、周りは殆どが三輪車ということもあって、近所の大人にしかめっ面された思い出だけがある。
 結局、私の子供時代の我が家では、年の暮れの「餅つき」と「正月」くらいに、何かがあっただけのようで、桃の節句に「おこしもん」はあったが、端午の節句は、特別の日ではなかったようである。
 息子の代では、5メートル大の鯉のぼりが、大高川の土手に吹き流れていた。連れ合いの実家の近くのことであった。今では庭先で揺れている孫の鯉のぼりを見るばかりである。 
(追い書き)

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2009年5月 4日 (月)

映画「象の背中」を観る

 かっこよすぎる終末
 昨夜は、秋元康の小説をもとに映画化された作品「象の背中」を、テレビシアターで観た。
 役所広司演ずる不動産会社の部長藤山は、ある日検査で「末期の肺がんで転移もあり、余命6カ月」と、医師に宣告されショックを受けるが、延命治療の道を選ばず、「死ぬまで生きていたいんだ」と家族に見守られながら死を迎える道を選ぶ。
 以下のストーリーは省くが、治療を進める医師に対して、ほとんど即断的に拒否するあたりは、検査結果による動揺とはマッチしないが、音信のなかった実兄とホスピスで最後に語り合う時に「本当は怖いんだ」と胸の内を明かすことでフォローされる。
 最後に会って一言「遺書」を渡したいと初恋の人、けんか別れしたままだった同級生、会社の営業上の都合で倒産に追いやった下請けの社長と会うストーリーは、実際にあったことからのヒントか作話か、どちらにしろ、私もそのようなものを思い描いたこともあったが、実際それができるかどうかは別である。
 藤山には愛人がいたが、このようなストーリーを組み入れるところが、現実はどうであれ映画っぽい。また妻の美和子(今井美樹)の良妻ぶりが「男と女」を対比させている。もちろん「男の身勝手な生き方」への批判として。息子、娘も賢い子らである。
 会社に辞職願を出すときに、後任の人事まで気を回し、死後の家族の生活設計までなし終えて、死を迎える藤山の生きざまは、その早い死(48歳)を除けば、実にかっこよすぎる死であった。
 「余命6カ月」を宣告されて、退職したとしても何事かできるのは4~5ヶ月。多分多くの人にとっては、この映画ほどでもないにしろ、やり残した何かを成し遂げ、心の準備を終えて、終末を迎えることは至難ではあるまいか。
 生きているうちに、「身辺整理」などと口にはしてみるが、日々の暮らしはそれを忘れさせるか、そのものに対する価値観が揺れ、薄らいでいくような気がしてならない。
 小説は小説、映画は映画としても、(物事を懐疑的にみる傾向の)私はそれほど感動しなかったが、共感できたものだったことは確かである。

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2009年5月 3日 (日)

ブログが1000話に

 書けるうちが華と思い
 昨日の2日にアップしたブログが、2006年7月5日から数えて通算1000番目の話題であった。
 アクセス数を見ると「72438」(1日70強)で、訪問者数の平均はわからないが、ざっと見て6割強で毎日45人ほどの人が、ブログを開いてくれていることになる。
 以前はホームページに書き込んでいたが、ブログになってからは話題をぐ~んと広げた。何かの運動のための窓口という縛りがないから、私事の周辺(日記、つぶやき)から、地域情報や運動関連、政治、選挙まで、その日または前日のことなどを記してきた。当分このスタイルは変わらない。
 1000の話題のうち、いくつかは冊子にしたり、「C&Lリンクス愛知」「雑談の櫂」に手直しされて掲載され、文字化した。インターネットをやっていない人にお渡しするのは主たる目的。
 文字だけではなく、写真などを入れたらどうですか、もっと読まれますよ、というアドバイスもいただくが、私のスタンスからすれば、写真を入れる必要性がないと思っている。読まれるとしたら、文字だけで読んでもらえるようにしたいと思っている。それには、取り上げる話題をよくよく選択し、出来れば500字以内でまとめたいとは思っている。しかしそれも、それほど気にすることでもなかろう、と思ってはいるが。
 今日は憲法記念日であるから、鶴舞の名古屋市公開堂で集会があるが、体調が戻らないまま、このブログを打つのがやっという感じで参加は取りやめた。そこで、せめて日本国憲法を読み返してみようと思う

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2009年5月 2日 (土)

新緑の東濃ピクニック

 体調不良の中歩く
 この日「外国人追い出し」をはかる団体の、行動に反対する街頭宣伝があるとのFAXが入っていたが、以前から参加を申し込んでいた「東濃ピクニック」に参加した。ピクニックとはいえ、瑞浪市と土岐市にまたがる「核廃棄物」の地中埋め立ての研究施設について、長く反対運動をしてきた地元のグループ、反原発グループによる、春秋2回開催の恒例行事であった。
 私が誘った4人と共に10時にJR瑞浪駅に集合し、化石公園で車組と合流。全体で、50人ほどの参加であったろうか。最初にコース説明があった後、てんぷら油の廃油を唯一の燃料として、全国を回っているという人の話と、その車を拝見。廃油をその場で燃料に変換する装置を積んだSUV型ジーゼルエンジン車は、すでに5万キロをトラブルなしで走ってきたそうだ。廃油1リットルで7キロほどの燃費だそうで、装置は手作りとか。
 超深層地層研究所では、施設の外からの説明であったが、10年ほど前に来た時に比べ掘削は進んでいるようだが、トラブルも多いらしい。核廃棄物野処理問題は深刻さを増しているようで、原発の耐用年数の問題と絡んで、今後さらに問題化することは間違いない。そういう問題に改めて触れるというのが、このピクニックの狙いであった。参加者のないかには、学生の顔も見えた。
 ピクニックとはいえ、約2時間のコースには起伏の高低差が大きく距離が短い、つまり急坂があって、二つ目の山越えではかなりばてた。森林の中を歩くのは気持ちがいいものだが、ついにそんな気分にもなれず、3つ目の急坂では何度も足が止まった。
 一昨日の夜から、くしゃみ、鼻水がひどくて、単独の参加だったら取りやめていただろうから、コースが険しいというより、体調不良が要因であったろう。
 昼食は現地のロッジで用意されていて、タケノコの入った山菜混ぜご飯、山菜味噌汁、山菜煮に漬物、自家製漬物、自家製梅干しに発泡酒かジュースが付いて五〇〇円。また、持参した水の資質検査のコーナーもあって、「大腸菌がいっぱいの堀川の水は絶対にのまないように」という報告もされた。さんしんの演奏や、家族バンドの出演などもあって、最後に全員で記念写真を撮って現地解散となった。

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2009年5月 1日 (金)

メーデーに参加

  9年ぶりかな
  青空のもと、名古屋白川公園には2000人か3000人かの参加を得て第80回メーデーが開かれた。このメーデーは愛労連系の組合などで組織された実行委員会が主催のようであったが、名古屋ふれあいユニオンや管理職ユニオン東海といった、愛労連系ではない組合も参加していた。
  私にとっては9年ぶりのメーデー集会への参加であった。参加といっても所属なしだから、むしろ「ATUサポート市民の会」として、ニュースの“取材”という立場に近かったが。
  9年前の、2000年のメーデーは、会場が名城公園であった。その日私たちのグループは、愛知万博に反対する第2次県民署名に取り組んでいて、ちょうど中間的な時期だったので、署名活動への参加の訴えと署名数の中間発表を兼ねての登壇だった。記録によれば、透明なビニール傘6本に「170、337」の数字(署名集約数)を入れて、壇上から一斉にかざしたとある。
  今日の白川メーデーでは、発言者の冒頭に、この間「派遣切り」「派遣村」などで中心的に活動してきた藤井さんが紹介された。また、ふれあいユニオンの運営委員長の酒井さんも壇上に並ぶ一人であった。そうしたやや領域を広げて多くの人とつながっていくことはいいことであるが、現場サイドでは極めて部分的であることは確かだ。
  私にとっては、どちらかといえば縁の薄いこのメーデーではあるが、この日、国労関係では知人は多い中、昔の職場の同期と40年振りかに顔を合わせるなどの奇遇もあった。少し前に、ひょんなことで名前を聞き、もしかしたら同期のあれかな?と思っていたのだが、やはりそうだった。
  デモ行進は3方向に分かれての出発だったが、私は若宮大通りから、矢場町、大津通り、栄までのコースに参加したが、パルコ前で列から離れた。

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伊藤和也君 追悼写真展を観る

 志半ばにしてアフガンに散る
 あの不幸な事件は、2008年8月26日とあったから、8か月前のことになるのか。ペシャワール会と中村哲医師のことは、知ってはいたが、深いかかわりはなかった。それでも昨日が最終日であった「アフガンに緑の大地を-伊藤和也君 追悼写真展」に足を運ぶ気になったのは、ひとえに「死」というものと向き合うことそれ自体に興味があり、動機となった。
 80点の写真そのものからは、強いインパクトを受けるようなものはなくて、山の頂に雪のある風景を背景に、いかにも乾いた大地とかんがい工事に携わる人々の姿、あどけない子供たちの戯れ、そうした中で伊藤さんをはじめとする日本からの若いワーカーたちの活動の一部が写真におさまっていた。伊藤さん自身がカメラに収めた写真もあったが、多くは子供たちやお年寄りの姿、笑顔で、そのことが現地に溶け込んでいることの証しのようでもあった。
 現地では、武装勢力との遭遇や銃火が交わることもあったかもしれないが、それらには一切触れられていない。それは、中村哲医師の弔辞の一部「私たちPMSは、極力アフガンの文化を尊重し、アフガン人がアフガンのふるさとで、アフガンのやり方で生活ができるように、平和なやり方で、事業を進めてきました。繰り返しますが、『平和に』です。戦争と暴力主義は、無知と臆病から生まれ、解決になりません」にも表れているように、あえて触れない、関わらないことに徹しているようであった。
 ようやくかんがい設備が整い、井戸堀等で水の確保ができ、大地に緑が甦り、収穫を迎えることのできる土地になって、一度は去って行った人々が戻って来るようなったという。事業は着実に進んでいるようである。
 しかし、緑に甦った大地がいつ戦場になるかわからないし、雪解け水が水源であるから、地球の温暖化で、山岳地帯に雪が降らなくなれば、水源もなくなる。踏み止まって住み続けた住民と、舞い戻った住民との感情的な隔たりが生じないだろうか、という心配はあるが、それでもそこに人々は生き続けていくのである。
 伊藤さんの死は、あまりに短い一生となってしまった。日本からはるか離れた、都市生活とは全く違った所で、事件がなければほとんど知られることのなかった仕事の中で。
 恐らく、そういう境遇では耐えられないだろう自分を思い描くと、人の一生、自分の一生を考えずにはいられない。

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