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2009年3月31日 (火)

弥生・三月過ぎ去らんとす

 なすべきことは、かなりできたと思うが・・・。
 ATUの刈谷駅早朝情宣に参加するため、7時前に家を出た。出勤する人たちに混じってバスと電車を乗り継いで7時40分に、刈谷駅改札口前に立った。ここは名鉄とJRの改札口が並んでいる。
 近辺のトヨタ系の工場従業員が多いと思われるが、不況・操短による減員を感じないほど、多くの労働者が改札口から出てくる。3人に1人は受け取る感じがする。それで1時間30分、6人で3000枚のビラ(ポケットティッシュに差し込み)が配られた。一人当たり500枚というのは、他では味合えない場所ということになる。
 一仕事を終えて、鳴海駅に降り立ったのは10時少し過ぎたころ。バスに乗るのをやめて30分ばかり歩くことにした。ボラの遡上はまだかなと扇川を覗いてみたが、満ち潮から引き潮になる頃だったのか、水かさが少しあって、ふっくらとした鯉が泳ぐばかりであった。
 旧東海道筋にある、老人保健施設のようなH病院は、長らく増改築の工事中であったが、飛散防止の覆いが取れて、玄関が現われていた。浅からぬ縁のある病院の一つであった。
 所は鳴海町相原町で山車小屋の前、鰻屋と花屋の間の小路に足を踏み入れた。このあたりの道筋は昔のままであり、同級生も数人いたので地理には明るく、どんどん入っていくことができた。Gの家は更地になっていた。Kの家の表札は変わっていなかった。ちょっとした屋敷風で黒塀のTの家の表札も昔のままだった。栢ノ木、会下、赤坂、石畑、宿地の住宅地を抜けて汐見が丘の交差点に出た。
 そこから旭出川に出て、といってもその川は3面がコンクリートで固められているから排水溝といっていいだろう。その旭出川沿いに少し北上したところで手芸センターに出たので、思いついて店内に入った。お目当ては「染料」で、愛用の帽子の色が相当色褪せてきたので、初体験であるが染めて見ようと思ったのである。棚をみれば、「脱色剤」もあれば「色落ち防止剤」もある。知らなかったなあ。色落ち防止にはお酢を適量(?)落とせば効果があると聞いたことはあったが・・・。
 旭出小学校周辺の街路樹と公園の桜はまだ咲き始めてから少し花開いた程度であった。
 梅か桃かと思っていたらもう桜の時期で、弥生・三月も今日で終り、それなりになすべきことはやれたかな、でも繰り延べも幾つかあったなあ、そんな2009年の第1四半期であった。

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自動車産別の交流会・3

 情報交換・交流に+α
 非正規雇用労働者の問題でもう一つは、既存の労働組合、大手の正規雇用労働者で組織する連合傘下の組合の動きである。連合トップの高木会長はそうでないかもしれないが、多くの組合は緩慢な、というより、正社員だけの雇用と労働条件だけにしか関心がないというか、非正規雇用労働者の問題にはほとんど傍観しているというのが実態である。
 そればかりではなく、一部の組合では、やむを得ず地域ユニオンに救済を求めて駆け込んだ労働者に対して、会社にユニオンショップ制を求めて排除する連合系の組合であるとか、「御用組合」を組織して、「組合が組合つぶし」をするケースもあるとのことであった。
 「第二の埋蔵金は、労働組合の闘争資金・積み立て金」といったかどうか知らないが、ストライキなど当初から打つ気もないのに、建て前として「闘争資金」を徴収している組合は少なくない。一部には潤沢なその金庫を開いたと思ったら、この不況下で会社側から勝ち取れない賃金闘争の代わりなのか、闘争資金を「生活資金」として分配した組合もあった。もちろん、非組合員である非正規雇用労働者は対象外であったであろう。
 さて「どんな職業であっても個人加盟のできる組合」それが「ユニオン」である。今回の交流会にもいくつかのユニオンからの参加があった。この愛知にも私の知る限り、全トヨタ労働組合(全トユニオン)、名古屋ふれあいユニオン、管理職ユニオン東海、女性ユニオン名古屋、愛知連帯ユニオン、ゼネラルユニオン東海支部などがある。どのユニオンも今は、窓口対応のメンバーが少ないこともあって、労働相談と交渉や公判対策にかかりきりで大忙しである。
 では、はたしてこの「ユニオン」を名乗る労働組合は全国でどのくらいあるのだろう。参加者の一人から「コミュニティーユニオンネット」として130余りあるといっていたが、未登録のユニオンも多数あろうからそれは、全体の半分にも満たない数字かもしれない。
 さらに、「総評・同盟・中立労連」の時代から「連合・全労連・全労協」の時代を経て、事実上、ナショナルセンターを持たない旧組織の「第1組合」として残り、あるいは、少数の第2組合として自立した組合などを含めれば、数百規模の労組・ユニオンになろうが、加盟組合員としてみれば数千から数万くらいだから、組織面からは影響力も知名度も低いであろう。
 だがこのような失業時代になれば、その存在価値は何十万の組織人員を持つ組合より、はるかに大きな力を発揮する。もちろん「春闘の相場作り」や、制度政策要求の「政労使」の話し合いの場に登場することはない。しかし、明日をも知れぬ労働者が頼る“生命線”の細い糸として存在感を示すのである。
 みんなそんな現場に立ち、あるいは経験をしてきた者の集まりであるから、貴重な時間を使って集まった機会を情報交換と交流だけではもったいないとして、「その時機あれば、自動車産別として声明を出すなり、経営者(団体)に申し入れするなりの行動」「ニュースの発行体制強化を」「例えば“格差社会はなくなるか”といったテーマでメール上の意見交換なども」という意見も出て、多少の「+α」が付け加わった今回の交流会であった。

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2009年3月30日 (月)

自動車産別の交流会・2

 非正規雇用労働者の問題
 やはり報告の内容の中心は、春闘の経過、結果もあったが、非正規雇用の問題であった。
 昨年の暮れから期末となる今日まで、関東地区と愛知での取り組みについて、参加した労組・ユニオン、グループ・個人から、今日的な政治的、社会的、労働運動的観点からの指摘、感想が出された。その中で「非正規雇用労働者の“派遣切り”“雇い止め”の問題は、第一に個別の救済、第二に社会的アピール、第三に制度政策要求が必要だ」という発言があった。
 話の流れを追っていくと、派遣労働の期間中に得た賃金は、そもそも正規雇用労働者の賃金の二分の一から三分の一であり、不当に高い寮費(住居費+諸経費の引き去り)で、食べていくだけで精一杯だからほとんど貯えなどないのだという。だから、解雇され、あるいは期間満了で雇い止めされるとたちまち、職(食)と寮(住居)を失うわけで、それらの個別救済、例えば炊き出し、職の斡旋、行政関連施設入居の紹介、生活保護などの行政交渉支援などが緊急に必要となる。
 これらがマスコミなどでセンセーショナルに報道されることもあるが、日比谷公園や厚生労働省前・講堂などでの一部に過ぎない。北海道から九州・沖縄まで、各地にその現実はあるのである。それよりも「そういう働き方が悪い」とか「パートもニートも、派遣も期間も、ホームレスも本人が好きで・・・」という、事実を見ないで偏見か風評の受け売りでものを見、口にする人が少なくないから、社会的アピールが必要なのだ。
 また、記者会見などで見る限り、舛添厚労相は、現状の問題点や事実関係は、ある程度掌握しているようである。しかし、政府・自治体という行政面からの援助策と、自助努力を求める政財界の一部の圧力もあろうから、緊急避難的にも「制度・政策」の実現には苦慮せざるを得ないのであろう。そのことは、日本の社会保障制度における「セーフティーネット」がかなり貧弱であることも際立たせたといえる。
 そして制度的には「派遣法/労働者派遣法」の存在がある。雇用の形態として派遣労働が製造業の現場まで可能にしたことによって、今日の問題の根源があるとされるのだから、この「派遣法/労働者派遣法」を改正するか廃止することが必要であろう。
 改正か廃止かには両論がある。非正規雇用制度の道を閉ざしたくない財界の意向を受け、「改正」にとどめようとする連合・民主党を含む政党などは、「ゼロか百か」ではなく、まず「まず第一歩、そしてより効果的な改正を国会で可決するには、100%つまり廃止では合意が得られない」という国会重視の立場から、一部か抜本的かの違いはあるが「改正論」である。
 一方、法律がある限り問題の根は断てないし、法の抜け穴、欠陥、解釈を突いて悪用する業者はあとを絶たない。従って現場に立ち会うユニオンや弁護士の間では「廃止」を強くいっているようである。
 この場では、取り立てての議論にならなかったのは、話題がそちらに行かなかったこともあったが、現場に位置するものが大半であったからでもあろう。 
(続く)

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2009年3月29日 (日)

桜も三分咲き

 岡崎公園にて
 自動車産別の交流会の後、思いついて岡崎公園に行ってみようと思った。
 愛知環状鉄道に乗り、中岡崎駅で降りれば、名鉄の岡崎公園前駅と同じであり、そこから歩けば公園まですぐである。だが少々欲が出た、そして失敗した。途中の大門駅で降りれば、暫く行っていない「大樹寺」まで歩いても、ものの20分もかからないだろうと、昔の地理感覚で降り立ち、軽いハイキング気分がいけなかった。
 愛環と直に交差する道を西方向に行けば、国道248号線にぶつかる。それを左に折れ、しばらく行けば、大樹寺の案内くらいは出るだろう、そこで写真の一枚も撮り終えれば、あとは、鴨田町へ出て、井田町、伊賀町経由で1時間少々歩けば、乙川の殿橋に出るはずだ、読み違えても30分程度の差かな。
 だが大門駅で、交差する道が西方向と思ったのが実は北だった。どちらかといえば岩津天神の方向だから全く逆方向で、20分ほど歩いておかしいと気がついた。行き交った人に道を訪ね、そこからひき返して大樹寺に向かったが、バス停「百々町(どどちょう)」での待ち時間10分を見て、歩く気が失せた。
 バス停「殿橋」から歩いて河川敷に降りると、多くの露店が並んでいた。ふと乙川を見ると、いつできたのだろう、対岸と行き来する人道橋ができていた。その人道橋は岡崎城に至る道筋になっていて、その両脇は、さながら縁日のように綿あめ、焼きいか、リンゴ飴、チョコレートバナナ、たこ焼き、お好み焼きなどの食べ物店、子どものおもちゃ、キラキラしたブレスレットのような飾りものの店がずらりとならんでいた。「岡崎桜祭り」は4月1日からとあったから、その日の夜からはライトアップされ、もっと多くの店と人が出て賑わうのであろう。
 岡崎城・天守閣近くの茶店で八丁味噌をつかったおでんと缶ビールで一息。近くの能楽堂では、太鼓グループの競演会が催されていて、ドンドンドドンドンドン、ドコドコドコドコドコドドンドンドン・・・と聞こえてくる。
 さてじっくりと花見としようと堀端の小道を歩いていくと、全体としては咲き始め、せいぜい三分咲きであったが、その中に「一番咲き桜」と名札のかかったソメイヨシノがあった。さすがにそれは五分咲きで、間もなく八分咲きとなり満開となろう。やはり見ごろは次の土日あたりになりそうだが、人もあふれそうだから、この五分咲きの桜を見て、岡崎の桜見は良しとした。 
(追い書き)

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2009年3月28日 (土)

自動車の仲間の交流会

 情報交換、交流、学習が主
 年1回の恒例となっている「自動車産別交流合宿」が今年も、今日の午後から豊田で開催される。
 もう30年ほど続いているこの交流であるが、自動車総連のそれと違って、労働組合といえば、全造船いすゞ分会、ATU、村上開明堂くらいで、あとは各職場の活動家、支援者が中心である。ルポライターの鎌田慧さんがときどき参加してくれるが、今年も来られると聞く。
 職場報告の後今回は、伊原 亮二さん(岐阜大学地域科学部)が、「トヨタと日産の労働現場比較で見た自動車の職場」という話を1時間ほどしてくれることになっている。
 伊原 亮二さんは、トヨタと日産の現場で期間工、臨時工として働いた経験があり、その体験をもとにした「トヨタの現場労働」(桜井書店)や「トヨタと日産における管理と労働者の比較研究」(岐阜大学地域科学部研究報告)等の著作があるとレジュメにあった。同じ体験を持つ先輩格の鎌田さんとの出会いで話がはずむかもしれない。
 報告の中には、フィリピントヨタ労組支援、ATUサポート市民の会もふくまれるが、一部からは「派遣切り」の問題も報告されるかもしれない。いすゞ自動車の「派遣切り」では、全造船関東地協・いすゞ分会、湘南ユニオン、JMIUの各組合が取り組んでおり、愛知でも去る3月21日、22日岡崎市で「派遣村」が取り組まれたからだ。あるいは、ブラジル人が多く在住する豊田市保見団地での、日系人支援の問題(保見ヶ丘ラテンアメリカセンターが中心的に取り組んでいる)も、話題になるかもしれない。

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2009年3月27日 (金)

政局を動かせられない民主党

  小沢代表の辞任問題を考えるとき
 民主党小沢代表をめぐる西松建設の巨額献金事件で、公設第1秘書で資金管理団体「陸山会」の会計責任者大久保隆規被告(47)が、同社から違法な企業献金を受領しながら虚偽の報告をしていたなどとする政治資金規正法違反罪での起訴内容を、大筋で認めていることが25日、関係者の話で明らかにされたという。
 これによって小沢代表は辞任すると思われていたが、続投を宣言したことで党内がざわついている。自民党内でも、「敵失に乗ずるな」という流れと「チャンス」という流れがあるが、どうも、興味をそそられるような局面とは言い難い。
 小沢代表の辞任か続投かは、本人の自覚・決断であると同時に民主党としての判断である。党の決断として辞任を求めるなら、大久保起訴の段階で三役会、議員総会を開催して一挙に決める手はずを取っておくべきだった。しかし「自分で決めるんじゃないか」という誰も傷つかない安直な期待に任せていたのだから、小沢自身が辞任しないというのなら、これを受け入れるしか他ない。あとからつべこべ言うべきではない。
 一応、今日の参院と衆院の議員総会で、一部に自主的辞任論も出たが、続投が承認された。「領主(おやかた)さまの、武将としての器は古くて、使い勝手が悪い」としても、もはや代え時を失った以上、現有の陣形で臨むほかあるまい。
 だがこれは、現時点での話であって、小沢自身がいうように「政権交代=衆院選挙で過半数」獲得できるかどうかの状況判断が、次の機会となる。
 しかしその判断は、結局「世論調査」の数値次第ということになるのだろう。こういう人任せというか、政局を動かす力が民主党の、特に次世代、若手にないというのがさびしい。
 代表の交代を積極的に仕掛ける機会があるとしたらどんな時だろう。これも相手次第だから積極的とはいえないが、麻生首相が解散総選挙に踏み切る決断をした時か(いまさら、という雰囲気になりかねないが)。大久保秘書の保釈後の衝撃的な言動(?!)が出た時か、新たな疑惑が出た時か。だが警戒すべきことは、時と共に麻生首相の“粘り腰”が生気をとりもどすことも考えられることだ。
  トヨタ自動車が在庫調整を終えて5月、6月には通常の生産体制に入るという意向を示したのは、豊田新社長への祝砲であると同時に、「定額給付金」に続く財界からの、景気対策の支援とも受け取れる。これで経済指標「株価、為替レート、GDP、景気短観」などが一定程度上向きになれば、「5月説」もあるが、8月のお盆休みをはさんで解散総選挙もありうる。
 その読みの中で、民主党が党としてどう政局を動かすかがすべてであり、その中で代表の続投か交代かを決断すべきであろう。もっとも、手詰まり感があるうえに、脛に傷を持ち、政権交代の絶好の機会に小沢一郎を代表にいただいたこと自体が党として遭遇点(巡り合わせ)として受容するしかないが。

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2009年3月26日 (木)

課題と遂行能力の乖離

  ATUサポート市民の会の論議から
 昨夜は、ATUサポート市民の会の例会があって、多重なスケジュールであった3月の、活動報告と当面の課題が提起された。
  一つ問題と感じたのは、「派遣切りなど非正規雇用の問題が多数発生しており、様々な組合、団体が取り組んでいるが、いずれにも個別的であり、全体として取りまとめられることがない。集約した結果を基にして分析し、問題点を洗い出す作業が必要である。それを担うのはこの市民の会ではないか」というものであった。
  確かにそこから、今日的問題が見えてくる気もするが、その作業は、当該から報告書を求めそれをファイルして済むと言う問題ではない。直接面接、面談して、記録のコピーを戴き、当事者のコメントを聞き、労働条件や雇用形態、差し迫った問題と救済策、法的問題などを分析して関係各方面に参考事例としてフィードバックする作業など、専門的な大学関係者、研究者と数人のスタッフなくしては、遂行は難しいだろう。
  提起者の着眼点はいいとしても、遂行能力なくしては絵に描いた餅。私は頭の中で円グラフを描いて、この「サポート市民の会」に割く時間的割合を考えてみたが、せいぜい4分の1、つまり1日当たり2時間程度にすぎない。とても担いきれないので、作業量と会としての受容能力をどの程度算定しているかを問いかけた。
  こういう議論の場では、多くの人が沈黙する。否定する論理を持たないから、口を開けば役割を引き受けかねない心配があるからだ。しかし実際は、率直なところを出し合い、工程表をイメージして、その完成度を推量、頂上は無理としても5合目あたり、つまり「一般的な資料ではなく、トヨタ関連という枠内」と規定する。さらに、データベースの工夫で、当該の協力を引き出し、作業量全体を圧縮する方法も考え出す、という議論の端緒を見つける努力が必要である。
  とまあ、考えることは考えるのだが、結局10人にも満たない会議のメンバーからすれば、行き着く先も見えてくるから、自己防衛的に先延ばし(さらに精査、検討する)を口にすることになる。これも「加齢」のせいであろうが、若手の大学研究者の協力発言があって、提起者と共にその第一歩を踏み出すことになったのだが

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2009年3月25日 (水)

WBCと原監督

 名監督への道
 第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、原辰徳監督率いる日本代表チームが優勝して2連覇を達成した。
 生中継は見なかったので、結果はインターネットで知ることとなったが、9時台、10時台のニュース番組もトップの扱いであったから、スポーツニュースでゆっくりと経過を見ることができた。こんな状況であるから、甲子園の全国選抜高校野球も、大相撲春場所で朝青竜が破れたことも影が薄かった。さらに、民主党小沢代表の続投記者会見も扱いは短めだった。
 さて私は、中日ドラゴンズのファンである以上に“アンチ巨人”であるから、長嶋にも王にも熱狂したことはない。ただ地元出身の槇原や山倉、木村、後藤には注目していた。西武⇒巨人の工藤についてはその昔、逃したスカウトを恨んでいたこともあった。
 それで原辰徳監督のことだが、輝かしい球歴で、長嶋、王に比肩する実力とファンを持っていたらしいが、あの“偉大な”二人に比べ“華”がないなあ、スマートすぎるんじゃないの?なんて他人事にしか思っていなかった。
 WBC優勝で大きな勲章を手に入れた原監督だが、第1次予選が終わった段階で、アメリカの監督が原をいたく褒めていた記事を見たような気がする。それは、第1回WBCの星野監督と違って、チームに溶け込み、選手の個性、特長を見つけて、それ引き出す能力と選手の起用、チームの方向性が明確であることだったように思う。
 原監督自身の現役時代は、どちらかといえばパワーヒッターで、セーフティーバンドなどやらなかったと思うが、その原監督のチーム作りは、打撃が主流で「大砲主義」のキューバ、アメリカ、韓国の強力打線と競り合う力は日本にはなく、アメリカ野球の対極にある、「投げる、打つ、走る」の野球の原点に立ったチーム作りに専念し、充実した投手力、確実性と走力のある野手、チームワークを重んずる選手を集めることで活路を見出したことが大きい。
 また、そうしたチーム作りにあたって、セ・パ、大リーグから選手を選び出すのも能力の高さを示すものといえよう。起用が阪神、中日の選手に偏りがちの「星野ジャパン」との違いがここにあった。
 これで5年間くらいは巨人軍監督を続けられようから、その間に2~3回日本一になれば、「名監督」との称号を与えられるだろう。

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2009年3月24日 (火)

ミサイルか衛星ロケットか

 同じものが政治では別とされる
 共和国(北朝鮮)が打ち上げ間もないとする「人口衛星打ち上げロケット」について、これは「ミサイル」であり、六か国協議の枠の中では認められない、という日米を中心に反対キャンペーンが繰り広げられている。
 六か国協議での約束(合意)の詳細は知らないが、「北朝鮮の、ミサイル、弾道ミサイル、衛星ロケット一切の実験、打ち上げを認めない」という条項があって、共和国が調印しているとすれば、約束反古で見返り援助中止、経済制裁も理がないわけではない。外交は約束で成り立つというのが原則であろうから。
 それはそれとして、「ミサイルもロケットも同じものだ」というのは常識の範囲内である。弾頭に衛星を乗せるか、(核)爆弾を乗せるかで「兵器か平和利用」かに分けられるにすぎない。物事が「平和的な利用で、人類に貢献し、自然を破壊しない」ものであれば、それを止める「大義」はない。
 さて、「強盗と警官がいる。ピストルをどちらに渡すべきかは言をまたない」であろうけれども、それは「警官が強盗にはならない」という前提があってこそである。「ピストルを持った警官が、強盗を射殺して、強盗が狙っていた金庫を盗み去った」としたら・・・。
 「我が国には、最新の核弾頭ミサイルが1万発あり、国土防衛は万全である。だが、たった1発のミサイルといえども、その射程距離が我が国に届くようであれば、その存在を認めない。兵器であろうが、平和利用の衛星ロケットであろうが、である。もっとも国連の安保理事国のみなさんとイスラエルは例外であるが。いや、インドもいいとしよう」
 「わが国領土を保全し、国民の生存権を安全のうちに確保するのは固有の権利であり、そのために危険と思われる国、地域に対して機先制して攻撃し、せん滅して危険を取り除く行為は当然のことである。(但しその権利は、相手国には認めない。当たり前だろう!)」
 「日本国憲法は、戦力を持たないと規定している。だから我が国は兵器といわれるものは持たない。ここにあるのは戦車ではなく、特車である。この組織は軍隊ではなく、自衛隊である。」
 「我が国には、非核3原則というのがある。だから、取り扱い(操作)の訓練を米国でさせることはあっても、自衛隊自身には核兵器を持たせていなし、完璧な製作図面と材料は持っていても核兵は作らない。アメリカの原子力空母、原潜などの軍艦や、B52戦略爆撃機に核兵器を搭載させて持ち込ませたことは断じてない。日米安保条約に基づいて、港湾と基地・空港の利用を認めただけである。搭載の有無を問い、明らかにすることは軍事機密に属するもので、戦略、戦術を知らない素人のいうことである」

 “丸い卵も切りようで四角、ものもいいようで、角がたつ、しののめのストライキ”か。

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2009年3月23日 (月)

黄真伊(ファン・ジニ)

 韓国ドラマを、時々見る
 韓国ドラマがいくつか放送されているが、その中で部分的ではあるが「太王四神記」と、最近では「黄真伊(ファン・ジニ)」を見ることがある。それほど惹きつけられているわけではないので、時間を待ってチャンネルを合わせるようなことはあまりない。家にいるときの、土曜日の夜のテレビは、映画がかからないので、「世界不思議発見!」を見ることもあるが、あちこちチャンネルを回していて、ぶつかるケースが多い。
 「ファン・ジニ」は、16世紀の朝鮮の、実在した最高の名妓「ファン・ジニ(黄真伊)」の波乱に満ちた生涯を描いたドラマであるという。
 主人公ファン・ジニは、妓生(キーセン)と呼ばれる職業の母を持つ。その母とは、最初は生き別れであって、後にめぐり会うのだが、盲目であり、自らの、差別に満ちたつらい人生経験から、娘のジニをキーセンだけにはしたくないと説き伏せようとした。寺の住職からも修行に励むよう諭されるが、そのお寺からほど近くにあるキーセンの教坊(教育学舎)の舞を見、音楽を聞くに及んでお寺を脱走して、キーセンの道に飛び込んでいく。これが最初の頃だったと思う。
 そのあとはずっと飛んで見なかったので、成人していっぱしのキーセンになったころにまた見だした。
 16世紀当時の宮廷や民家などのセットと国王、大臣、女官などの衣装、髪型セットと古典舞踊、古典楽器など、朝鮮の文化を垣間見ることができ、当のキーセンと呼ばれる職業も、蔑ませられていたが、実際は詩、散文、歌、カヤグム・コムンゴ(韓国の琴)、絵画、舞踊など、幅広い伎芸を身につけた、優れた文化的な職業婦人だったといえよう。日本でいえば京都・祇園の舞妓さんあたりを言うのであろうか。
 1970年代だったか、「キーセン観光」という「買春ツアー」が流行り、問題となったが、「キーセン」という言葉を、そのレベルでしか記憶してない人も多かろう。私もこのドラマを見るまでは、しばし「キーセン」という言葉を忘れていたが、同じようなものだった。
 先週の土曜日とここ最近の2~3回を見ていると、なんというか、終りがもう見えているのに、もっともらしい筋書きを繰り返し、あえて回数を延ばしているような展開である。
 そこでふと思い出したのが、多分数十年前だったと思うが、花登筺作の連続ドラマが人気を博していた。「銭の花」(『細うで繁盛記』)、「船場」、「あかんたれ」などが有名であったろうが、私の記憶では「だいこんの花」を見ていていやになったことがあった。現在では脚本:橋田壽賀子の「渡る世間は鬼ばかり」が同じような筋書きで、藤岡琢也が亡くなる少し前までは時折りみていたが、同じパターンが続いていやになってしまった。
 好きな人は飽きずに見ておられるであろうから、私の場合は、この種の連続ドラマは本質的に好きでないのであろう。「大河ドラマ」とは趣が違うと区別はしているのだが。

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2009年3月22日 (日)

名古屋市長選挙を考える・12

 河村たかしの言いたいことはこれか。(1)
 名古屋市長選挙の候補者、河村たかしのホームページには、名古屋市長選挙に関するものは何も載っていない。これは河村の矜持なのであろうか。
 ただ昨年8月に「河村ビジョン 庶民革命」を発表して掲載している。これが名古屋市長選挙についても、政策のベースになっているといえる。
 私はそれの全部を読んでいないが、ダイジェスト版と衆議院議員・河村たかしの後援会の新聞「夢・負けるものか・第207号」を見ながら、河村の言いたいことを考えてみたい。
 「庶民革命」では4つの柱を立てている。-4大変革が点火する 日本のエネルギー-「議員ボランティア化」「消費税減税」「党議拘束撤廃」「新しいマチ」である。
 一方、市長選挙の主張では、新聞「夢・負けてなるものか」に、「・・・まず名古屋で、国会でできなかったことを実現。そして日本全国へ発信。庶民革命を日本へ行き渡らせます。ナゴヤ三つの日本一。名古屋の精神。織田信長。楽市楽座は脱貴族。東京は政治。大阪は商都。名古屋は減税、市民の自立。減税ナゴヤ庶民革命」。
 そしてその3つとは、「1、日本一、税金の安い街ナゴヤ」「2、日本一、福祉、医療、住民自治が行き渡った街ナゴヤ」「3、日本一、早く経済復興する街ナゴヤ」「4、などなど中小企業出身の河村たかしが、織田信長の楽市楽座をナゴヤで実現します」と書いている。
 まず表現としての言葉の使い方、キャッチフレーズという点からは、玄人向きではない。(だから庶民派?)それに河村は、「庶民」という言葉が好きらしいが、庶民は、いうほど「日本一」を有り難がってはいないように思う。確かに「瞬間的」には、歓喜することもあろうが、「塩梅ようやりゃーせ」が名古屋基準。
 それに例えば、日本一の福祉、日本一の医療、日本一の住民自治というが、それぞれどんな内容を持って日本一であるのかイメージしにくい。待機園児最少、医療無料化の年齢、養護老人ホーム受け入れ数、これらで日本一なのか。人口あたりの医師の数、患者数に対する看護師数、癌、脳卒中、心臓病の医療施設、救急体制これらが日本一なのか。「住民自治」の日本一とはどう説明しているのだろう。中学校区単位で4~5人のボランテア議員による議会開設が出来れば日本一か。
 いまどき「楽市楽座」を持ち出してはいるが、いかにも時代錯誤の感がある。230万人都市名古屋の物流は、「楽市楽座」のレベルでは対応できない。例えば課税緩和された「経済特区」というイメージにしても、せいぜい港湾地域の港区1区が対象であろう。グローバル時代といわれるなか、工業と農林水産業、地産地消、食料自給率などの観点からの考察が必要だと思うのだが。
 「庶民革命」の本論では、もう少し踏み込んでいるであろうから、それらを読みながら、また私の提案を加味しながら、河村たかしの言いたいことを少し考えてみようと思う。 
(続く)

 

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2009年3月21日 (土)

小沢包囲網を深読みすれば

 何がどう動いているのか
 西松建設をめぐる献金事件で、「小沢包囲網」が絞り込まれようとしているようだ。
 事件そのものと検察の動き、漆間官房副長官(政府与党)の間には、我々の目には見えない動きがあると、週刊誌あたりでも書きはじめている。
 私はちょっと心配になってきた。
 「老兵たちのフォーラム」では、随分前から、「我々の1票で、政権交代が実現できる、これは素晴らしいことだ」と、こんにちの議会制民主主義を絶賛するかのような発言があった。多くの人が頷いていたが、私は「民主党不信」と「第3極論」を言って、政権交代で政治が大きく変わることはないだろうという立場をとった。もっとも、「政権交代」そのものは否定するものではなく、「よりましな」政治を期待するところでは、みなさんと同じであった。だが、そんな楽観的でいいのだろうか、昨今のこの動きからみて。
 小沢の評価についても賛否両論あったが、総選挙による政権交代が目前に来た現段階で、1)麻生首相が解散総選挙を断行しないで「時間稼ぎ」しているのには、何か深いわけがあるに違いない。2)西松建設で検察が動き出し、当初、小沢一人をターゲットにしていたところからも、何らかのタイミング狙った可能性が高い、という捉え方に納得できるものがある。3)民主党内の「小沢おろし」の動きに、何となく不条理を感ずる。目に見えない権力が背後で動いていないといえるか。4)自衛隊のソマリア派遣、「北朝鮮」の衛星ロケット撃墜の動きと宣伝は、「国民への威嚇」が隠されているのではないか。5)この日本政府の無為無策と混乱、無防備と情報操作によって、アメリカの「日本乗っ取り」が進行するのではないか。という懸念を感じるのである。
 ひょっとしてこれは「無血・無形クーデター」といえるような、おかしな状況ではないのか。
 荒唐無稽、杞憂、こじつけと一笑に付されればそれはそれで喜んで受け入れようが、どの一つ当たるか、かすめるかでも、私はこの先の日本を憂う。

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2009年3月20日 (金)

ドラマ・落日燃ゆを見逃す

 城山三郎とはいつか…
 3月15日の夜、ドラマ「落日燃ゆ」が放送されたが、見損ねた。あとで残念な思いをした。
 落日燃ゆは、作家城山三郎のフィクション小説。
 吉田茂と同期の外交官であった広田が、軍部の独走を阻止するためにあえて火中のクリを拾うようにして首相を拝命するのであるが、結果的には、軍部の独走を許し、開戦へと導いたとしてA級戦犯に指定され、東京裁判では、一切の弁明をしなかったこと、有罪か無罪かで賛否両論となり、助命嘆願の署名が行われたこと、広田がそれを望まなかったこと。そして、判決では唯一文官として絞首刑となった元首相・広田弘毅の生涯を描いた物語であった。
 実はこのドラマの頭の部分と後半の一部だけは見たのであって、中盤の45分間をBSで大河ドラマ「天地人」を見てしまったのである。この選択を大いに悔やんだ。
 というのも、そもそも広田弘毅という人物を、歴史教科書で名前を知っていたにすぎず、それもいい評価として扱われなかった気がする。いや、東京裁判の判決そのもの評価として私の中にかすかに記憶されていたように思う。
 小説は読んでいないので感想だけだが、城山三郎が「落日燃ゆ」というタイトルを付けたところからも、「背広とネクタイの似合う」人物、外交官・広田弘毅という人間と、東京裁判で弁明にこれ努めた軍人とを対比させて、その時代の背景、その時代に生きた人間を描いたのかなと。そして、同期の吉田茂と二人三脚のように描き、その吉田が戦後の日本の基礎をつくっていくことで、広田の評価は大きく見直される、そんなところに城山の小説があるのかなと。
 城山三郎はペンネームで「城山」は、名古屋市千種区の末盛から本山あたりの城山があったところに一時期住んでいたことからつけられたと聞く。現在はその地名も見当たらないが、「城山中学校」という校名に名を残している。いつだったか友人に連れられて、地下鉄の本山駅あたりから城山中学校あたりまでを散策したことがあったが、そんなことも思い出して見逃したことが悔やまれた。そして、城山三郎の小説とはいつかは出会わないと、いや、必読書かもしれないと…。

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2009年3月19日 (木)

■居酒屋の酒の肴

 冷凍食品など、大丈夫かなあ
 午後の印刷作業を終えて、配達の途中に「食料品卸」の看板があり、一般の方も購入できます、とあったので覗いてみた。多分、主として個人の飲食店相手の商売なのであろう。ばら売りもあったが、全体が大袋入り、大缶詰、束ね売り、箱売りになっている。マヨネーズやケチャップ、ドレッシング、油などもLLサイズであり、やはり一般家庭では量が多すぎるようだ。長期保存のきくものは、小分けして使えば割安感も出るが、鮮度が気になるからやはり、買う気にならない。
 一つ気になったのが、肉、魚はもちろん、野菜、豆類まで冷凍か真空パックになっているものが多く、スーパーでは見かけないが、居酒屋では出てきそうな、「蛸ブツの冷凍もの」もあった。そうしてみると、ビールのおつまみの定番の枝豆など、「中国産の冷凍物」は当たり前なのであろう。
 クリームコロッケ、串カツ、チキンナゲットなど、そのまま油鍋に放り込めば、揚げたてのものが出てきていい酒の肴になるし、子どもたちも喜んで食べるに違いない。喫茶店で出される軽食のカレーライスは、大きな缶から取り出し温めるだけのもとは知っていたが、そうした営業用のカレーでも10種類くらい並んでいた。また、私も知っていて、買ったこともあるハインズ社製のレトルト食品もあった。これらは意外と売れたり、一人者には喜ばれるかもしれない。お湯で温めるだけの冷凍八宝菜、フライパンで温める冷凍チャーハン、炊いたご飯に混ぜるだけの五目飯・・・いろいろあるなあ。
 居酒屋では、一時期大流行りだった、素材が客の目の前にあって、大きなしゃもじで素材を受け取り、客の注文で調理する「炉端?」方式の方が確かではある。一方、チェーン店の多くは、もっと大規模に仕入れてコストを下げているのであろうが、ひょっとして冷凍物、輸入物、真空パックものなどが使われていることが多いのではないだろうか。
 名駅近くの居酒屋で意外と安かったレシートのことを思い出して、ふとそう思った。

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2009年3月18日 (水)

雑談の櫂 第10号

 「早春号・Ⅱ」を出しての感慨。
 緑区周辺在住で、同年代の集まりである「四季雑談の会」の会誌が「雑談の櫂」である。一応、春夏秋冬には確実に発行しているが、その間に不定期である「早春号」「薫風号」「晩秋号」を出して、昨年はつごう7号を出した。2年目に入って最初の号は、準備号が2号あるので第10号となり、「早春号Ⅱ」となった。
 その編集を終えて明日印刷に入る予定である。
 内容はほぼパターンが決まっていて、表紙・四季の花/四苦八句・川柳/巻頭詩/随想・くらしの周辺/ 作詩のころ、こころ/四季の記/私の映画観賞記録/講演記録・改めて放射能の恐怖を思う/食品の安全・安定について・報告/四季雑談の会・「春席Ⅱ」の案内/東濃ピクニックのお誘い 。全16ページ。
 内容的には、かつての「緑ネット」の「くらしと文化・文芸」部分を引き継いだものとなっているが、もう少し踏み込んでみたいと思っているのが、「地域と文化-緑区の新発見!」をテーマとしたルポ。会員からも募集したい「連載小説」または、「読み切りの短編小説」。また、絵手紙、写真、漫画もいいが、その道の人が寄ってくるにはまだ時間がかかりそうである。来ないかもしれないが。
 熊野古道のハイキングに出かけるとき、集合場所の名駅・エスカには、日帰りグルメ旅など、他社主催、他の企画に参加する人でいっぱいである。あるいは、名古屋市主催の文化行事の募集も定員オーバーが多いと聞く。各区にある生涯学習センターの講座や同好会にも多くの参加者が集う。
 そう思うと、たかだか12人の「四季雑談の櫂」も、単なる同好者か縁者の集まりに過ぎないが、どんなことでもその中心部分にいることが、意義ある参加、より広げ、深める参加になるのではないだろうか。
 

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2009年3月17日 (火)

トヨタは、日本を代表する企業か

 自覚しての「不当労働行為」か
 人権問題・民主主義を柱とする「日本国民救援会」という全国組織があり、その県本部へ、フィリピントヨタ労組の実情を話し、最高裁への働きかけに助力を要請する訪問活動に同行した。
 話の中で、来週中にも2か月に1回の最高裁要請行動があるので、それに加わるかどうかも話題になったが、持ち帰って検討することになった。その際、現地の状況の一つとして、以下の内容を基に話をした。
 これは、「フィリピントヨタ労組を支援する会」が、現時点における現地の状況の一部について、把握しているその内容を記したものである。
 「・・・昨年の4月に出された団体交渉権に関するフィリピン高裁の不当判決に対し、TMPCWA が5月に提出した再検討申立(再審請求)に対する高裁の『申し立て却下』の決定がつい最近(2009 年3月2日)出されました。
 高裁による不当な判決の要旨は、結審に際しての主張の整理においてトヨタが組合員の範囲〔一般職として投票に参加し問題なしに開票を受けられる従業員の範囲〕を争う主張(2000 年の組合承認選挙においてTMPCWA が一般職従業員の過半数の支持票を獲得して唯一交渉団体となったことを否認するため、投票時に開票から除外された105 名の下級職制は一般職だと主張したこと。)を取り下げ、労働者の支持がTMPCWA からTMPCLO(御用組合) に移動したから交渉団体はTMPCLOであるという主張にすりかえ、この勝手放題のトヨタの主張変更を高裁が許し、トヨタの組合潰しの結果であるに過ぎない現状を肯定するという、法律論でなく事実論でTMPCWA の代表権を否認するというものでした。
 監督職であることが明らかな者を一般職であると言い張ってきたトヨタの主張の破綻が審理の過程で見え見えとなり、高裁はトヨタを救うためにトヨタに主張を変更させて判決を出したのでした。
 投票の結果、TMPCWA を唯一交渉団体として認めた労働雇用省長官の決定に逆らい『105 名は一般職であるから開票に入れるべきである、そうすればTMPCWA は過半数票を獲っていないことになる、だから一般職であることをはっきりさせよう』としてトヨタが高裁に控訴した事件の結果が、『トヨタがTMPCLO を唯一交渉団体として認知していることは有効である』という、問題の本質をすりかえた判決になって出てきているのです。 
 どう考えてもおかしな話です。このトヨタと結託したフィリピン司法のひどさはILO 結社の自由委員会勧告でも指摘されている所です。そして、今回の再審請求の却下決定に対しては、TMPCWA は当然のことながら2009年3月16日に最高裁に上告しました。
 2004年にTMPCWA が最高裁で仮処分勝訴した事件の本訴が、ここにようやく最高裁にいくということになりました。その最高裁の仮処分決定からでさえも長期の苦難に耐え抜き闘い続けてきたTMPCWA は『仮処分で勝たせた最高裁がよもや敗訴させるなどということがあってはならない』と、新たな気分でこの最高裁闘争に臨みその大きな意味合いを強調してキャンペーンを張るなど、フィリピン現地での闘争をより一層盛り上げるのではないでしょうか。」(後略)
 フィリピン最高裁の(仮処分)決定が、最終決定ではないというフィリピンの実情は理解しかねるが、トヨタ自動車は、それらを知り尽くしての、「不当労働行為」なのである。これではとても日本を代表する企業とはいえない。もっと自覚してほしいものである。

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2009年3月16日 (月)

名古屋市長選挙を考える・11

 選択肢は少ない、だが、選択するほかない
 昨日のハイキングの道すがら、私の「名古屋市長選挙を考える」を読んでいた人もいて、「やっぱり河村しかいない、ということか」と声をかけてきた。「・・Aも河村しかおらんわな、といっとったよ」とも。このニュワンスな言い回しは、「河村は好きになれんけど、自民党、共産党を外せば、河村ということになる、しょうがない」と読み取れる。これはかなり多くの人の受け止め方を代表しているのではないかと私は思っている。
 さらに私なりに発展させると、「河村は、改憲論者で、慰安婦問題、南京虐殺問題では疑問派だ。親友に西村眞悟、平沢勝栄というのも、応援に気が進まないところだ」というようにもなる。
 私が共にしてきた、市民運動や労働運動の仲間たちはきっと、そのような理由の一つも取り上げて、「なんであんなやつを」をと、迫ってくるかもしれない。それほどに一つ縄ではいかない、今回の名古屋市長選挙と候補者の問題なのである。
 それでも私は、わが選択肢と選挙の位置付けを求めていきたいと思っている。「改憲問題、慰安婦問題、南京虐殺問題」それ自体を取り上げれば、あるいは市長選挙、市の行政に絡ませるとしたら私は、河村には同調しない。コメントもそれまででピリオッドを打つ。
 しかし、現時点では、それらが争点になっているわけではないから、河村が掲げる政策をとりあえず吟味していくほかない。論を異にするなら対案というか、意見をぶっつけてみることだろう。
 市長選挙の告示は4月12日、26日投票であるが、衆院選挙とからむことはないとしても、選挙ムードは出ていない。つまり低調に推移する可能性がある。「誰がなってもいっしょ!」という風が吹いたとしても私は、見守っていきたいし、感じるところがあれば書いていきたいと思っている。

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2009年3月15日 (日)

熊野古道・伊勢路を行く(2)

 転げてもまた楽し
 前回の教訓を多少活かして、トレッキングステッキと代え下着を持参、ベストを脱ぎ、雨具は持たず。花粉症に備えてマスクも持参したが、結果的には不要だった。昼食に果物とゆで卵をタッパーに入れ、途中でおにぎり2個を購入したが、パンを非常食とした。
  6時起きで出発。この日の参加者は全体で43人、バスは満席状態。そのうち私が加わっているグループは9人。亀山SA経由、10時過ぎに「三交梅ヶ谷バス停」着。ここで半数の20人ほどが降りた。
  他のグループが先に行く中、私たちは準備体操をして遅れて出発。今日のコース「ツヅラト峠」の峠への入口に11時30分着。ここから杉林のやや急坂で細い道を約30分かけていっきに登り詰め、正午ちょうどに峠にたどり着いた。
  第一見晴台では、先行していた女性グループに場所を取られていたので、第二見晴台で昼食となった。雲一つ、風もない快晴であり、私はしっかり汗をかいた下着のTシャツを裸になって着替えた。下着1枚でも寒くないほどの陽気であった。そのころには、最初はしていたマスクも外していたが、花粉症は気にならなかった。
  昼食を終え、服装を整え、午後0時45分出発。この先は文字通り九十九(つづら)折れの下り坂をゆっくりと下って、ツヅラト峠の石碑のあるちょっとした空地に出て、そこでコーヒータイムとなった。同期のKが、持参したコンロでお湯を沸かし、ドリップコーヒーふるまい、一同別の味わいを満喫。
  しばしの休息時間を使って私は、谷川と小さな滝があり、先ほど歩いてきた石畳の在る林間風景を写真に収めようと川辺に近い場所に降りた。写真を撮ったまでは良かったのだが、撮り終った瞬間ふらつき、足を滑らし転げてしまった。幸い擦り傷とジーパンの膝を汚した程度で、危うくカメラを水につけてしまうところであったが、最小限の被害ですんだ。アブナイ、アブナイ。
 女性たちは道すがら、小さな花を見つけては、名前を教えあったりしている。その都度足が止まるのでなかなか前に進まないのであるが、それでもゆったりとした時間設定になっているので、帰路のバスの乗車場所「道の駅・マンボウ」では1時間の待ち時間があった。
 里に近いところでは、道路わきに桜やモミジの若木が植えられていた。「世界遺産になって、熊野古道だけでなく、春は桜、めだかの学校、秋は紅葉、キノコ狩りなども考えてのことかな」そんな風景も見られた。
 今日は10キロ、4時間コース、難度星3つであったが、誰かの歩数計では2万2千歩とあった。しかし、消費カロリーが540キロカロリーと聞いて、そんなものかとややがっかり。
 4月は「四季雑談の会の春席Ⅱ」と重なって欠席。5月は行く予定だが、参加者は倍増してバスは2台になるかもしれない、これはKの話であった。

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2009年3月14日 (土)

T氏の訃報あり

 日常性の中の一コマ
 早朝、といっても、普段の私の早朝とは8時過ぎのことで、起きて洗面中に来訪者があった。珍しいことである。パジャマ姿では、まああがれ、とも言えず、明日も顔を合わせるので、用件のみを受けとめた。
 パンとバナナ半切れ、紅茶で食事、薬飲。風呂掃除をして、これで朝のお勤めは終り。9時過ぎに昨日の夕刊と今朝の朝刊を読んで、近くにあった「週刊金曜日」をざっと目を通して、ほどなくしてパソコンと向き合う。
 「雑談の櫂」の編集が進行中で「映画鑑賞記」のページを作成しようとして、映画「アメリカばんざい」の鑑賞記録を探したのであるが、なかなか見つからない。書かなかったのかな?忘れたというより、管理の問題であった。残念。
 昼過ぎになって、ピースサイクル神奈川ネット・六ヶ所ピースを中心的に担っていたT氏が死去したとの訃報が入ってきた。まだ60歳前後の若さである。詳細は不明であるがとりあえず「弔電」ならぬ「弔メール」を、お連れ合い宛てに送った。
 原稿書きが進まない。それにT氏のことが気になり、そこで愛知ネットの関係者に、一文を添えてメールで知らせることにした。そうこうしているうちに午後5時となった。歩いて12~13分ほどのところにあるスーパー「アピタ」まで歩いて買物にいく。気分転換でもあったが、明日の「熊野古道・伊勢路」ハイキングの、少々の買い物など。
 それにふと正月以来買っていなかった日本酒を1本買い求めた。T氏を偲んで、ということもあったが安酒のせいか、どうも苦い酒であった。明朝は早いので、ニュースを見て早々に入床。
 知人の死も、こんな日常の中の一コマとして刻まれた。T氏に明日はないが、このようにして私の今日1日が終わった。 
(追い書き)

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2009年3月13日 (金)

名古屋市長選挙を考える・10

 こんな提案はどう?
 11日の毎日新聞の朝刊によると、民主党の常任幹事会で名古屋市長選挙について、「河村推薦を先送り」にしたという。それは名古屋市議団との政策合意がなされていないからだという。それは既定方針通りなのであろうが、では何が合意のネックになっているのであろうか。
 新聞によれば「住民税(市民税)の(10%)減税と、中学区単位でのボランティア議会設置」であるという。率直にいって市民の一人として受け止めれば、大した問題ではないと思うのだが、どうだろうか。
 河村のこだわりは、「政策の目玉-メディア意識」ではないのか。歴代の名古屋市長は、どちらかといえば「堅実派」だったと思うが、それは名古屋市民の気質の反映でもある。しかし一方で、小林橘川市長や本山政雄市長という革新派の市長も生みだしているから一概に言えないかもしれない。だが私がみるところ、小林橘川市長も本山政雄市長も、推薦母体が「社共」であったかもしれないが、政策的には、やはり「堅実」ではなかったろうか。
 そういう見方をすれば、今度の市長選挙は、「市長の顔」としては、言葉は悪いが、これまでと違った「やや、見栄えのする、少しは全国に知れた」人物、政策的にはやはり「革新的にして堅実」な人がいいのではないかと思う。
 そうすると、河村は「見栄えは良くないが、多少は全国に知れた」候補といえなくもない。では政策では、河村のこだわり「住民税の減税と、中学区単位でのボランティア議会設置」が「革新的にして堅実」になるだろうか。多分ならないであろう。
 まず「住民税減税」を考えてみよう。財政問題として名古屋市は、一般会計と特別会計、公営企業会計の全部を合わせれば、3兆円近い借金(市債)を抱えているはずだ。この一点だけでも減税論は出てこない。また減税は「定額給付金の変形型」とも言えるのではないか。
 そこで河村に提案したいことは、①当選1年目は、前市長の手掛けた予算案に規定されるから、2010年の予算案を組み立てるまでの間に、在任2期7年間の財政計画を立てる。②その柱の一つに、市の借金に対して、市民税10%相当分を毎年減らしていく。つまり減税しないで借金返済に充てる。(だからといって借金が減額しないような、新たな市債発行は認めない)。次に、経済状況はまだ底を打ったといえないが、好転して歳入が増加に転じた場合の、③増収分を政策的経費に充てる。」
 次に「ボランテア議会」についてであるが、その前に「休日または夜間の市議会、委員会の開催と、傍聴の制限撤廃または緩和」が先ではないか。さらに「中学区単位」の前に「区議会」の試みが先ではないか。これも全市一斉ではなく、千種区、緑区あたりから試行的に始めていくのも一案である。「中学区単位」といえば、何となく「区政協力委員会」を連想してしまう。およそ「議会」とはなり得ないのではないだろうか。
 他の政策については、またの機会ということにして、「河村のこだわり」についてこのように提案したが、いかがであろうか。

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2009年3月12日 (木)

パソコン、いやな奴!

 インターネットにつながらず
 今朝からインターネットにつながらなくなった。何度も再起動を繰り返したが駄目だった。「ローカリエリア接続」「詳細情報」「修復」へ行ったが、「コンピューターに問題なし」として、「ネットワークに問題あり、管理者に問い合わせを」と来た。ということはOCNか。ここは以前にも電話したが、なかなか繋がらない。
 今日中にネットで作業すべきことがあったのでがっくり。やむなく。ワード画面で他の作業を始め、一段落ついたら、再起動を繰り返したが駄目だった。夕方になって、インターネット接続部を一度抜いて差し込んだ直後に偶然?つながり、7時の外出まで情報処理を行った。これで安心と思い、重要作業は、明日の午前中に終わらせるつもりでいったん作業を終えてシャットダウンした。これがまずかった。帰宅後再接続を試みたがやはり繋がらなかった。機器に問題があるのであろうが、一端繋がったものがなぜ次に繋がらないのか。やっぱりコンピューターや接続機器のせいではないのではないか???
 このパソコン、昨年9月に買い替えたのだが、当初のトラブルは、自分の未熟さが大いに関与していたのであろうが、今回はなぜ?気まぐれというか、常にスキを狙う、空き巣野郎か。いやな奴だ!と、ひどく感情を害した。 
(追い書き)

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2009年3月11日 (水)

12000円の行方

 さみだれ的消費での効果は?
 定額給付金の支給が始まったが、その支給期日は自治体任せであるから、全国まちまちで、さみだれ的霧雨のように、音もなく大地に吸い込まれていくような気がする。果たしてそれで景気浮揚策になるのであろうか。
 自治体によっては、少しでも景気対策になればといろいろと工夫をしているようであるが、例えば、3月中なら、入園、入学、入社、逆に年度末退職で記念旅行とかに消費される可能性があった。また6月の1ヶ月間に集中するとかすれば、少ないかもしれないが夏のボーナスに連動することも考えられる。もっとも、2弾、3弾の弾がないから、一発外すと、元の木阿弥どころか落ち込みに拍車をかけかねない。
 景気対策は行政と消費者の両輪がうまくかみ合ってこそだと思うが、「12000円の行方」と効果は、果たしてどうなる事やら。(磯貝治良著「弾のゆくえ」を想起して)
 我が家では話題にもなっていないが、息子夫婦は子供二人がいるから、それなりに考えていることだろう。しかし名古屋市の支給は6月ころになるというから、まだ現実味がなく、それゆえ私は未定だ。未定ではあるが、それとなく思い浮かべるのは、毎月の活動費捻出にやりくりしているから、それに補てんしてしまうかもしれないか、上京の機会と重なれば、旅費の一部として消えるかもしれない。ひょっとして2か月に一度の定期検診と薬代、昼食のザル蕎麦とその日に理容室へ行けば、きれいになくなるだろう。
 いずれにしても、形ある物として使われることはなさそうで、いつの間にかなくなった、そんな予感がするのだが。

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2009年3月10日 (火)

切干大根の煮付け

 久しぶりの手料理に失敗す
 主夫業を放免になって数年になるが、それでも、昼食に麺類のうどん、そば、ソーメン、冷麦のほか、玉子丼、エンドウの玉子とじくらいは作って食す。サツマイモに蜂蜜を落として煮て食べることもある。ホウレン草を茹でて鰹節としょうゆをかけて食べることも多い。おでん、カレーライスを作ると3日間くらい続く。
 それで今日は、ホウレンソウが一束78円と安かったので、二束茹でてその半分を食した。それと同級生から切干大根を頂戴していたので、一つかみ水に浸しのち、ダシパックと昆布でダシを取り、はんぺんを角消しゴムの半分ほどに切って入れ、醤油とみりんで煮込んだ。火を切る直前にエンドウのさやを半分に斜め切りして入れ、しばらく放置して味がしみ込むのを待ったが、その時、はっと気がついた。
 水で戻した切干大根の水気を取り、フライパンで、油で炒める工程を忘れていたのだった。しまったと思いつつ“ま、いいか”と、もう一度火を入れ、少量の油をおとしてかき混ぜた。
 やはり、大根に油味が浸み込んでいないので、油分が直に来ておいしくなかった。失敗作だった。しかし、明日の朝になれば、味も少しは改善されているだろうと、器にとったものを鍋に返して、はんぺんをつまんで取り出し、エンドウと共におかずにしたのだった。
 料理は、上手、下手があるのは確かだが、何と言っても(向上心はどんなことでも同じだが)継続的反復行為で熟達するのではなかろうか。間が空くと前回の物足りなさ、失敗を忘れてしまって同じことを繰り返すことになる。あるいはダシとり、あく抜き、事前の調味料漬けの手間を省くと、何か物足りないものになってしまうというのが、私のささやかな経験であった。特に調味料の計量は、レシピに頼っているとちっとも身に着かない。味の微調整のコツが身に着かないのである。
 

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2009年3月 9日 (月)

名古屋市長選挙を考える・9

 もたもた、ぐずぐずの民主党県連 
 なんか焦れったい市長選をめぐる民主党。
 昨日の県連の定期大会では、壇上に河村たかしの顔もあったが、党本部の推薦決定が出ていないということで、紹介も発言もなかったらしい。ニュースをテレビで見ていて、思わず「そういうものなの?」と思ってしまった。
 いろんな経緯があり、河村をよく思っていない議員や党員が党内にいることは、大方知れ渡っている事実であるが、この先まだ「河村に代わる候補者」が出てくる可能性でもあるのか。そうならそうでわからんでもない。
 だが、告示まで1か月ほどしかないこの時期にそれがあるとしたら、この市長選挙はぶち壊しだ。有権者はそっぽを向くだろう。そんなことくらい(素人の目にだって)想像の範囲内のことではないか。
 党員各位には、河村たかしがベストはおろかベターでもない候補者かもしれない。だが、県連として党本部に推薦を申請したのは事実であるから、それをもって「Good」として腹をくくる時期ではないのか。
 党員一人一人には、それぞれの意思があるから、それを明らかにすることは重要だと思う。そうした積み重ねや繰り返しがあって、組織としての方向性が定まり、結束して行動していく体制が出来上がっていくものと思う。是か非かの議論ののち、是となれば、非の側は、是の足らざるところを補強することによって、非としての主張を活かすこともできよう。そいう段階を踏まえて相手と向き合う陣形が整う。
 県連の定期大会といえば、組織として最大の機会であったろうに、目前の名古屋市長選挙に、何らアピールの用意できなかった無様さを党員各位は自覚したであろうか。
 河村にもその責任はある。県連・市議団との何らかの協定を結ぶことが「推薦」の条件なら、それがまとまる努力に全力を挙げるべきで、そのタイムリミットが「3月8日」であるとして腹をくくるべきであった。
 なぜ党員でも関係者でもない私が、県連の定期大会の日にこだわるかといえば、簡単なことだ。この市長選挙をそれなりに重視していると同時、おこがましいが、行動を決めるうえで時間制限は、決断をより高い段階へ引き上げるきわめて有力な動機となることを、私なりに経験しているからだ。
 定めのない事柄は、先へ先へと引き延ばされる。引き延ばされたからといってより良い結論が出るとは限らない。むしろ集中力を欠いて「蒸し返し、繰り返し」の渦中に引きずり込まれることが少なくない。
 「河村にやらせてみたらいい」というのが私の結論であるが、これは党員各位とひどくかい離した認識なのであろうか。いまだに「河村と同居生活はごめん」とでも思っているのであろうか。
 時機を失したこのミステークが、最悪の舞台を用意しなければいいが。

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2009年3月 8日 (日)

巻頭詩「労働の現場から・2」

 C&Lリンクス愛知・第49号(2009年3月4日)の巻頭詩から。
 前号では、「労働の現場から・ 1」を掲載した。

 労働の現場から・ 2

期間工Aは素早くワイパーを手にして
フェンダーに身を預けながら
フードとフロントガラスの隙間の
接続部品とつなぎ合わせる

こうしてワイパーをどれほど組みつけたことか
誰とも知らぬドライバーの視界を清めるためか?
いや 時雨のような小さな不正を拭き払い
湧き出る迷妄と懊悩をかき消すためか?

期間工Aが作業伝票「カンバン」に目をやる
そこには赤い文字が並んでいた
「大幅賃上げ! 本工との格差をなくせ!」
「労使の癒着糾弾!労働者は決起せよ!」

だれが貼り付けたかは知らない
だが 誰もはがさなかった
誰もが読んで胸をときめかした
だが 誰も決起しなかった

ビラはラインを流れる―N車体闘争から

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2009年3月 7日 (土)

早春の扇川を行く

 久しぶりのチリリン記
 緑生涯学習センターで印刷を済ませたのが、午後1時30分ころ。風がやや強かったが、谷間のような快晴の空が広がっていたので、扇川堤に自転車を走らせてみることにした。
 旧東海道沿いにある瑞泉寺の前にあるのが、扇川にかかる中島橋。その下流50メートルほどのところにあるのが「中島砦跡」だ。上流に向かって左岸の堤防道路を走る。澄んだ水がせせらぎのように流れているが、それは川底の砂利のせいで、やや深みの場所では濁っているから、見た目ほど澄んだ水ではないのであろう。月末になれば、ボラが群れをなして遡上するであろうが、今は魚影一つ見えない。だから川鵜もサギもまだ冬ごもりしているのであろうか。
 堤防下にある六田の鳴海中学校の校庭では、野球部が練習中で大きな声が飛び交い、隣接する公園では、小学生中心の少年野球のクラブチームがまた大きな声を出し合いながら練習していた。この子らには「花粉症」は無縁らしい。マスクが手放せない私とは大違い。あんな時代が私にもあったのだが。
 さらに走って、鳥澄人道橋から上流の風景が、私の推す桜のスポット。大したことはない。満開の桜の時期でも、ある角度から見る僅かな視界だけが取り柄で、従って、誰もそこが見どころなんて気がつかないであろうから、「私だけのスポット」といえるかもしれない。
 その場所からは振り返ってはいけない。上流だけを見るに限る。振り返れば、名古屋環状2号線(国道302号線)の橋桁の工事中で、5月末には、数十メートルの橋桁がそろりそろりと押しだされ、渡されるのだという。つまり、この橋桁によって下流の風景はばっさりとふさがれてしまうからである。
 道路沿いに、近隣の人がときどき手を加えているのであろう、花壇があって、この時期菜の花が見ごろで黄色が鮮やかである。周りがまだ冬枯れの中にあるから、いっそう際立つ。花の名前はほとんど知らないが、この時期、パンジーや三色すみれであろう花が、丁寧に手植えされているのも目についた。
 久しぶりとあって、ギアーが一段重い感じがした。緑消防署前の起伏のある道を自転車を引きながら、春を背にして帰った。

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2009年3月 6日 (金)

劣化

 ひとこと・11
 「C&Lリンクス愛知」の表紙には、「巻頭詩」とコラムもどきの「ひとこと」欄がある。500字程度の内容だから、文字通り「ひとこと」である。
 今号では第11回になるが以下のように書いた。
 「・・・『老兵たちのフォーラム』は12人の会員制。ここでいう『老兵』と呼ばれる対象は、概ね60歳以上の年齢をさすと同時に分野、実績はどうであれ、社会的事業、運動、研究などに関与してきた人たちであるというのが私の認識。それにあえて付加すれば、自論を持っているか、持とうと努力しているか、と同時に他者の考えを積極的に吟味し採否を試みようとする人たち、といえるかもしれない。
 さる例会で『このフォーラムもいずれ、一人抜け、二人抜けとなるかもしれないし、知的センスも劣化していくだろう。くどくなる、同じことを繰り返すなどだ』という感慨が述べられた。
 『知的センスの劣化』に一同衝撃を受けたようだし私もそうだ。「劣化」の響きは強烈だ。そしてこれが、年齢のなせる業、とばかり言えない日常性にもあることだ。病気でもないのに怠惰になるのは、生活習慣の劣化だ。本を読まなくなるのは、知的好奇心の劣化だ。肥満は自己抑制、統制力の劣化だ。
 そして今、現実も未来も、その方向性を見失っている「政治基盤、議員資質、国民の政治感覚」と、日本自ら育んだ「文化、芸術、伝統、風土」などの劣化が、直視されねばならない。」
 人間世界では、劣化、衰退、退化・退潮、委縮、無機質化・・・は、避け難く繰り返されるだろう。だが繰り返されるけれども、入れ替わる、引き継がれる、生みだされることによって、個は別として全体は、劣化を固着させないできたのではないだろうか。
 では、現時点ではどうみればいいのだろうか。

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2009年3月 5日 (木)

英会話サロン・3月

 オバマ就任演説を読む
 今日の教材は、前回と同じオバマ大統領の就任演説の最終章。CDを聞きながら、和英対訳でワンフレーズ毎に言葉の使い方、演説としての言い回しの特徴などを学んでいく、といっても私には学ぶレベルにはないから、順番に声を出して読んでいくやり方のために、単語の読み方を頭に入れるだけで精いっぱい。
 ただ、全体の文章を見ていて気が付くことは、韻を踏むように、繰り返して強調するところはなんとなくわかる。例えば、America, we have come so far.ときて、この「so」が、so much またso much  So tonight, so luckyというように繰り返して使われている。「so」にそれほどの意味はなくても、発声されることでトーンを高める効果がるのだろう。
 あるいは、toのつく言葉も繰り返されるが、最たるものはYes We Can の「we」であろうか。日本語でも頭韻、脚韻を使うことによって、聞き取りやすい、勢いが付くということで使う場合も少なくないだろう。
 英会話サロンで英会話が身に付くことはないにしても、オバマの就任演説を改めて読み返したこと、CDをきいているだけで、多少の「臨場感」も味わえるから、その方の効用を私は得たと思っている。講師には申し訳ないが。

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2009年3月 4日 (水)

老兵たちのフォーラム3月例会

 私たちの目に映った、私の親
 このテーマは、これまでのような政治、経済、社会の問題とは異質な世界で、それぞれの人生観とそのルーツを探るようなものだった。
 なぜこのテーマが取り上げられたかは、賛成票を入れなかった私にはわからない部分もあったのだが、4月例会のテーマ「老兵から見た、現代の老人について」が、1月例会の時に女性から提起されたから、それに呼び起されるように出されたのではないだろうか。あるいは、並みいる「老兵」たちには、このような人生を回顧するテーマがほしい時期に来ていたのであろうか。
 今回はフリートーキングであったから問題提起者はいない。二人がレジュメや過去の発言録を提出した。私はミスをして出し損ねた。3月と4月のテーマを取り違えていたのだった。
 他の参加者の多くも、私の両親と同じように「貧しい暮らし」の中にあったという。しかしやや違うところは、それぞれは親からなにがしかの薫陶を受けて育ったところとか、そのような意識を持っていたところかな、そんな気がした。けれども「それは違うぞ、君だって知らず知らずのうちに何かを親から学んだはずだ」といわれ、否定はできないものの、やはり、何かを思い出だすことはできなかった。それだからこそ私は、このテーマに賛成しなかったのである。
 話を聞いていると、その感性の豊かさに感心する「とっておきの話」になるような話とか、「一筆啓上」の下敷きになるような話もあった。もっとも男性が圧倒的に多いこの場では、「男は母親を慕い、女は父親を慕う」傾向もあって、「明治の女は強かった」という共通点も伺えた。
 進行役のHさんが「では、親孝行とも言える、親に喜んでもらったことは何か」という問いかけがなされた。それぞれからエピソードが披露されたが、私はなぜか沈黙していた。内心では『・・・無事就職したこと、結婚したこと、親より先に死ななかったこと』かな、と思ってはみたが、口にするほどのことでもないと思ったのだった。ただ、終末の一時期であれ、同居の生活をして送ってやればよかったかなという思いはある。両親が、四男坊の私にそれを望んだフシがあったことだけは記憶している。

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2009年3月 3日 (火)

確定申告の時期に

 なんか面倒で釈然とせず
 昨日は、「APWSL愛知」のネット配信をひとまず終えた。今日は、「TMPCWAを支援する愛知の会」のニュースの版下の点検作業があって、これもひとまず終えて、編集者に返信した。名古屋市長選の特集を組んだ「C&Lリンクス愛知」は、本体の編集は終えたが、巻頭詩で止まっている。明日の「老兵たちのフォーラム」のレジュメがようやく仕上がったが、課題の軸芯と合っていない気もして、やや不満ながらプリントアウト。
 「雑談の櫂」が後回しになっているが、来週中には目途をつけたいと、いろいろ思案している時、ふとそういえば今年の確定申告の用紙が送られてきていないことに気がついた。そこで熱田税務署に問い合わせた結果、どうやら昨年、国税庁のホームページから申告書を取り出した人には送られてこないようだ。担当者もあまり自信なさそうな返事で、とりあえず申告用紙と納税の振り込み用紙を送ってもらうことにした。
 試みに、ホームページにアクセスして申告用紙を取り出すと同時に、点数は少ないが控除証明書の所在を確かめたが、生命保険の控除証明書が見つからない。紛失したか。早急に再発行の手続きをすることにした。
 昨年は記入を間違えて、修正申告をする羽目になったが、1年たってみて、何をどう間違えたか、記憶がかなり薄らいでいる。また、去年と様式が少し違うような気がして、打ち込みをせずに閉じてしまった。とにかく、少なからぬ納税のために、時間をとられ、頭を悩まされることがどうも釈然としないのである。
 郵便局の保険や火災保険の担当者などは、自宅に来てくれて丁寧な説明をしてくれるが、税務署の吏員がそうした訪問活動をしたという話は聞かない。納税は「義務」だからか。
 それにしてもいつもながら思うことは、年々支給額が下がり、支給年齢が上がってきたうえ、この年金に課税するとは、永田町用語でいう「いかがなものか」。
  この申告によって住民税ははじき出されるから、出来れば控除できるものがあればいいのだが、基礎控除と生命保険だけ。損害保険控除はなくなったのかな?
  ともあれ、3月16日までに終えなくてはならない。何とかなるだろう。

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2009年3月 2日 (月)

トヨタ関連情報を発信

 APWSL愛知から
  APWSL(アジア太平洋労働者連帯会議)愛知地区から、「トヨタ関連情報」の短信を英文で発信することになり、今日、その第1号が東京からアジア中心に世界に発信された。
 愛知地区は、昨年6月に発足してから、活動らしい活動を取り組み得ないまま、今日に至り、翻訳のボランテアを引き受けてくれたHさんと出会うに至って、かねてから構想していた情報発信をスタートさせることできたのだった。
  まず愛知の紹介から始まった。それによると、
  APWSL国際MLから、APWSL愛知の紹介
  APWSL日本委員会は、数十の労働組合と労働運動活動家で構成されています。日常的には首都圏と関西地域で定例会議を開いています。2008年6月、愛知県に地域組織ができて活動を始めました。
  愛知県は、日本のほぼ中心に位置しています。230万人都市・名古屋をかかえ、中部国際空港を持ち、世界の自動車のトップメーカー、トヨタ自動車の本社があるなど、自動車を中心とする日本最大の工業地域です。
  近年、多国籍企業・トヨタ自動車の、政治的、社会的、地域的影響力が顕著になってきました。労働運動の分野でも、トヨタやその関連企業での争議、訴訟が増えてきました。

 特に、多数派の御用組合に対抗して、2006年に結成された全トヨタ労働組合(ATU)と、この組合を応援する市民組織の運動が活発化しています。そうした運動に参加してきた仲間が中心となって、APWSL愛知が誕生したのです。
  APWSL愛知は、電子メールで定期的に「トヨタ関連の闘い」を中心としたニュースを海外に発信することを決定しました。そしてその第1号を配信しました。
  日本委員会はそれを、APWSL国際メーリングリストを通じて海外に発信します。ぜひ感想や意見、質問等をこのMLへお寄せください。
   2009年3月 APWSL日本委員会

Asian Pacific Workers’ Solidarity Link (APWSL) Japan is comprised of scores of labor unions and individual labor activists. It has regular meetings in the Tokyo area and Osaka area. A new regional body was set up in the Aichi area in July 2008.
Aichi area is in the middle of Japan and is the biggest industrial area in Japan. The central city, Nagoya has a population of 2.3 million and the head office of Toyota and the Chubu International Airport are nearby.
The political, social and regional influence of the Toyota Motor Company has prominently increased recently. Also, the number of labor disputes and law suits against Toyota and its parts supply chain has increased. This is the result of the formation of All Toyota Union (ATU) which is fighting with the majority company union and of the active citizens’ support action for the ATU. It was these activists involved in the support action that came together to set up APWSL Aichi.
APWSL Aichi has decided to compile an Email newsletter focused on Toyota related actions and to send it out internationally. This is the first issue.
APWSL Japan is sending it through the APWSL Mailing List. Please send your questions and comments to the APWSL Mailing List.

March 2009  APWSL Japan

 外国語は全くできない私ですから、つなぎ役程度の役割を引き受けた。こうしてわからないなりに接していれば、英語が少しでも身に付くであろうか。そんなわけないよね。

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2009年3月 1日 (日)

名古屋市長選挙を考える・8

  河村にやらせてみたらいい
 名古屋市長選挙の候補者が出そろった。
 民主党推薦の河村隆(たかし)氏、自民・公明推薦の細川昌彦氏、共産推薦の太田義郎氏である。事実上、河村と細川の競り合いとなろう。形の上では、市民グループが心配した「相乗り」は避けられることになったが、よくよく見ておかないと、実体が「オール与党化」では意味がない。
 私の現時点での立場は、河村が最良の候補とは思っていないが、自ら擁立する立場にはないので、三者から選ぶほかない。とすれば、地方は地方、という自立した考え方もあるが、いっそのこと中央の政権交代を望むなら、地方でも連動した選択もおおありだ、やらせてみたらいい、という立場である。
 衆議院選挙が行われるとして、民主党が過半数を制したなら、それほどの動き=政界再編はなかろうが、わずかでも過半数に達しなかった場合、国民新党、社民党、渡辺グループと共に、自民党の一部を巻き込んで「政界再編」は起こりうる。そうした中央政界の動きが、ただちに地方自治体・地方議会に影響を及ぼすとは限らないが、国政で「大連立」よりは、はっきりと与野党の違いがあった方がよいと同じように、地方でも与野党の並立を望む。(ここでは「第3極論」は置くとして)
 中には地方議会に与野党はない、と断言する人もおられるが、この説には、首長に天下りのような官僚出身者が多いことや、議員の中に業界を代表するだけの者がいる点を過小評価しているようで賛成できない。道路、ダム、基地などの公共事業に関して住民の意向がことごとく退けられる傾向をみるとき、与野党のわけ隔てをなくして合意を目指すことこそが民主主義、という論理に危惧する。すべて多数原理でものが決まる事が必ずしも民主的で正しいとはいえないし、議論を尽くすには、相違点、対立点を明らかにすること、関係住民の意向を少数意見であっても重視すること、それには与党、野党という対抗軸を作ることが必要だ。確かに多少の時間がかかることは避けられないが、「オール与党化の弊害」を、これまで何度も経験してきたではないか。
  これだけはしてはならない、というものはこの社会に存在する。それすらも多数決で決まるとしたら、その仕組みに欠陥があるのではないか、というのが私の見解だが、与野党の隔たりなく、最善の方途が見つかる社会が到来するまでは、与野党に分かれて議論を闘わせることで、問題の所在を明らかにさせることは重要である。
  ということで、中央政界の政権交代と連動して、地方でも自民党支配から脱却した首長の登場があってもいい。だから、「河村にやらせてみよう」これが現時点での私の見解である。

 

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