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2009年2月28日 (土)

連載小説:「許されざる者」(毎日新聞朝刊)完結

 許されざる者とは誰か
 毎日新聞の朝刊に連載されてきた辻原登の「許されざる者」が、28日、582回で完結した。
 彼の経歴を観ると、1945年、和歌山県生まれ。平成2年 中編小説 『村の名前』 (第103回(平成2年上半期)芥川賞受賞)/平成11年 長編小説 『飛べ麒麟』(第50回(平成10年度)読売文学賞受賞) /平成13年 短編小説集 『遊動亭円木』(第36回(平成12年度)谷崎潤一郎賞)/平成18年 短編小説 『枯葉の中の青い炎』(第31回(平成17年度)川端康成文学賞受賞)/平成19年 長編小説 『花はさくら木』(第33回(平成18年度)大佛次郎賞受賞)とある。
 私が彼の作品を読むのはこの新聞小説が初めて。前にも書いたが、小島襄の「日露戦争」など、一連の「日露戦争」関連の小説、新書類を読んでいたので、物語の展開がそちら方面に展開していくと期待もしていたが、作者の出身地和歌山・森宮(しんぐう・架空)を舞台とする、幸徳秋水も顔を出す「熊野革命五人団」と、主人公の医師槇(まき)隆光(「毒取ル)と呼ばれる)を中心とする「恋愛小説」として展開して終わる。
 私は、タイトルの「許されざる者」に関心がいき、許されない行為が何で、その当事者がどうなっていくかに興味を持って読んでいた。
 「許されないであろう」ことの最大の山場は、槇と最後の森宮藩主の長男である陸軍少佐・永野忠庸(ただやす)の妻との不倫。しかしこれが辻原の小説という世界で語られる時、「不倫」という言葉には似つかわしくない二人の関係が読者を取り込む。終章で、前後して渡米する二人に読者は、羨望にして安らかの未来を望んだのではなかったろうか。
 一方、背景としてある「日露戦争」を推進した明治政府と、開戦に狂喜する国民、またポーツマス条約で賠償金を取れなくて、焼き打ち、暴動に走った国民はどうであったのか。戦場では多くの兵隊が戦病死したが、その原因が「脚気」であり、食事の偏りからくることを認めず、「ウィルス説」に固執した森林太郎(森鴎外・日露戦争に第二軍軍医部長として出征。後に陸軍軍医総監<中将相当>に昇進し、陸軍省医務局長に就任した)の責任は許されるのか。
 反戦と社会主義思想、ロシア革命にあおられ「爆弾闘争」に決起した「熊野革命五人団」は、「許されざる者」としてあったのであろうか。
 近代日本の創世記・明治という大きな時代背景と、「森宮」という小さな町を舞台にして、その時代に生きた人々の、その一人一人の姿を散りばめた展開に、この小説の醍醐味があったのではないだろうか。宇野亜喜良の挿画も大いに楽しんだ。

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2009年2月27日 (金)

小沢代表の発言は本音

 日本の防衛を考える
 民主党の小沢代表が「アメリカのプレゼンスは必要だが、第7艦隊の存在で十分だ。日本の防衛に関することは、日本が責任を果たせばいい」と語ったことが波紋を広げている。政権交代が近いから、担保を取っておきたいという思惑もあったのであろう。
 小沢発言の詳細を把握していないから、新聞報道の部分から推測することになるが、「アメリカのプレゼンスは必要」は、日米安保条約を堅持することを表明。「第7艦隊の存在で十分」は、米軍基地は神奈川県のアメリカ海軍横須賀基地だけでいいと言っているのか、「沖縄は別」「その他は自衛隊(国軍)が引き継ぐ」を含んでいるのかはわからない。「日本が責任を果たせばいい」は、「自主防衛論」に通底している。
 自民党から批判が出ているらしいが、批判ばかりではなかろう。小沢代表の発言は本音であり、黙していても歓迎する向きもあるのではないだろうか。それは、中曽根康弘を中心とした「日本の自主防衛論」が、依然として影響力を保持しているとみるからでもある。
 それはさておき、日米安保破棄、自衛隊反対を言い、「無防備地域宣言」を推進または支持する立場の人は、「日本の安全保障、外交戦略」などについて、小沢の対抗軸として理論をうちたてているだろうから、改めて公表すべき時期といえるのではないか。
 私の立場は、スローガンを並べれば、1970年前後の「ベ平連」「安保粉砕」「反戦平和」「護憲」から、今日の「全ての核の廃棄」「米軍基地撤去」「沖縄の基地の全面返還」「自衛隊縮小、海上保安庁強化」まで、あまり内実を深めないまま変遷してきている。その間には、「米軍の核巡航ミサイル・トマホークの極東配備反対」「中曽根の自主防衛論反対」「1997年、日米新ガイドライン反対」などへのかかわりを思い起こす。
 プロセスはどうであれ「平和憲法を堅持、世界へ」「日米安保条約、ガイドライン、地位協定破棄」「非武装中立・海外派兵阻止」「非核3原則厳守」「地雷・生物化学兵器の撤去・廃棄」「国際災害救助隊・医療団派遣」「農林水産技術、環境技術で貢献」等を据えた上で、私が最近、「自衛隊縮小、海上保安庁強化」を言い出したのは、現実面から考えようとしたからある。
 世界有数の軍事力を持った自衛隊は、明確に「戦力」を保持しており憲法違反であるから、憲法を改正するか戦力放棄=自衛隊解体かの選択になる。私は「軍隊はいらない」「現憲法堅持」だから、基本的には「自衛隊解体」となる。その場合、国民全体のコンセンサスを得て進めていく必要があり、また、世界の情勢、近隣諸国との関係を考慮すると、目標期間を設定して「ソフトランディング」出来れば最善であると考える。そうなると、いきなり自衛隊解体とはならず、やはり漸次縮小・平和外交推進が同時進行していく必要があると考える。また、四囲を海に囲まれた日本であれば、沿岸の警備と海上の警備、救難は欠かせないだろうから、海上保安庁の強化は必要である。但しそれは、海上自衛隊を合体させるということではない。両者は異質のものである。
 このようにざっと考えてみてわかることだが、国土(郷土)・国民の「安全」を保持していくのは、国の不可欠な政策であるが、それは「政治」のトータルとしてあり、一市民からは、なかなか答えを出せるものではない。出せるとしたら、米軍基地、自衛隊基地の存在する地域の、「基地公害」に直面している住民の要求から発したものであるか、あるいは、国政を動かすための、政権党の議員を選別し、あるいは擁立して送り込む、その一票に託すことぐらいであろうか。無関心、他人任せ、偏見に堕することは、何もしないではなく、悪しき方向に加担することであることだけは自覚したい。

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2009年2月26日 (木)

カップルについて考える

 衣食足りて礼節を知る、では、豊かになり過ぎると・・・
 毎日新聞夕刊の連載小説「横道世之助」を読んでいるが、どんな展開になるかわからない。だから読ませる小説なのだが、23日の第263回では、こんな下りがある。
 今は、アフリカでボランテアに従事している、世之助の元の彼女、祥子の20数年前の回想(思い出話)で、同僚のシルヴィが「私たちみたいに豊かな国で生まれ育った若い男と女が別れる理由に、馬鹿なこと以外の理由があると思えないけど・・・」と、祥子の別れた理由に触れて一言漏らす場面である。
 例えばこのことと、「衣食足りて礼節を知る」を並べて考えてみると、なんだか相反しているように思うのだが、どちらも正しいようにも思う。
 カップルは、主従関係(持てる者と持たざる者の組み合わせ)がいいのか、同等関係(経済面だけでなく、職業的、知的な面でも)がいいのか、と比較してみたが、結局「それぞれ」ということであろう。どんな組み合わせであれ、ことがうまく運べばそれを由とするということだ。
 ではうまくいかない場合はどうだろうか。別れた後、思い返してみれば、「馬鹿なこと以外の理由があると思えない」のも一つかもしれないし、新しい出会いがあって今度こそうまくやろう、ということになるかもしれない。
 あるいは一方が忍従して(この場合も、怒りを伴った我慢の場合と、“いつかやさしさにめぐり会える”という演歌のごとく、情を灯し続けるかの違いがあるが)時を待つ、ということもあろう。だがおそらく、多くは小説や演歌のごとくにならず、“もう、我慢もこれまで”と、その先に当てはないが、現実から逃れる道を選ぶのではないだろうか。
 カップルの出会いに必然性などないのだから、全てが未知数から始まる。その未知の世界の解明が人生ではないが、人によっては、その人の人生の成就を持って、未知の世界をチラリでも知ることがあるかもしれない。相手を思い遣ってのことではあるが。

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2009年2月25日 (水)

課題が多いなあ

 ちょっと一杯もよろしくないが
 「ATUをサポートする市民の会(ATU・S)」のニュースを午前中に印刷して、午後からセット作業と発送作業に従事した。
  午後6時過ぎからの定例会議の前、空いた時間に名駅の東急ハンズで品探し。購入は後日にし、エスカ地下街で買い物1点。
 会議で事務局長の1か月間の活動報告を聞いていると、思わず、課題が多いなあと思ってしまった。
 例えば、①NLC報告書「あなたの知らないトヨタ」販売状況(ほっとブックに20冊預託)在庫は減少中。②総会&「トヨタ」連続労働講座。③ATUが愛知労働局申し入れ(工場臨時休日に有給休暇の強制取得の問題)④「12・23実行委員会」にて労働局、愛知県に対して非正規雇用労働者解雇対策要請(ATU市民の会も参加)⑤ジェーテクトで解雇問題発生、ATUに加入し団交申し入れ。⑥第30回トヨタ総行動参加。⑦TMPCWAを支援する愛知の会がトヨタ本社に申し入れ。⑧派遣切り大集会実行員会へ参加(2月12日、17日)⑨デンソー川野裁判勝利報告会。⑩東海在日外国人支援ネットワーク準備会に参加。⑪三井物産へフィリピントヨタ争議解決を要請。⑫愛知派遣切り抗議大集会とデモ。⑬「れいめい」6号印刷、発送。これに加えて、出席者から別件報告あり。
 もっともこの1か月は突出していて平均的なものとはいえないが、それでも内容を見ていくと、一過性のものが少ないので、やはりこの3分の2くらいが継続されるから、課題が多いなあ、と思った次第。
 こういう会議の後は、“ちょっと一杯”ということになるが、ここ3か月“お先に”であったから今日は同道した。名駅近くであれば、飲み屋を探すのに苦労はしない。これはいいことではない、と思いつつ・・・。

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2009年2月24日 (火)

名古屋市長選挙を考える・7

 河村たかし衆院議員で一本化なる
 報道によれば、民主党県連と名古屋市議団が一度は推薦を決定した弁護士の伊藤邦彦氏は、今日の午後、記者会見を行って、「党からは私への積極的な推薦がないと判断した」として、立候補を断念すると発表したという。
 伊藤氏が選挙戦に向けてどこまで準備をしていたかは定かではないが、少なくとも「マニフェスト」に近い政策は練り上げていたに違いない。結果はどうであれ、そうした努力に対して民主党は、党として敬意を払わねばならない。普通に考えれば、「ご迷惑をかけた」として謝罪すべきかもしれないが、伊藤氏も55歳という円熟した年齢であれば、そのようなものに関心はないだろう。むしろ自ら書き上げた政策の要綱を求められ、何らかの論議に付されることが気持ちとしては落ち着くのではないだろうか。そのように党側は汲みとるべきではないかと私は思う。
 そのようのけじめをつけて民主党は、党を挙げてこの名古屋市長選挙を勝ち抜く意欲をかき立てることができるだろうか。つまり国会議員から県議、市町村議員を含めた全党員が、河村とどう折り合いをつけ、「党員」として、あるいは「一政治家」として、この名古屋市長選挙にむけ、真の「一本化」を図って選挙に臨むことができるか。これはこの先、政権党になるのも時間の問題であろうから、民主党自身が試されもし、有権者からも注視されるということでもある。
 この間の問題処理に古川元久衆院議員が動いたとされるが、それが功を奏したのなら結構な話であるし、「党きっての政策通」という評判の人物であるなら、ワンマンの河村にとっては拠り所になるに違いない。
 それはそれとして、(私が思う)醜態をさらした「名古屋市議団」の各議員については、改めて吟味したい気持ちが強い。議員団に27人もいて全員が右にならえ、で伊藤氏を推し、河村氏になったら全員がさっさと「容認」か。党の決定に従うということはいけないことではない。それが常道でもあろう。そんなことではなく、早くから河村の動きも心情も知っていたうえで、あえて伊藤氏を担ぎ出した過程があまりにも分かりにくい、というか有権者抜きの「(保身的な)身勝手さ」だけが映ってしまったこと、これが戴けない。とはいえ、実際のところはわからないから、「吟味してみたい」のである。
 それもまたそれとして、「君は、河村たかしの当選を望むか、なにかを期待するか」と問われたらどう答えようか、実は結論が出し切れていないのである。
 順序だって言えば、河村も細川も大差はない、あるいは好きになれないとして、では第3の候補者、共産党の推す太田氏を推せるだろうか。この選択はない、なぜか。前回選挙で榑松佐一氏を立てて臨んだ選挙と、今回の太田氏擁立を較べみて、本気とは思えない、衆院選の前哨戦か組織固めという位置付けではないか、そう見えてしまうのである。榑松氏が再度立候補するようであったなら微妙なところであった。では棄権か白紙か、それもない。
 そうすると、自民党や公明党の推す候補者に1票を入れるつもりかといえば、これまでそうした投票行動は一切なかったからあり得ない。ならば残るは河村しかいない。つまり消去法でそうなるのだが、最初からそう断言できないところがあるから結論が出し切れていないのである。
 議員選挙と首長選挙は同じ次元で考えるべきではない、というもう一つの切り口がある。梶原の後を継いだ岐阜県の古田知事を見ていると、どことなく(何故か)愛媛や兵庫の知事とはちょっと違う気がするし、石原都知事や橋下大阪府知事とは大きく一線を画している。もっとも古田知事は「官僚型のお利口さん」という人もいるかもしれない。結局、首長としての器、実力を比較検討した結果から導き出されたものであれば、推薦政党がどこであるかは、二の次といっていのではないか、という発想をこのごろ取り込んでしまったから、こうなるのである。
 それで来月半ばに、市長選も話題になるであろう会合を設定したと聞いているから、それまでもう一度よ~く考えてみよう。

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2009年2月23日 (月)

デモ隊を見送った理由(わけ)

 彼我を置き換えてみれば
  昨日の「放射線照射食品・六ヶ所村再処理工場」の講演会と、「愛知派遣切り抗議大集会」が同時進行していたが、私は「派遣切り集会」の開催が決まる前に、前者の参加を既に決めていた。
  演会が終わってから探し本を求めて、名古屋丸善に行ったとき、「派遣切り集会」のデモ隊が名駅前に向かって行進しているところであった。予定を変えてデモの最後尾にでもつこうかなと一瞬迷ったが、何となく気がそがれ、その場で見送るだけになった。
 この「何となく」をいろいろ考えてみたが、デモが終了するまでこの先、まだ1時間近くはかかりそうで、帰宅予定がかなり遅れそうだという、どうにでもなる理由が一つ。求めた本は今日でなくてもよかったが、本屋をのぞく楽しみが断ち切れないという、これまたどうにでもなる理由もあった。また、この集会の趣旨には賛同してはいたが、2回あった実行委員会に出ていなかったという、理由にならない理由を感じていた。そして、もしあの人たちがいたら避けて通れなかっただろうという人を、探し出せなかったという、なんともひ弱な理由であった。
 デモ隊が通り過ぎていくのを立ち止まって見送るような人はいなかった。シュプレヒコールが次第に遠去かるのを聞きながら、私が主催者の一人であったり、そうでなくても、デモ隊の中から「デモに加わってください」と呼び掛けることは少なくないが、ほとんど例外的に若者がポッと加わることはあっても、中高年の人が加わる例を見たことがなかった。
 私は、そのデモに加わることのない中高年の人たちの気持ちの一端を、その場で同じように受け止め感じたのであろうか。「何となく」は、理由にならないことであっても、トタールとしてあるのであろう。あるいは、そのデモに引き込まれるものを感じ取れなかったか、それがデモになかったから、かのいずれかであろう。

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2009年2月22日 (日)

放射能の恐怖

 老域の者の処し方も
 歳を重ねて“怖い”と思うのは、死を含む家族との離別、離散であり、これはこころ(精神的な)の恐れである。肉体的には、寝たきりのような「病気」であろう。こちらはより現実的であるから、せっせと病院へ行くのも、薬やサプリメントに惜しみなく手を出すのも、その恐怖の裏返しに他ならない。もちろん私も例外ではない。
 もう一つ“怖い”と思うことはないかと問われれば私は、「知的好奇心の喪失」というかもしれない。もっともこれは病気と背中合わせのものかもしれないが。
 このことと直接関係するわけではないが、今日の午後、「台所にしのびよる放射能!?~カレーライスから六ヶ所村まで~」という集会があり、それに参加して“怖い”という思いを、改めて感じ取ったのであった。
  「カレーライスの食材に放射線照射!?」と題して、放射線照射食品問題を、四日市大学講師の河田昌東さんが、「六ヶ所村再処理工場と私たちの未来~静かに広がる放射能汚染~」の話を、京都大学原子炉実験所の小出裕章さんがそれぞれ講演した。
 話の大筋は分かっているつもりであった。六ヶ所村再処理工場の問題は、昨夏、ピースサイクル運動で要請書を、青森県知事、六ヶ所村村長、日本原燃宛てに出したこともあり、その時点での状況は把握していた。だが、状況は日ごとに変わっており、高濃度核廃棄物の「ガラス固化」が未だに成功していない、超深層地下埋め立て問題がどこまで進んでいるのか、地球温暖化問題やエネルギー問題を逆手に取るように、原発推進が産官共同で推進されている実態などは、メールなどで更新情報が入ってくるものの、「重大事故」の発生、原発関連の「判決」が出たりしない限り、通り一片のものとしてやり過ごしてしまう。だからこのような直接話を聞くというのはいい機会なのだ。
 「被爆」は、核実験や原発事故、戦争(劣化ウラン弾)による外的被曝が考えられるが、これから先、原発解体時に大量に出される建設廃材が、放射能を帯びたまま再生加工されて、家やビルの建設の鉄骨材、サッシなどで使用されると、それで被爆する例が、既に台湾で発生したと報告されているから油断ならない。
 では「内なる被爆」が何かといえば、一つは医療用のX線撮影で、安易なレントゲン撮影で、癌になった人もいると推測されるという。もう一つは「放射線照射食品」で、カレーライスの具の定番、ジャガイモの放射線照射で、北海道の士幌農協の例が紹介された。知らなかったのは、香辛料に対する放射線照射で、もっぱら小さな虫とその卵を死滅させるために、強力な放射線が当てられるという。
 厳しく規制されている「放射線照射食品」が、なし崩し的に輸入され、市場に出回り、私たちの食卓に上がる日が来るという危険が迫っているという。規制緩和とか食料危機とか何とか理由をつけて輸入される放射線照射食物は、その目的である芽が出ないようにする、殺菌作用だけでなく、それ自身がどんな化学変化をおこし、それらが他のものと混じり合ったとき、人間にとってどんな危険な「化学変化」が起こすかは、現在でも未知なのだ。
 では私たちはどうすればいいのか。とりあえず、行政に対して、農薬や添加物の規制と監視を求めると同様に「放射線照射食品」についても、一切を排除することを前提に、関連情報の入手と処理、選別設備の設置を進めるよう働きかけ、とりわけ「学校給食」については、その素材の吟味、選別を強力に行ってもらうことだ。
 「子どもの被爆の影響は、大人に比べ計り知れない。守らなければならない」はいいが、そうしたものが出てきて食べざるを得なかったら「年寄りから先に食え」は、ちとさびしい。
 こんなところにも「知的好奇心」があっての、老域の者が処すべきヒントがあるのではないだろうか。

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2009年2月21日 (土)

時間の隙間が埋められていく

 逃れる術はただ一つ・・・
 部屋の中や身の回りに空間があると、いつの間にか本や書類、新聞、雑誌などで埋まっていく。片付ければ一時は空間が戻ってくるが、それはつかの間である。コーヒーカップすら置く場所がなく、手にしたまま、立ったまま飲むこともある。
 還暦を過ぎて、それまでかかわってきた運動の選別を行い、それなりにキリをつけて、自分の時間、つまり空間を作った。その空間を使って「自分史」「詩集」をものにすることができた。
 2007年の夏ころから、時間的空間がまた埋まり始めた。それでも公私のバランスが保たれる状況があって、ミニコミの「雑談の櫂」にも十分時間をかけることができた。何より読書時間があった。最近は、パソコンに係り過ぎのせいであろう、「黄信号」が灯っている状況だ。何とか逃れる術を考えねばならない。
  部屋が埋まるのを避けるには、その種のものを持ちこまない、持ち込んだら、持ち込んだだけを廃棄すればいいのだが、それでも微増を繰り返し、そして山となる。それゆえ、運動の領域を狭めて、関連しない書類などは廃棄するに限る。だが問題は、「関連するかどうか」の判断である。
  「トヨタと向き合い、トヨタの下流域を行き、見定める」としても、最近の非正規雇用問題、「派遣切り」や「外国人労働者問題」はどう対応するのか。国政選挙では、関連する法律が運動と絡まるから、政党や議員と接点がまるでないのも良くないと思ってしまう。ここは「誰かに任せよう」と思いきればいいのだが、一枚の書類が捨てられぬと同じように、スパッとは切れない。
  「あなたは、これ以上酒を飲んだら死にますよ」「タバコはやめなさい、命取りになりますよ」といわれつつ、「明日からやめよう」を繰り返している人も多いかもしれない。問題は「どうせ長くない命、我慢するだけが人生ではない」と、「安(易)き」についてしまうことだろう。
  時間的隙間を埋められていく現実を、被害者的に受け止めているとすれば、それは自分のものになっていない「請負」だからである。わがものとして向き合えば、課題をこなす時間も短くできよう。そのようにして時間の隙間を作ることがいいのではないかと思う。今一度「いま何をなすべきか」を、繰り返して考えてみよう。

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2009年2月20日 (金)

名古屋市長選挙を考える・6

 河村たかしで行くとなると
 朝日新聞は「asahi.com9時10分」で、名古屋市長選について、「民主県連推薦の伊藤氏、出馬断念へ」を伝えた。「えっ!」と思って読んでみたが、まだ推測記事の域を出ていないものであった。伊藤邦彦氏の発言「24日の党常任幹事会までに自分に推薦決定されなければ、出馬を断念する」も、取りようによっては、県連や党本部への「確認、督促」のようでもあるのだ。他社に記事を見かけないところを見ても、朝日の先走りになるかもしれない。
 一方名古屋市議団の自民の2市議団と公明党の市議団は、細川昌彦氏(54)中京大学教授の推薦、支持を打ち出して、先行して動きだすようだ。これが功を奏することになれば、「さすが自民、崖っ淵に強い」と言わしめかねない。もっとも、伊藤氏も細川氏も新人でしかも知名度は低いから、この二人に限って言えば立候補決定が、2月が3月になっても大差はなかろう。問題は民主が河村で一本化した場合である。
 河村たかしは、痩せても枯れてもそれなりに「政治家」である。自分を取り巻くこの状況を読みに読んでいるに違いない。第一に政治家としての「決断」に全体重を乗せていることであろう。それは市議団、県連、党本部がどうであれ、「推薦なしでも立候補する」という立場を堅持することで、「本気だ、やる気だ」を尖塔のごとく突き出して四囲を圧することである。
 これは反発も呼ぶかなり強権的な手法であるが、今の市議会、市議団を粉砕することは、有権者の支持に比例すると読んでいるのではないか。それは、佐藤夕子市議を誕生させた経験に基づいているようにも思える。しかも、民主党の市議団・県連の、河村を嫌悪する報道がなされればなされるほど、その効果は倍増していくと読んでいるのではないだろうか。ただし、名古屋人の底堅い、堅実な気質を読み違えなければ、であるが。
 朝日によれば、「市議団が河村氏の立候補表明に反発したのは、河村氏が持論として掲げている議員報酬削減や議員のボランティア化などの政策に拒否反応を示したからとみられているが、対立はもっと深刻だ。」とあるが、この記事だけで読み取るとすれば、何がどうなのかは知らないが「対立はもっと深刻だ。」として、前者の「議員報酬削減や議員のボランティア化」を薄めているが、実際は、ここが本当のところではないだろうか。
 政務調査費の問題や、日ごろの議員活動を見ていて、私がその近くにいないから見えない、ということもあるかもしれないが、「さすが名古屋の市議、いうこと、やることが違う」を目にし、耳にすることがないからだ。
 また河村は、当選したあとの「与党少数」も視野に入れているかもしれない。そう考えると、現市議ともう少し「うまくやる」ことも考えないでもないだろう。しかし、うまくやるには時間がなさすぎる、そんなことに腐心している暇はない、勝てばそれが唯一の解決策、そう読んでいるだろうが、実は私もそう思うのだ。身内のもめ事に気を取られるな、相手は有権者だ、これが最大唯一の戦略ではなかろうか。
 何だか、大阪の橋下知事と重なってきてしまった。

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2009年2月19日 (木)

社民党比例東海に坂さん

 起死回生の手は打てるか
 今日の午後立候補の記者会見があると聞いていたが、どうなったであろう。記者の集まり具合にもよるが、間に合えば今日の夕刊、そうでなければ明日の朝刊にどれほどの社が、どれほどのボリュームで報道するかで、マスコミの関心度が読み取れる。
 マスコミの関心は、第一に「当選圏に入りそうな候補か否か」、次に知名度で、「この候補なら、社民党でもかなり票を稼ぎそうだ」となれば、競って寄ってこようが、残念ながら坂さんにはその両方が不足しているといえよう。そうなるとやはり「担ぎ手」とパフォーマンスということになろうか。
 (もう終えているだろうから書くが)もし私が演出するなら、まず地元の記者会見と同時刻で、福島党首を中心に東京で「党公認・第○次衆院選候補者発表」「有力なブロック・候補者」「非正規雇用の課題に取り組む、バイタリティある女性候補」の記者会見を行ってもらう。一方地元では(この人の場合、出身は愛知だが、支援体制は静岡が中心と聞くが、そうなるとどこで?)辻元清美と保坂展人を呼び、地元からも著名人か、大学教授とかで脇を固めて臨む。次に簡潔で挿絵入りの「政策」リーフレットを、記者会見用に特注する。時間は20分程度で短めにして終え、記者が知りたいと思うところを軽く流して、質問で答える工夫をする。最後に取材の便宜を図る、本人と事務局長の携帯電話など連絡先を明らかにする。(これは当然のことで、大抵の場合、名刺でこれに代えるが、名刺をシール式にして3枚ほど渡すのはどうか)
 まあ小手先の工夫ばかりでは有権者の心はつかめないから、以上のことは「しないよりはまし」程度にして、いつ麻生退陣、解散総選挙があるかわからない状況であるから、スタッフ、サポーターとなる人に寄ってもらい、選挙態勢を作り上げることだろう。動き始めることだろう。
 多くの人は仕事を持っているから、会合や行動は週末になりがちだが、そうなると物事は1週間単位で動いていく。あったという間に時間が過ぎてしまうものだ。
 社民党の起死回生の手は何であろうか。坂さんのホームページ・ブログは立ち上がったであろうか。

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2009年2月18日 (水)

議員は、意識拡散、よろよろ症候群

 中川大臣の場合に関連して
 中川大臣財務・金融担当相が、酩酊記者会見で辞任に追い込まれたニュースには驚かされたが、新聞テレビで詳しく報道されているから、ここで繰り返すことはないだろう。
 この不祥事、中川大臣の症状を一言で言うなら「意識拡散、よろよろ症候群」で、それは酒のせいばかりでない。政治家であるという意識が希薄で、政治的、経済的危機状況という認識があいまいで、何をなすべきかの使命感が忘れ去られているといっていいのではないか。恐らくこの症候群は、集団感染していて、安倍、福田、麻生は完全に感染してしまっていることは確かだろう。自民党・公明党の大半、民主党の議員にも広がっているようであるから、日本列島は汚染列島となり、映画さながらといっていい。
 原稿の依頼を受けた時、活動の企画をまかされた時、ミニコミ誌の編集の時など「何をなすべきか、何をなすべきか、何をなすべきか」3度唱えても、いい思いつきが浮かばないことがしばしばある。出てくるのはどれもこれも二番煎じのものばかりだ。“この無能めっ!”と、思わず缶ビールに手を出したくなってしまう、そんな経験はありませんか?私にはよくあるのです。もっともこういう場合は、ビールより、熱いお茶に饅頭の方を選ぶことが多い。作業続行ですからね。
 中川大臣は酒が好きだそうだね。飲んではしょっちゅう醜態を見せていたとか。「あれで意外と気が小さいんですよ」という人もいるとか。なるほど。周囲に持ち上げられては酒にひたり、大役をもらったはいいが、何をしたらいいかわからず、つい酒に手が出てしまう、そんな感じなのか。こわもてで少しは知られた、親父さんの中川一郎さんはどうだったのか。同じような話を聞いたような気もするが、記憶違いか。
 いずれにしても、地方議員を含めて政治家のみなさんの、今は議員としてなにがしかの行動をとることをお勧め、というか期待しています。後援会のバス旅行に行っている場合ですかねえ。
 

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2009年2月17日 (火)

熊野古道・伊勢路を歩く(1)

 まだ入り口で実感なく
 一昨日の日曜日、「三交トライパル(株)」主催の、世界遺産を旅する「熊野古道・伊勢路」ウォーキングに参加した。全コースは17のコースに分割されていて、参加者はコースを選択して、指定のバス停で乗降する方式であった。
 昨秋からグループをつくって始めたのを聞いて、同級生のよしみで加えてもらったのであった。グループのこの日の参加は10人、下は60歳、上は72歳とか、夫婦連れ主体であり、シングルは二人。初めての参加は私だけ。大型の観光バスに20人余りだからゆったり過ぎるくらい。2月という時期だからだろう。
 名古屋駅8時発のバスに揺られ、おしゃべりしているうちに、私たちのスタート地点の「三交馬瀬バス停」に着いたのだが、そこがどうやら、紀北町だとわかったのは、少しあとだった。この紀北町は、三重県北牟婁郡にあって、2005年10月11日に紀伊長島町と海山町が合併し、紀北町が誕生したとあり、紀北町のイメージがわかなかったのは無理もない。紀伊長島町なら、その手前の錦漁港へは、原発建設予定地だった芦浜海岸への入り口として何度も行ったことがあったので、多少は思い出していたかもしれなかった。
 ガイドブックには、私たちのグループのコース「始神峠(はじがみとうげ)」は、約6キロ、3時間、難易度星2つ、峠の標高は147メートルとあり、初心者コース。空は晴れて風もなく、暖かさを越して暑いくらいで、着衣が2枚になるまでに時間はかからなかった。
 「道の駅」で購入した弁当を、始神峠で広げると、昨日の“バレンタインデー”のお流れであちこちから、チョコレートが回ってきた。私は冷茶と保温の水筒を用意したのであったが、汗をかいたとはいえ、やはり、温かいお茶がうまかった。野鳥の声は聞こえなかったが、眼下には熊野灘の一部が樹間から見える。百倍ズームの双眼鏡を取り出して眺めてみたが、“こいついけねえ、目標物が定まらねえ”という感じで、生で見るが一番と分かった。
 帰路のバスの発車時間まで二時間余りあって、予め計画されていたコース外の「高塚公園」へ足を伸ばしたのであるが、展望台への急坂が本コースの数倍のきつさであった。
 さてここで、リーダー(同級生)のKが、自慢のキャンプ用の簡易コンロを取り出して、山から汲んできた自然の水でお湯を沸かし、全員に熱いコーヒーを振舞う予定であった。これは恒例らしく、みんなも期待している風であったが、それが、それが、肝心のコーヒーを忘れてきてしまって、次回のお楽しみと話題のネタを残したのだった。
 3月の予定は15日で「ツヅラト峠」とか。「15キロ、5時間、海抜357M、星5つ」だが、今度は、スギ花粉対策の「マスク」が必要のようだ。

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2009年2月16日 (月)

投資リスクに無関心か

  三井物産の場合
 フィリピントヨタ社(TMPC)の最大出資者は現地の法人であるが、続いてトヨタ自動車、三井物産である。そして実質的な経営権は、社長を送り込んでいるトヨタ自動車である。
 フィリピントヨタ労組(TMPCWA)を支援する会では、争議解決の当事者は、TMPCWAと現地の法人TMPCであるから、団交交渉による解決を支援の柱にしてきたが、現地法人に当事者能力がない現状から、経営の中軸をなすトヨタ本社に争議解決を求めるようになって今日に至っている。
 三井物産は、国内出資会社では2位の立場にあるが、トヨタが当事者であるとすれば、実質的にトップの出資会社であり、決定権を握る株主ではないが、発言権は大きいとみることができる。そこで、支援する会が三井物産に対して、大株主の立場から、争議解決を図ることは、投資リスクの軽減となるであろうから、そのための企業努力をすべきと求めてきたのであった。
 だが、支援する会の立場は、争議解決が第一義であるが、企業活動の在り方について、国内と海外とを別対応とする「二重基準」についても追及している。古くは、環境基準が低いまたは法整備の遅れているアジア地域への「公害輸出」であるが、昨今では労組対応がその一つで、海外生産拠点での労組結成の「回避」にむけ、陰に陽に奔走する「企業努力」の横行である。
 それらの問題はすでに国際的に認知されており、フィリピントヨタ社の争議でILO(国際労働機関)が毎年のように勧告を出し、IMF(国際金属労連)が「反トヨタ世界キャンペーン」に乗り出しことでも明らかである。
 このような状況を説明しつつ、昨年の6月20日の、第1回申し入れの際に求めた投資先の経営についての実態把握をどのようになされたのか、これが、三井物産中部支社への2回目の申し入れの冒頭であった。
  「・・・とりわけ私たちは、トヨタ自動車の海外における生産計画に伴う、生産拠点の整理統合、人員削減が、フィリピントヨタ社にも及ぶのではないかと懸念を深めています。この点につきまして貴社は、現時点での状況をどのように把握されているのでしょうか。是非お聞かせください。」「・・・このような時期であればこそトヨタ自動車は、国際的な信用面からも、争議の早期解決が経営環境を好転させる一つの方策ではないでしょうか。それはまた貴社の働きかけが、功を奏する機会でもあると私たちは考えており、ここに要請する理由でもあります。」「ここに、フィリピントヨタ社とフィリピントヨタ労働組合間の争議の、早期解決へ貴社が積極的にかかわるよう、改めて申し入れます。」
  井物産側の対応は、現地社員からも報告は受けてはいるが、「トヨタ様に、物申す立場にはございません」という風な対応であった。

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2009年2月15日 (日)

老兵たちのフォーラム・2月例会(3)

 「マイ・ホーム」と「しあわせ」の戦後史
 もうひと方のレジュメはM・Hさんの、「マイ・ホーム」と「しあわせ」の戦後史、というタイトルで、副題に「“郊外”の夢と現実」というのがあった。
 全体の見出しは以下の通りであるが、ここからどんな話が連想できただろう。私は聞き耳立てて聞いていたが、理解半ばであって、第3者に伝える自信がないが、試みてみる。
Ⅰ、「マイ・ホーム」という神話。Ⅱ、NY万博と郊外・家族。Ⅲ、レヴィットタウンとアメリカン・ドリーム。Ⅳ、冷戦と温かい家族。Ⅴ、郊外への反乱。Ⅵ、55年体制の中の郊外。Ⅶ、郊外という問題。Ⅷ、郊外を超えて。
 以上は、三浦展著「『家族』と『幸福』の戦後史」<講談社現代新書 1999年12月20日初版>からのものであるが、私は読んでいないどころか、そのような新書の存在すら知らなかった。
 私のレジュメで、「『世代』で考えてみると、『A:戦前・戦中派の世代』『B:団塊の世代』『C:団塊の世代の二世の世代』に分けられると思うが、今日的『教育の問題』は、Aの世代がCの世代を見て指して言っている印象が強いがどうだろうか。とすれば、Bは一体何をしてきたのか、Bの時代とは一体何だったのか、ここに問題の一つがあるようにも思われる。」と書いたが、まさしく、戦後史探求の中核をなす「団塊の世代」の時代背景、生活思考、社会現象を、先行したアメリカ社会を比較対照して考察したのではなかろうか。
 M・Hさんは、一例として、フォーソングの変遷を上げた。多分「戦争を知らない子供たち」「友よ」「自衛隊ブルース」のような反戦フォークから、「あなた」(小坂明子/1974年)へ、つまり郊外型マイ・ホームが幸せであるといい、さらに「結婚しようよ」(吉田拓郎)「てんとう虫のサンバ」(チェリッシュ)「花嫁」(はしだのりひことクライマックス)などを並べるといっそう際立つ。家電の「3種の神器」がもてはやされたのも、その一つといえよう。
 そのころのブームであった、「郊外の団地に住む」(多摩ニュータウンなど)がもたらしたものには、「故郷の喪失と共同性の欠如」であり、①親の働く姿が見えない← →②善悪の基準があいまいに。③郊外は「友達文明」の空間が顕著(=「世間」がない)④「学級崩壊」が起こる⇒生活の基礎的なしつけができていない、ということになるという。
 緑区でも「旧住民」と「団地族」「新興住宅地」の「新住民」という言い方があって、前者は町内会がそれなりに機能していることが多いが、郊外住宅、集合住宅では「理事会」「自治会」となって、なかなか運営が難しいとも聞く。少年の犯罪がどちらに多いかは知らないが、旧市街地では住宅も「親から子へ」だが、「新興住宅地」では夫婦共働きでローン返済。それで「カギっ子」が多いことは確かであったろう。
 このような生活スタイルや、「家事より仕事」とか、「結婚・出産・子育て」より、人生謳歌の女性が増えた(「クロワッサン症候群」というらしい)とか、「フリーターで生きたい」は、ついこの間までの価値観であった。
 これらが「戦後教育の問題は何か」と、どう合わせ考えられるのか、何となくわかりかけては、「待てよ、しかし・・・」とまたわからなくなる。「教育の問題には、結論はないよ」といわれ、ちょっと肩の荷が下りたが、目の前に孫の姿を見れば、「ま、いいか」ともいかないということも、実はあるのだが。 
(多分、続く)

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2009年2月14日 (土)

老兵たちのフォーラム・2月例会(2)

 “祖国愛、日教組批判”には違和感
  「戦後教育の問題は何か」というテーマでの二月例会であったが、この日、H・Hさんが報告者であった。
  このフォーラムでは、参加者自体が右から左までの集まりであり、報告者と、参加者の発言の持ち時間は、どんな発言も自由という原則があるから、幾らかの賛否の意見や補強意見が出されても、大雑把にいえば、「いい放っし、聞き放っし」で、それぞれが受け止め、消化することで激論には至らない。それが会の継続している理由にもなっているようだ。
 だが、かなりの落差のある異論を、押し黙って聞いているのは実はつらいことで、「ちょっと待った!」といいたいところなのだが、それは許されない。では、そんな議論にもならない場が、何か意味があるのか、ということだが、それは反駁するというより、あるいは論破するというより、持論の展開の中で、参加者の賛同を得るしかない。その賛同を得るのも、明確に○○さんの意見に賛成!というものではなく、各自の意見、感想の開陳を聴く中で判断するしかないのである。
  それぞれが一言居士である上に、多くは自重、自制された、あるいは話の切り口を替えた意見であるから、参加者全員の話を伺っていくうちに、いつの間にか提起者への直接的反論、異論の気持ちは退いてしまう、まあそんな感じではある。
  さて、H・Hさんの「戦後、日本の教育者たちは、自虐史観を抱き続けてきました」「これは、日本が“侵略国家”であるというトラウマからくるものです」。ということは、「先の戦争で日本軍は、アジアを、特に朝鮮半島、中国を侵略しなかった、とでもいうのですか?」「ええ!トラウマといっちゃうんですか!」といいたくなる。
  「歴史教科書を教える意味は、自国への誇りと愛情を育てて国民としての自覚を促すためだと思います」という文言だけなら、そういう一面はないことはない、とは思うのだが、後段で日教組批判と祖国愛へつながっていくから、またぞろ愛国心か、となってしまう。
  他の人からは「ふるさとを思う。そこで教えられ、学んだことが多くあった」という意見もあったが、それは「自然の中から学ぶ、人と人との触れ合い、祭り、伝統行事、3世代同居」そんな中から愛国心などとは言わない「郷土愛」のようなものは育まれる、ということではないだろうか。
  もっともH・Hさんは、「戦後教育を歪めてきたのは、日教組だけでなく政治、つまり自民党政治との共犯」とも言っている。しかし、全体のトーンは、日教組批判に軸足を置いている。私は、日教組を全面擁護する論理を持っていないし、一方で「先生(教師)になりたかった、という時期があったが、ならなくてよかった・・・。」という感慨をもっていて、それは教師への反発の残滓を抱えたままであること、どうもあの集団とは、フラットには付き合いにくい、なんていう狭量心もあるからだ。
  またこんな下りもある。「戦後、校庭から二宮金次郎の銅像が消えました。勤勉や節約が否定されたのです。背景には、偶像崇拝や国の中央統制を排除する左翼思想によるものだろう。」この、飛躍に過ぎる論理にはとてもついていけないし、反論の気概がそがれてしまう。「・・・大和魂を抜き取って、刃向わない従順な国民に教育するというアメリカの占領政策が、まさに成功したのです。」
  ということは、H・Hさんの「戦後教育の問題」とは、「自虐史観と、日教組と自民党政府の確執、アメリカの占領政策」が大きいということになるのか、というのが私の受け止め方で、私の「グローバリゼーション(新自由主義、規制緩和、市場原理主義・国際競争)に進路を切った小泉政権あたりからだろう。」という認識とは、かなり違うわけだ。「Aの世代(戦前)がCの世代(団塊二世)を見て指して言っている印象が強い」という私の指摘とも、見方が違うようだ。
 他に一人、レジュメを出されているので、もう少し検討を進めてみたい。 
(続く)

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2009年2月13日 (金)

老兵たちのフォーラム・2月例会(1)

  戦後教育の問題は何か
  2月例会は、初めての試みであるが、場所と設定を変えて、今日と明日、師崎のホテルにて泊まり込みで開催される。1日目の今日は、各自設定のテーマを出し合うフリートークとなっている。私は、この間のブログから「衆議院選挙を考える」を設定した。材料はすでに出来上がっているので、昨日の「みどりの未来」を加えたものとなった。
  明日は午前中のみで、例会に沿って進められる。テーマは「戦後教育の問題は何か」であり、難題である。あまり深入りすると(実際は、深入りなどできはしないのだが)袋小路に入ってしまうし、結論を出せるほどのものはもっていないから、私のレジュメは、感想か問いのレベルで対応するつもりである。
 そのレジュメから一部を引用すると、
 テーマに「問題は何か」とあるから、まず日本の戦後教育を概観してみて、今日的問題が何であるかを特定しなければならない。その問題点を検討するとなると、「戦前と戦後」の相違点、類似点を見て置く必要があろうし、日本の教育と諸外国の教育との比較検討を試み、世界観の違いを知ることも重要であろう。
 もう少し引き寄せて考えてみても、ある程度普遍的な「公教育」といわれるものと、時勢の中で求められる「政策的教育」もあると思われるので、分けて考える必要もありそうだ。さらに、「家庭内教育」「地域社会での教育」との関係性もあろう。また私流にいえば、悪しき「企業内教育」も検討するに値するだろう。
 そもそも「教育とは何か」、「教育制度の在り方」という原点に立って考える必要もありそうだが、かなりの部分で手に負えない気がしているので、皮相的であるが現象面から考えてみたい。
Ⅰ、基本的なこと
  ここは、以下の項目だけ。
  教育の歴史的検証/教育の場/教育する側/教育を受ける側/国の教育政策/教育ビジネス/人間教育と国策
Ⅱ、戦後教育を改めて考えてみる。事件、事案、現象などから
1、戦後のエポック
1)散々に戦争に敗れて、そのあとのことを日本のリーダーたちは何を考え、国民は何を求めたか。例えば、ソ連と中国共産党の進駐を恐れたであろうことはわかるが、その一方で広い国土、豊富な資源、アメリカンドリームという、多様な夢を持つアメリカ合衆国を、日本の戦後指導者は、日本の進路の道しるべにしたのではなかったろうか。それが、戦後の日本を形作ってきた一方の柱ではないかと考える。
  そして、明治維新後から第2次世界大戦までの日本の過去を総括し、教訓化し、その対極をめざした潮流がもう一方の柱ではないかと推測する。極言すれば、「米国追従一辺倒」か「自立とアジア重視」の2潮流ではないか、と。
2)「戦後」のエポックはどこかといえば、やはりグローバリゼーション(新自由主義、規制緩和、市場原理主義・国際競争)に進路を切った小泉政権あたりからだろう。それは、それまでの様々な価値観が、時には忘れ去られ、置き換えられ、捻じ曲げられ、矮小化されることも少なくなく、同時に、パソコンや携帯電話などによる情報と伝達手段の変容を合わせて考えてみると、「戦後教育の問題」ととらえるより、「グローバリゼーション以降の問題」といえるのではないだろうか。
3)では「世代」で考えてみると、「A:戦前・戦中派の世代」「B:団塊の世代」「C:団塊の世代の二世の世代」に分けられると思うが、今日的「教育の問題」は、Aの世代がCの世代を見て指して言っている印象が強いがどうだろうか。とすれば、Bは一体何をしてきたのか、Bの時代とは一体何だったのか、ここに問題の一つがあるようにも思われる。
2、犯罪、事件、社会問題から考えてみる
最近の事件を概観してみると、
1)殺傷事件では、家庭崩壊を象徴する「親子間の殺傷事件」、動機なき「無差別殺傷事件」、これまでになかった「残忍な手口」、事件の「低年齢化」、事実ではないのに「外国人が増えてから犯罪も・・・」など。
2)性犯罪などでは、大学生の集団レイプ、判事も手を染める「ストーカー」、殺害に至るケースもある「児童ポルノ」、まだ男にはどういうことかわかっていない「ドメスティックバイオレンス(DV)」など。
3)陰湿な犯罪、間接殺人では、パソコンや携帯電話の「メール」による嫌がらせ、いじめがある一方、人間の労働の限界を超えた超過重労働による、過労死、過労自殺、うつ病の多発があげられる(企業犯罪)が、「規律と統制」を重んじる自衛隊、警察にもあることを忘れてはならない。
3、自由とは無責任の裏返しである。権利と義務・自己責任は一体だ、という人もいるが。
1)自由と権利を履き違え、「自由には、義務と自制、自己責任」があることを忘れている。勝手気まま、他人の迷惑を考えない「自己中心主義的ふるまい」を「権利」という風潮がはこびっているのは、戦後教育が間違っているからで、その中心が日教組だ。しかも家庭の「躾」ができていないからだ、と声高にいう人がいる。
2)外務省の警告を無視してイラクに潜入し、挙句の果て誘拐、拉致されて国に救出、援助を求めるなどは、税金の無駄遣いだ。自己責任をとれ、という声は当然だ、と思っている人は少なくない。
3)やれ戦争責任だ、謝罪だ、国家による戦後補償を行え、などその「自虐的発想、教育史観」が、日本国民をダメにした。戦争で命をかけ、戦場で倒れた兵士は英霊だ。靖国神社で祀るのは当然だ、という人もいる。
4)集団的統制、規律と生活における礼儀、躾、道徳が決定的に必要だ。「兵役義務」といわずとも、公教育の中のカリキュラムの中に組み込み、徹底させればいい。文科省の強い指導が必要だ、という人もいる。
5)犯罪人には“見せしめ”の罰が必要だ。死刑制度を維持し、何事も厳罰主義で臨む必要がある。また犯罪の予防には、監視と通報制度が社会的に定着することも重要(英国の例)だ、という人がいる。
Ⅳ、教育に関する7+1つの問い
1)幼稚園は必須、高校全入制、大学の門戸開放(希望者全入)が教育水準を高めることになるだろうか。
幼児教育のあり方、職業観が問われていないだろうか。
2)全国学力テストで何がわかるのか、どんな効果があるのか、そのマイナスはないのか。
3)公教育は「入試・進路指導」に偏重していないか。「職業観」は、どんなふうに教えられているのか。
4)「大学の倒産の時代」到来は、何を意味しているのか。大学はそんなに必要なのか。
5)教師を(再)教育するとか、任期制にするとか、これはどんな次元で言っておられるのか。
6)英語(英会話)教育の強化の必要性を説く人が多いようだが、「英語偏重」を危ぶむ声もある。言語の問題をどう考えればいいのか。
7)一般的な「職業訓練制度」は、企業任せだけではなく、地方自治体による「地域制」(地域に職業訓練センターの設置)はどうか。高齢者のチャレンジの機会は、経済効果以上のもがあるのではないか。
+1 ところで、「家庭内教育」を、改めて考えたことありますか?
Ⅴ、一通り書いて見ての雑感<略>
 このテーマは、その人の人生そのものと人生観が垣間見えるであろうから、しっかり聞きとっておきたい。

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2009年2月12日 (木)

みどりの未来

 日本型緑の党の未来は?
 少し前、「みどりの会議」というのがあって、代表の中村敦夫参院議員が、参院選で落選し総括がなされた後、それっきりになってしまったと思うが、それを引き継いで、2005年2月に「みどりのテーブル」が発足した。その地域組織の一つが「みどり東海」であるが、私はその結成準備会には参加したが、参加をためらった経緯がある。
 私がためらった理由は、準政治団体「みどりのテーブル」を、具体的にイメージできなかったことが第一で、もう一つは、会としての具体的な運動と私の運動領域がオーバーラップしなかった点が大きかった。それは市民運動や地方議員の運動が濃厚で、労働問題、労働運動が希薄だったということでもある。労働問題の分野を私が引き受ければよかったかもしれないが、それまでの数年間、労働運動から離れていたことが、私には致命的に思えたのだった。
 つい最近送られてきたレターによれば、2008年11月22日、全国組織であるその「みどりのテーブル」が、地方議員団体であった「虹と緑」と合流し、「みどりの未来」として再出発したという。将来的には「みどりの党」を結成する方向でもあるという。
 このグループは、ドイツの「緑の党」が背景にあって、「日本型の緑の党」をめざしているのであろう。運動の基軸に「環境・教育・人権」があって、「自然破壊や税金の無駄遣いとなる公共事業を止めさせるための住民運動」<会則第3条(2)>は、かなり重きを置いた活動のようだ。設楽ダム、徳山ダム、COP10は重点課題に挙がっている。
 「みどりの未来」は、次の衆院選挙にかかわらないでパスするらしいが、当然いろんな角度から議論したうえでの結論かと思うが、自前の候補者が持てないからだとしても、なんだかもったいない気がする。
 共産党とは距離があり過ぎるが、社民党とは連携ができそうな気がして、政策のすり合わせなどの政治経験を積み重ねることは、費用対効果からすれば大きいように思うのだが、まあ他に確たる理由があるのだろう。
 私にとってこれらの動きについては、「第3の社会(制度)論」への、道標の一部が見え隠れするようで、少数政党へはさらに関心を高めて行きたいと考えている。
 

  

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2009年2月11日 (水)

主役は誰だったのかな?

 第30回トヨタ総行動
 豊田市・山之手公園のグランドに、幟(のぼり)が林立し、後方からは演壇が見えないほどだった。街宣車が5台か6台はあったろう。聞けば1600人の参加だったという。“昨年より多いなあ”という声をも聞かれた「第30回トヨタ総行動」であった。
 私は初めての参加。青地ののぼり「自動車産別連絡会議」を持っていた。横には、赤地の「フィリピントヨタ労組を支援する会」ののぼりを持ったTさん。列の集団に黄地ののぼりの「全トヨタ労働組合(ATU)」の組合員が10人ほど。さらに、名古屋ふれあいユニオンののぼりを持ったSさんがいた。
 午後0時30分から集会が始まり、主催者(実行委員会)あいさつは、羽根愛労連議長。激励のあいさつは、大黒全労連議長と聞いて、私は思わずニヤリ。2001年の名古屋市長選挙で候補者擁立を巡って、「革新市政の会」を代表して彼が交渉の窓口を務めていたから覚えていた。続いて壇上に上がったのが、共産党が推薦する名古屋市長選挙の候補者、太田氏。
 決意表明3人の中に「トヨタ労働者」がいたが、「トヨタ革親懇」と名乗った。「トヨタ総行動」と銘打っているのだから、トヨタで働いている労働者が壇上に上がって、職場の実態をリアルに報告することはいいことだし、参加者の多くが聞き耳を立てる場面であったろう。発言のその評価はさておくとして、私の横には「全トヨタ労働組合」の若月委員長がいるのであるが、どうやら、お呼びではないらしい。彼が壇上に上がれば、職場の実態はもちろん、団体交渉の経過の一部も聞けたであろうし、この時期、労働者は、あるいは労働組合は何をすべきかをきっちりと提起したであろうから、集会のハイライトとして盛り上がったのではないかと思ったのだが、私の勘違いらしい。こうした集会の組み立ては、ATU結成、参加してからも変わらないらしいから、これまでを踏襲したのであろう。
 デモ行進はトヨタ自動車の本社までの約2キロ、1時間余りかけて長い隊列が続いた。私にとっては、何年振りかの多数デモへの参加であった。私たちの集団は後尾に近かったので、午後2時半近く本社前に着いたが、この日の朝9時から、TMPCWAを支援する愛知の会が、エド委員長のメッセージを携えて「争議の早期解決」を求める申し入れをしたのだった。

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2009年2月10日 (火)

名古屋市長選挙を考える・5

剣が峰の河村たかし
 自民党愛知県連が、元中部産業経済局長で現中京大学教授の、細川昌彦氏(54)を擁立すると報じられた。そうなると、自民・公明と民主の二人、それに共産推薦の4人が顔をそろえることになるが、民主の河村衆院議員と伊藤邦彦弁護士の間に調整の余地は皆無でないから、4人か3人かは決めつけられない。
 焦点は河村たかしの動向に絞られる。河村の選択肢は二つしかない。「出るか、出ないか」だけである。しかし、「不退転」を公にして繰り返しているから、「出るに決まっとる!」ということにはなるのだが・・・。
 河村は、民主党の公認予定候補を向こうに回して、市長選挙に出るとして、そのような運動を既に始めているのであろうか(そうは見えないのだが)。あるいは、このまま突っ走れば、民主党県連の決定を粉砕して、共産を除く三つ巴の不利を見た伊藤邦彦氏が、自ら辞退する状況に追い込めるという算段であろうか。
 しかし、である。「共産を除く三つ巴」で勝ち抜く可能性についてであるが、名古屋市の自民・公明連合と民主の差は「10万票」程度ではないかと思われ、一本化なしでは難しい選挙になりそうだ。では、それ覆すほどの人気が河村にあるかというと、名古屋人は、東京、大阪ほど名前だけでは流れない気がするのだが。
 また、仮に伊藤氏が辞退したとして県連は、「10万票差」を維持するための全力投球に切り替わるだろうか。「河村より(元)官僚の方がいい」なんて言い出しそうな気さえするから、河村は、個人的な知名度だけで勝負せざるを得ない。だがテレビに出ている程度では、名古屋人は動かないだろう。
 さて、もう一つのシナリオは、党幹部の説得を前に「断腸の思い」を語って、涙して撤退する(大芝居の)道である。それはそれで、衆院選への道は確保されるが(市長選で落選しても、また衆院選に出るくらいのしたたかさはあろうが)、ジリ貧への道でもあろう。まさに「河村たかし、剣が峰に立たされた」状況ではないだろうか。

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2009年2月 9日 (月)

キューバのこと、もっと知りたい

 第3の社会(制度)論に近づくか
 中日新聞のサンデー版「世界と日本 大図解シリーズ№875」(2/8)では、社会主義国キューバを取り上げていた。
 最近では、映画「チェ 28歳の革命」「チェ 39歳 別れの手紙」が全国で公開中とのことで、エルネスト・チェ・ゲバラのファンには見過ごせない映画だろう。しかし、サンデー版で取り上げられているのは、むしろ、紛争、貧困、格差、医療、教育の荒廃、自然破壊が顕著になりつつある世界の流れに対して、フィデル・カストロが率いた社会主義国・キューバそのものに焦点を当てていることだ。
 解説の戸井十月(とい じゅうがつ)氏は、「こんな国はどこにもない。 社会主義国なのに官僚的ではない、一党独裁なのに権力の腐敗がない、米国にいじめられ続けてもめげない、貧しいのに明るい、苦しいのに希望に満ちている・・・」「基本的な食糧、教育、医療はだれでも無料。マフィアも暴力団もおらず、スラムもなければストリート・チルドレンもいない。」と書いている。
 どのようにしてそのような国づくりが行われ、まるでユートピアのような社会が出来上がったのか。そして問題があるとすればどんなことだろう。
 世界地図を見ながら、それにしても遠い国だなあ、と思いつつ、「軍隊を持たない国 コスタリカ」は近いし、美しいカリブ海、アマゾンやインカ、マチュピチュの名前が浮かんできて、この中南米というところ何やら、中学生時代に戻って、地図を広げて眺めていた時のような気分になった。
 キューバといえば、私の知るところでは、キューバ円卓会議共同代表のお一人、樋口篤三さんを思い出すが、実は氏の著作はほとんど読んでいない。今度「老兵たちのフォーラム」のテーマに取り上げてもらおうかなと思ったし、「第3の社会(制度)論」に一歩近づくことになるかもしれない、そんな予感すらした。

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2009年2月 8日 (日)

黒澤作品ベスト5を観る

 モノクロが映画をひき立てるのか
 今週の、金曜を除く月曜日から土曜日まで、「没後10年黒澤明特集、あなたが選んだ黒澤アンコール」の作品ベスト5が放送された。私は、先週と来週は日程が立て込んでいて、その挟間にあって全作品を観ることができた。なんか嬉しい1週間だった。
 そのファンが選んだベスト5とは、
第1位七人の侍  1954年
第2位 赤ひげ    1965年
第3位 用心棒    1961年
第4位 生きる     1952年 
第5位 天国と地獄 1963年
 私の映画鑑賞記録ノートは1958年から1963年までで、その記録からも、映画館で観たのは遥か昔、「天国と地獄」のみで、「用心棒」は見逃したようだ。それで「七人の侍」は、これまでテレビで2回、「用心棒」はかなり前に1回、「赤ひげ」と「生きる」は今回が初めてであった。
 そうした経緯からすると、私には順位はつけがたく、第6位 の椿三十郎(1962年)、第7位 の隠し砦の三悪人(1958年)を場末の映画館ではあるが、スクリーンで見ているせいか、印象は強いのである。
 この5作品を見て、「七人の侍」が、断トツの1位であり、ファンの目は確かのようだ。解説の渡辺アナ、小川晋也監督の話によれば「日本映画の、世界に誇る金字塔」的存在だという。わが眼には、そういうものかなあ、と思うしかないが、それより、8位の「羅生門」(1950年)までモノクロ映画であることに興味をひかれる。
 以前にも触れたが、映画史の上では、サイレントからトーキーへの変遷、スタンダードスクリーンからワイドスクリーン、そして音響の進化があげられるが、モノクロからカラーへの移行は画期的であっただろう。
 率直にいえば、画面としてはカラーの方があるかに美しく、リアリティーである気がする。特に自然界の映像では、較べるに値しない。しかし、映画は映画であって、ドキュメンタリーのものとは次元が違うといっていいだろう。よく晴れた日の場面でも、明るいところは白、それ以外は黒。だから、全体がいつもカラー映画の曇天映画のようである。しかしその陰の見えづらい部分の、人の表情とか、ものの形、配置、そして全体像まで想像力が掘り起こされ、意識が集中していくような気がする。声が聞きづらいので、聞き耳を立てる。そういった効果が格段に違うのではないかと思った。
  解説ではもう一つ。医学部を出たら、医者のたまごたちにはぜひ見てもらいたいというのが「赤ひげ」で、14位 の「酔いどれ天使」(1948年)、19位の「 静かなる決闘」(1949年)は、いわば3部作なのだそうだ。なるほどなあと、これも納得した。
  「映画は、面白ければええ」が、私の観るスタンスであったが、娯楽という捉え方をコインの表にして、裏にはやはり「受け止める、考える、活かす」という映画の本質を身につけておく必要を改めて感じながら楽しんだ。

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2009年2月 7日 (土)

自転車に乗って

  古本屋と駅周辺をチリリ~ン
 昨日の予定を変更して、「C&Lリンクス愛知」の印刷を今日の午後行った。12頁70部の印刷とセット作業だから、一人でも1時間あれば十分だった。
 早く終わったので、生涯学習センターの資料室の書棚を見てみた。そこには緑区や名古屋市に関する資料などがそれなり見受けられたが、手に取って見ようかな、というほどでもなかった。図書館ほどでもないにしろ、分類は大雑把であったし、それなりに補修したり、並べ替えたりという、手が掛けられている風でもなかったから。個人的に持ち寄ったか寄贈されたもので構成されているようだから、その域からは出ないこともやむを得ないかな、とは思った。
  しかし、せっかく生涯学習センターと銘打っているのだから、「緑図書館分室」に格上げして、「緑区の歴史」コーナーを設けるなどして、こまめに面倒をみれば、それなりに史料室らしくはなるだろう。もっとも管理体制や、利用されるかどうか、手をかけるボランテアにあてがあるかどうかは、未知数だが。
  それで、鳴海駅前の古本屋を思い出して、久しぶりに寄ってみることにした。ここでは、小島襄著「日露戦争全5巻」を購入したことがあったが、概して、圧倒的に漫画とCD、DVDが多くて、成人向け雑誌、文庫、新書類、月刊、週刊のグラビア雑誌が多くを占めていた。そんな中で一つ目に付いたのが、「黒澤明全5巻、1万5千円」であった。手の届かない棚の上で、しかも紐で束ねてあるから、手にすることはできなかったが、今週は、NHK・BSで「黒澤明没後10周年記念特集-ファンが選んだベスト5」が組まれていて、5位~2位までを観ていたから、余計に惹かれたのかもしれない。今日は夜の8時からベスト1の「七人の侍」である。
  やや薄雲が広がり始めたが、古本屋を後にして周辺を自転車で回った。鳴海駅周辺は高架化工事が終わって、駅前の整備が進められているが、高架下南側は、民家の移転、名鉄鳴海工場への引き込み線と工場が撤去されて、緑区役所につながる道路まで、広く空地となっていた。恐らく、駅まで数分、国道1号線がすぐ横を走り、区役所、警察署、大高緑地も近いとなれば、いずれマンションが建ち並ぶのではないだろうか。
  そういえば、3月14日にJR南大高駅が開業し、地下鉄桜通り線の徳重までの延伸は2012年、「緑区東部方面地域センター」(仮称)は来年度中の完成だそうで、この地域のインフラ整備が進んでいくようだ。これを「便利」というだけで捉えていいものだろうか、と思いつつ“老域の青年”は、どれほど享受できるだろうかと思った。

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2009年2月 6日 (金)

補足的なこと

 衆議院選挙を考える、を考える
 これまで書き綴った「衆議院選挙を考える」の中に、「・・・政治(家)は、現実から目を離してはいけない。人々の暮らしを脅かすものに立ち向かわなくてはならない。それは、『衣・食・住+職』ばかりではなく、広く『人権・環境・教育・文化・情報・地方自治』など、総じて平和で安心、労働と健康が保障される暮らしが続くということではないか。そのうえで、政治(家)は、未来を希望あるものとして語らねばならない。そのために、今、しておかねばならないことを、協同して進めることが大事なことだ。」と書いた。
 これは、具体的な政策を言ったものではなく、いわば政治家なら、こうありたいものだ、と私的な思いを言葉にしたもの。これはこれで独立した「序」であるから構わないと思ったが、もう少し突っ込んでみたい気になった。
 まず、「政治(家)とはかくありたい」というところで、「現実から目を離してはいけない。人々の暮らしを脅かすものに立ち向かわなくてはならない。」と書いたが、まあ、当然といえば当然だ。そこでこれを言葉だけでなく、一人の議員の後ろ姿を想像してみたらどうなるか。「この議員は、人々の暮らしをきちんと見ているだろうか」例えば、スーパーなどに出向いたとして、側近と報道を引き連れたパフォーマンスなのか、実際に献立を考え、食材を買い求めて、調理してみる男性議員はどれほどいるだろうか。
 公園で戯れる子どもたちを見て、どんなことを思いつくことだろう。
 ホテルの最上階のレストランで食事しようが何しようが勝手だが、眼下に広がるビルと家並み、道路、川、緑を見渡して、時には「政治とは何か、私にできることは」と考えることがあるのだろうか。
 「衣食住」は生活の根幹だが、それに「職」を加えた。これは、全トヨタ労働組合(ATU)をサポートする市民の会の「結成宣言」では、「古来、労働は暮らしの中心をなし、生きる糧とし、喜びとし、人と人とのつながりの結び目としてきました。」とあり、ポイントを示している。「衣食住」を維持し、それを推し進めるには労働という推進力が必要だ。その労働は、単に「生きる糧」の手段だけでなく、生きる喜びでなければならないし、共同して仕事をすることで、人と人との交わり、存在を認め合う一つの社会を創り出していく。そして「協同」の意思を持ち始めるだろう。労働で過労死し、追い詰められ自ら命を絶ち、物のように職場や寮から放り出される「派遣切り」があっては、労働の喜び足り得ない。
 兵隊にとられ、戦場に送られるようなことがあっては、人々の安心、安寧はあり得ない。では以下の論理を検証したい。「自国の安全、安心、安寧」のために国際平和が必要だ。そのための国際貢献として「平和維持部隊を派遣するのは当然だ」「破壊集団、テロリストが攻撃を仕掛けてくるなら、防御態勢をとらねばならない」「防御とは、相手に撃ち負けないことである」「相手が、2度と攻撃できないようにするには、その拠点を消去することが有効だ」「味方の損害を少なくするためには、大規模に破壊できる兵器で、一気に叩き潰すことが戦略である」「だから平和維持活動費が必要だ、部隊と兵器の増強が必要だ。これで我が国の安全、安心、安寧は保証される」
 そういう歴史を踏んできて、それでどうなったかは誰もが知っているが、また繰り返されようとしている。政治家を志す人はもちろんだが、それを送り出す側も、それなりの覚悟を持つことが、やはり大きいことだと改めて思う。

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2009年2月 5日 (木)

久しぶりの「C&Lリンクス愛知」

 衆議院選挙を考える、のまとめ
 ようやく発行のめどが立った。第47号が昨年の10月24日の発行であるから、3ヵ月半ぶりの発行となる。
 第48号となる今号のテーマは、「衆議院選挙を考える」で、これまでブログで書いてきたもののまとめであるから、ブログを開いて見ていただいた方には“古ネタ”である。「はじめに」があって、46号、47号の流れを書いて「麻生政権の末路」で一区切りし、大半は「社民党・比例東海の場合」と題し、候補者になった立場を想定して選挙のあれこれを、ささやかな経験からメモ書きした。
 さて、選挙について「ひとこと」欄で、次のように書いた。
 「衆議院議員選挙はいつあるのかわからないが、この地方では当面蟹江町長選挙が3月、名古屋市長選挙は4月である。
 近年投票率が50%を割り込むこともあり、選挙が、政治選択の一つとして、有権者の間で機能していないことが伺える。報道機関の世論調査の結果を見ても、回答率はせいぜい60%強である。また政党の支持率も、「支持政党なし」が最上位である。
 これらの数字を見て、単純には言えないにしても、議会制度、選挙制度、政党政治が『社会制度』として成熟していないか、或いはベストの制度ではないのではないか、という疑問を抱かせる。
 『・・・選挙は、当事者以外にとっては一過性のものだ。だから、選挙は社会運動の一つとして、くらしを変える大きな要素であると、地域に根付かせるのは議員とスタッフの責務である。政党の役割である。・・・』(本誌12頁)とも言えるが、有権者の自発性があってのことである。
 それゆえ私は、社会主義でもない、資本主義でもない、『第3の社会(制度)論』があるのではないかと、思案するのである。選挙を考えながら、今号もその思案の一過程でもあった。」
 アメリカ大統領選挙のように熱狂的にはなれないにしても、せめて「この不況、この不安・不信の時代であればこそ、政治が輝きを持たねばならない。人々が見つめ、胸をときめかす政治が求められるが、立候補者は、より具体的で身近な課題を織り込み、政策としてさらに練り上げたものを、できるだけ早く明らかすべきだ」という期待感を率直に持ちたいものだ。

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2009年2月 4日 (水)

もうすぐ春、それで衣服考

 雑談の櫂・第9号から
 四季雑談の会が発行している会誌は、誌名が「雑談の櫂」であるが、その連載記事に私の担当する「随想・くらしの周辺」というのがあって、第9号では、「衣服」についてを書いた。その抄を紹介すると、
 季節感、旬が薄れ

 くらし向きが良くなり、物が豊かになって、人々が求めるものも多様となり、様々な技術が進歩して、季節感は薄らぐばかりだ。全てというわけではないが、例えば、ハウス栽培や輸入で野菜、果物など食べ物の“旬 ”が忘れがちだ。養殖、蓄養と輸入で魚類も同じである。
 春から夏、夏から秋へ、この時期に“衣替え ”をする。それは6月1日、10月1日と相場が決まっていたが、昨今はどうだろう。せいぜい、中学生、高校生の制服が目立つ程度ではなかろうか。だがそれも、きっちりと日付で変わるというのは昔の話のようである。
 このような現象は、気候変動、四季のボーダーレス化と言うことも確かにあろうが、女性でいえば、おしゃれの先取り、男性は若者先行と横並びで、衣替えの時期がフレキシブルになった一面もあろう。
 そう考えると、秋から冬へ、冬から春へ、という季節の変わり目では、あまり“衣替え ” とはいわないような気がするが、何か理由でもあるのだろうか。
 ひょっとしてこれは、言葉としての「寒暖」が基軸になっていて、その中間というか寒暖の橋渡しの春秋は、衣服を一枚ずつ脱いでいくか、身につけていくという波状的な、多重な移ろいがあるからかもしれない。
 ・・・これも勝手な想像だが、男性の場合は、冬から早春に切り替える時、下着、ベスト、カジュアルスーツはウール系の軽い素材のもの、首周りはシルクのスカーフというのはどうだろうか。夏から秋は、やはりシルク系の下着、スポーツシャツ、上着はウール系だが軽い素材のものなら、合服として長い期間着られるのではないだろうか。もっとも、そんな男のおしゃれは、お金がかかることは当然だが、仕事をもっていては邪魔になる。せいぜい休日くらいだ。ならばここは、“老域 のオジサン”たちが着こなせばいい!(元気の素?)
 仕立て直して着る時代が?
 時は2008年、この年をピークとして、日本だけでなく世界中で、貧富の格差がいっそう広がり、大半が「中流以下、または貧困層」と呼ばれる時期が到来するかもしれない。既にその領域に引き込まれた人も少なくないだろう。
 そうなると、「衣・食・住」のうち、「衣」が最初に標的となって、人々の関心の外に放られるであろう。“暑さ、寒さに耐えられる程度であれば・・・”と。
 女性の場合、かつて、買うだけの目的で衝動買いした、あるいは、古くて新しい衣類を仕立て直すなど、リニューアルするブームが起きるかもしれない。
 男性の場合は、“メタボで腹回りが大きくなってはけなくなったズボンだが、ここはひとつ、減量して一石二鳥と行くか ”と考えるかもしれない。 
 これでは内需が冷え込んでますます経済が回らなくなるかもしれないが、良質な医療や介護に資金を回すことはできるはずだ。それも経済のひとつ。
 着物(和服)でのくらしは来るか
 
さて、私が二十代で独身時代には、くつろいだ時や銭湯に行く時など、夏は浴衣を愛用し、冬は綿ではあったが着もの(和服)で、下にネルの寝巻、上には金ぴかの丹前を着込めば万全。もっとも足元はやや冷えたが。
 いつか、今一度着物を着るくらしをしてみたい。浴衣なら、帯は(部分)絞りの“さんじゃく”でいいが、和服となると、帯で締めることになり、その心得が必要だが、私は知らない。人の手を借りねばならない。ネクタイの締め方すらも、慶事、葬儀のときにオタオタするようでは、まっとうな、ましておしゃれには程遠い。
 
そんな時代が来たとしたら、それはどんな時代で、私はどんなくらしと格好をしているのであろうか。
 

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衆議院選挙を考える・13

  選挙の戦略と戦術④
 いよいよ選挙への立候補の決意と大まかな政策の筋道が出来上がり、社民党への支持層、党内事情、選挙態勢がおぼろげであるがわかってきたとしよう。もちろん、あらゆる面で完全ではない、いや、むしろ、このままで選挙戦を闘い抜くことができるのだろうか、という不安は増すばかりだ。(ではないかと推測するのだが)
 しかし、現実から出発するほかないから、端材を拾い集めて小なりとも、新しい家の組み立てを始めねばならない。候補者の愚痴は禁物だ。
5)事前の準備、運動と心得
 最初に、公衆の面前に登場するのは、やはり立候補表明の記者会見であろう。そのタイミングをはかり、記者が興味を示すような露出化を考え、質問にも答えられるための準備などについてはすでに書いた。
  競泳に例えれば彼女は、既に飛び込み台に乗っているはずで、スターティングポーズをとっている段階なのであろう。いつ飛び込み、最初の冷水感覚と潜水の世界の洗礼を受けるのであろうか。
 とにかく、やれること、やっておかねばならぬことがいくらでもある。改めて考えてみれば、その最初は、当然、党との基本的な合意、了解事項の取り決めでなどであるが、これは本人が決めるほかない、とは思うけれども、選挙費用や選挙スタッフの派遣、選挙後の身の振り方(特に落選後)などについては、あいまいにされることが危惧されるから、経験者が付いていないと心配ではある・・・。
  ま、それはそれとして、とにかく選挙を支える中心的スタッフが集まらなければ話にならない。5人~7人は参加してほしいものだが、大丈夫かな。そして、協力・支援を誓ったスタッフとの意思疎通と、政策、戦術などのディスカッションを早く始めないと後が大変じゃないかと思う。サポーターは、スタッフの力量次第で広がっていくだろう。
 そうなると、党の基本政策との擦り合わせもあるが、政策要綱をまとめ、キャッチフレーズ、賛意が得られれば、シンボルマーク・カラー、キャラクターも検討したらいい。街頭で使えるような、のぼり(違反しないもの)もあっていい。そして、費用面の問題もあるが、「内部資料」としての(室内用)ポスターも考えてみる。
 スケジュール表と人物リストを作成し、面談を求めて訪ね歩き、集会、会合には、こまめに顔を出し、何かと印象付ける行動は当然だとしても、その評価、気がついた点のメモも忘れないで、“自己成長”への“脱皮”が繰り返されることによって、新人というリスクを減らしていかねばならないだろう。
 それで、忘れてはいないだろうが、本番用のポスターと選挙葉書の試作、印刷屋への予約(本人写真には撮影期限に定めがある)。郵便振替口座、銀行口座を新たに開設する。え~とそれから、何があったかな。ポスターの掲示板への貼付作業の体制もいずれあがってこよう。そうそう、事前に相談したり、協力要請をしておかねばならない人は抜けていないか・・・。“そんな話、聞いていないよ”といわれるのは実につらいはずだ。やや消極的な人を引き寄せるには、これが立候補の記者会見の後になると、かなり難しくなるのでは?やることはいっぱいだ!
 当人でもスタッフでもないから、気軽にここまで書いてきたが、さすが私も少々疲れてきた。最後に、注意しておかねばならないことをおさらいして、終わりにしよう。
 何と言っても、選挙違反をしないための学習は十分にすべきだろう。一般的な買収、戸別訪問、文書違反などは党の方からも諸注意として出されていよう。
  これも常識の範囲だが、おかしやすい例として、親族、同級生、地元など、久しい関係でも、複数集めて食事したりして協力を依頼することは危険。特に本人、事務長、会計担当者は要注意。連座制で失格もありうる。
  インターネット関連は、本人のホームページ、ブログは、公示後は更新しないのは常識だが、それ以前でも警告が来ることはある。戸別訪問、文書配布などは、違法行為ととられやすいが、「党の機関紙・号外」などは政治活動として許容されるし、他党の例をみていると、グレーゾーンもあるような感じもする。
  次に、金銭トラブルを起こさないことも重要なことだ。俗にいう「工作資金」の名目であれ、何であれ、無用心に現金を渡さない。冠婚葬祭、同窓会、地元行事など一切寄付はできない。代理に持たせてもいけない。運動に必要な出費で、当人が「立て替え」たのか、寄付・カンパしたのかを明確に。とにかく出金は全て領収書付きにする。そのために、ある期間(週毎、月毎)を定めて帳簿の点検を複数で行うことが必要だろう。   
 最後に、競っても争わないことを原則として、対抗する場面では、自己の情熱で応えることだろう。従って、党内、組織内、地元、家族・親族と争わない。先輩、有識者の説諭を聞いても争わない。男性と競っても、争わない、むしろ取り込む。共産党、民主党と競っても争わない。警察、選管とは、主張をしても争わない・・・。
 こうした争い事、もめごと、非難中傷の類を含めて、仲介の労を取る、人生経験豊かな方が頼りになる。おられるだろうか。
 この時点で既に「過去」になっていて、いまさら、という点も多々あっただろうが、私にとっ ても(大した意味は持たないが)おさらいのようなものだった。
  “ほんにごくろうなことやねえ”と、傍から見る限りでは、選挙は面白いことも多いのだが
。(ひとまず、完)

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2009年2月 3日 (火)

節分に思う

 角界に春は来るのか
 今日は節分、したがって明日が立春となる。この時期は厳寒期ではあるが、「春」の言葉が使われると、それだけで枯野の世界に、草木の芽吹くさまが浮かんでくる。
 角界では、大麻問題で立春どころか厳冬期に舞い戻りそうな気配である。かつては、節分会に横綱、大関などが壇上から豆まきをして喝采を受けた時期もあったであろうが、いまや「鬼は内」にあり、豆では一掃できないから、呼ばれもしないだろう。
 若麒麟の処分が退職金の出ない「徐名」ではなく、「解雇」で済ませたことに賛否両論がある。ロシア人力士の事件が自覚されていないこの事態に対して、協会は自らの処分をしないまま「解雇」では、「かわいそう、前途ある若者」といえども、いかにも「身内には甘い」というのが反対論である。
 車の後部座席で護送される若麒麟の顔を伏せた姿は、肩が震えているようで、いかにも後悔しても後悔しきれない様子が伺えたが、そんな心の緩み、無自覚はどこから来たのであろうか。
 今や飲酒運転で事故を起こさないまでも、運転したそのことだけで重い処分が下される時代だから、大麻、覚せい剤、麻薬などもってのほか、というのが大方の意見かもしれない。
 それらにさして異論は持たないが、それでも私には「解雇=永久追放」という図式がしっくりこないのである。退職金が出る、出ないの問題より、もし、ロシア人力士と同じように、相撲を取り続けたいという願望が強いなら、救いの手はないのか。序ノ口から再スタートさせることは、力量の差がありすぎて、混乱を招くという見方もあろうが、精神的にタフでないと角界に残れないであろうから、淘汰されよう。やはりそのような再起の機会は、つくっておくべきではないかなあ。
 厳罰主義がいいとは思わないからと、これを言うのではない。処分して追放、それでこの社会(角界)は、大きく改善され成長していくのだろうか。
 「福はうち~、鬼はそと~」といえども、わが内に鬼はいないといえるかなあ。

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衆議院選挙を考える・12

選挙の戦略と戦術③
 公示直前と公示後の選挙運動は、期間限定であるから、効率性や“目玉”となる運動、政見放送への対応など、極めて現実的で待ったなしのスケジュールが待ち構える。とにかく体調を崩さないことだ。
 さて、私もかかわったことのない衆議院の比例区(東海)ではどんな選挙をすればいいのだろうか。単純に考えて、選挙区選挙より、知事選挙、参院選挙をベースにして考えた方がいいかもしれない。そのうえで他県との連携を考慮するわけだが、それは県連レベルに任せるほかないだろう。ただ、基本姿勢は固くしておかないと、東海4県を右往左往させられる可能性がる。
4)戦略的なことを概略考えると
 まず大まかに言って、東海ブロックの戦略的配分として 愛知「4」、静岡、岐阜、三重はそれぞれ「2」として、選挙スケジュールを組み立てる、という案が考えられる。他に比例区単独の候補者がいる場合は、そことの調整が欠かせないが、いずれにしても地元重視に変わりはないだろう。
  では各県ごとにざっと見てみよう。
  概観して保守王国といわれる岐阜県であるが、長良川河口堰問題、徳山ダム問題と連動する木曽三川の水問題は、愛知、三重に関係するから軽視できない。東濃地区の核のゴミの超深層地下埋め立て問題や、ゴミ処理場問題などを考えると、社民党の政策の中心課題でもあるから、上位にランクさせるかどうか悩ましい問題であろう。
 三重県は民主党が強そうだ。どう挑むか。頼りは、線は細くなっているであろうが、旧社会党の支持層で、中間派から左派層だった人たちや、そのDNAを引き継いでいる労組、元議員の水脈をたどることであろうか。
 また、四日市公害は公害の原点の一つでもあるし、今は石原産業が新たな公害の発生源になっているから、産業政策と公害問題をうまく絡めれば、食い込むことができるかもしれない。
 静岡県は、愛知に次ぐ有権者の多い県であるが、東部・伊豆地区、静岡市中心の中部、浜松市中心の西部の三つの地区に分けて考えた方がいいかもしれない。また、民主党と自民党の勢力が伯仲していると思われ、少数政党は埋没しかねない。
  だがやはり重点は、浜松、豊橋を中心とする「三遠地区」になろうか。票にはならないかもしれないが、派遣労働者や外国人労働者が働く工場、下請け企業が多い。そうした地域に入ることで、党の重点政策を伝えることができようから、「選挙なんか行かない、あてにしない」層を掘り起こすことができるかもしれない。
 次に、「立候補の記者会見」というセレモニーがある。通常は、愛知県庁にある県政記者クラブで会見を開くことになるが、せっかくのセレモニーを記者だけを相手にするのは少々もったいない!ということで、 1999年の知事選挙の影山候補の記者会見は、なんと繁華街・栄の「三越前」で行われた。
 候補者の知名度が低いなら、せめて著名人の一人くらいは呼んで、「この時代だからこそ、彼女の出番が必要です」くらいの応援をしてくれる、例えば、社民党なのだから辻元清美議員を呼び寄せるくらいでないととても・・・という感じである。そのためには当然、辻元の日程が優先で、早く予約を取らねばならない。また、同時発表できる「推薦人」の名簿も用意したい。
 社民党に、支援組織といえる組織がどれほどあるのだろうか。まずは地方議員。これも多くはないだろうから、無所属の女性議員の応援と推薦をとることから始める。「前」「元」のほか、落選したが、立候補経験者も含めたらいい。数は少ないだろうが労組との連携は、民主党支持層から、こぼれる落ちることも想定しておくべきかもしれない。
 地方議員、労組を基盤としながらもやはり現実的には、自発的な市民組織が立ち上がってこないとかなり苦しいだろう。おなじみの「勝手連」の立ち上げを期待し、その根回しを水面下で強力に推し進めることがポイントではないだろうか。
 次に、著名人、タレント候補でない場合、支持票をどの階層に求めるかを想定しないと、戦術がぶれ、拡散してしまう危険性がある。極端に絞り込む必要はないが、限られた時間であれば、呼び掛けの層を特定化することも戦術なのだと思う。例えば、女性を意識するとすれば、30代からの中高年が対象ではないだろうか。それも、立候補の決意に沿って言えば、非正規雇用労働者、特にパート労働者が重点となろう。
 もう一つは、この社会では疎外されてきた、縁の下の力持ちである福祉関係者と障害者。そして高齢者を重視したらどうだろうか。政策的な絞り込み、アピール性がポイントになる。
 そうすると、街頭演説などは、主として、「スーパーマーケット」「ショッピングモール」「アーケード・商店街」「市場」を重点に置くのも一策。また、中小零細企業の工場地域に足を運ぶのも一策だが、企業や連合などの労組の締め付けが強いし、公明党、共産党とも競合になることは避け難い。
 名駅、金山、岡崎、豊橋、一宮などのターミナルでは、出勤時、帰宅時が狙いだが、党名を浸透させることが最重点だから、著名人を呼んだ時、来県した時を重点に置く方がいいかもしれない。 
(続く)
 

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2009年2月 2日 (月)

衆議院選挙を考える・11

選挙の戦略と戦術②
3)選挙運動の資金
  選挙に立候補するとなれば、お金がかかることは事実だ。だが、選挙資金がないから立候補できないかといえば、必ずしもそうとはいえない。私が見てきた、幾らか支援した選挙の多くは、候補者は資金が少ないまま選挙に打って出ている。
 だがそこには、“この人を是非、議会に送りたい、首長になってもらいたい”という期待と、希望を抱かせる状況が波打っていないと、お金は集まって来ないし、当選への道程が見えてこない。候補者の情熱、見識、弁舌があって、内側に人間的な魅力、政治的力量、過去の実績などが秘められていることが、人を引き寄せ、知恵とお金を寄せてくれるのではないだろうか。
  いずれにしても、最少限の運動資金を心がけたとしても、とにかくお金がかかる。そして、お金の入口は狭く、出口は広いのだ。出金の引き締めと有効投資の判断は難しいものがある。また、運動をする人の人件費関連では、「ボランテア」を基本にするのは言うまでもないが、ある程度の裁量権を事務長にもたせ、極端な個人負担がないようにすべきだろう。お金に関して候補者には、心理的負担をかけないため、全体の流れと上限の報告にとどめ、細部への関与をさせない方がいいと思われる。
  話はそれるが、一昔前の選挙事務所は、“炊き出し”が大きな仕事で、後援会、家族の女性が交代で賄っていた。運動員だけでなく、激励に来る人にも振舞っていた。それから賄いが大変ということで、近くの食堂で使えるチケットを配る方法になったりしたが、もちろん今では禁止になっている。候補者も外食が多いのではないだろうか。だから“付き人”は、メニューまで気を配らなくてはならない。
  さて、公選法の補助もあるが、どんなところにお金が出ていくのだろうか。
①共託金(比例区は600万円、没収は、当選者の2倍を超える人数分) ②事務所設置費用(家賃、看板、仮設電話、電気工事、備品を含む)③ 街宣車費用(看板、スピーカー付) ④人件費、食料費(扱いは法定内で、慎重を期する) ⑤ポスター(内部資料用、追加分)、選挙葉書製作費 ⑥交通費、燃料費、通信費 ⑦その他。
 次に収入の例としては、 党中央または県連、支部からの資金供給。篤志家の寄付と一般からのカンパ。自己資金ということになる。党の要請を受ける形で立候補するなら、党に対して、大胆にバックアップを要請しても構わないと考えられるが、現実はそうもいかないかもしれない。
 尚、法定選挙費用には上限があるから、会計(出納責任者)は、厳重な資金運用管理が必要である。オーバーすると、公選法違反で罰則と、連座制による当選者の失格もありうるので注意が必要だ。ここに経験者とそうでない人の「苦労の差」と「ミスの差」が出るようだ。 
(続く)

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2009年2月 1日 (日)

ATUサポート市民の会総会

 第2回連続労働講座も盛会
 今日は長い1日だった。
 朝9時受け付けの、「老兵たちのフォーラム」3月例会の会場取りに出かけ、JR中央線・鶴舞駅から名古屋駅に出て、ATUサポート市民の会の第2回総会に駆けつけたのだった。
 10時からの総会は35人ほど。活動と会計報告、活動方針、規約改正、役員選出など、型通りであったが、ATUのほか7団体からの運動の報告、あいさつが全体時間の半分以上占めていたから、メリハリはあったと思う。正午過ぎに終えた。
 午後からは、第2回の「トヨタ」連続労働講座で、やや狭い会場ではあったが、60人以上が隙間なく席を埋めた。
 トヨタ系列の「愛知製鋼の偽装請負」にかかわった当事者と、支援した名古屋ふれあいユニオンの運営委員長との対談形式で、愛知製鋼の請負の、その請負会社への派遣の、その派遣会社の下請けの派遣会社の労働者に連なる問題で、「ええ!」「そんな~」という声が洩れる話が次々と。「トヨタ系の会社ということクリーンな職場だと思ってきたのに」「労災隠しは事実だけど、それを労基署に告発したら、その労働者だけでなく、派遣会社そのものが仕事を取り上げられ、潰されてしまう」「本工の組合は何してんだ」・・・。
 「どんなひどい状況かはわかった、ではどうしたらいいのかの宿題を、私たち参加者は戴いた」(司会)
 トヨタ研究者で大学の講師からは、「自動車業界のこの1年を振り返って」と題して30分ほどの報告も盛り込まれた。また、名古屋に取材できていた、ルポライターの鎌田慧さんが飛び入りで、20分ほど話を聞かせてくれた。
 このよう集会では初めてだろうが、女流の落語家を招いて「講座での高座」で締めくくった。“おあとがよろしいようで”ということで、第3部は懇親会。午後6時散会。

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