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2008年7月23日 (水)

賃労働、よみがえる

  賃金明細票
  労働して賃金を得ることがなくなって11年になる。
 今こうしてパソコンと向き合い、日々“ものがき”に耽るとき、あの就職は果たしてどうだったんだろうと思うことは少なくない。“いまさら何をいってんだい” と思い至ってまた記憶の底にゆっくり沈んでいく。
  とはいえ、人生の中枢、大半を過ごした年月を簡単には忘れ難く、ことあるごとに舞い上がってくる。昨日のSさんの話もその機会であったが、先日発行した「C&Lリンクス愛知・第45号」の巻頭にある「ひとこと・7」では以下のようなことを書いていた。

  賃金労働者にとって給料日はいまでも特別の日であろう。
  現在では殆んどが給与振込み制度となって、明細票を受け取るだけで現金を手にすることはないだろうが、私は退職するまでの37年間を現金で受け取っていた。
  賃金明細表を紐解いてみると、1960年5月の「初給料」は、制度上「(技能養成工)手当」で明細票には、「本給」の欄に5860円とあるだけで、所得税はゼロであった。
 3年後の現場配属後は、本給(第一基本給)、勤務給(第二基本給)、奨励給(能率給)、時間外賃金(残業)の4項目で、16390円とあった。( )は別称である。手当には、家族、特勤・特作、当直、休暇、結婚・忌引き、生理などの項目があった。
 その後賃金制度が幾度となく改定(改悪)され、賃金明細の算出根拠が複雑化して、賃金体系そのものを説明しきれる者は数少なかった。そこで「活動家」は、学歴格差、男女格差、仕事別格差や成績査定、退職金の計算などに熟知して、職場での存在感を誇示し、労使癒着批判を展開したのだった。
 現在では「派遣労働」の中間搾取(ピンハネ)や、親会社と子会社、下請、孫請での格差も問題であるが、活動家が労基法と個別の賃金体系を熟知している必要性は変わらないであろう。

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