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2007年9月27日 (木)

Tさんへの手紙

 Y・T様
 前略、失礼します。
 詩集「坂」の感想のお葉書有難うございました。
 私には、「陽のあたる坂道」を歩いてきたという自覚はもちろんありませんが、陰の世界、裏街道でもありません。Tさんのおっしゃる「少し翳りのある道」は適切な表現かなと、私自身もそう思うところがあります。それがまた、今日までの運動で生き長らえた背景でもあろうと思っています。
 例えば、議員とか労働組合の委員長とかで表に出ていたら、あるいは逆にこれまでの運動で、参加はすれどもその後尾ばかりについていたら、やはり今の自分はなかったと思っています。
 これまで私が辿ってきた「自立無党派市民」という立場は、すべて「自由な選択ができる」立場である一方、他者から責任の所在、信頼性の密度に疑問を投げかけられる、という自覚もありまして、その点に関する向き合い方、処し方には、かなり気を遣ってきました。
 1997年から本格的に取り組んだ愛知万博反対運動でも、市民運動的手法に加えて、労働運動的な組織運営を心がけ、全体の議論を踏まえながら、核心部分の問題提起、具体的な運動提起、経過の報告、議事録の作成、一つ終えれば総括、そして運動の終息に当たっては、総括的な提起をして、なしたる運動の意義の確認をしてきました。
 私が拠って立ち、その中心をなしたミニコミ誌「緑ネット」は、万博の終了後2年を経て、その役割を終えたとしてこの11月で終刊としました。
 他では、1999年から3回の知事選挙、2001年の名古屋市長選挙でも、全体の総括とは別に、「私的総括」をきっちりやりました。けじめをつけるためでした。

 こうした過去を顧みれば、Tさんのいわれる「シニシズムとは対照的・・・・」という表現もまた、この限りでいえば結果的にそうともいえるのかもしれません。ただ私の性格からすれば多少の「ニヒリズム」もありますから、すっきりとは思わないところはあるにはあります。
 2001年に病気して以来、とばかりいえませんが、この2年ほど前から、運動の第一線から、意識的に戦線を下げてきました。1997年に会社を退職して、“10年がんばってみる”という期間が、今年の7月までであったこととは無縁ではありません。
 また「生涯一現役」と思ってはいますが、その位置については軸足を代えた、と言うところはあります。あるいは「転進」と言うこともできます。
 詩「医師の手」に込められた、ご指摘の「期するところ」はありますが、もはや第一線で旗を振る立場にないという自覚は、その胸の内をあける必然性を失いました。文字の中に封印したままです。
 更に「自分史」を幹として、そこからの枝の出し方、伸ばし方については、太陽に向ってとばかり、とは考えていませんで、自らの足跡を顧みれば、おのずと「翳のある道」と一緒することになります。そしてその記録は、私自身を切り離してのものでなく、私の影を映すものにしたいと思っています。
 いまでは、「TMPCWA支援」「ATUサポート」「トヨタの研究」が、唯一の「現実的」課題ではありますが、その第一線に立つ積りはなく、いずれの場合も「サポート」から出る事はないと思っています。ですから「ATUをサポートする市民の会」の発足に当たっても、その役回りは「一サポーター」というところをご了解願いたいと思っています。
 これまで交流がなかったのに、拙著をお読み戴き、感想まで聞かせていただきました。有難うございました。
 実りの秋、何か一つでも収穫したいものですね。    草々

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