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2007年3月17日 (土)

またお会いできる日を

 寺尾さま。
 今日のエントロピー学会の集いでは、私は午後からの「アセス市民の会・総会」に参加していまして、残念なことに“ラストスピーチ”を聞くことができませんでした。でも、そのあとの懇親会(送別会)では、僅かな時間でしたがお話ができて嬉しく思っております。
 そのときにもお話しましたが、最初の出会いとか、共に何かをしたとか、そんな印象が薄いのに、でも何かを一緒にしていた気がしています。ついさっきまで、インターネットで検索していて、改めて寺尾さんが多方面に関与され、尽力されていたのを知りました。幾つかの代表、共同代表、世話人などをしつつ、一市民として関わる姿勢に、多くの人が共感と親愛を抱いてきたものと思います。そんなこともあって思いのほか、出会いが結構多くあったからなんでしょうか。
 懇親会では、幾人かの人から1970年前後の「名工大」の大学闘争の話題が出ていましたね。もちろん私は、そのことだけは知っていましたが、大学闘争の現場へは、一度も足を運んだことはありませんでした。
 そのころ職場には「反戦青年委員会」という非公然組織があって、私はそこに加わってはいましたが、仲間と街頭に出たのは2~3度でしょうか。ですが、当事は労働運動=組合活動が主で、政治活動は組織的に取り組むということは少なく、もっぱら個人参加の形でした。また、私個人としてはどちらかといえば、「ベ平連」に傾倒していきましたが、名古屋のメンバーとは意気投合できず、もっぱら東京に出掛けたりしていました。
 そんな昔話をすれば、参加者全てが1時間でも2時間でも話すに違いありません。良くも悪くも、青年時代に強い社会体験をしたことは忘れないものですね。まだ入社したてのころ、応召して戦地へ行った方たちの、「戦争話」を繰り返し聞かされて、うんざりした経験がありますが、そういうものなんでしょうねえ。
 寺尾さんは、「不戦ネット」の共同代表3人のお一人でしたが、影山さんが体調などで降りられ、この地を離れられる寺尾さんが実質降りられると、水田さんお一人になりますね。これも何か一つの時代を現しているような気もします。
 そうした世代観からすれば、私など若輩に過ぎませんが、「生涯一活動家」という意識の下でやってきましたから、活動に情熱を失くしては、身の置き場がありません。この先も名古屋から離れることはありませんから、何かを求めてまた始めたいと思っていますが、思い切って「転進」したい、というのが現在の心境です。(先の知事選が、私の運動の幕引きのきっかけになるとは全くの想定外でした)
 関東の地に移られると、首都圏と言うこともあり、政治的にも文化的にも、影響や刺激を受けることも多いと思われ、これまで以上に運動への情熱が高まるかもしれませんね。新しい環境ですから、仲間つくりといいますか、人脈つくりも大変でしょうが、全国にお知り合いが多いとも聞いておりますので、そんなつながりを経てきっと、また何かでお名前を拝見することになるでしょう。
 とはいえ、“老域の中堅”に差し掛かりつつありますので、どうぞご自愛くださいませ。
 名古屋へ来る折りもあるとお聞きしておりますので、そのときにお会いできることを楽しみにいております。最後に、TUPの情報いつもありがとうございます。
2007年3月

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