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2006年9月 4日 (月)

検証・愛知万博「市民合意」2

 ホームページの「掲示板」で掲載した、前回では、「はじめに」「市民合意は、かくしてならず-せっかくあったチャンスを三度つぶした」を、小林収・大松沢光敏共著「万博に見る愛知の政治の貌(すがた)」(2000年4月/市民自治愛知・ブックレット)を参考、引用して紹介した。

●公聴会、意見交換会など
 私たちは、愛知万博の企画や運営、イベントには参加しなかったが、公聴会や意見交換会、説明会、後述する愛知万博検討会議に参加して、真摯に意見を述べ、提案もすることによって、愛知万博の骨格の形成に参加したことになる。もっとも、私たちの意見や提案が生かされ、取り入れられたかどうかは定かではない。愛知県も博覧会協会も、一部の担当職員を除けば、いつも曖昧な応答に終始して、ついぞ「分かりました、それ、採用しましょう」なんていう言葉は聞いたことがなかった。
 一九九八年七月から八月にかけて、瀬戸市民会館で開催された「瀬戸市南東部地区新住宅市街地開発事業および名古屋瀬戸道路」の都市計画知事案に対する公聴会が開催され、実に多くの人が、様々な角度からこの万博に繋がる都市計画案について、批判的な観点を公述した。それらの一つ一つの意見が、あまりに迫真に溢れていたものだから、ある人はその全部の収録テープを起こして、記録として残したほどであった。
 あるいは「愛知万博の環境アセスメントに意見する市民の会」が、積極的に仕掛けた意見交換会では、県も協会もただただこうべを垂れて聞くしかなかった。「市民の会」の意見や提案は、本質的には全て正当であり、県も協会も反論の余地はなかったと、私には思えた。 
 だが、建前と本音の狭間にある担当職員が、開催日程を切られ、全て滞りなく愛知万博を推し進めるに当たって、万博アセスを全て「本来的アセス」の手続き通り行い、不具合があればフィードバックし、計画変更もあり、を許されるはずもなかった。一度動き始めた愛知万博は、巨大タンカーのように、容易には方向転換も、まして停止することは出来ないで、ひたすら驀進していくのみであったのだ。

●愛知万博検討会議の評価
 一九九九年の知事選のあとに、二〇〇〇年に条例制定を求める第二次県民署名があり、二〇〇一年には、名古屋市長選挙、二〇〇三年には再び知事選挙に挑んで、万博の中止を求める運動が続くのであるが、既に県当局には、万博の返上も見直しについても「市民」と話し合う気は毛頭なかったと思われる。だが、万博開催に当たっては「市民合意」という看板は外すことはできない。特にたとえ十五haといえども、海上の森の一角を開発することの、BIEへの顔向けのつもりであったのであろう、「愛知万博検討会議(海上の森を中心として)」が二〇〇〇年五月から始まった。
 これは冒頭でも述べたが、「市民合意を求めて」などいう謙虚なものではなく、「セレモニー」といえば、委員諸氏には失礼であろうが、以下の「検証」を見れば、それに近いものであったことが分かるであろう。
 市民運動の側からの、この「検討会議」の評価は一様ではないが、専門的立場から見て評価する意見がある一方、概して市民・NGOの側の評価は低い。
1)切られた日程
 それは例えば、二〇〇〇年五月二十八日から始まった検討会議であったが、その年の十二月十五日のBIE総会での正式登録という日程がきられていたこと、その間に閣議決定の手続きなどを勘案してか、第六回会議の七月二日には、谷岡委員長取りまとめの「谷岡私案」なるものが登場してしまうという、あわただしさだった。 
 たった一か月余り!これは一週間に一回の開催ペースであり、職業的に対応するならともかく、市民グループの側が相談して知恵を絞る間も与えない、強行スケジュールであった。そういった日程・運営にこそまず問題があり、あまりに拙速、あまりに手続き的といわれても仕方があるまい。
2)比較検討を削除
 次に、検討会議の冒頭では、各グループ、個人などからいくつかの「提案」が出された。これらは順次議論して、比較検討していくはずのものであった。
 しかし、協会案と代替案を比較検討するという手法を実質的に放棄してしまった。恐らくそれにかかわると、際限なく議論が続くことを協会側は恐れたのであろう。真剣に対案を作成した努力をないがしろにした運営は、この会議の持ち味を殺してしまったといえる。最初に日程ありき、だったのであろう、検討会議の会場借り上げ契約が九月一杯だったという話まであった。
3)委員の構成に問題あり
 検討会議の委員は二十八人。この中に博覧会協会のプロジェクトチームのメンバー四人が加わっていた。これは協会案で押し通そうという姿勢ではなかったか。この委員は著名な専門家であり、協会案に対しても持論を展開することもあったが、やはりアドバイザーに徹するべきであった。
 一方、NGOとして「環境団体」から、中央の環境三団体を含め九人の委員であったが、その多くは環境団体からだけの委員であった。人数も含めこれでよかったのか。
 この中からでもいいが、「検討会議」の運営自体に関わり、「谷岡独断」を押し留め、NGOやその関係団体・個人を取り結ぶ「コーディネーター」役の存在と、組織戦略的なNGOの連携・結束の必要性を痛感させられた。これは、対行政と向き合う場合の、私たちの側の課題として残ったのではないだろうか。
4)メイン会場(長久手会場)の議論はなし
 この検討会議が、「海上の森を中心として」議論するとしても、実質的に主会場になった青少年公園地区(長久手会場)についての検討は置き去りにされた。わずかに二会場間の県道建設について、議論されたのがせめてのもので、ゴンドラについては、その時点では計画外であったとしても、フォローアップ会議でわずかに俎上にあがったに過ぎず、ここにもまやかしの「後追いアセス」の姿があった。
 このように青少年公園地区について殆んど議論しないまま、二か月足らずで谷岡委員長の裁断で取りまとめられてしまったことで、「市民参加」は形だけのものになってしまったといっていい。
5)海上会場は必要なかった
 万博開催後の状況を見ても、果たして自然を破壊し、莫大な費用をかけての海上会場(瀬戸会場)が必要であったのかは、甚だ疑問である。だからこそここに、環境アセスメントや市民参加の検討には、「ゼロ案(中止)」もありうることを含めておくことの意味がある。また、海上会場にこだわり続けた愛知県と瀬戸市、更には県議会の与党会派の責任、見識についても、厳しい評価をせざるを得ない。続く。 <緑ネット・第72号>

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