2009年7月10日 (金)

駄菓子を買う

四季雑談の会の茶菓子
 四季雑談の会の第7回「夏席Ⅱ」は、12日に開催されるが、その茶席に用意するお菓子は、これまで季節のものを用意してきた。しかし
今回は、昭和の「駄菓子」にすることとし、途中下車した覚王山・日泰寺参道にある駄菓子屋に飛び込んで数種類を買い求めた。
 まず目についたのは、黒砂糖蜜にからめられた「黒棒」で、サクサクして黒砂糖の甘さが懐かしく思い出されるであろう。次に「カルメ焼き」(ここらあたりでは“カルメントウ”と呼んでいた)だが、家でもつくっていた形、お玉の半球形ではなく、六角形であった。見た目にも、昔のものは“骨粗鬆症”のようなガサガサであったが、現在のもはかなり身が締まっている感じであった。
 もう一つ、名前がわからなかったが、ビスケットの一種で、小指大でこけしの形をしたものも購入。そして、色とりどりの金平糖と南国・ボンタンアメの5種類。全部甘いものばかりであった。他にもいろいろあったが、次回にまわすことにした。
 さて、買う前も気にはしていたが、この時代のものの多くは、いろんな添加物が入っていて、特に着色用色素については、その後禁止されたものも少なくなく、ラベルを見ながら買ったのであるが、全く、ラベルのないものもあって、それ自体が問題ではあると感じた。しかし、当日、気にして手を出さない方もいるかもしれない、と思いつつ、見るだけでもいいから、懐かしく楽しんでもらうことにした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 9日 (木)

APWSL日本委員会総会

  大阪へ行けるかな
 それで、その総会が11日の午後から大阪で開催される予定だ。愛知から私一人が代表していくことになっているが、突然、家庭の事情が生じて、参加できるかどうか微妙になってきた。
 しかし、報告すべきことは文書だけでも届けねばならない。郵便で送るにはちょっと遅いかもしれない。とりあえず報告書を作成し印刷しなければならない。
 前書きをこんな風に書いてみた。
  ・・・昨年の第19回総会を愛知県(東海市)に招致して早や1年になりました。
 2008年から2009年にかけての、世界的な大きな出来事といえば、「米リーマン・ブラザースの経営破綻に端を発する金融危機」「アメリカ大統領にオバマ氏就任」に尽きるでしょうが、中国の躍進(拡大政策)、中東、中南米の動きは、B面にあっても、見逃すことができない動きではないでしょうか。
 さてこれらが、世界の、そしてアジア・太平洋地域の労働者にどんな影響を与えているか、という目線を私たちは外してはならないと思います。
 昨年暮れの「派遣村」は、潜在的にあった「労働者の雇用、働き方」だけでなく、「存在そのもの、生き方」さらには、「社会と未来」への向き合い方まで、明らかにし、問うたのではないでしょうか。
 海外に目をやれば、あの民主労総の内部問題が、非正規雇用労働者が6割以上ともいわれる韓国の労働運動にどんな影響を及ぼしているのでしょうか。伝えられる台湾の労働争議のその後と全体像はどうなのでしょう。中国のそれはもっと部分的かもしれません。
 香港、タイ、マレーシア、インド、インドネシアなどに較べれば、フィリピントヨタ労組(TMPCWA)の闘いを伝える支援の会の情報は、他地域よりは豊富でしょうが、それとてフィリピン全体を伝えているわけではありません。
 このようにして、APWSLの位置からするアジア・太平洋地域の労働運動、労働者のくらし・文化を伝える作業は、限りなくあるでしょう。あるいは情報だけでなく、支援・連帯の場も少なくありません。
 私たちが、APWSL愛知を立ち上げて1年、足元の運動もままならないまま、果てしない海原を見るようで、針路を「トヨタ」に向けつつ、まるで前時代の櫓櫂を操るような船出でした。
 わずかでありますが、その経過は「Links№50」で報告しました・・・・。
 実際、インターネットの時代だから、翻訳の問題はあるにしろ、情報交換はかなり容易となった。しかし、それを持って何か運動をしているという「錯覚」を持ってはいけないだろう。「情報戦」などという言葉はあるが、私たちのそれは、全く次元の違う「情報交換」であって、運動の一分野であっても、むしろいかに正確な情報を把握して送ることができ、受け取った、掘り起こした情報をいかに有効に運動の中に取り入れ、駆使し切れるか、ということであろう。
 そしてその情報も、発信、受信した時点からどんどん陳腐化していくから、ストックするだけでは意味が半減してしまう。それに比べ、同じ情報交換でも、会合の中で生の言葉として聞き取り、文章化したものを手にするということは、映画をテレビで見るのと劇場で観るとの違いがあるように、吸収できる度合いが全く違うといえるだろう。
 だから、総会の場には行くに越したことはない、そう思っているのであるが。果たしてどうなるか・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2009年7月 8日 (水)

WSF2009ベレン

 何のことかと戸惑う
 今週末に、APWSL(アジア太平洋労働者連帯会議)日本委員会の総会が、大阪で開催されるが、その中にDVD映像を使っての「WSF2009inベレン」の報告があるという。
 WSFって、なんの用語の略だかすぐには理解できなかった。「世界社会フォーラム」とわかり、ヘレンは、ブラジルのパラ州にある都市名だと知ったのは、インターネットで検索してからであった。
 私自身の関心の度合いはともかく、いわば、「このような世界」に足を踏み入れている者にとって、これでは知らな過ぎるということかもしれないが、仕方がない。
 それで「世界社会フォーラム」では、どんな議論をしているのだろう、と関心が向きかけたが、すぐに「ま、いいか」と先へ進むのを止めてしまった。何となく、目の前に実践的な仕事がたくさんあるのに、マルクスの本を読めとでも、いわれている感じがしたからである。つくづく自分は、この手の研究論文、理論書が苦手だなあと思ったりもした。
 もっとも、その1月27日から約1週間開催されたフォーラムに参加した人の報告と写真を見ると、それは絵空ごとで、論文だけの世界ではなく、現実に進行している世界の状況を反映した、きわめて実践的なものであることが分かった。
 とりあえず、フォーラム参加者からの話も聞けるかもしれないから、そこから少しでも新しい世界が見えてこえばいいかな、そんな風に思った。ただ、新しいことにチャレンジすることには、かなり腰が引けている自分を知らないわけではない。一つ取り込めば、一つ手放したい、そのように気持ちが揺れるのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 7日 (火)

七夕夢想(再録)

 一作きりの三枚劇場
 詩集「坂」(2007年刊・私家版)のあとがきのところで、以下の前書きをつけて、三枚劇場「七夕夢想」を付加した。趣味の域を出ないもので、ただただ楽しんだのであった。それでここに再録してみた。
 「今は休刊となってしまった、やなせたかし編集の『詩とメルヘン』に『三枚劇場』という原稿用紙三枚程度のメルヘン風物語の投稿欄があった。私には、詩よりこのコーナーが合っているような気がして比較的よく読んでいた。出来ればそんなものを書いてみたいなあと思って、試みたのが「七夕夢想」であった。
 試みてみたが、実際、仕上げたのはこの一作だけである。やはり着想には、それなりの積み重ね、才能はいることは確かである。また、中日新聞の日曜版には『三〇〇文字小説』というのもあって、“ああ、いいなあ ”と、惹かれている。」

 七 夕 夢 想
 差出人のない白い角封筒が届いたのは、昨日のことだった。開けてみると絵葉書が一枚入っていて、他にこんなメモ書きが添えられていた。
 『あなたから遠く離れていってしまった人で、いま会いたいという人に、この絵葉書を六日の夜十二時に投函してください。明日の七夕の夜に会えます。亡くなられたご両親とかへは、あて先なしでもけっこうです』と。
 いろいろ考えた挙句、親父宛に出すことにした。おもて面に名前を書いたが「戒名なんていらないよな。だいいち覚えていないし・・・」といいつつ、なんか一言添えるのもいいかなと、うら面を改めて見てみると、そこには、短冊のついた笹の葉、天の川、それになぜか上弦の月を配した、どこにでもあるような、水彩画の絵が描かれていた。
 しばらくじっと見ていると、上弦の月が、何となくこちら側に顔を向けるような感じに見えてきて、うっすらと人の顔が浮き出てきた。あっ 親父の顔だ!と思った瞬間、不覚にも絵葉書の上に涙を落してしまった。
 すると何としたことか、その絵葉書が、くつくつ、くつくつと小さな音を出し、泡が浮き出てきて広がっていった。すると天の川は、まるで本物の川のようなせせらぎとなり、笹が語りかけるように小さく揺れながら、しばらくして天の川の中に倒れこんでいった。
 そうして、どうしようもないまま見ていると、その絵葉書は、こんどはじゅくじゅくと音を立てながら次第に全体が泡に包まれていった。あの上弦の月が泡の中に消えた途端、絵葉書は、その場から消えてしまった。
 なんだこれは?と狐につままれたように呆然としていると、例の白い封筒から、メモがもう一枚はらりと落ちた。そのメモには、こう書かれていた。
 『この絵葉書には、絶対水をかけないでください。上質完全な水溶紙を使っています』
                     
〈二〇〇五年七月七日〉

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 6日 (月)

静岡知事選挙が終って

 政権交代へ加速、で麻生の心中は?
 結果は見ての通りだが、毎日新聞は、12日投票の東京都議会議員選挙でも、民主党が過半数を制するとの世論調査結果を併せて報じた。
 このことから私は次のことを考えた。
 それは、やはり麻生首相の「心のうち」についての推測である。この二つの選挙で与党が敗れれば、その責任は、「地方選挙であるから、国政には及ばない」と強気でいってみたところで、もはやそれは通用しない。先の閣僚の補充と党の人事刷新の断行に失敗したことで、麻生の指導力、牽引力が地に落ちていることが明らかになったからである。それは同時に、「解散権は、首相の専権事項」も、錆ついた刀と見透かされてしまったとも言えるだろう。
 これは結果論であるが、もし麻生がどんな形であれ首相退任後に、政治的影響力を残そうとは考えず、自らの「政治的信念」に基づいて「解散総選挙」をもっと早期に行っていれば、ここまで追い詰められることにはならなかったであろう、という言説は、その通りだと思う。
 では今、麻生に残された最良の選択肢は何か。これが首相の「心のうち」なのであるが、政治評論家などのみなさんはどう読んでいることだろう。「起死回生」のどんでん返しがあるだろうか。鳩山民主代表の「政治資金疑惑」もその一つではあろうが、敵失では「政権交代」の流れを止める「堰」にはならないだろう。
 となると見当たらない、というより私には想像域を超えるが、思いつきでいえば「辞任して、女性を首相に指名または推薦」という手段。東国原知事よりはましであろう。「公明党との連立を解消、政権移譲を前提に民主党の一部を抱きこんで新連立構想のぶち上げ」(遅きに失したが)。「内閣総辞職、民主党に選挙管理内閣を任せて、新総裁のもとで選挙という時間稼ぎ」だが、肝心の次の「顔」が浮かばない。失礼ながら「大平正芳の場合に似せて」でも、世論は冷やかか。「大災害、異変などで解散を封じて、任期満了後の選挙に望みを託す」というはかない邪想・・・。
 いずれにしても「オレの、政治家としての役割、出番は終ったのか」という心中を察するばかりである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 5日 (日)

ピアニスト・辻井伸行の凄さ

 親の役割が大きいというが
 生まれついてから全盲であった辻井さんが、6月7日、アメリカで開催されたヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝し、日本中がわきかえった。もう1か月も前のことになる。
 私も「へぇ~、すごいなぁ」とは思ったが、実は何がすごいのか、その時はよく認識していなかった。だいたい、「ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール」が、どれほど高位なコンクールなのかも知らないし、そもそも、辻井さんの演奏を聞いて、それがどれほど高い評価を受けたかという、そういうことはまるで知らずして、テレビで「これは凄いこと」と聞かされて、単にうなずいたに過ぎない。
 このコンクールに、これまで幾人もの日本人がチャレンジしてきたことであろうから、それを日本人として初の優勝を成し遂げたのは、確かに「凄い!」ことであるとわかる。
 しかしもっと凄いのは、「全盲」であることだと思えたが、それは鍵盤が見えない、楽譜を読みとることができないというハンディ-を思ってのことだ。しかし実際は、楽譜がないから耳から聴いた音、曲を覚えるしかなく、しかもそれを短期間のうちに、自分のものにするその「凄さ」であると解説されている。
 さかのぼれば、0歳の時からその兆候を見せたと、母親の辻井いつ子さんは語っているが、それを見逃さなかった「母親の力」が、「凄さ」を倍加、二重写しにさせる。いつ子さんにとっては、世の親の願いの常である「健康でさえいてくれれば」という、それさえ眼前の状況はかなわずしてあり、その先が考えられないところにあったであろう。それを乗り越えたなにがしかの「積極性」が、ここに至ったということだが、この積極性とか、ものを見る目、判断の確かさは、これまた一つの「凄い」能力であるに違いない。
 この世の凄いことは、幾つかの条件が努力であれ、偶然であれ重なりあって合致した時に生まれる、ことを改めて知らされた。親が一生懸命になれば、何とかなる場合もあるかもしれないが、それだけではないことも確かであろう。イチローのことも考えてしまうなあ。
 ところで、同時優勝したとされる、中国人ピアニスト・張昊辰という人の場合は、どんな「凄さ」を持っていたのであろう。この紹介はまだ目にしていないが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 4日 (土)

四苦八句川柳・9

梅雨知らず
 雑談の櫂・第12号・梅雨号の「四苦八句川柳・9」は、以下の8句。題は、時節柄「梅雨知らず」としたが、冒頭句に思い入れがあり、第8句と対をなす句としたが、相変わらず「もうひとひねり」か。

▼ 連れてくかどっちなのよと傘が聞く
▼ 水たまり遠い面影愛合傘(かさ)映し
▼ きょうも雨 つゆキライかとポチに聞く
▼ 梅雨なのに雨梅降らずお玉降る
▼ 生活のゴミが流れる扇川
▼ 雨だから同窓名簿めくる日々
▼ そういうが晴耕雨読畑(はた)もなく
▼ 愛読書君は残れよボクは逝く

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 3日 (金)

ピースサイクル2009

 自治体と基地に訪問通知を出す
 ピースサイクル2009は、先月の「沖縄ピースサイクル」が終って、7月13日の埼玉県入間市を皮切りに、いよいよ全国が一斉に走り始める。
 7月19日東京発、8月5日広島着の東海道・山陽道ルートは、7月26日に愛知県入りし、豊橋、豊川、岡崎、豊田、三好、日進、名古屋、小牧、各務原までの3日間が「愛知ネット」の担当となる。
 訪問先には、事前に通知して、反核・平和問題と共に、地方自治体の抱える問題を地元のみなさんと供に申し入れるので、その通知書を今日、書き送った。
 ・・・私たちは、「つくろう 戦争のない世界を!守ろう 未来の環境を!」「守り活かそう!憲法9条!止めよう戦争への流れを」(2009年のスローガン)を合言葉に、世界の平和と地球上からの全ての核の廃絶、自然保護、環境保護・再生などを求めて、今年もまた、全国で「ピースサイクル」を取り組んでおります。
 さて、中央政界におきましては、衆議院の解散総選挙がいつ行われるか、政権交代がなるかならないかが焦点になっていますが、2009年度補正予算関連の租税特別措置法改正案や国民年金法改正案、そして臓器移植法改正案、水俣病未認定患者の救済法案、海賊対処法案等々の重要な法案の行方が気になるところです。
 一方で地方分権、税源移譲問題、年金・医療・介護、少子高齢化問題、東海地震対策、新型インフルエンザ対策など、地方自治体にとっての重要な施策も目が離せないところです。
 私たちは、そのような生活面に直結する行政の在り方、施策を注視するとともに、世界平和、地球環境の問題にも、怠りなく目を向けていかなくてはならないと考えております。
 それ故私たちは、地域における不断の活動と共に、広島、長崎の原爆忌のあるこの時期の、「ピースサイクル全国運動」の意義を再認識しているところです。
 尚、全国の仲間と共に推進する、「2009年ピースサイクル」の主たる主張とその取り組みについては、同封いたしましたリーフレットをご覧下さい。・・・
 という風に始まって、各自治体個別の問題を列挙して、当日その回答を受けるという流れである。毎年同じような文案になりがちで、何とか内容を豊富にして表現を変えたいものだと思うのだが、金融恐慌、世界同時不況のような大きな変化があっても、地方自治体との関連性を結びつけるのは難しい面がある。また、豊川と小牧の自衛隊は別の内容になる。
 この時期、衆議院選挙と重ならないとも限らないので、そうなるとまた別の心配がないわけではない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 2日 (木)

老兵たちのフォーラム7月例会

 久野 治著「春闘の終焉」を読んで
 昨日の例会のテーマは、多治見市在住、元三菱電機労組役員、元IMF・JC事務局次長、中部ペンクラブ理事、美濃の武将で茶人・古田織部の研究および、文筆活動を続けておられる、久野治さんの近著「春闘の終焉」をめぐっての意見交換であった。
 著者も参加されていたから、本には書かれない「裏話」もいくつかあって、固い標題にはない興味深い内容となった。また、労働運動という角度から取り上げたこのテーマも、久野さんの自分史の一部でもあったといえよう。
 さて今回また、私はテーマを取り間違えて、8月例会のテーマで臨んだので、全く準備なしで議論に参加することになった。しかし、順番が最後だったので、それなりに意見を述べることができた。
 それでこの本全体の印象として私は、私自身が旧総評、総同盟、中立労連、新産別といった労働組合の大道を歩いてこなかったから、どちらかといえば「批判的」に読んだのであった。しかし、批判されるべきは、著者個人ではなく、戦後労働運動の運動総体がまず先にあるべきだと思ったこと。そして、著者が、もっとアジアに目を向け、新興著しいが労働条件が低い労働者のことを考えるなら、「アジア地域春闘の構築」が必要だと、大胆に提言されている点では、意表を突かれたというか、私の想像域を超えていた点を率直に述べた。
 私は、大企業の組合にいながら、その組合の腐敗を感じとって、職場活動に精を出していたが、その活動の中心軸は、「賃金体系、賃金・退職金計算に習熟すること」「労働法、特に労働基準法と労働安全衛生法に精通すること」それらを職場で実践的に活用することを教えられたことを述べ、一方で、「企業(職場)の枠を超えた、地域労働運動」、新東京国際空港建設反対の「三里塚闘争(政治闘争、労農共闘)を闘える労働組合」が当初の2大路線で、後に「労働運動と市民運動は表裏一体」更に、組織されない、支援を受けることのない労働者と共に闘う「隙間の労働運動/落ち穂拾いの労働運動」というところに位置して活動をしていたことを述べた。
 そして、企業内組合の、特に大手組合の多く見られた組合活動の欠落していたものとして、①組織外の未組織労働者②組合員個人③下請け・零細企業の労働者④女性、こうした人たちが置き去りされて、正規職・体制従順の労働者で固めて、幹部は「労使協調」を第1義として、保身と出世に重きを置く労働組合は、果たして労働組合といえるかどうか、とまあ、著者の前ではいいにくかったが、当人が必ずしも、これに当てはまらないことは衆人の認めるところであるので、思うところを述べたのだった。
 参加者の中には、いわば経営者側の人もいて、「別世界」といわれて苦笑したが、それは労働運動、組合活動がある意味では、保守的で、未開の領域すら持っていることの指摘ではないか、そんな気がした。ただ、最近の「派遣村」に見られる非正規雇用労働者の動き、うねりは、「戦後労働運動」に新たな節目をつくっている状況でもあるから、労働運動一般論だけでは議論は深化しないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 1日 (水)

英文・トヨタ関連ニュース

 ココログに障害が発生し、30日の日録がアップできなかった。ここに追記する。
 
6月は5本
 APWSL愛知発行の英文「トヨタ関連ニュース」の第6号は、6月のニュース6本である。
 1)6月12日、デンソー・川野裁判報告集会。2)6月13日、第3回「トヨタ」連続労働講座。3)6月16日、TMPCWAを支援する愛知の会・運営委員会。4)6月23日、トヨタ自動車株主総会・株主へのアピール行動。5)6月24日、第18回ATU・S運営委員会、である。
 これらを200字前後でまとめて英文にして、APWSL国際MLに投稿する。これで少しは、アジア太平洋の労働者・活動家の役に立つだろうか、とは思うけれども、日本ではいろいろ頑張っているなあ、というメッセージくらいは届くだろうと思っている。
 「キミが頑張っているから、ボクもがんばれる」「その一言、言葉、メッセージが、やる気を起こしてくれた」ということはないではないが、むしろ、発信する側にいる方が、より意識が強まるような気がする。
 ということで、この英文ニュースも、写真をつけたいがまだその準備が整っていない。英訳者の負担もあるので、せめて1本だけは500字くらいに増やしたい気がしている。そして相互交通が増えて、相対する機会がくればと思う反面、そう長く続けていられない気もしないではないのである。だから、やれるうちにやっておきたい。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

梅雨籠(つゆごもり)

  ココログに障害が発生し、29日の日録がアップできなかった。ここに追記する。
 何をしてもしなくても変わりなし
 今は梅雨の真っただ中にあることは間違いないだろう。
 つい2日前まで原稿の仕上げに汲々としていて、雨雲が一層重く垂れこんでいるような気がしていたが、今はわずかにのぞく雲間の空を見るようである。
 学校へ行くでなし、仕事に出かけるでなし、さりとて家事に精を出す気にもなれないから、パソコンの前に座ったり、横になって新聞を広げるか、読み残しの多い週刊金曜日のページを開いたりしている。
  何をしてもしなくても生きるに変わりなし
  紫陽花からこぼれ落ちる雨粒を見ゆ
 これは「雑談の櫂・第12号・梅雨号」の巻頭詩の一部であるが、やはり湿っぽいものになってしまった。そもそも題にした「梅雨籠」など、歳時記から引き出さねば知らぬ言葉であった。それを“感性”から描いたものでなく、言葉のこだわりから一篇の詩につなげようとするのだから、出来栄えは知れたものになる。
 ま、それでも1か月近く、意趣、言葉探しで脳を鍛えたであろうから、評価はお読みになった人にまかせることにしよう。
 「梅雨号」の「くらしの周辺」では、「本、絵本、漫画本」と題して、本にまつわるエピソードを書き連ねたが、このテーマを「秋号」に載せず、この時期にしたのもやはり、家の中に籠ることが多いからであろう。だから、それは読書感想文ではなく、「読書歴」みたいなものになった。
 その最終行は、「私の蔵書で残したいのは、漫画では手塚治虫だけである。孫は読むだろうか。」と結んでいる。

|

2009年6月28日 (日)

雑談の櫂仕上がる

  苦労もできてしまえば
 限定50部という「雑談の櫂・第12号・梅雨号」が苦労の末仕上がって、印刷も終えた。当初の発行計画が6月1日、繰り延べて6月14であったが、月末になってしまった。
 内容は、ほぼパターンが決まっている。表紙の季節の花は、「紫陽花」を取り上げた。四苦八句・川柳は、「茶蘭ポラン」の<梅雨知らず>と題する8句。巻頭詩は「梅雨籠(つゆごもり)」で、くらしの周辺は<本・絵本・漫画本>を取り上げた。
  作詩のころ、こころは「キッチン」で、四季の記は5本。映画観賞記録は、「新・日本沈没」を取り上げた。
  第7回四季雑談の会「夏席」では、「遺伝子組み換え食品」の話を河田昌東さんにして戴くので、その案内。ピースサイクルの案内も半ページ載せた。
  体調がすぐれないということは、あれこれ考えたくないというのが大半を占めるのであるが、時にはふっとアイデアみたいなものが浮かぶことがあって、それを書きとめることが、後で楽にさせる。
  巻頭詩の1行がどうして埋まらぬまま2日過ぎたが、横になって折り込み広告を見ているうちにひらめいた、ということもあるのである。
 今回も苦労して“しんどい”思いをしたが、これは今回に限ったことではなく毎度のことで、頭も体も絶好調で、スラスラと進んだことなど一度もなかった。そういうものだろうと思う。
 さて、次は・・・・まだまだあるなあ。

|

2009年6月27日 (土)

日韓交流名古屋集会

  あの民主労総も批判の俎上に上がる
 笹島日雇労働組合が主催した日韓交流集会は、韓国・イーランド一般労組委員長のキム・ギョンウク(金倞煜)さんを招いて、名駅近くのコミセンで開かれた。
 彼の経歴は、今まで来日した労組関係者とは異質であった。陸軍士官学校を卒業して、陸軍将校として任官、28歳で退役して、フランス系の流通会社であるカルフール社に入社、課長職となり、非正規雇用労働者の首を切る立場になった。
  2003年に、いろいろ思うところがあったのであろう、労働組合に加入して、労組委員長になる。そのころから非正規雇用労働者の組織化に奔走し、イーランドグループが韓国カルフール社を買収したあと、2007年にイーランドグループが、非正規雇用労働者を大量解雇。対する労働組合は、カルフールから名前を変えたホームエバー社の店舗を占拠して籠城。会社側が雇った暴力団、国家権力(警察)の暴圧を受けながら、また多くの逮捕者を出しながら512日間の闘争を闘い抜き、2008年にサムソンテスコがホームエバーを買収後ホームプラスとまたまた名称変更したあと、労使の団体協約が締結され、ストライキ闘争が終結した、その中心的活動をなしたのが、キムさんであった。現在38歳。
  韓国全体の政治的構造や労働運動の系列と現在の実態など、状況把握が難しく、その中で、このイーランド闘争がどんな位置にあるのかよくわからなかった。確かに昨今の民主労総には、非正規雇用労働者と一緒に戦う方針をもたない点など、批判されるべき点はあるにしろ、その民主労総に加入していながら民主労総を批判している一面やイ・ミョンバク現大統領と先に自殺さしたといわれるノムヒョン前大統領を一緒に串刺しにして批判する立場は、もう少し説明がいるだろうし、聞く側に予備知識が必要だった。
  日本的にいえば、韓国労総が日本の連合だとすると、全労連か全労協に加盟していながら(両組織は「派遣切り」に取り組んでいることを断わっておく)、「派遣切り」を闘わないこれらを批判しつつ、自主、自立の闘争を闘いとったユニオン、とでもいえばいいのだろうか。4月の日韓集会と比べ、やや左翼色を強めた闘いの報告かなと思った。
  もっとも民主労総は、2007年8月にニューコア・イーランド労組の闘いに16億ウォン(約1億3千万円)の闘争資金を拠出しているというから、内部に2潮流があるかもしれない。そんな報告もあったような気がする。
  韓国民主労総について私は、韓国民主化闘争以前、非合法組織として弾圧を受けながら、ついに公然化を勝ち取り、韓国労総を圧倒するように組織拡大をしてきたという認識があり、その後の混乱状況も、情報が乏しいのでどれほどのものかは計りかねていた。

  幹部の腐敗やセクハラも漏れ聞き、正規雇用労働者だけの組合に純化して、非正規雇用労働者の組織化に腰が引けている、という話もあったから、内部ではかなりのせめぎ合いがあるのだろう。そんな中でのキムさんの話を聞く機会であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月26日 (金)

橋下と東国原両知事の言動

  この国の将来を託せるか
 解散総選挙というこの時期に、この二人が露出気味に賑わしている。ワイドショーの出演とは違うレベルなのに、なぜか私には、ダブって見えてしまう。
 マスコミ慣れして、その最大利用価値を駆使しきっている当の本人たちは、まじめに論じているのだろうが、自民党の古賀選対委員長がこれまた本気なのだというものだから、これはテレビを意識した演出ではなかろうか、ちょっと軽薄過ぎないかと思ってしまうのである。
 地方分権、道州制、官僚政治などについては、「改革派知事」として、北川正恭元三重県知事あたりから始まって、浅野史郎(宮城)、橋本大二郎(高知)、片山喜博(鳥取)増田寛也(岩手)、梶原拓(岐阜)の名前が浮かぶが、これらの人物群と並べ比べても、その実力に見劣りを感じてしまう。もっとも改革派知事といわれたこれらの知事には、もう現役はいない。その後も存在感は保持しているようであるが、早々に身を退いてしまって「結集して行動」というところまで踏み込めなかったことが、「結局何だったのか」となってしまった。
 橋下と東国原両知事の言動が、どんな形で結実するかは予測し難いが、いまや「タレント首長」の時代を有権者がつくってしまったから、何の根拠や展望がなくても、何の縛りもない、自由奔放な言動がもてはやされることがないとはいえない。それでもって、この国の将来を託せるものなのか、あるいは散々利用された揚句、老練な政党・政治家にからめとられていく結末となるのか。あまりいい想像をしないのは、私の感覚の古さ、鈍さか、はたまた、それは危険な時代の到来の兆候かもしれないのだが。さてどうなる事やら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月25日 (木)

198円のCD

 クラシック音楽が多いが
 あるスーパーマーケットの特売場で、DVD、CD、カセットテープなどが安売りされていた。この種のものは、ホームセンターでも常設販売されているから、それ用に製作されているのか、倒産などを含め在庫処理として出たものなのか、はたまた日本著作権協会のシールが貼ってはあるが、「海賊版」であろうか。とにかく安い。
 それにしても、定価2000円が、特価315円となり、私が手にしたのは198円であった。「名曲アルバム」のシリーズものの不人気な半端ものかもしれないが、「ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団」(英)とあって、モーツアルト、ビゼー、メンデルゾーン、チャイコフスキー、ドヴォルザークなど12曲が入っている。
 私がこのようなものを買う理由はただ一つ、パソコンの前にいるときのBGMにするためだけであり、かえって聞いたことのない音曲の方がいいのである。それに、どこかに198円なら、キズものでもなんでもあきらめられる、という下心が働いているのは確かだろう。
 海外での「海賊版」が問題視されるが、それで利益を得て、著作権料も税金も免れている業者は許されないだろうが、貧しくて正価ではとても手に入れられない若者たちが、海賊版と分かっていて手を出し、それで楽しみ、仲間同士で回して、擦り切れるまで聞いている情景を思い浮かべると、なんだか、それは許されるような気がしてくる。
 では、私が手にした198円CDはどうなのか。少なくとも違法ではなさそうだから、それより、そんな単価で売られ、どれほどの利益が出て、製作、販売に携わった労働者にいくら支払われただろうか、そっちの方が気になったが、すぐに忘れてしまうことだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«トヨタ自動車の株主総会・2